『おかえり』15(完)




「……綱手さまは分かっていらしたのですか? あっ。も、もしかして、あの任務自体、最初から計算されて!?」
 甲高い声が沸き起こる中、二人だけの世界を作る男どもを見下ろしていると、隣のシズネがだまされたと呻いた。胸の前で抱かれている豚のトントンまで、賛同するようにブヒーと鳴いた。
 二人に向かって息を吐き、馬鹿だねと綱手は言う。



「分かる訳ないだろうが。お前も知ってただろ。巻物本来の意図が分かったのは、カカシに睡眠薬を飲ませたとイルカの知らせがあった時だ。それに、ホモカップル作って、何が楽しいんだい?」
 あれ見て、むさ苦しいと思わないのかい。周囲は失神寸前だよと、眼下のくのいちの慌てぶりを笑えば、シズネはでもと、まだ納得のいかない顔を作っていた。
 ふてくされている顔に、ピンとくる。
「なんだい、なんだい。お前、あの二人のどちらかにお熱だったのかい?」
 肘で突けば、シズネは違いますと口を曲げた。トントンもブヒブヒ何事かを訴えている。
「そういうのじゃなくて、二人ともいい男じゃないですか。なのに、二人してくっつくなんて、女性からすれば複雑なんですッ」
 二人が上手くいって良かったとは思いますけどと、トントンと目を合わせ、シズネはねぇと首を傾げる。トントンもそれに倣って首を傾げた。
微妙な心情の二人の肩を軽く叩く。
「まぁ、二人ともイイ男だってことは認めてやるよ。でもな、だからこそっていうやつじゃないのかい?」
 分からないと見上げるシズネとトントンに、綱手は笑った。
「イイ男どもだから、性別や立場なんざ囚われなかったんだろうよ。イイ男ってのは、自分の志は曲げないもんさ」
 もっと複雑な顔をしたシズネを、綱手は笑った。
 眼下には、抱き合う二人の姿が見える。イルカにキスされて固まっていたカカシだが、ようやく実感が沸いたのかおもむろに動き出した。
 イルカの後頭部を掴み、今までの遅れを取り戻すように激しく動きだしたその様に、綱手はここまでだなと息を吸う。
「綱手さっ」
 何かを察したシズネが言い切る前に、綱手は眼下に向けて声を張った。



「こらぁッ、そこのバカップルどもッッ。公序良俗違反でとっ捕まえるぞッ」
 チャクラを込めた声は、窓ガラスを震わせ、真下にいた者たちの耳を塞がせた。
 口付けに夢中になっていた二人はもろにその声を浴び、呻いていた。
 何事かと両隣の窓が開き、眼下にいた者たちの目が綱手に向く。二人も涙目になって上向いたことを認め、綱手は笑う。
「とっとと、家にお帰り。目の毒だ」
 しっしと手を払ってやれば、イルカは顔を赤くした後、真っ直角に腰を折り、カカシは腑抜けた顔でイルカの肩を抱いて、後頭部を掻いていた。
「悪かったね。ちょっとした教育的指導だ」
 困惑する周囲に向けて告げ、これ以上説明を求められない内に、さっさと窓を締める。途端に後ろから情けない声があがった。
「綱手さま〜」
 それに続けて、激しく鼻を鳴らすトントン。
「あぁ、悪かったって。あのまま放っておくと、木の葉の品位が疑われるからな」
 「品位…」と頬を染め、何かを想像しているシズネを尻目に、二人を眺めた。
 呆然とするくのいちの中を、二人は寄り添い、帰り始める。カカシの家は埃だらけだろうから、イルカの家に行くのかもしれない。
 どっちにしろ、二人は同じ場所に帰るだろうと想像付いた。



「……綱手さま。二人に言わなくて良かったんですかね?」
 トントンを抱いたシズネが、窺うようにこちらを見た。
 シズネの言いたいことは分かる。
 阿尺の作った巻物は、結局、人心術を目的したものではなく、他者との絆を深めるためのものだった。サクモが手を加えたおかげで、危険極まりない物になってしまっていたが、本来は怪我一つ負うような代物ではない。
 自分の知らない他者を知り、そして、その過去を全部受け入れたいと望んだ者が手にする巻物。
 イルカが阿尺の巻物について進言した時、綱手は自分の考えに疑問を抱いた。変人と呼ばれた阿尺が人心術のような、忍びが使いそうな物を作るだろうか、と。
 違った観点から調べてみると、唸っていた箇所はすんなりと読み解け、巻物の意図がようやく分かった次第だ。
阿尺が変人と呼ばれたのは、それなりの理由がある。
 阿尺は忍びの里で生まれながら、一般的な忍びとしての己の生き方を否定した。火遁の巻物を作らせれば、里一つを焦土と化す威力の物を作れる腕を持ちながら、阿尺は役に立たないものを作り続けた。
 時代は第二次忍界大戦真っ只中だった。
 誰もが里の意向に従い、兵器としての忍びの使命を全うしていた時代に、阿尺は真っ向から逆らった。当然、周りの者の阿尺を見る目は厳しく、そしてそれを容認する余裕は持っていなかった。
 阿尺は死を持って、忍びの任を果たせと里に迫られた。
 毒の杯を手渡され、見せしめのために公開処刑されたのだ。
 牢に入れられた期間、阿尺の健康管理を任されたことで綱手は少しばかり面識がある。
 阿尺は牢にいながら、材料も何もない中でも、巻物の構成を練っていた。牢の壁や床一面に、何個もの術式の公式を書き連ねていた。
 その情熱と執念は、里に歯向かう者と阿尺を蔑んでいた綱手の心をわずかに動かし、一度だけ問うたことがある。
 何故、そうまでして作り続けるのかと。自分の命を犠牲にしてまで、何故、役に立たないものを作ると。
 すると、阿尺は笑った。明日、死が待つ身とは思えぬ顔で、優しい笑みを浮かべた。
 役に立たないものを作った覚えはない。忍術は決して人を傷つけるだけのものではない。人を幸せにするものだと、私は信じている。
 阿尺が言った言葉は、当時の綱手には理解できないものだった。忍びの技は、敵を殺すための術、そのための技術。医療忍術は人を癒すが、それも戦うために癒すものだ。
 困惑する綱手に、阿尺は優しく言い聞かせた。
 理解しろとは言わない。だが、お前は若い。お前が成長していく中で、私のような者もいたということを忘れないでいてくれると有難い。
 結局、綱手は阿尺に言葉を返さず、そして、阿尺は死んだ。
「……お前は、生まれる時代が早すぎたな…」
 腰に挟んでいた、二つに分かれた巻物に手を添え、小さく呟く。



「綱手さま、何かおっしゃいました?」
 独り言を聞きつけたシズネが問いかけてくる。それに何でもないと頭を振り、門を出る二人の背中を見詰めた。
 なぁ、阿尺。見たかい? あの二人は今確かに幸せだ。お前が言っていた言葉は本物だった。忍術は人を幸せにするものだ。
 これで少しは成仏してくれればいいと願う。そのとき、不意に遠い記憶が微かに蘇った。
『私は、自分の忍道を悔いたことは一度もない。私の信念は、その先の未来を照らす』
 毒を飲む間際、朗々たる声で告げた阿尺。
 思い出して、なんだと笑う。阿尺は成仏も何も、とっくに成仏している。自分の信念を信じ、巻物を残した。それを使えば、どうなることぐらい、天才と言われた巻物師はお見通しだったのだ。
「綱手さま?」
 肩を震わせて笑う綱手を、シズネとトントンが横から窺ってくる。
 笑いすぎて滲んだ涙を拭い、綱手は笑った。



「先人は偉大だってことだ」
 顔を顰める二人の疑問の視線を避けた。一つ息を吐いて、目を細める。
 窓の外には、夕日に照らされた木の葉の里が見える。
 子供たちは口々にさよならとまた明日を交互に告げ、笑顔で走り抜ける。その中を、帰途につく者、これから任務に出立する者、そして、それを出迎える者、見送る者がいる。
 木の葉の里は、美しい。
「――いいさ。あの二人に記憶はもうないんだ。言っても無駄だ」
 寂しげに目を揺らしたシズネの肩に、体を軽くぶつける。見上げた視線を捕え、大丈夫と口端を上げる。
「記憶はないが、消えないものは確かにある。それにな、こんなもんは単なる切っ掛けだ。任務が切っ掛けで親密になったようなもんだが、どうせなくてもくっついてたよ」
「どういうことですか?」
 全く気付いていないシズネにため息を吐く。なかなかに器量よしで性格も悪くないのに、男が現れないのは鈍いせいかと、自分の懐刀の未来を少し心配した。



「気付かなかったのかい? カカシの奴、自分でも気付いていなかっただろうが、ずっとイルカに惚れてたんだよ。あいつ、任務をもらう時にイルカがいるとやる気が違うし、口数は多いし。…赤ん坊の時も見ただろ、あの反応。イルカに真っ先に反応しやがって」
 目を見開くシズネに、鈍いと眉間に皺を寄せる。そうなんですかと頬を赤く染め、遠くを見詰めるシズネをトントンは心配そうに見ていた。
 どうやら、鈍いだけが原因ではなさそうだ。
 いずれ私がいい男を見つけてやらねばなと、老婆心を出しつつ、断言した。
「と、いうことだ。遅かれ早かれ、くっついて、ものにしていただろうよ」
 胸を張って自信満々に言い切ったが、隣のシズネから反応がない。横目で見れば、熱っぽい瞳で明後日を見詰め、全く話を聞いていないシズネがいた。
 肩が落ちかけたが、まぁいいと、綱手は夕闇に沈む里を見詰めた。
 ぽつりぽつりと家の灯りがついていく里を見詰め、綱手は心から思う。



 人の絆で結ばれた里は、強く美しい。
 なぁ、そうだろうと阿尺に呼びかける。
 綱手に、医療忍術は何であるべきかを考えるきっかけをくれた師に、綱手は呼びかけた。






******






「ここ、だったけかな?」
 暑い日差しの中、ミーミーと耳にやかましく響く蝉の声を背に、坂道を上る。
 運よく休日が重なった今日。カカシがぜひここへ来て欲しいと一枚の地図を手渡してきた。
 地図には、アカデミーからほど近い、小高い場所に、赤丸がついていた。
そこは、どこにでも行きたがる子供時代に、絶対行くなと親たちから言われた場所で、行くなと言われたら絶対行く子供だったイルカが足を踏み入れようとして、どうしても見つけられなかった場所でもある。
ここはと問おうとしたイルカに、カカシは来てからのお楽しみとしか言ってくれなかった。



顎の下にたまる汗を拭い、足を進める。
両脇を竹やぶで覆われたそこは、影が多いが、風が通らないのが厄介ともいえる。全身汗だくだった。着いたら、風呂でも借りようかなと思いつつ、足を動かせば逆道を半分行き過ぎたところで、横の竹やぶから小さな影が出てきた。
「何をしとるんじゃ、遅いっ。早く来い、カカシが待っとるぞ」
 イルカの前に横向きで滑り込み、急かす小型犬は、カカシの忍犬だ。
「パックン、そう急かすなよ」
 案内役としてイルカのアパートに来てくれたが、パックンは全速力でついて来いと走り抜け、そのまま戻ってこなかった。
 のんびりと歩きたかったイルカはまぁいいやと、自分のペースでゆっくりと歩いてきたのだが、それがお気に召さなかったらしい。
「連れてきたとカカシに言った、拙者の気持ち、お主にはわからんだろうなッッ」
 悔しそうに言うパックンは少し哀れだった。こちらを見上げる目もどこか揺れていて、何となく弱い者いじめをした気分に陥る。
「わ、悪いって、悪かったって。ほら、行こう。走るからさ」
 しょぼくれた背中に、語りかける暇もなく、パックンは一瞬にして坂道の天辺まで走り抜けていた。
「遅いぞ、小童!! 早く、来んかっ」
 坂道から見下ろすパックンに、忍犬も忍びなんだよなと、イルカは乾いた笑みを浮かべる。忍犬に対しても裏の裏まで読めと言われた気がして、ちょっと憂鬱になった。
「早く来いッ」と再度の呼びかけに返事を返し、イルカはおもむろに走り出す。
暑い中、パックンの声に励まされ、上った先には、視界の範囲では追いつかない垣根が、横一直線に広がっていた。垣根の中には、鬱蒼とした雑木林が生い茂り、不気味な印象をイルカに残す。
パックンはその垣根の出入り口である、古めかしい門の前で待っていた。門の前まで行けば、パックンは一つ頷いた。
「よし、着いたな。カカシには、ここまででいいと言われておるのでな。一人で入って行け」
 そう言った途端、ぽんと軽い音を立てて、煙を残して去って行った。
 さよならも言わずに去るパックンに、何となく寂しさを覚えつつも、イルカは門をくぐる。



「お、お邪魔しまーす」
 入っても、出迎えるのは木ばかりだ。
 一応、道だと見受けられる、細い小道を進んでいけば、突然視界が開けた。
 影の中を通ってきたため、日の光で一瞬、目が眩んだ。
「イルカ先生!」
 カカシの声が聞こえる。
手で陽射しを避けながら、目を開けた先に、麦わら帽子を被ったカカシと、その後ろに平屋の一軒家が見えた。



 胸が震えた。
 訳も分からない息苦しさに、眉根が寄る。
 声が出せず胸を押さえていると、カカシが近寄って来た。
素顔のカカシは普段の支給服に、首にタオルを掛け、長靴を履いている。軍手をした手には黒い土がついており、頬を擦ったのか黒い線が残っていた。
 顔を歪めるイルカを優しく見詰め、カカシは肩をずらし、その先を見ろとイルカの視線を誘った。
 カカシが差し示した場所には、緑色で覆われ、色鮮やかな赤や緑がたわわに実っている。



「……何で…」
 袖口で目を覆い、顔を俯ける。
 普通の畑に、トマトや、きゅうり、スイカなどの夏野菜が実っているだけの風景なのに、どうして泣けてくるのか分からない。
「……俺も、そうだったよ。ここを見た時、泣けて仕方なかった」
 軍手を脱ぎ、無造作にポケットに突っ込み、カカシは泥をはたくように手を叩く。その手でイルカの手を掴み、カカシは歩き出した。
 向かう先は、平屋の家。純和風で設えた家は、厳格という言葉がふさわしいのに、イルカにはとても温かいものに見えた。
 玄関戸を横に開く。からからと音が鳴るそれにも泣けて、必死に涙を袖で拭っていれば、カカシはイルカを先に立たせると、肩を掴んで腰を下ろさせた。
 玄関の上り框に腰を下ろしたところで、顔を上げれば、麦わら帽子を取ったカカシが涙目でイルカを見詰めていた。
「……ここ、俺の生家」
「…カカシさんの?」
 鼻を啜り繰り返せば、カカシはうんと頷く。
「俺にとって、ここは親父との思い出の場所で、それは楽しくても辛い思い出が多くて、碌でもないこともたくさんあった。でも、ここに帰って来たらほっとするんだ」
 そうだろうと頷いた。
 何と言ってもカカシの生家だ。昔の思い出は辛くとも、どれも大事な物のはずだ。
 カカシは笑う。顔を歪ませて、笑った。



「でもね、ここに帰るとほっとするのと同時に、すごく寂しいんだ。寂しくて寂しくて、何かが足りないって、俺の何かが叫ぶ」
 カカシの目はイルカから離されない。色違いの両目を見詰め、イルカはうんと頷く。
「でも、分からなかった。何が足らないか、分からなかった。家中探しても分からなくて、ふと庭先見たら、手入れされた形跡のある畑を見つけた。訳分からないけど、気付いたらクワを握ってた。俺、一人で植えた。夏野菜。トマトと、スイカとなすにピーマン、きゅうりとか。植えたら、アンタの顔が浮かんだ。これが成ったら、アンタと一緒に食べようと思った」
 色違いの瞳に涙が浮かぶ。それが落ちないことを祈りながら、もう一度頷けば、イルカの祈りも虚しく、カカシの瞳から溢れてしまった。
 ぽろぽろと落ちる涙は、思っていたより痛くなくて、少し安堵した。
 頬につく泥と混じり落ちていく涙を拭った。カカシは泣きながら笑う。
「で、アンタを呼んだ。アンタが来て、俺は間違ってなかったと思った。ねぇ、イルカ。呼んで。俺をもう一度呼んで」
 涙が出る。
 何で、二人してこうも泣いてしまうのか、理解ができない。
 「イルカ」とカカシが呼ぶ。
 切ない声で、乞う声で、「イルカ」とカカシが呼ぶ。
 懐かしい音が胸に響く。
 息を吸う。
「カカシ…、」









『おかえり』










〈完〉




戻る


--------------------------------------



以上、読んでいただきありがとうございました!!