『きゃー、かわいいっ!』
「でっしょー! でもこっちもいいの」
「はい、素敵です。……でも、イルカ先生がこれ着るの?」
「ま、まぁ、一例よ、一例。他にも服はいっぱいあるんだから。今日はめいっぱい探すわよ!」
『はい!!』
きゃっきゃっと非常に楽しげな声をあげ、服を選んでくださる紅お姉さまと元生徒たち三人。
その遙か後方で、私は立ち尽くしていた。
はっきり言って、買い物を舐めていたと言わずにはいられない状況だった。


カカシ先生にようやくまともと言えるお弁当を食べさせた日の夕方、紅お姉さまに連れられて、木の葉デパートへ買い物にやってきた。だが、私の軍資金が乏しいことに加え、支給服以外は、スーツと葬式用スーツしか私服がないことを知った紅お姉さまが大いに嘆き、厳選した服選びをするならば時間が足りぬと、私のお休みに合わせて休みをとってくれ、後日再戦という話になった。
紅お姉さまの呼びかけで、ヒナタ、サクラ、イノの三人も合流し、私含め五人で行くこととなった。ちなみに友人のマキは都合がつかずに合流できなかった。
私のためにわざわざ集まってくれたみんなに感謝の念を覚えたのも束の間、四人はデパートへ着くなり豹変した。
デパートの開店時間とともに他の客たちと共に足を踏み入れるなり、ここは我が庭とも言わんばかりに迷わぬ足取りで突き進み、様々な服を私へ提示してくる。
数年振りのデパートということもあり、商店街に慣れきっていた私としては足を踏み入れるだけで妙なプレッシャーがあったに加え、広い空間の中で輝く照明やそれを反射するガラス、マネキンが着ているきらびやかな衣装、行き交う人の多さは、もはや私にとって暴力であった。
そこに服を提示されると頭は混乱して、ただあうあうと意味のない声をあげる私に、四人は服を合わせて批評し、なんか違うという誰かの声に「では次だ」と場所移動をすること数えきれず。
はっと我に返ったときは、私の両手には袋がぶら下がり、莫大な疲労を抱えている己がいた。
一体自分は何をしていたんだと自答する間もなく、四人はきゃっきゃとはしゃいだ声をあげて私を拉致し、これに着替えてあれに着替えてと指示し、また違う場所に行ってこれに着替えてあれに着替えてと……。


そして今に繋がる。
恐ろしいことに両手に持っている荷物が増えているのに関わらず、買った時の記憶がない。そして、私にしてはもう服はこれで十分だと思える量にも関わらず、視線の先にいる四人はまだ服を選んでいる。これで軍資金が費えていたら今日のお買い物は終わりになるのだろうが、何故かまだ金はある。もしやまさかと視線を巡らせれば、デパートのあちらこちらでみられる赤い文字で書かれたセールの文字に戦慄した。
財布の中身を見ていた私に気付いたのか、サクラとイノが誇らしげに親指を立てている。
まだ買えますよね!
私たちにどんと任せてください!
薄給な私の懐事情を見極めた上で、効率的なお買い物を先導した二人の姿に、私はなけなしの力で口元に笑みを浮かべる。
知ってる。先生、二人がお買い物上手だって知ってるよ。だって、担任していてた時、よく服の安売りについて大激論交わしていたもんね。ここの方が安いとか、狙い時はいつだとか、目的の服に至る経路なんかについても綿密に話し合ってたもんね!
非常に頼もしい二人の姿が逆に恐ろしい。
紅お姉さまとヒナタに至っては、セールというものが珍しいのか、非常に楽しそうに他のお客様に混じって服の奪い合いに興じている。生き生きとしている二人を見るからに、こちらもお買い物はまだ終わりを見せなさそうだ。


私が着る服のために集まってきてくれたのに、もう帰ろうとこちらからは非常に言い出しにくい。
恩を仇で返すようなそんな裏切り行為ができる訳ない。
だからといって、ここにただ立ち尽くしているだけで、体力気力共に急激な勢いで減っていく場所にいたくはない。これならば、丸一日敵と斬り合ってた方がまだ優しいというものだ。
ふと視線をずらせば、買い物コーナーから離れたところにある、椅子が備え付けられている場所で、遠い目をして何かを悟った感のある男性陣が無言のまま座っていた。それぞれの傍らにあるのは私が持っているものと同様の買い物袋であり、その姿を目にした瞬間、私は思わず口を覆っていた。
あそこに同志がいる。あそこに私と思いを同じにする諸君らがいる!!
できるなら駆けより、己に巣くう思いを吐き出して、分かち合いたい。


ぷるぷると子鹿のように震えながら、一時の癒しを求めて足を踏み出したところ、ちょうどタイミングが悪かったのか、行き交う人と接触してしまう。
「あ、すいません」
あまりの疲労っぷりに注意力が散漫していた己を自覚し、謝罪の言葉を口にしたところで、ぶつかった人を認めた。
銀髪に斜めにかけてある額当てと顔半分覆う口布。私と同様の忍び服でそこにいたのは、カカシ先生だった。
少し驚いたような目でこちらを見つめ、すぐさまいつもの眠たそうな瞳に戻る。
「……あー。……何してんの?」
思わぬ邂逅に喜ぶ私を見下ろし、カカシ先生は非常に嫌そうな顔をした。もしかして後をつけられたと思われたのだろうか。
確かに私はカカシ先生にぞっこんラブで、可能なら尾行したい気持ちもあるが、上忍で一流忍者と名高いカカシ先生を尾行できるような技術は持ち合わせていない。
今回のは偶然であり、これはもしかすると運命たる由縁かもしれないと口を開きかけたところで、それよりも早くかわいらしい声が響いた。


「ん、なぁに。カカシの知り合い?」
カカシ先生の体に隠れて気付かなかったが、カカシ先生の右腕には細い腕が絡まっていた。そして続いて現れた顔に、私は計り知れない衝撃を受ける。
ぱっちりとした大きな瞳に、ふわふわしている茶色の髪。艶々とした唇と小作りな顔は、非常に愛らしかった。
おまけにカカシ先生の腕を圧迫している巨大な二つの代物を認め、私は煤けた笑みを張り付かせる。
カカシ先生の周りにいなかった女性だ。ぼんきゅぼんに加えて、愛らしい顔立ちの、可愛い顔して体は大人な小悪魔系タイプ。
カカシ先生の好みはそっちだったかと、どう足掻いてもそっち系にはいけない己に膝が崩れ落ちた。


「っ、ちょ、アンタ、大丈夫!?」
両手両膝を床に着けうなだれる私を心配して、カカシ先生が慌てたように私の腕を引っ張り上げる。
「……止めてください。心ない優しさが時に人を殺すことを知ってください」
ふふふふと短い恋の結末にやさぐれる私へ、カカシ先生は素っ頓狂な声をあげた。
「は!? 何、バカ言っ……。違う! こいつは友人の女! こんな性悪女をオレが選ぶ訳ないでしょーが!!」
カカシ先生の言葉に顔が上がる。
「もう、やっだ、性悪女なんてひどーい」と小悪魔系の女性は可愛い声でカカシ先生の腕を結構な力で抓りあげている。
「痛いっ。お前ね、昔の誼で渋々つき合ってあげてんのに、その態度はどーいうこと?」
「もー。そんな生意気なこと言ってると、過去の所行をこの子にばらしちゃうぞっ」
強引に腕をはがすカカシ先生に、小悪魔系女性は上目遣いで言い募る。それに一瞬怯む姿を見せたカカシ先生だが、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるように息をついた。


「勝手に言えばいいじゃない。というより、もう用は済んだんだから、ここで抜けさせてもらうよ。……で、アンタも」
カカシ先生は深いため息を吐きながら、何故か私に向かって手の平を出していた。
何か乗せろと言わんばかりのそれに、ぺたぺたと体を叩き、そういえばホルダーに飴があったと、喜び勇んで、子供には不人気だが、カカシ先生は好きそうな薄荷飴を置けば、カカシ先生の眉がひくりと蠢いた。
「え? 薄荷飴お嫌いでした? でも、今持っているもので甘くないのはそれぐらいしか……」
イチゴとリンゴとオレンジ、変わり種で紅茶とごそごそ胸元を探る私に、カカシ先生は額に手を当て、苦悶していた。
その横できゃらきゃらと楽しそうに笑う小悪魔系女性が、カカシ先生に何かを耳打ち、カカシ先生はうるさいと苛立つ声を上げている。
カカシ先生が何をしたいのか分からず、さりとて恋心を優先してカカシ先生についていくという不心得者行動をするわけにもいかない。
私はここでお暇しようと声を掛ける寸前、思い切り深いため息を吐いたカカシ先生は薄荷飴を腰に巻いたポーチへ仕舞い込むなり、私の腕を掴んできた。


「アンタね。顔色悪すぎんのよ。人にでも酔ったんじゃないの?」
気遣う言葉に思わず身が跳ねる。
私の些細な体調変化に気付いてくれたことが嬉しすぎて、心臓が飛び跳ねた。
「あ、あああああ」
人はあまりに嬉しいと失語症に陥るらしい。
馬鹿みたいに意味のない言葉を吐き出す私を見て、カカシ先生はひどく嫌そうな顔をした。あ、変な女って思われた、今、絶対変な女って思われた!
天にも昇る心地から、地の底まで深く沈み込みそうになる。
何とか挽回せねばと、言い訳を口に出そうと頑張るが、ポンコツな頭からはちっとも言葉が出てこなかった。
己の出来なさ振りに思わず泣きたくなった時、カカシ先生は再び息を吐き、私の手を掴んだまま歩き出した。
向かう先は、ワゴンに群がっている女性たちだ。その中で腕を伸ばして服を奪い取っている紅お姉さまへ声を掛ける。
「紅。イルカ先生、気分悪そうだから連れ出すかーらね。荷物もお願い」
「え?」
「は?」
私と紅お姉さまの声がハモった直後、カカシ先生は私から荷物を奪い取るなり床に置き、「飛ぶよ」と一声掛けた次の瞬間には、目の前の景色が様変わりしていた。


両脇に木が生い茂る、涼しげな川岸。
人の匂いが充満した建物から、風や木々、水の匂いに包まれ、思わずほっと息を吐いた。
知らず知らず緊張していたのか、強ばっていた体がゆるゆると弛緩する。
気が抜けたせいか、重心が狂って後ろに倒れ込みそうになった瞬間、背中に大きな手が当てられ支えてくれた。
「あ、すいません。ありがとう、ございます」
軽く顎を上げて後ろを見れば、逆光で表情の見えないカカシ先生が小さく息を吐いて、私をゆっくりとその場に座らせた。
「アンタねぇ……。自分の状態くらいしっかりと把握しなさいよ。アカデミー教師でしょうが」
子供に示しがつかないでショと苦言を呈され、確かにと私は苦く笑う。教師は子供の模範になってなんぼだ。
目を閉じて、大きく深呼吸して自分の状態を確かめる。胸につかえていた気持ち悪さが、呼吸をする度に薄れていくのが分かった。
その間、カカシ先生は何も言わず、隣に座って私の背を支えてくれた。大きくて温かい手のひらはそれだけで安心できるものだ。
カカシ先生の接触は非常に心躍るものだったが、具合が良くなってしまえば離さなければならないものだ。名残惜しすぎるが心配はかけてはならないだろう。


「カカシ先生、ありがとうございます。落ち着きました」
触れている手のひらから離すように体を前へ倒し、カカシ先生へと向き直る。
私の顔を見て、大丈夫だということを知ったのか、ほんの少しぼんやりとした表情を見せた後、上げている手を下げ、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「……別に、礼を言われるまでもなーいよ」
「いえいえ。助かったのは紛れもない事実ですから。何かお礼をしたいところですが、……カカシ先生、何か私にしてもらいたいこととかあります?」
昼のお弁当は私がしたいからやることだし、ご飯以外となると、酒をおごるとかだが、服を買ったために資金は心許ないし、それ以外に役に立つことは掃除とかだろうか。だが、いきなり自宅の掃除させろと言っても、私が自宅を知れて嬉しいだけでカカシ先生には迷惑かもしれないし。
うーんと何かいいことはないかと腕を組み悩んでいれば、ぽつりと声が聞こえた。


「……やってもらいたいことはないけど、聞きたいことはある」
今までにない調子の声音に、思わずカカシ先生を見る。
カカシ先生は私から目を反らしたまま、どこか恥ずかしそうな気配を滲ませて小さく言った。
「アンタさ。オレのどこに惚れたのよ」
小さな疑問の声に、私は思わず感極まって口に手を当て感動する。
初めてカカシ先生が私に興味を持ってくれたー!!
どごどごとうなりをあげる心臓を押さえ、嬉しいとカカシ先生を見つめていれば、答えを返さない私を不思議に思ったのか、視線をこちらに向け、ビビった表情をさらけ出した。


「そうですか、そうですか! カカシ先生、少しは私のこと気にしてくれるようになりましたか!!」
どさくさに紛れて、手を両手で包み込んで、顔を近付ける。
「ちょ、な、なに言ってんの、アンタ! 近い! 顔、近い!!」
私が近付いただけ、後ろへずり下がるカカシ先生に、まだ時期尚早かと諦め、手を離して逃してやる。今度隙を作ったらもっと攻めてやるんだからー!
心の中で宣戦布告をしつつ、私に握られた手を覆い、握りしめているカカシ先生へ向けて、私はおもむろに切り出す。


「そうですね。残念ながらお礼と私の答えは釣り合いに欠けますので、私のお願いを聞いてもらったら言ってもいいですよ」
「はぁ?」
私の要求がすこぶる不快だったのか、カカシ先生は変な顔をした。
なら答えなくていいと言われそうな気配を感じたので、私は次の手を繰り出す。
「カカシ先生が膝枕してくれたら話します。というわけで、失礼しまーす」
「は、ちょ、アンタ、は!?」
ちょうど足を伸ばしているため、膝枕を確保することは容易かった。
上忍もかくやという動きで、寝そべり、カカシ先生の太股に頭を置く。
おお、さすがは一流の忍びをといわれるだけある。太股も鋼のように堅い。だけれども、これは恋するカカシ先生の太股なのだ。頭には優しくなくとも気持ち的には極上の枕も同然だ。
うふふふーと小さく笑いながら、太股に懐いていれば、今にも私の頭を下ろそうと手を蠢かしていたカカシ先生は、不意に諦めたように手を下ろした。


「……アンタさぁ。普通、逆でしょう? 何、好いた男に膝枕求めてんのよ」
どこか疲れたような声音に、私は笑う。
「えー、別にどちらがしてもいいじゃないですか。それに、私がカカシ先生を膝枕する時はお付き合いにしてからになりますよ」
何を言ってるんだと視線を落とすカカシ先生へ答える。
「だって、カカシ先生ほどの忍びとなると、外で気を抜くなんて無理じゃないですか。こんな無防備な外なんて危なくて出来ませんよ。だから、私がカカシ先生に膝枕する時はどちらかの家で、ってことになります」
そのとき、カカシ先生に寝てもらうことが私の夢ですと、きりっと顔を作って宣言すれば、カカシ先生は「バカじゃないの」と手のひらで私の目を覆い隠してきた。
「ちょ、何で目隠しするんですか。せっかくのシチュエーションを目に焼き付けたいのに、何するんですか!」
「あー、うるさい。ほら、膝枕してやってんだから、早く言いなさいよ。早く」
手のひらを退けようと腕を引っ張ってみたが、カカシ先生の腕はびくともしなかった。
絶対に手を退けないという意志が見えるカカシ先生に根負けし、私は諦めて、口を開く。


「私がカカシ先生に惚れた切っ掛けは、子供たちを見て笑ったことです」
手のひらで覆われた視界は暗い。何も見えないならと、目を閉じて、あのときの情景を思い出す。
「夕暮れ時の渡り廊下で、受付所に行く子供たちの後ろ姿を見て、カカシ先生笑ったんです。とっても優しい目で、ひどく温かい目で。あれ見た瞬間、なんて言いましょうか。胸が痺れたというか、こう……」
あの瞬間を脳裏に描き、何とも言えない気持ちがわき上がった。
あの笑みが忘れられなかった。優しく笑うカカシ先生をもっと見たいと思った。出来れば間近で、出来れば末永く。
ああ、きっと、私は。
「あなたが笑ってくれるよう、あなたの側近くで、その一助になりたいと、そう願ったんです」
あなたが笑ってくれると私が嬉しくなるから。
最後の本心はさすがに恥ずかしくて言えなかったが、おおむね私の心情は告げることができたと思う。


言えた達成感に胸を満たされつつも、あまりに静かなカカシ先生の反応が気になった。
視界が隠された今、気配と触覚ぐらいしか、カカシ先生の様子を探れない。子供だったら気配で何となく分かるのだが、生憎カカシ先生は超一流の忍びのため、日頃から気配が薄すぎて側近くにいるにも関わらず知れる情報が極端に少ない。
目を覆う手のひらは、私の熱を吸収しているせいか、カカシ先生の手は温かかったが、普段が冷たい手なのか温かい手なのか知らないため、判断もつかない。
まぁ、成り行きとはいえ、頭の下から顔からカカシ先生に触れている面積が多いことは行幸だ。ふっふっふ、私は案外計算高い女なのかもしれない。


「……何、笑ってんのよ、むかつく」
知れずにやにやと笑っていたのか、突然鼻先に痛みが走る。
油断していたこともあって、びくりと体を跳ねさせれば、小さな振動と笑い声が聞こえてきた。
目には見えないけどカカシ先生が笑っていることが嬉しくて、私は調子に乗る。
「カカシ先生ー、頭も撫でていいんですよ? 思う存分撫で回して、愛でててくれてもいいんですよ?」
「……調子に乗ってんじゃなーいの」
撫でられる代わりにぺちりと頭を叩かれ、がっかりしてしまったが、こうやってじゃれ合えるのは楽しい。
それから、なんだかんだと日常的な話をした。主に子供たちの話が多かったが、カカシ先生の子供時代の話も聞けたのは大収穫だと思う。


やっとカカシ先生に興味を持ってもらえて、その内へと一歩大きく踏み込めた。
勝負はここからだ。
ここから、挽回してやるとやる気に満ちていた私は、今思えば始めから道化だったのだろう。


翌日、受付任務のためはりきって受付所に赴いた私に告げられたのは、カカシ先生に恋人が出来たという噂だった。






戻る/


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ここから駆け足で物語は進みそうです。






初恋5