生かされる人
「運命の相手は絶対いるよ」
昔、先生が真顔で言い切った。
「だから、カカシ君はカカシ君を信じればいいんだよ。そうすれば、きっと出会えるから」
オレに優しく言い聞かせてくれた先生。
この頃、そんなことばかりを思い出す。
今の立場が立場なだけに、探すこと自体、無意味と思うこともある。けど、まともじゃない生き方だからこそ、会いたい気持ちも強くて、気付かない内に、少々焦りが生まれたみたいだ。
過去に例がないくらい、オレは泥酔してしまった。居酒屋で誰かと意気投合したところまでは覚えているが、その後、オレの記憶はぷつりと切れた。
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朝の訪れを感じ、瞼を開けた。
体を縛るいつもの鈍重感が全く感じられない。意識は冴え渡り、体が軽い。
とうに忘れかけていた、気持ちの良い目覚めを味わいながら、大きく伸びをした。そのとき、肘が何かに触れた。
一人で寝るには少々広い、セミダブルのベッド。感じるはずのない感触に訝しがりながら顔を横に傾ければ、黒髪が見えた。
一瞬、固まるも、瞬時に昨日の記憶を遡る。誰かと酒を飲んだのは確かだ。だが、酒に酔っていたとはいえ、他人を自宅に連れ込むばかりか、その隣で熟睡していたなんてあり得ない。
酒というものは、現役暗部でさえも腑抜けにする妙薬なのかと、薄ら寒さを覚えながら、そっと隣の気配を窺う。
こちらに背を向けているため、どういう人物なのかは不明だ。
朝の光に照らされ、黒い髪が艶やかな色を放つ。
髪から覗くうなじに、無数の赤い花が散らばっている様を見て、これまたぎょっとした。首筋には歯形らしき跡までついている。
どうした、オレ。昨日は一体何があったんだ。
己に問いかけるが、答えは全く返ってこない。
だらだらと冷や汗をかきながら、悶々していると、目前の相手が身じろいだ。
「……ん」
柄にもなく、どきりと心臓が跳ねる。
気配に敏感なのは、忍びの特徴だ。
見知らぬ男の誘いにのこのこついてくるなんて、とんだ尻軽クノイチだーよ。こういう手合いは、甘い顔をするとつけあがるから面倒臭い。
ここは先手必勝あるのみと、冷たい男の空気を醸し出す。
己が連れ込んだことを棚に上げ、追い返す気満々でいれば、目の前の相手は低い呻き声をあげた。
「……っ、てぇ」
もぞりとシーツが動く。
白いシーツからたくましい二の腕が現れ、そのまま腰を押さえた。その拍子に、肩にかかっていたシーツが滑り落ちる。
朝の白い光の中、伸びやかな筋肉に覆われた、たくましい背中が眼前に現れた。細かな傷が走る中、それに負けじとつけられている赤い所有痕に目眩を覚え、そして口を押さえた。
「ーあぁ?」
ひくっと息を飲めば、目の前の存在が呻きながら、背中越しに振り返る。
大きいけれど鋭い目元、通った鼻には大きく真横に一文字の傷がある。口は大きく、唇も厚い。髪は肩口までの長さだったけれど、どこからどう見ても、男にしか見えなかった。
男の体がゆっくりと反転する。ひくりと引きついた口元の下、背中の跡にも負けない数の赤い鬱血痕が、首もとから、シーツから覗く腹にまでずっと続いてた。あれを施したのも……。
「てっめぇ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
男の声を遮り、顔を覆って悲鳴をあげる。
あり得ない! 本当にあり得ないからッッ!! オレが男を抱くなんて、しかも過去の女の誰よりも情熱的に抱いちゃってるなんてそんなことあり得ないから!
追い返す気持ちはどこか遠くへ飛んでしまう。今はこの現実にどう対処するかで頭がいっぱいだ。
ぶんぶんと首を振り、これはもしかして夢ではないかと淡い幻想を抱く。
顔を覆い隠している指先を少し広げて窺い見れば、よく見ると顔立ちは整っているけど、やっぱり男にしか見えない、男臭いといえる男が半眼でこちらをじっと見つめていた。
「いやぁ!! 嘘嘘嘘ッ、嘘と言って、夢だと言ってぇぇぇっぇ」
目が覚めたら男がいたなんて、質の悪い悪夢だとしか思えない。今までならそこには女がいた。白くて柔らかくて華奢な女がいることが普通だったのに!!
「なんでむさい男?!」
「悪かったな、むさくて!!」
混乱して叫べば、男が食ってかかった。続けて「いててて」と顔をしかめるものだから、つまり、そういうことなのか?
「……あ、あの」
「なんだよ、強姦魔ッ」
ぐさりと胸を抉られる。
深呼吸を繰り返し、嫌な音をがなり立てる心臓を押さえ、オレは遠回しに聞いてみた。
「えっと、だから、オレとあんたは、その、なわけ?」
頬が引きつく。だけど、目の前の男は倍以上頬をひきつらせ、顔を真っ赤に染めた。
「見てわかんねーのかッ。一晩中さんざん痛ぶりやがって! てめぇのせいで、知らなくていいこと知っちまったじゃねーかッ。何なんだ、お前はッ」
「信じらんねー」とそのまま拳を目に当て、男泣きする男に、罪悪感が募った。
オレには全く痛みもなければ、逆にすっきりそのもので、つまりオレと男の関係図はそうなる訳だ。
年の頃は同じぐらい。ベッドの向こうに投げ捨てられているベストは男のものだろう。その真新しさといい、この男から漂ってくる垢抜けない感じからして、成り立ての中忍、純朴系とみた。
俺の初体験がと、合間に聞こえてきた悔恨の声音に、あちゃーと目を覆う。これは久しぶりにしくじった。
「…えっと、その………………ごめんなさい」
男の前に土下座して、深々と頭を下げる。
突然の謝罪に驚いたのか、頭上で息を飲む声がした。
顔を上げれば、途端に警戒するように睨みつけてくる。何とか気を落ち着けてもらおうと、無理矢理笑みを作った。
写輪眼だ、コピー忍者だの、オレの張りぼてに群がるような女ならばいくらでも冷たくできるが、目の前の男は全く違う。オレは男に謝罪しなければならない。
「悪かったーよ。その、無責任かもしれないけど、酒に酔った勢いで、あんたを傷つけた。オレの体は里のもんだから自由にはできないけど、それ以外だったら何でもする。この通り、本当にすいませんでした」
もう一度深々と頭を下げた後、黒い瞳と向き合った。
男は警戒から威嚇する眼差しに変え、オレを睨んでいたが、しばらくすると男の目が徐々に柔らかい色合いに変わってくる。
物分かりがいいというよりも、素直な男の性格に、内心安堵の息を吐いていれば、男はぐっと唇を噛みしめ、顔をしかめた。
「……俺も忍びとしては軽率な行動だった。お互い、忘れるって形で片つけてやるよ」
今時珍しくも真っすぐな言葉に、目を見開いてしまう。
オレだったら記憶弄って、二度とできないよう不能にしちゃうし、里に二度と戻ってこられないよう遠方の任務地に追いやっちゃうよ?
儲けたと内心喜んでいれば、男は厚い唇を横に引きのばし、ぐっと拳を握りしめた。
「――でも、その前に一発殴らせろ」
「え?」
あ、と思った時はすでに遅く、脳天に強烈な衝撃が走っていた。声も出せずに頭を抱え、ベッドに撃沈する。っぅ、マジで痛い……!
ぐわんぐわん揺れる視界が、ぼやけて見える。痛みで泣きそうになるなんて、初めての経験かもしれない。
どんだけ硬い拳持ってるんだと呻いていれば、耳に軽快な笑い声が響き渡った。
「よっし。これで痛み分け、だな」
少しはすっきりしたと、清々しい声を放つ男の様変わりに驚きながら、視線をあげた先で、男の満面の笑みに目を奪われた。
真っ白い光の中、口を開けて無邪気に笑う。目つきが悪いとさえ思えた瞳は柔らかい円を描き、男を幼く見せた。
トスっとどこかに何かが刺さった音がした。自分の中に何かが芽生えたような、何かが始まったような予感を覚えた。
自分の感覚を見極めようと黙っていたのが、男を不安にさせたのか、男は笑いを止め、オレの顔をのぞき込んできた。
「だ、大丈夫か? 俺、手加減せずに、思いきりやっちまって、その、気持ち悪いとか、なってないよな。当たり所悪かったか?」
強姦した相手を気遣う男のお人好しさに、ぽかんと口が開く。
オレの反応にますます不安を覚えたのか、男は痛む体を引きずり、オレの頬に手を伸ばした。
本来ならば弾くことが当然の行動なのに、オレは男のされるがまま、頬を掴まれ、ぐいっと引かれた。頭が落ち込んだ目前には、シーツに隠された男の無防備な体がある。
ごくりと、何故か生唾を飲んでしまったオレ。
「あ、ちょっとコブになってんな。えっと、痛み分けなんだから痛くて当たり前だけど、その…。…後で、氷で冷やしとけよっ…」
身を離す男と、見上げるオレの視線がかち合う。
案じるような言葉を吐きながら、頬を染め悔しそうに唇を尖らせた男に、きゅきゅーんとどっかの器官が訳の分からない音を出す。
心臓に手を当てると、異様に早い。
孤立無援、チャクラも残りわずかの状態で、血みどろで腸をはみ出し、戦った時の心音によく似ていた。
ぼうっと男を見ていれば、男は何かに気付いた顔をし、体を前乗りにさせて迫った。思わず体を後ろに倒せば、男は真剣な瞳で口を開く。
「提案がある」
「て、提案?」
どこか落ち着かず、視線をさ迷わせるオレの目を捕まえ、男は何度も頷き言った。
真面目な顔もいいなと、自分でも意味不明な感情が頭をもたげる。
「今、ここで。お互いの記憶を弄って忘れないか?」
思いも寄らない男の申し出に驚いて、つい後先考えずに口走ってしまった。
「なんで?」
その言葉に、男の顔が一瞬にして赤く染まる。続けて、男は声を荒げた。
「俺は言うに及ばず、お前だって俺みたいなもっさい男と寝たんだぞ?! しかもあり得ないくらい甘ったるいことを俺に言ってたじゃねーかッ。思い出すだけで居た堪れねぇ。挙句に中出しって、上忍として意識なってねぇんじゃねーか?! 俺にとっても、お前にとっても昨日のことは恥でしかねーだろうッッ。こんなこと覚えていても、お互い重荷になるだけだからだ。分かったか!!」
全部言わせるなと怒り心頭で言った言葉に、胸が鋭い痛みを発する。咄嗟に胸に手を押し当てるが、痛みは去らない。
――傷、ついた? オレは今、この男の言葉に傷ついたのか?
そっと視線を上げれば、男は眉根を寄せ、顔を顰めていた。
また胸に痛みを感じ、拳を握りしめた。男が苦しんでいる姿を見ると、痛いと思ってしまうのは何故だ。
これは一体、何だ。自分の感情が信じられない。だけど、今感じる思いと、昨日のオレの行動は全て――。
「…だいたいさ」
ぽつりと呟いた男の声に寂しさを感じ、切なくなった。
睫毛を伏せ、寄る辺のない子供のような頼りない顔をして、男は小さい声で咎めてくる。
「『ずっと一緒に生きていこう』なんて…軽はずみに、言うなよ。勘違いしちまったら、どうすんだ」
苦しそうに男はぎゅっと唇を噛みしめる。
痛い表情なのに、今のオレなら男のこの表情は苦しく思うはずなのに、湧きあがってきたのは全身を満たす歓喜だった。
見つけたと、声にならない叫びをあげる。
しかも、男もオレを思ってくれている。
男の言葉。
男の表情。
それが意味するところは、オレと同じなのだと根拠のない確信が突いて出た。
息ができなかった。
巡り合わせた奇跡に、所構わず土下座して大声で感謝の言葉を捧げたかった。
胸は熱く、目頭も熱く、手足の末端に至るまで鼓動が打ちつける。静かに燃え立つ昂揚を感じ、手を握りしめた。
先生と、心の中で叫んだ。出会った瞬間、オレはこの手でこの人を掴んでいました。
「だから」と、愛しい人が悲しいことを言う前に、オレは口を開く。
「ねぇ、あんたの名前は?」
「――な、なんだよ、急に」
成り行きが理解できず戸惑う人に、いいからと促す。オレの言葉に渋々だが、小さく名を告げた。
「…うみのイルカ」
うみのイルカ。
勿体なくて声に出さずに口の中で転がす。
途端に、胸を満たした、狂おしいほどの甘い疼きを感じ、無性に笑いたくなった。声に出して言ったら、イッちゃうかもね。
それは情けないなと思いつつ、それもいいかもしれないと開き直る、己の狂い方に上機嫌になる。
「ねぇ」
イルカと声に出さず、唇で名を形作る。
音のない呼びかけに気付き、イルカの顔が真っ赤に色づく。
「な、なんだよ」
照れたのか、顔を逸らせるイルカを可愛いと思いつつ、オレはもう一つの提案を申し出る。
「オレからも提案があるんだけど」
こちらに向き直る瞬間を見極め、唇に自分のそれを一瞬押し当てた。
キスとは言えないような小さな触れあい。
至近距離にあるイルカの目が大きく見開く。黒曜石に似た、引き込まれるような美しい瞳。
大声で喚かれる前に、その瞳を覗きこんで囁いた。
「昨日の夜を現実にしよう」
見開いた瞳に、続けて言う。
「それが駄目なら、イルカを傷物にしちゃった責任をオレの一生で償わせて」
遅れてゆっくりと黒い瞳へ盛り上がる涙に、自分の確信は間違っていないのだと、何も言えずに震え出すイルカの体を浚い、抱きしめた。
声を出さずに泣くイルカの背中を叩き、震える声で詰ってきた言葉を喜んで受け止める。
「覚えてない癖にっ。勝手に自分で自分の記憶消して、無茶苦茶な条件付きつけてきやがった癖に、適当なこと言うなっ」
背中に振り下ろされる拳を受け止め、頬に擦り寄る。
柔らかく、けど硬い感触。懐かしく、好ましい匂い。指先が触れる度に愛おしいと思う感情。
昨日のことは覚えていないけど、オレの体はイルカを知っている。
「うん、覚えてない。でも、昨日のオレと同じでショ? オレは間違えなかったでショ?」
耳元でささやけば、イルカは息を詰まらせるように体を痙攣させた。そして、
「馬鹿野郎ッ。俺の人生設計めちゃくちゃだッ」
悪態つきながら、しっかりと背中に手を回してくれた。その腕の強さに、顔がほころぶ。
『カカシ君はカカシ君を信じればいいんだよ』
記憶の中、満面笑みの先生が脳裏に浮かぶ。
ねぇ、先生。この出会いって、先生の粋な贈り物かな?
長期間、里を離れるオレに、死ぬなって叱咤激励してくれた訳?
「ちゃんと待っててやるから、帰ってこい。じゃないと、承知しねーからなッ」
しゃっくり声に混じって聞こえた言葉に、愛しさと切なさが胸中を満たす。
心を読んだようなイルカの答えに、声が震える。
「うん、待ってて。必ず帰ってくるから、オレ以外のものに、心奪われないで――」
全てを承知で受け止めてくれた、唯一無二の愛しい人の温もりと存在を体に刻みつける。
我儘なオレを許してと首筋に顔を埋めれば、頭に手が乗って、痛いくらい押さえつけられた。
余計な心配すんなと咎められた気がして、笑いが零れ出た。
「――男前過ぎるよ、イルカ」
「お前が乙女過ぎるんだろ?」
カカシと、耳元に小さく囁かれ、視界がぼやけて見えなくなった。
帰ってくると、誓う。
この愛しい人に再び会うために、オレはここへ帰ってくる。
今日、里を発つ。
確かな意志を携えて、迷いも不安も振り切り、オレはこの里を出ていく。
帰った時、少しでもあんたみたいな強さを持ち得たい。
オレは死ぬのだと情けなく縋って、あんたをものにした。騙すように奪ったオレを、あんたは全部受け止めてくれた。そして、同じ思いを返してくれた。
オレは、あんたと自分の思いを信じるよ。
その強さを信じて、戦うよ。
だから帰った時、もう一度、オレの名前を呼んで、イルカ。
(完)
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これを某アンソロに投稿しようとした私…。
「二ページにまとめてねv」ということだったのに、どうにかして二ページにまとめようと悪足掻きをしました。(結局無理で別の書きました…orz)
アンソロの主催者さまには、我儘めいたことを言ってしまいました。その節はお手間かけて、すいません。m(_ _:)m