カシブタ 3
******
「カカシせんせー! これがイルカ先生だってばよ」
ようやく上忍師として受け持ちたいと思った子供たちが会わせたいと連れてきたのは、実直そうな一人の青年だった。
一つに縛った黒髪と、顔の真ん中を大きく横切る傷、人懐っこそうな大きな瞳に目を引かれた。
子供たちに囲まれて、恥ずかしそうにオレを見つめてきたその人の第一印象は、可愛いだった。
「あの、はたけ上忍。私はうみのイルカと申します。この子たちの元担任をしていました。至らぬところもありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
深く頭を下げ、顔が見えなくなったところで我に帰る。
男に対しての第一印象で、可愛いってなんだ。
何となく尻の座り心地が悪くなったような、むず痒くも気持ちを高揚させる何かを感じながら、イルカの頭を上げさせて手を差しだした。
「えーっと、そう固くならないで下さい。私は、はたけカカシです。子供を受け持つのは初めてになるので教えを乞うこともあるかと思います。こちらこそ、末永くよろしくお願いしますね、イルカ」
差しだした手を握られたと同時に、呼び捨てで名を呼んでしまう。あれ?
「えっ」と不可解げな声をあげたのはサクラだったか、サスケだったか。
己のかつてない馴れ馴れしい言動に、アンダ―の下で冷や汗を大いに掻きながら、一呼吸も、二呼吸も置いて、「先生」と取ってつけた。
「やだ、今の何?」
「……胡散臭い奴だ」
「え? 何がってばよ?」
ひそひそと子供たちが会話をしている声が聞こえてくる。というか、君たち、聞こえてるよ? その会話、筒抜けで、当事者たちに大いに聞こえているからね?
はっははと誤魔化すように笑いながら、厚みのある感触のいい手を握っていれば、目の前のイルカ先生が非常に微妙な顔を見せた。
ちらちらとオレの顔と手を交互に見ているのに気付き、視線を下ろして戦慄いた。
オレはイルカ先生の手を両手で握り、しかも色々と揉みこんでいた。いや、もっと詳しく言えば、撫でさすり、指の股にまで指を突っ込み、ねちっこく指を這わせていた。
「こ、これは失礼」
いまだかつてない行動に、アンダーの下では滝でも流れるかのように冷や汗が滴り落ちる。
離したくないと何故かぎこちない動きを見せる己の手をゆっくり、けれど無理矢理引き剥がし、後頭部に持っていけば、後ろで再びひそひそ話が聞こえてきた。
「何、あれ。もしかして、カカシ先生ってアッチな人な訳?」
「とんだ危険人物がいたものだな。ナルト、今後、カカシがイルカ先生と会いたいと言ってきても無視しろよ」
「へ? なんでだ?」
惚けた声をあげたナルトに、サクラが内なる声を現実に轟かせ、サスケが合いの手を入れる。
だから、君たち。聞こえてるからね? もう当事者に隠すこともなく赤裸々に筒抜けているからね、お前ら。
明日はちょっと張り切って修業をつけてやるかと、私的な感情も交えて考えていれば、じっとこちらを見つめてくる視線に気付いた。
あまりに熱のこもった視線に、動悸がしてくる。というか、何故、動悸?
「あ、あの……」
このまま見つめ続けられたら、己の心臓がもたないのではないかという危機感を覚え、控えめに声を掛ければ、イルカ先生はハッとした表情を見せて、鼻傷を掻き始めた。
「す、すいません。不躾なことをしてしまいまして……。えっと、はたけ上忍が俺がずっと探していた方に似ていたもので、気になってしまい……その、すいません」
はにかんだ笑顔がとってもキュートっ、って、何を考えているんだ、オレ!! 初対面の、しかも野郎の、はにかみ笑顔に見惚れちゃうって、一体どうしたの!
あれは男、あれは男と俯き言い聞かせるように小声で呟いていれば、イルカ先生はオレの行動に不安を覚えたのか、一歩近付いて顔を覗きこんできた。
「あの、どうかなさいましたか? 大丈夫ですか?」
顔が近い。貧血でもしたのではないかと支えるように、背中に触れるか触れないかに置く手の体温を感じた気がして、熱が上がる。
心臓はどきどきと鳴りっぱなしだし、顔も何だか赤くなっている気がする。
これが俗に言う一目惚れなのかと初めての経験にまごつき、それでもこの人は男と抗う己と、恥ずかしくて逃げたしたくなる乙女なオレと、いっそよろけたと言って抱きしめちゃうのも手なんじゃないと囁く策士な悪魔が脳裏を駆け巡る。
ぐるぐると思考の迷路に嵌った時、オレの中の何かが口を開いた。
「『遅いよ、イルカ。焦らしプレイも大概にしてよ』」
思った時には口に出していて、イルカ先生を見れば目を真ん丸に見開いていた。
オレ、何言っちゃってんのと、再びだばだばと体中の汗腺から吹き出るまま、しばらく至近距離で見つめ合っていると、イルカ先生は感に堪えないような顔をして、そして。
「カシブターー!!」
悪口なんだかそうでないんだか訳のわからない言葉を叫んで、満面の笑顔でオレの首にしがみついてきた。
うわ、役得とこれ幸いに腰に手を回すオレもいたり、一体何を口走ってんだと首を傾げるオレがいたり、やっぱり男でも可愛いと叫ぶオレがいたり、頭の中はとにかくしっちゃかめっちゃかで、でも、オレの中の何かが嬉しそうに笑う気配がして、これでいいんだと思ってしまった。
数日後、オレはイルカ先生の家で暮らすことになる。
「あの、会って間もないのにおかしいかもしれませんが…。はたけ上忍さえ良ければ、一緒に暮らしませんか? 俺の家、一軒家で部屋数もあります。プライベートもしっかり守りますから、どうか、お願いします!!」
とイルカ先生が土下座せん勢いで、オレに声を掛けてくれたからだ。
上忍の専用アパートに住む予定で契約も済ませていたが、気になるばかりか一目惚れした相手からのお誘いに断れる訳もなく、オレは一つ返事で了承した。いや、食らいついた。
声を掛けられたその日に引っ越そうとしたが、その日のオレは生憎任務が入っており、泣く泣く任務が終わってから引っ越す予定となった。
イルカ先生の家に帰ることができるのだと興奮したオレは、ちょちょちょーいと任務を片付け、身一つでイルカ先生宅へと引っ越した。
荷物が少ないオレを見て、イルカ先生は驚いていたけれど、その日はイルカ先生の手料理で引っ越し祝いをした。
偶然にも、大好物の焼きサンマとナスの味噌汁をそっと出してくれたイルカ先生とオレはきっと前世の縁というか運命という名の赤い糸で固く結ばれているのだろう。
家に帰れば、「おかえりなさい」と恋した人が出迎えてくれる幸せ。
外任務ばかりだったオレに、温かいご飯と風呂と、ふかふかの布団が待っている暮らし。
あまりにも幸せ過ぎて、実は美人局でしたというオチが待っているのではないかと不安が掠めたりもしたが、その時はその時で、今まで使いもしないで溜まる一方の金でイルカ先生を言い値で買っちゃう予定だ。
まだ出会ってから1か月しか経っていないし、イルカ先生はオレのことをあくまで友人以上恋人未満の態度で接してくれるから、いっそ美人局だった方が話が早くすむのだが、生憎、その線は消えつつある。
地道に口説き落とすしかないなぁと、隣で洗濯物を畳んでいるイルカ先生を見れば、イルカ先生は鼻歌を止めて、にっこり笑う。
「カカシ先生、お腹空きました? 今日の夕飯、何しましょうかね」
オレが畳んだ洗濯物と自分が畳んだ洗濯物からタオルを集めるのを、オレも一緒に仕訳しながら唸る。
「イルカ先生、料理上手だから何でもいいんですけど……。今日は煮物な気分かなぁ」
いつぞや食べた、出汁が染み込んだじゃがいものホクホク感を思い浮かべていたら、イルカ先生は鼻傷を掻いた。
「そう言って下さると嬉しいです。あれから、結構料理の勉強しましたからね」
今じゃ天ぷらだって作れますよ、作りませんがと、オレが天ぷらが苦手なことを知っている口ぶりに疑問が過る。
よほど不思議そうな顔をしていたのか、イルカ先生は眩しいような懐かしいものを見る様に目を細めて、笑った。
「時間が掛かりましたけど、約束が守れて良かったです。俺、今、すっごく楽しいです」
頬を染めて、はち切れんばかりの微笑みを浮かべるイルカ先生は、本当に罪作りな存在だと思う。
ばくばくと心臓を高鳴らせて、うっとりとイルカ先生を見つめていれば、オレの口が勝手に開いた。
「『オレもすっごい幸せ。ありがとう、イルカ』」
そう言ったかと思えば、オレの体はイルカ先生の手を取るなり引き寄せると、いつもは額当てで隠されているラブリーなおでこにチュッとキスをした。
うあぁぁと内心で叫ぶのと、イルカ先生の顔が真っ赤に茹で上がるのは同時で、変なことをしてごめんなさいと謝るよりも早く、イルカ先生は「夕飯作ってきます」と身を翻して駆けていってしまった。
台所で、がたごとと手荒く何かをする音と「あちぃ!」と叫ぶ声を聞きながら、オレは何となく手ごたえみたいなものを感じていた。
もしかしなくても、イルカ先生もオレのことを浅からず同じ気持ちを持っていてくれているのではないか?
己の意志でなかったのが悔しいところだが、口づけた直後に顔を真っ赤にして目を潤ませてオレを見た先生の瞳には、仄かな熱い感情が宿っていた。
なるほど、なるほど。もう少し押しても全く問題ない訳ね。
イルカ先生の気持ちの片鱗を見て、オレに追い風が吹きまくっていることを知る。
「イルカせーんせっ。お手伝いしますよ〜」
手早く畳んだ洗濯物を所定の位置に置き、台所へと直行する。
イルカ先生は「え、いや、その」と大いに慌てふためいていたけれど、気にせず料理の手伝いをした。もちろん、さりげない接触を折り交ぜながら!!
切り方が分からないと抜けぬけと言い放ち、イルカ先生に密着しつつ、オレはほくそ笑む。
このまま時間を掛けていけば、裸エプロンをつけたイルカ先生に「おかえりダーリン」と語尾にハートマークを付けてお出迎えしてもらえる日もそう遠くはないだろう。
時折出てくる、自分の意志とは無関係な言動ははっきり言って腹ただしく、イルカ先生も何故かそれと仲の良い気配を見せるのが悔しくてならないが、ひとまずその何かを打倒に、イルカ先生との仲をもっと親密なものに発展させようと決意した。
数年後、思っていたよりも鈍く、手強かったイルカ先生がようやく恋人になり、名実ともに愛の巣となった二人の家に、何故か気に障る後輩が越してくることになるとは、そのときのオレは考えもしていなかった。
おわり
戻る
----------------------------------------
テンゾウさんはあくまでもイルカの幼馴染な友人ポジションです。
約束を守るために必死に頑張っていたら、先に先輩が住み着いていた! なんかショックっていうか、イルカそれでいいの!? 先輩、男に興味なかったのに、何で!? と色々衝撃を受けつつ、何となくな腹いせで一年ぐらい一緒に住むんですよ。きっと。
その間は清い関係なんだよ。恋人になる前も清い関係で、テンゾウさんいても清い関係で、カカシ先生は悲嘆にくれるんですね、わかります、わかります。(管理人、勝手な妄想)