それなりの幸せ

「論外。今、心底惚れてる人と付き合っているから」
呼び出した中庭で開口一番言われた言葉に唖然となる。
木の葉では珍しい銀髪に、ほんの少し垂れた目元。顔を大部分隠しているのに分かる、類まれな美しい顔と、鍛えられた肉体と長身、そして木の葉の中でもトップクラスの実力を持った極上の男は、私をそこら辺の石でも見るかのような目で続けて言った。

「アンタなんてお呼びじゃなーいの。諦めて」
言い終わった後、背を向け、一切の興味も関心もないとダメ押しの拒絶を背中で告げられ、そのまま去っていった男、はたけカカシ。
今まで味わったことのない強烈な敗北感と共に、突き抜けるような怒りを覚えた。

「っっ、わ、私を誰だと思っているの! この私を侮辱したこと、後悔させてやるわ!!」

長期任務から里へと帰った私が誓ったこと。
それははたけカカシの恋人を奪うことだった。



「あんたも物好きねー。たかが男に振られたくらいで復讐だなんて。……あほらし」
カクテルをくいっと一気に飲み込んだ、上忍仲間のモカが白けたように言ってくる。
肩口で揃えられた亜麻色の髪の毛が、モカの動きに合わせてさらりと揺れる。
「ふふ。そんなこと言って、サラの声掛けに集まる時点で興味深々な癖に」
モカの言葉を嗜めるように、色気を滲ませた声で突っ込むシランは、自身の緑色の長い髪を人差し指に巻き付けながらクスクスと笑った。
モカもシランも上忍仲間で、情報共有する仲間で、いい男を取り合うライバル、いや不倶戴天の仇どもだ。
私の男をモカが寝取り、モカの男をシアンが篭絡し、シアンの男を私が掻っ攫う。モカの男を取る時も、シアンに取られる時もあるし、まぁ、お互い様のにっくき腐れ縁どもだ。

ピアノが静かに流れる、超高級バーの一角を独占し、私たち三人は静かに語り合う。
女だけの飲み会なのに、一分の隙も無いまでに固められた高級ブランド服にアクセサリー。見えないところにも金をつぎ込みましたと言わんばかりのオーラをお互い放ちながら、私こと白木サラは情報を得るために下手に出る。

「とにかく、私は里を出てから長いの。カカシに恋人がいることは知ってたけど、いつもの気まぐれだと思ったのに当てが外れて大玉砕よ。だから、腹いせにカカシの恋人を奪おうと思ってね。傷心の私に情報くれない?」
口端を笑みの形に作り窺えば、モカはこの店で一番高いカクテルを、シランは一番高いシャンパンを指さした。
く、こいつら本当情けというものがない奴らよね。
無論、里でも上位に位置する高給取りの私は内心もやもやする声を出さずに、余裕の顔をしてどうぞと頷く。って、おい、カクテル100杯ってなんだそりゃ! シャンパン50本ってお前頭カチ割るぞ、ごらぁ!!
調子に乗る奴らを胸の内でこてんぱんに叩きのめしながら、私は根性で笑顔を保つ。
モカとシランは私の内心など筒抜けと言わんばかりの笑みを浮かべていた。

「はたけカカシの恋人はね。アカデミー教師兼受付に臨時で入ってる男よ」
一杯目のカクテルをくっと一息に飲み干し、モカが言う。
「外見は顔のど真ん中、鼻の上を両断する傷が特徴的で、あとはそこらへんにでもいるような冴えない顔立ちの、もさい男よ。……あなたと違って」
シャンパンを黒服を身に着けたボーイに開けさせ注がせるシランが続けて言う。注がせ要員として見目のいい男を確保しながら、甘えるように色目を使うシランは本当阿婆擦れ女だと思う。
「……男? それ本当? ガセネタ掴ませようとしてない?」
思わぬ二人の言葉に、一瞬素が出て、身を乗り出し聞けば、二人は同時に肩を竦めた。
「サラはいなかったから知らないでしょうけど、当時はひどい騒ぎだったわ。カカシが宗旨替えしたって、くノ一や男ども、上層部まで巻き込んでの天手古舞」
「カカシから猛烈にアタックしてたわね。いまさら隠すつもりもないけれど、当初、カカシを狙っていた私はあの中忍くんには嫌味の一つや二つや十や二十は言ったわね」
「あら、シランもなの? 奇遇ね、私もよ」
あらあら、うふふふと二人で当時のことを思い出すように含み笑いをし始めるが、未だに何かやきもきしたものがあるのか、漂うオーラがえげつない。

「ふーん。道理で私の声掛けに快く応えてくれたわけね。……ねぇ、私、このシャンパンタワーていうのを10ダースほど所望したいんだけど?」
未だ心に燻る案件を私が切り出したことで渡りに船と利用したかった二人に告げる。
二人もどうせ私が情報を集めたらバレるとでも思っていたのか、私のちょっとした鬱憤晴らしを快く承諾してくれた。
「もちろん。前祝いとしようじゃない」
「私とモカじゃ、あの中忍君にちょっかい出したくてもカカシに対抗できなかったから、あなたの申し出は有り難いわ」
お互いがお互いから分捕ったものを掲げ合う。
私がカカシの恋人を奪った後、カカシを狙おうという魂胆が丸見えだ。

だが、それでいい。
そもそも私ははたけカカシなぞに始めから一切興味はない。ただ私のクラスに見合う男に辛うじてカカシが引っかかっていただけだから、声を掛けてみただけ。
私が声を掛けることがどれほどの行幸かを知らぬ無礼な男なぞ、こちらから願い下げである。
ま、この私を貶めた腹いせはきっちりとさせてもらうけど。

「それじゃ、お互いの意見はひとまず一致したわね。今日から一時停戦。共同戦線を張るわよ。期間は私がカカシの男を奪うまで、ね」
「了解」
「ええ、承りました」
お互いのグラスを軽く合わせ、ここに、はたけカカシの恋人を奪う同盟が発足された。


******


うみのイルカ。
上忍のうみのイッカク、コハリの一人息子。
10歳当時、九尾の事件が起こって両親を亡くし、天涯孤独となる。その頃から三代目火影さまに目を掛けられ、今も孫のような扱いを受けている、秘蔵っ子。
の癖に、アカデミーを卒業したのは11歳という平々凡々さに加え、中忍に昇格したのも16歳と遅い。
実力と本人の資質が重要なアカデミー教職員とはいえ、忍びの実力としては際立ったものがない、オールマイティと言う名の平均的な忍び。
ただし、あの九尾が封印されている子供との関係が深く、自身が重傷を負いながらもその子を助け、アカデミーの卒業を認めたことが経歴の中でも異彩を放っている。
はたけカカシがその子供の上忍師についたことから、出会いは子供を通じてというのが妥当だろう。
カカシと付き合った経緯は、カカシがじりじりと距離をつめ、着実に外堀を埋め、気付いた時にはカカシが恋人になっていたという、まさに罠にかかった小鹿のような具合だ。
かといって、カカシ目当てのくノ一の陰口やら陰険な嫌がらせにも屈せず、未だにカカシと付き合っているところから見て、うみのイルカもカカシに対して思いはある模様。
そして、肝心なところである、うみのイルカの恋愛観は、カカシと付き合う前はもっぱら女性に恋していたようだが、自身が奥手のせいで付き合った女性はいない。
時折、胸の大きな女性と出会うと一瞬目がそれを追っているようなので、巨乳好きだと思われる。
とある生徒にお色気の術なる、肝心なところは煙で隠した全裸の女性を前にして、鼻血を出して倒れているところから察するに、女性に対しての欲は健在。いわゆるむっつりスケベという奴だろうか。

「ま、こんなところかしら」
モカとシランの情報に加え、自分でも調べた、うみのイルカの情報を書き写したメモ帳を今一度確認し、私は受付所へと足を向けている。
私が請け負うには簡単すぎる、短期任務の報告のために向かっている最中だ。
無論、この時間帯にうみのイルカが受付所にいることは確認済だ。そして、余計な邪魔となるカカシがいないことも確認済だ。もう一つおまけにカカシがうみのイルカに密かにつけている忍犬の足止めもモカとシランに頼んでいるため、準備は万端だ。
あとは自然と、あくまでさりげなくお近づきになり、速攻で誑し込んでやるだけだ。ふふふ、カカシの野郎、今に吠え面をかかせてやるわ。

受付所の戸を開け、一歩私が足を踏み入れば、場を満たしていた喧騒は静まり返り、誰の目も私に釘付けとなる。
背に掛かる、初雪を思わせる真っ白い髪と、白磁の肌。長い睫毛の下に隠れるのは銀色の瞳。鼻は通り、紅の花が咲いたかのように色づく唇はぷるんぷるんのつやつやだ。
この世のものとは思えない、人外の美と言わしめた私の容貌。
もちろん、スタイルだって完璧よ。
ま、まぁ、モカとシランより胸はないことは認めるけれど、手繰り寄せたら折れそうなほど華奢な肢体と、長い脚線美は木の葉、いや火の国、いや、この世で一番だという自負がある。
天から類まれな美をもらったにも関わらず、忍びの腕も超一流。私が微笑めば、どんな大名もイチコロで落ちるし、刀を持たせば死の御使いと呼ばれる私は、毎年のビンゴブックにも名が載る実力者。
オーほっほっほっほ!! 頭が高い、皆の者! このワタクシを誰だと思って!? 私は木の葉のくノ一、死の御使いとも白銀の美姫ともいわれる売れっ子上忍さまよ!! 私に向ける瞳は羨望、憧憬、欲望のみで結構ですわ! 私の目に入るこの幸運に悶えるとよくてよっ、私と一緒の空間にいられる幸に歓喜しなさいっ、おーほっほっほっほっほ、ほ……。

つんとすましつつ、私を見つめ顔を赤らめている有象無象の視線を受け止め、いざ目的の男へと視線を向けて、私は固まる。
何よこれ。

受付所内で報告をしに来た忍びたちの列がひどい。
三つ並んだ列の中、二つはほぼ同じくらいの長さだが、残る一つが飛びぬけて長いのだ。そして、不運なことに私が目的とする男がその列だ。
私がこの受付所を使っていた時は、どれも同じくらいの列の長さだったのに、私がいない間に何があったのだろうか。
ちらっと観察すれば、その列の上忍率が異様に多いことが分かる。対して下忍、中忍は列の少ない方へと行き、報告を済ました後、その先にいる者をちらりと横目で見て、何だか残念そうな顔をして離れている。
解せない感が凄まじいが、とりあえずうみのイルカと接触しなければ話にならないので大人しく長い列の最後尾へとつく。

懐から短期任務の報告書を出し、暇つぶしも兼ねて再チェックをする。私という輝かしいワタクシがミスをするなんて愚行は私に期待と憧れを抱く有象無象に見せられないからね! 常に完璧を目指す、意識高い系の女なのよ、ワタクシは!!

けれど待ち時間は長すぎた。
一分経ち、二分経ち、五分経過する頃には私の我慢も限界にきていた。
言っておくけど、待ち合わせする時は待ったことがないのが自慢なの。任務なら一晩二晩、三晩、四晩、一週間は余裕だが、私生活では待つなんてしたことがない。
じりじりと前に進むが一向に先の見えないそれに、私はちょっと切れた。
ムンと微弱なチャクラを前の人物に向かって放つ。するとどうだろう。前にいた新人上忍はびくつくように振り返り、私の笑顔を見て、引きついた笑みで前を譲ってくれた。
「あらー、悪いわ。そんな気にしないで」
「……い、いえいえ、急いでいませんし、あの、そのお願いですからどうぞ先へ」
微かに震えながら前を譲る新人上忍に顔ではありがとうと言いつつ、内心では気付くのおせぇよと悪態をつく。
そして、それが功を奏したのか、次々と前方が開け、ものの数秒で目的のうみのイルカまであと一歩となった。
んふふふ、私の手にかかればこんなのお茶の子さいさいね。

心なし浮かれて前へ進み、報告する順番が次へと差し迫る。そして、目的のうみのイルカが声をあげた。
「次の方、どうぞ」
声を掛けた人物はモカとシランが言ったように、野暮ったい容姿の男だった。どちらかと言えば強面で、鼻の真ん中を過った傷が迫力を与えるかと思いきや、本人の気配が柔らかいからちっとも恐くない。
平々凡々。
ひっつめた髪を無造作に後ろで一本に結ぶうみのイルカは、カカシが惚れたということが信じられないほど地味な男だった。
これを落とすのかと一瞬戦意が萎えたが、それはそれ。己の誓いを破ることこそが己の裏切りだと気合を入れる。

余所行きの、いや任務で使う落とす顔になって一歩前に出た。
どやぁぁぁと言わんばかりに微笑み、これでお前もイチコロやで、あの偏屈大名さえ落とした私の微笑みを見さらせんかいぃ、われぇぇと自信しかない顔で思った直後。
にこっと私を見て微笑んでいたうみのイルカが、直後に真顔となった。

「白木上忍。急いでいるのは分かりますが、無理やり前を譲らせる行為はお止めください。皆の迷惑になります」
きぱっと歯切れよくこちらに注意してくるうみのイルカ。
生まれてこの方、こうも面と向かって注意されたことなどなかった。沸き上がったのは中忍風情に注意された屈辱、公の場で恥をかかされた怒り。
あぁん、てめぇ、中忍の分際で何を言ってんのと視線に怨念を込める直前、目の前のうみのイルカはふと目元を和らがせ、まるで仕方ないなぁと言わんばかりの表情で私を見つめた。
「それに、白木上忍の評判にも傷がつきます。白木上忍の努力で成しえた評判を、ご本人が貶めるのは勿体ないですよ。今日は初めてということで見逃しますが、次からは断固拒否しますからね」
まるでやんちゃな子供を嗜めるような物言いに、二の句が継げなくなる。
瞬きを繰り返す私に、うみのイルカは大きな厚い手を私に向けて差し出した。
促されたそれに思わず素直に報告書を出すと、私から報告書へと目を移しチェックし始める。一言二言任務について聞かれ、それに答えて気付けばうみのイルカが報告書に認め印を押すところだった。
あ、こんなはずでは!! 何か、何か話すきっかけが!!!

慌てながら何かネタはないかと探して、ふとうみのイルカの横耳に挟まれた一輪の花に気付く。
挿されたそれは、何故今まで気づかなかったというほどの異彩を放って、うみのイルカの髪というより額当ての布を飾っていた。
「はい、確かに受け取りました。おつかれさ」
「あの、うみのイ…さん。その耳の花はあなたの趣味?」
「へ?」
私の言葉にうみのイルカの目が大きく広がる。次の瞬間、慌てて耳の上に挟まれた花を引き抜き、綺麗に咲く桃色の花を見て、真っ赤な顔を曝け出した。……あら、まぁ。

「え、ええと、これはその。アカデミーの子供にもらって、取っちゃダメって言われて、そのまま忘れてつけてたみたいで、その……!!」
耳まで瞬時に染まるうみのイルカの慌てる様が、何故か気になって見てしまう。
よほど混乱しているのか、右往左往と目を散らせ、私に目を止めると、急にぱっと晴れやかな顔になって、立ち上がると同時に手を伸ばした。
すっと耳上を通った感覚。
警戒なんてする暇もなくされたそれに驚いたのと同時に、目の前にあった顔がぱっと破顔した。

「あ、やっぱり白木上忍の方がお似合いです。とても可愛いですよ」
打算も下心もなく、ぽつんと言われた言葉が驚くほど胸に響いた。
「あ」
きゅんと胸が一瞬引きつって、そのことについていけなくて声に出せば、うみのイルカは「やっちまった」と言わんばかりに一気に顔を青ざめさせていた。
「おい、イルカ、おまえ!!」
うみのイルカの隣に座っていた受付員が叱責の声をあげる。
うみのイルカも分かっていると言わんばかりにがくがくと頷き、今にも頭を下げようとした寸前。

「……謝らなくて、いいわよ。……可愛いんでショ、これ?」
私の口から謝罪を拒む言葉が出ていた。続いてこぼれ出た私とは思えない言葉に私自身が度肝を抜かれる。
いや、違う、これは、その。いや、何か違う、こんなの私じゃない!!
柄にでもない言葉に視線を散らしつつ、何故かうみのイルカの顔色を窺う己に歯噛みをしていると、うみのイルカはきょとんとした顔をした後、ふわりと笑った。
「はい、とても可愛らしいです」
再びきゅんと胸が鳴る音がして、私は「だったらいい」と呟いて、逃げるように受付所を後にした。

ざわざわと体が焦燥感を訴えている。きっと顔は真っ赤だし、感情が高ぶっているのか目も潤んでる。胸の鼓動も常より早い動きで、胸の奥底が何やらよく分からない疼きを持っていた。
「な、なんなのよ、これ」
周りには人の目があるというのに、素の言葉が零れ落ちる。
私を見て顔を赤らめたり、何とか声を掛けようとしてくる気配も感じたけど、私は歩みを止められずにいた。

すっと耳の上を走った感触が忘れられない。
耳に響いた優しい声が残ってる。
でも一番、一番忘れられないのは。

『はい、とても可愛らしいです』
私を見て、真っすぐな言葉をかけて笑ってくれたうみのイルカ本人だった。

「なんなのよ、なんなのよ、なんなのよー!!」
かっかと燃えるように頬が熱を帯びている。
油断すればだらしなく笑いそうになってしまう。
こんなの初めて、自分の心と体が暴走したとしか思えない。

うみのイルカとの初対面。
一瞬ともいえる時間を過ごしただけで、私は逃げてしまっていた。


******


「おう、おはよー! 宿題やってきたか?」
朝の登校中、私は普段より目立たない服装で物陰からこっそりとうみのイルカを観察していた。
朝の光を受けているせいか、うみのイルカが光り輝いて見える。
真っ黒の髪は光を受けて艶やかに輝き、額当てを巻き、木の葉の正規服をきっちりと着込んだうみのイルカは、第一印象の野暮ったさはどこへやら、清潔感に満ち溢れた好青年だった。
脇をすり抜けて、うみのイルカへ挨拶する子供たちへ一人ひとり挨拶を返し、時折頭を撫でては屈託なく笑い、一見強面の顔が緩み、どちらかと言えば目つきの鋭い眼差しが下に垂れるとひどく優しい印象を残す。
子供たちはうみのイルカに構われることが嬉しいのか、目を輝かせて喜んでいる。
男らしい筋肉のついた腕に飛びつき、無邪気に笑う子供が羨ましい。
私も撫でてもらいたいかも、いやそれよりぎゅっと抱きしめてくれたらそれは……。
ハッと我に返って、己が考えていた事柄に慌てて首を振る。
一体何を考えているのやら。私はあくまで粋がっているカカシの恋人を奪うための視察であって、そんなうみのイルカ自身に興味を持ったわけじゃないんだから!!

「……なーにしてんの」
ふと引っかかった気配に、すっと浮ついた気分が消えた。
油断なく振り返れば、朝から胡散臭い風体で、猫背でいかにもやる気なさげな、里の誉れが私を睨んでいた。
「あら、カカシ。おはよう。奇遇ね」
言葉少なに返し、おまけにどぎつい牽制と殺気の入り混じったチャクラを飛ばすカカシへそれ以上の殺気と牽制を込めてやり返す。
瞬時に、朝の爽やかな空気が、殺伐とした戦場めいた場へと変わる。
表面上は平静に、応酬し合うチャクラと眼差しは必殺の意志を込め、しばし膠着状態に陥る。
と、そのとき。

「あんたは朝っぱらから何やってんですか!!」
猛然と横から割り込んできたその人は、平然とカカシの前に来るなり、拳骨を落とした。
途端にカカシの殺気が消え、私も拍子抜けたように殺気を解く。
「っ! もう、イルカ先生ってばするならキスで止めるくらいしてくださいよー」
「……もう一ついるようですね」
カカシに拳骨をくれたうみのイルカは抱き着くカカシをあしらいながら、遅れて私のことに気付いた。
「白木上忍、おはようございます。あ、それ」
笑顔で挨拶をくれるうみのイルカから視線をそらし、小声で挨拶を返す。それと同時に耳の上を飾ったそれを指摘され、私は慌てて言葉を返した。
「べ、別に気に入ったわけじゃないから!! あなたからもらって嬉しかったとか、可愛いって言われて本気にしたわけじゃないんだから!! だから、別にもらったお花を私だけが使える高等忍術でクリスタル化したのだって特別意味があるわけじゃないんだから、勘違いしないでよ!!」
カカシと対した時とは打って変わって、鼓動が荒れ狂い、顔に熱を持ち、言動が支離滅裂となる。
「で、でも、もらったことにはちゃんとお礼を言うわ!! あ、ありがとう、私が一層可愛くなるものを贈ってくれて感謝するけど、いつもつけるとは限らないからね!! たまたま、たまたま今日は付けただけで別に今日も可愛いなんて言ってほしいとかそんなこと思ってないんだから!!」
いっぱいいっぱいになりながら言葉を紡ぐ。
ぜぇぜぇと肩で息をつきながら窺うようにうみのイルカを見れば、うみのイルカはちょっと驚いたように目を見開き、そしてにこっと笑った。
「今日も、白木上忍は可愛いですよ」
聞いた瞬間、見た瞬間、もう駄目だった。
「べ、別に嬉しいなんて思ってないんだから、ばかぁぁあぁぁぁ!!!」
脱兎のごとくその場から逃げ出し、私は当てもなく里をさ迷った。


「……アンタ、馬鹿でしょ」
「……見込み違いも甚だしいわ」
うみのイルカに接触しようとして、耐えきれずに私が逃げ出すこと十数回。
影ながらに様子を見ていたモカとシアンに首根っこを掴まれ、連れ込まれたのは人がいないことで有名な場末のバーだった。
その場で貸し切りすることを快く許してくれたママは、どうもモカの知り合いらしく、好きなだけ飲みなさい、後片付けは後から私がしておくわと野太い声で告げた後、どこかへ行ってしまった。
正真正銘私たち三人しかいないバーで、普段の取り繕った顔を外し、焼酎をかっ食らうモカと、ウィスキーを無造作にグラスへ注ぎ、ぐびぐびと飲むシランに挟まれ、私は体を小さくさせた。
「べ、別に計画通りだもの」
私よりは劣るものの、そこそこ優秀であるモカとシアンにはここ数日の私の行動はお見通しに違いない。それでも素直に認めるのが嫌で足掻く様に言えば、ぽこんと軽く頭を叩かれた。

「すぐバレる嘘つくんじゃないの。アンタねぇ、もう傍から見たらバレバレよ。何、ミイラ取りがミイラになってんのよ」
モカの言葉にくわっと目を剥く。
ミイラ取りがミイラって、そんなそんなこと!!
「おまけにうみのイルカの後をこそこそこそ付け回ちゃって。さすがにカカシが守るアパートは断念したようだけど、ある一定の上忍連中ならモロバレよ。サラがうみのイルカをストーカーしてるって」
ス、ストーカー!?
「じょ、冗談じゃないわよ!! なんで、このワタクシがストーカー!? されることはあってもするわけないじゃない!!」
ちょっと情報収集するために周辺を嗅ぎまわっただけじゃない。うみのイルカの好きなものを知ろうと動向を見ていただけじゃない。何をよく好んでいるのか、職場のうみのイルカのゴミ箱をこそっと漁っただけじゃない! そこに失敗したメモ書きがあったからちょっと二、三枚懐に入れただけじゃないの!!
否定するために弁論を繰り出せば、二人は同時に身を引いた。
その顔が言っていた。ドン引いた、と。

「な、なによなによ! 言っておくけど、私よりカカシの方がよっぽどひどいわよ!? 私生活にがっつり食い込んでいる癖して、うみのイルカの抜け毛一本残さないように根こそぎ掻っ攫うんだから! おまけによく分からない中忍がしゃしゃり出て、『あ、うみのイルカを見守り隊の隊長としてこれ以上の暴挙は許せませんので、ちゃんとこちらの了承をとってから収集してくださいね』なんて言ってきて、私のささやかな戦利品の、うみのイルカが財布に大事に大事に取っていた、期限が過ぎて使えなくなった一楽タダ券をごめんなぁって言いながら頬を摺り寄せて涙ながらにごみ箱に捨てたその半券を横から掻っ攫っていったのよ!! なんなのよ、あの手癖の悪さ! 私を出し抜くその手業、どこから学んできたのよ、クソ中忍め!!」

私がうみのイルカをスト、いや、観察対象として見続けた結果。
うみのイルカ周辺を病的に嗅ぎまわる二人の人物と出会った。

一人は言わずもがなの、はたけカカシ。
こいつが出た直後、うみのイルカの痕跡は無くなるに等しい。
そればかりかうみのイルカの生活圏であるアパートには極悪の結界が組まれ、私でさえも、いやもしかすると火影さまや暗部にでさえ手出しができないようになっている。
そして、もう一人はとんだダークホースの名の知らぬ中忍。
どうもうみのイルカの遠い同僚らしく、何があったのか知らないし興味もないが、うみのイルカを崇め奉っている男だ。
うみのイルカを見守り隊の隊長と名乗っているが、実際見守り隊はこいつたった一人で成り立っている。
密かに人気のあるうみのイルカに度々親衛隊やら同好会やら愛好会が生まれる度に、それを一つずつ消していますと、自慢なのか、こちらに釘を刺すためなのか、飄々と言ってのけた変人だ。

「で、どうするの」
一度は手にした半券を奪われたことを思い出し、悔しくて半泣きになっていると、モカが声を掛けてくる。
「何がよ」
シアンが飲んでいるウィスキーをかっぱらい、一口飲む。
うげ、きつい。よく飲むわね、こんなの。
顔を顰める私に、シアンは作りたての梅酒ロックを渡してくる。……気が利くじゃない。
ありがとと小さく礼を言った私の頭を一撫でし、シアンは頬杖をついて何とも言えない視線を向けてくる。
「モカ、意地悪言わないの。サラったら顔、じゃなくて経歴に似合わず純情だったみたいよ。どうやらあの噂は本当らしいわ」
「えー、マジで? 何よ、私らにタメ張ってつっかかる癖してとんだ嬢ちゃんねぇ。意外すぎる」
私を貶すようなやり取りをされた気がして二人を睨む。
二人はそんな私をまるで子供の我がままを許容するかのように笑って、息を吐いた。
「ま、もう少し見守ってあげるわ」
「私も見守ってあげる。……何なら、ああいう、うみのイルカみたいなタイプを落とす手ほどきをしてあげましょうか?」
上から目線の二人にイラついたが、シアンの申し出は正直魅力的だった。
「……手ほどき、受けてあげてもいいわよ」
素直に言うのは癪で、でも知りたい気持ちもあって、目を逸らしてぼそぼそと言えば、二人は同時に笑った。
その態度があまりにもふざけていたので怒鳴れば、二人はなんだかんだ言って私にその手ほどきをしてくれたのだった。


******


「はぁ。ちょっと、本当にお前ら邪魔。オレのイルカの周りをウロチョロしないでくれる? 思い余って仲間殺し何て洒落にならないでショーが」
ダークホースたるクソ中忍と、うみのイルカの戦利品の主張合戦を繰り広げていると、そこに私が今一番憎んでいる野郎が現れた。
「カカシ。……アンタ、誰よりもうみのイルカの側にいながらこっちの陣地に割り込まないでくれる?」
「そうです、はたけ上忍。如何にうみのイルカ氏の現恋人であろうと、こちらの陣地は我々。いえ、あなたが恋人になる前から保全に勤めていた私の陣地です。手前勝手な押し付けは止めていただきたい」
私の言葉に続く様に後押ししてくれたクソ中忍を少し見直す。今までのことは水に流して、クソ、外しても良くてよ。
「はぁ? 何言ってんの。オレがどれだけイルカのこと愛しちゃってると思ってるの? お前らにやる分があるならオレが総取りするに決まってるじゃない」
本日の超お宝戦利品である、子供たちの忍術演習でチャクラを暴発させた子供を庇って、着ている正規服を一着まんまダメにし、ゴミ箱に廃棄された一品を、すかさず保護して密封シートに入れて完全保管したものに、カカシが手を伸ばしてくる。
ちなみにうみのイルカは無事でした。かすり傷一つ負わないってそれはそれで結構すごいことだと思う。
そうはさせるかとクナイで牽制し、怯んだところを真正面から両手を組み合わせ、がっちりと純粋な力勝負に持っていく。

「聞きしに勝る、白銀鬼の力だーねぇ。見かけの細腕に反して一撃で大木を粉砕するその腕力、ぞっとするーよ」
「あーら、僻みはみっともなくてよ、体力に難ありの常駐入院患者のカカシさん。一度高ランク任務に駆り出されれば、必ずチャクラ切れで入院しちゃうダメダメ上忍。こーんなもやしじゃ、うみのイルカが可愛そう」
ひくっと引きつるこめかみに、カカシのコンプレックスをついたと喜んでいれば、カカシは次の瞬間に真顔でこう言ってのけた。
「イルカからは、体力馬鹿って泣かれてるーよ。あ、ごっめーん、これ内緒だったーよ。イルカには内緒ね」
覆面の下からでもこちらを馬鹿にしたような気配が滲む笑みを浮かべたことが分かった。
カカシの言葉がちょっと分からなくて、眉間に皺を寄せていると、中忍がため息を吐きながら戦利品を抱えた。
「はたけ上忍、いくら身の毛もよだつくノ一であろうと、婦女子は婦女子。品のない言葉は慎んでください」
そう言った途端、中忍は背中を見せ駆けだす。
あ、てめぇ、抜け駆けしやがったな!! やっぱりお前はクソ中忍だぁぁぁぁ!!!

「あ、卑怯!! 何一人占めしてんのよ!!」
「こんのクソ中忍がぁぁあぁぁ、てめぇ、今宵は眠れると思うなよ!!」
如何せん力が拮抗しているためにおいそれと組み合う形から抜け出せない。
ぐぐっとお互い力を込めながら、真正面から睨みあい、交渉に入る。
「ねぇ、アンタ力抜きなさいよ」
「冗談。てめぇが抜けや、クソカカシ」
「……アンタ、顔に似合わず口汚いね」
「お互い様だろうが。もっとも私は口が悪いけど、アンタの場合は過去の行いが悪いわよねー。うみのイルカにチクっちゃおうかなー。アンタがしてきた胸糞所業」
「はっ、よく言うよ。アンタも相当悪……。え? ちょっと待って、アンタもしかしてもしかするの? あの噂本当? え、ちょっと嘘でショ、勘弁してよ」
演技か素か、カカシがにわかに騒ぎ始める。
何騒いでいるんだと睨み付ければ、カカシは疑うような眼差しで聞いてきた。

「アンタさ、今も処女って本当?」

言われた瞬間、真っ白になった。
思わず箍が外れて、手の力により力が入る。
「いたぁ!」と叫ぶより早く、カカシの体をひっくり返して地面に叩きつけていた。
顔が熱い。こ、この。

「ふざけんな!! 乙女に向かって何ていう質問だ!!! 撤回しろ、いや二度とそのふざけた質問するな!!」
「うっわ、ドン引き。その歳で、しかもあれだけの高ランク任務を請け負っておきながら身綺麗って、アンタどんな神経してんの?」
「クソカカシがぁ! 黙れって言ってんだろうが!!!」
カカシに大事に大事に秘めているところを抉られ、本気で潰しにかかる。
私をよく知る数少ない友人たちは私の乙女思考を微笑みながら許容してくれる。
だって、記憶にも体にも残る一番大切なものじゃない。だったら、私が心底惚れた人にあげた方がいいに決まってるでショ!?
そう叫べば、友人たちは「あまりに大事にし過ぎるのも問題だと頭の片隅に残しておいてね」と助言をくれた。
ま、まぁ私クラスの女ならすぐに私が惚れるような男と懇ろな関係になるのも時間の問題よと大見栄を切ったが、未だに私が惚れるような男は存在していなかった。

「だっさー。アンタみたいなくノ一が使わなくてどーすんのよ。使わないせいで蜘蛛の巣張ってるんじゃなーい? だいたいそんなもんに固執するような女、男はドン引きするーよ。重たすぎるって」
ぷふふとあざ笑うカカシの言葉が実に不愉快で、黙れと叫びながら拳を振るう。
カカシのクソがいちいちすばしっこいせいで、そこら辺の地面は抉れまくっている。
場所が第九演習場の近くの空き地という滅多に人が来ないところだからこその全力だが、あまりに原型を留めていないと減俸ものかもしれない。
「いちいち避けるなクソが!! てめぇみたいな下品な奴、うみのイルカにふさわしくない!! とっとと別れて、以前みたくテメェに似合いなクソ阿婆擦れどもと乳繰り合えや!!」
右拳を横に避けたカカシにすかさず蹴りをお見舞いする。
渾身の一撃のそれを避けるかと思いきや、カカシは真正面から受け止め、私の足を握ってきた。
ちっと舌打ちしながら足を取り返そうとして、カカシの言葉につい体が止まった。

「で、その後、アンタがオレの後釜につこうって言うの?」
掴まれた足首に痛みが走る。
みしりと骨が軋んだことで潰す意図を察し、自由な足で体を捻りながらカカシの眉間を蹴り飛ばせば、あっけなく足を掴む手が離れた。そのまま一、二歩後退して、カカシは瞬きもせずに私を見つめる。
「そんなの、オレが許すと思ってんの?」
直後、カカシの声が耳横で弾けた。
ひくっと喉が鳴る。
先ほどまで私の前にいたカカシがいつの間にか横にいる。
バチバチとがなり立てるように鳴り響く青白い光が、カカシの右手にまとわりつき、私の体を貫こうと振り下ろされていた。
いつの間にとも、ヤバいとも思う。
カカシの速さを侮っていた。だが、私も腐ってもビンゴブックに名が載る忍び、これくらいの死線は潜り抜けている。
左腕を犠牲にすることを決め、体を動かす。
チャクラは私の意のままに動き、その一瞬を待ち構えていた。

カカシが私の左腕を消し飛ばした瞬間、カカシの心臓を貫いてやる。

心身共に震えが走る。
目を見開き笑みが零れるようにカカシを見上げれば、カカシもこちらに笑みを向けていた。
あぁ、やっぱり同族ね。
アンタと私はよく似ている。
きっとビンゴブックに載る輩なんて、どこかしらがイっちゃってる。

もうお互いの柵なんぞ意識の外で、あるのはどちらかが生き残るのかという本能のみ。
どちらが勝者で敗者か。
生きている方が勝ちなんて、なんて素敵で明快で野蛮な答え合わせだろう。
その答えの先にあるものが、本質が似ている私たちのどちらか一人にしか得られないものだから命を掛ける。
似たもの同士だから分かる。
脅威は摘んでおくべき。共有なんて考えられもしないから、お互い消えることを望む。

爛爛と目を輝かせ、お互いの勝負にケリが着く寸前。
同時に気配に気付く。
穏やかな気配。名を呼ぶ声。
感じたのは焦燥で。
こんなところを見られるのは嫌だと痛烈に思った。

必殺の構えを解き、勢いを殺すために地面へと倒れる。
本当に似たもの同士だったようで、カカシもこちらを殺す手を削ぐために回るように地面を蹴っていた。
直後に衝撃。
変な体勢で回ったせいで、カカシが地面に倒れている私の体の上に倒れ込む。
チャクラを弾けさせたせいで生身の体で衝撃を吸収せざるを得ない私は、筋肉しかついてない男の体重をもろに受けた。
「うっ、クソ重ぇ!! 早くどけ、クソが!! きめぇんだよっ」
「ちょ、動くな! オレだってアンタみたいなのに触りたくもないっ」
お互いの体に触れ合うのが気色悪くて、ギャーギャー暴れていたら、こちらに向かっていたうみのイルカの足が止まった。

真っすぐこっちにやってくることを期待していたから、足を止めたことが残念すぎた。
わめくカカシの頭を脇に寄せ、うみのイルカへと視線を走らせる。
ここから二、三メートルの距離にいるうみのイルカは、私とカカシに交互に視線を向け、そして私に視線を合わせると、きゅっと眉根に皺を寄せた。
そして、言葉もなく背を向け元来た道を引き返していく。

あっと思った。
私を見たうみのイルカの目。
真っ黒い、それでも温かい色をした瞳に走ったのは、私に対する嫉妬の感情だった。

「あ、くそ!! アンタのせいでイルカが」
「……行かなくちゃ」
「はぁ!?」
「行って、伝えなきゃ」
わめくカカシの声を無視して、カカシの下から体を引き抜く。
胸が痛い。
違う、違うと泣き出しそうにわめく言葉が聞こえる。
行って、誤解だと、自分の思いはあなたにあるのだと伝えなくてはと気が逸る。
うみのイルカの後を追おうとした足が止まる。引き留める腕がひどく煩わしい。
離せと懇願するような弱弱しい声が飛び出た。お願いだから行かせて、お願いだから私に気持ちを伝えさせて。
だというのに、私を引き留める男はいやらしい笑みを浮かべてあざ笑う。
「行かせると思ってーるの? イルカにはオレから伝えてあげる。オレにアプローチを仕掛けた白木サラは強引に襲ってきたけど、イルカ一筋のオレは体よくあしらって捨ててきたってーね。オレが愛するのはイルカただ一人。アンタだけだってい」
言葉途中でカカシの体が地面にめり込んだ。
カカシの体を中心に、不可視の何かに押しつぶされるように地面も凹み始めている。

「サラ、あんた何してんの!! 行きなさい! ここはどうにか時間稼いであげるからっ」
横から掛けられた声に顔を上げる。
険しい顔で印を組みながら、モカがこちらに歩み寄ってきた。
「たぶん一分ってところが限界だろうけど、全力で里の誉れの足止めをしてあげる」
続いて倒れているカカシの四肢に植物の蔓が何重にも巻き付き始める。シランのお家芸である蔓操作だ。
「……モカ、シラン」
カカシから私を守るように前に立ちはだかり、二人が笑いながら行けと肩を竦める。
それを認めて、「ありがとう!」と言葉少なに返して、私は前を向いて駆けた。

うみのイルカ。
私ね、私、アンタに伝えたいことがあるの。
私、アンタのことが――。


******


時は流れて。
一時期、里が崩壊寸前までいって、果てには世界が滅びるようなとんだ目にも遭ったけど、私はそれなりに幸せに暮らしている。

「ハニー、イールは寝たか?」
穏やかな昼下がり。
微睡む我が子を寝かしつけ、その寝顔を見ていると、ダーリンが静かに声を掛けてきた。
「うん、よく眠ってるわ。あれだけ大騒ぎしていたのが嘘みたい。やっぱり私たちの子ね。新鮮度抜群のものを与えたら満面の笑みよ。それで泣きつかれたのもあって今はぐっすり」
我が子の小さな手がぎゅっと握りしめている布の切れ端を見て、微笑む。
そんな私を見て、ダーリンは私の肩を抱き寄せ、感慨深そうに息を吐いた。
「趣味趣向は遺伝するんだな。今日あたり、また探ってこよう」
「え、今日は私が行くの。いっつもダーリンばっかりでずるい。私だって久しぶりに会いたいもの、お話ししたいもの」
「いくらハニーの申し出でも嫌なものは嫌だ。断る」
「……クソ中忍がぁ」
うごごごと怒りのチャクラが迸る中、私の子は図太いようですやすやと眠っていた。


あの日。
私がモカとシランの助けを借りて、うみのイルカの後を追った日。
追いかけて引き留めたうみのイルカへ、思いの丈をぶつけた。
カカシと別れて私と付き合って欲しいと、あなただけを愛しあなただけを見つめる、あなたが望むのなら何でも叶える、この命だって差し出す、もし世界が欲しいと言うなら侵略して献上するし、殺したい奴がいるならすべて殺すしあらゆる富と名誉をあなたにあげて一生高笑いするような生活も約束すると、自分ができることを全部あげて、好きだと全身全霊で訴えた。
始めは半信半疑だったうみのイルカの表情が戸惑いに変わり、そして私の言葉を聞いて真摯な目を向けてくれた。
そして、うみのイルカは言った。
「気持ちはすごく嬉しい。でも、あなたの手は取れない。俺、カカシさんにぞっこんに惚れこんでいるんです」と。

何かの気配を感じたのか、振り返ったうみのイルカの視線の先には、捨てられた犬のように不安げな瞳を向けるカカシがいて。
私は許せなくて、腹ただしくて、嫌だと叫んだ。
認められない、私の方がカカシよりも何倍も思っていると。
初恋なんだ。あなたが初めてなんだ。カカシは過去に爛れまくっていておぞましいこともあれこれとして、忍びでもドン引く所業をやりやがった最底辺野郎なのだと事細かに告げて訴えた。
うみのイルカは私の言葉に感銘を受けたのか、地面に俯いて小さくなっているカカシに向けて「あんの野郎」と小さく呟いたが、一、二度頭を振り、仕方ないなとあの時見せた柔らかい笑みを浮かべた。そしてその笑みのまま「それでも、カカシさんが好きなんですよ、俺」とはにかんできた。

その瞬間、私は泣いた。
ずるいと、カカシはずるいと泣き叫んだ。
うみのイルカは泣く私にハンカチを持たせ、ごそごそとベストの巻物フォルダーを探るとイチゴ飴を三つ取り出した。
「ごめんな」
飴を持たせるとうみのイルカは俯くカカシの元へ行き、その手を握って去っていった。
何度名前を呼んでも、何度好きだと言っても、うみのイルカは振り返ってくれなかった。
泣いて泣いて泣いて。
後から合流してきたモカとシランの二人が黙って胸を貸してくれた。
それに縋りつき、私は飽きるほど泣いた。泣きに泣いた。
その日、一生分の涙を流したと思う。

こうして私の初恋は破れて終わった。


けども、捨てる神あれば拾う神ありというのか。
今、現在、私はうみのイルカの戦利品を奪い合うライバルだった、クソ中忍と結婚し子供までもうけている。
お互いの趣味が同じだったのが良かったのか。気付けば、ハニー、ダーリンと呼び合う仲になっていた。
ま、趣味が同じなせいか、戦利品を巡りガチンコ勝負も発生してしまうが、それはそれで楽しいものだ。


「う、み、の、イルカせーんせ!」
ひょこんと職員室へ顔を出し、私はお目当ての人の名を呼ぶ。
きゃーとわーっと職員室の職員が私を見て、歓声をあげるが、肝心の人物はまたかと言わんばかりに顔を顰めていた。
渋るダーリンをねじ伏せ、今回は私がうみのイルカに会いに行く権利を勝ち得た。ふふふ、ダーリンもなんだかんだ言って私のこと大事なのよね。
「ちょっとお邪魔しますわ」
快く出迎えてくれた職員の皆様に笑顔を浮かべて伝え、うみのイルカの元まで一直線。
うみのイルカはため息を吐きながら情けない声を出した。
「サラさん、今、育休中じゃなかったんですか? 臨時講師をお願いしてますけど、こうも頻繁に来られると育休の意味が……」
「やーねぇ。ダーリンが不定期出勤だからダーリン次第って言ったでしょ。本来なら育休なくてもいいくらいなのに、皆さん大げさなんだから」
「……生後2か月の子供を一人で残すなんて真似させられませんって」
本気で止めてくれと必死にこちらを見上げるうみのイルカに私はんふふふと笑みをこぼす。
腐っても私の子供だ。それくらいの逆境は余裕で跳ねのける。
絶対止めてくれと恐慌をきたし始めたうみのイルカのため、大人しく頷いた私は、前々から言っていることを了承させるために再び話を持っていく。

「で、イルカ先生。私たち夫婦の提案飲んでくれる気になった? いつでも、今すぐでも大歓迎。イルカ先生の部屋も服も日用雑貨、ありとあらゆるものはばっちり用意してあるし、着の身着のままやってこれるわよっ」
私の言葉にうみのイルカの肩が下がる。
周りの職員さんたちは繰り返される応答に慣れっこで、微笑ましそうに見守ってくれている。
「……冗談ですよね? 冗談だと言ってください!! 何で成人もとうに越した男をどうして養子に迎えたいって言うんですかっ。サラさんとこ、まだ新婚でしょう!? おまけに立派な息子さんがいるじゃないですかっっ」
ううっと男泣きし始めたうみのイルカの愛らしい言動を愛でながら、私はふんと鼻息を荒げる。
だいたい私がこうもうみのイルカを養子に迎えたいと日参しているのは……。

「……イルカ先生。来年度のアカデミーの予算についてご相談事が」
私が来たことを知り、慌ててやってきた癖に、余裕をかましている表情を取り繕っている、煮え切らない最低男の登場に、私は冷めた目を向ける。
「あ、はい。六代目、少々お待ちを。今、資料を持っていきます」
仕事だからと私に目線をやり、公私をしっかりと分けるうみのイルカは教職員としての面を被って、六代目火影となったはたけカカシと対する。
うみのイルカが資料を集めている最中、私はカカシへと死に晒せやと言わんばかりの殺気をぶつける。それに対してカカシも火影とは思えない極悪な殺気を私に向かって飛ばす。
『おう、テメェ。私からうみのイルカを奪ったくせに、なーにいつまでも中途半端な態度してんの。今からでも遅くないんやぞ、うみのイルカは私ら夫婦が保護すっからな。そしたらテメェにやるうみのイルカは砂粒ほどもねぇから』
白目を剥かんばかりに威嚇する私に、カカシもこめかみに血管を波打たせ噛みついてくる。
『はぁ? 誰から奪ったってぇ? 生憎、今も昔もイルカはオレのだから。アンタにやるイルカはこの世に存在しないかーら。それに、アンタに言われなくても分かってるから』
返ってきた言葉が、今までとは違う。
変化に気付いて、それにあのヘタレカカシの言葉に驚いて、殺気を止めてマジマジとカカシを見やれば、右目露出魔から両目露出魔に変貌したカカシの両頬には隠しきれない朱が散っていた。

「……遅い、遅すぎる、ヘタレ。部下にも先越されるドヘタレ。どうせなら今ここで言いなさいよ。立会人してあげる」
「? サラさん?」
私の言葉に、うみのイルカが反応する。対するヘタレ火影カカシは目を白黒させて挙動不審な動きを見せた。
「あらー? 言えないの? ここまで来て言えないの? そして、渡せないの? だったら仕方ないわぁ。ねぇ、イルカ先生、ヘタレカカシがね」
「ふざけるな! オレの口から言うに決まってんでしょーが!!」
私に怒声を上げ、その勢いでカカシはうみのイルカの元へ猛然と歩み寄る。
突然のことに驚いているうみのイルカの前で、カカシは火影笠を取り、口布を下げた。
「イルカ先生。……いや、イルカ。オレと未来の約束をして欲しい」
うみのイルカの手を取り、他のものは一切目に入らないとばかりに見つめるカカシ。
前々からカカシが何やら動いていることは察していた。
火の国から同性同士が結婚してもいいように了承を取るために奔走し、法整備を整え、水面下で着々と築き上げ、木の葉は同性結婚を認める法を来月から発布する運びとなる。
けれど、カカシの奴は阿保で馬鹿で間抜けで頭でっかちで融通聞かない唐変木な人間のため、その恩恵を受けるのは火影を退任してからと思っているようだ。私から言わせれば気持ち悪いの一言だ。何、格好つけてんのこいつ。

カカシが胸元から青色のビロードに覆われた小さな箱を取り出す。
小さな音を立て開けられたそこには、二つの指輪が鎮座しているはずだ。
「今は言えない。でも、オレが、ただのオレになった時はこれを指に嵌めてくれる? そして、そのときはオレに言わせて」
カカシの言葉に、うみのイルカの瞳に水の膜が張る。
きゅっと歯を食いしばって、カカシを見つめるうみのイルカは小さく一度頷いた。
カカシは強張っていた肩から力を抜いて笑い、指輪を抜き取ると、うみのイルカの首に掛かっているドッグタグを通している鎖にそれをつける。そして、カカシのドッグタグへうみのイルカが指輪を通した。
私はそれを見守りながらうみのイルカへと近づき、頬に零れた一筋の涙をハンカチで拭いた。無論、空気の読める私は本人にさえ気付かれぬようにそれをやってのける。この中で気付いたのはカカシぐらいだろう。
っしゃ、お宝ゲットぉぉぉぉぉぉ!!!
この興奮をダーリンと分かち合わねばと意気揚々とする中、二人の婚約式を見た職員の皆さんがわっと歓声をあげ、手を打ち鳴らす。

良かったなと皆が寿ぎを告げるために押し寄せるのを利用して、忌々しそうにこちらを睨むカカシへ背を向け、私は颯爽とその場を離脱する。
睨むなんて本当恩知らずな奴。私が焚きつけなかったら、踏ん切り付けなかったヘタレの癖して。

ちょっとまだ胸が小さく疼くのは、私の初恋の人だからだろう。
でも、うみのイルカの幸せを手放しで喜べるのは、きっと。

「……イールまでつれて来ちゃって。で、肝心の歴史的瞬間は見れた?」
「無論だ。イールも分からないなりに察している」
「あーあー」
泣きもしないで、大人しく手を振り回してご機嫌な様子のイールに私はさすが我が息子と頭を撫でる。
「でも、ちょっと惜しいわー。イルカ先生がうちに来てくれる可能性もこれで皆無ね」
駄目元で、いや千分の一くらいの確率で成功するかもと期待していただけに少々がっかりしてしまう。
はぁとため息を吐く私に、ダーリンはにやりと小さく笑った。
ダーリンの意味深な笑みに、何かを察し視線を向ければ。
「心配するな、ハニー。私が打つ手はまだ終わりではない。私はかねてからこれを見越して、男でも妊娠できる秘薬を五代目と共同開発していたのだ。近々その秘薬は日の目を見ることだろう」
ふふふと勝利を確信した光を瞳に宿すダーリンに全身が痺れた。
「ダーリン、かっこいい!! 大好き、ダーリン!!」
「分かってるよ、ハニー。私もハニーが大好きさ。大丈夫、我ら家族がうみのイルカ氏の親戚になる日も近い。なれば、お宝もぞくぞくと増えるということだ!!」
「きゃぁぁぁあ、バラ色の人生ねっ!」

ダーリンの腕に引っ付き、私は笑う。
私の側にはダーリンとイールがいて、そして、失恋したあの日から気の置けない友人もいてくれる。
ちなみにその気の置けない私の友人であるモカとシランだが、モカはあのときの場末のバーのママと、シランはシャンパンを注いでくれたボーイといつの間にやら結婚していた。
そして、その二人に子供が出来、それが将来うみのイルカに子供が出来たことで、私たちの関係が昔のような関係に戻ることを今の私は知らないでいた。

ま、ぎゃいぎゃいと威嚇し張り合い、出し抜く関係も、バラ色の人生足りえる刺激になって良いものだ。

またここで、親馬鹿なカカシがうちの娘はやりませんからと、私たちの争いに参入し、それを横目に見つつ、うみのイルカが堅実で優しい真面目な男性と娘の仲を取りもち、結婚させることは、全くの予想外であったことをここに記す。




おわり
(R01.05.17)




戻る


-------------------------
蛇足:イルカ先生は白木サラ上忍のことを自分の教え子のような目で見ています。
理由としては、容貌が少女めいて見える&イルカから見て性格が子供っぽかったため、どうしても大人の女性には見えなかったから。

サラ上忍のお友達?である二人は一連の流れを見て察していましたが、さすがに傷口に塩を塗る行為は忍びなく黙ってます。