「はたけ上忍」


 木の葉の受付所にて、受付員の一人が鬼の形相でとある男を睨みつけた。
 黒髪黒目の中肉中背の受付員の名前はうみのイルカという。彼に笑顔で「お疲れ様です」と労われると疲れもぶっ飛び癒されると、老若男女から絶大の支持を受ける受付(嬢)だが、今はその評判の欠片さえも見られない。
 顔の真ん中を横切る傷は、いつもならばチャームポイントに見えるが、鬼瓦に似た顔つきで睨む様では凄みを与えるものと化している。
 一方の名前を呼ばれた、はたけカカシは、顔の半分を口布で隠すばかりか、左目には額宛を斜めにつけて顔のほぼ大部分を隠している男だった。
 一見、不審者に見える男だが、カカシは木の葉の里を代表する上忍であり、数々の功績をあげている優秀な忍びだった。
 苦境に置いても常に余裕を感じさせる言動を保ち、何手先も読んだ指示を出しては、幾つもの戦場を勝利に導いた。
 休憩中は専らイチャパラという成人本を堂々と読んでいる姿を見かけるが、伽を頼める立場なのに本で事足りるとは逆にストイックでかっこいい、少し猫背の姿も何だか哀愁が漂っていて胸が締め付けられるなどと数々の老若男女の胸をときめさせている。
 だが、里の中でのカカシの印象は任務中のそれとは趣を変える。


 おどろおどろしい声で名を呼ばれたカカシは、あからさまに頬を膨らませ、思い切りイルカからそっぽを向いた。
仕草そのものは、まるきり不貞腐れる子供のそれだ。大の大人がやるには痛々しい仕草ともいえるが、あいにく周りの者たちは見慣れている光景なのか、我関せずとばかりに日常を続けている。
 周りの者たちが、里の看板忍びと、里の癒しの受付員の険悪な状態を見事にスルー出来るにはそれなりの訳がある。
 このはたけカカシとうみのイルカは恋人同士であり、はた迷惑なバカップルというやつなのだ。
 付き合い始めた当初こそ、それぞれのシンパたちや恋人や妻の座を狙っていた者たちが大変な騒ぎをしてのけたが、二人がどうあっても別れないばかりか、毎日のように仲の良さを見せつける現状に、ついに匙を投げ、今では二人を見守る会として生ぬるい眼差しを注いでいる。
 よって、毎日の積み重ねが作り上げた耐性値は並大抵のことは受け止められるようになっていた。
 そして、本日、受付所にて、カカシがイルカの元に報告書を提出した際、カカシが発した不用意な発言にてイルカの逆鱗に触れ、過去何度も公の場で起きた喧嘩が再び勃発した。


「……何度も言いましたよね。必要な備品はこちらで用意します、と。事、はたけ上忍が請け負う任務は高ランクであり、あなたが使う忍具及び身に着ける装備品は全て支給対象である、と。なのに、どうして自腹で払っていらっしゃるのですか? それも、部下のものまで支払ってらっしゃる。何か理由があるのでしょうか?」
 仕事中であることを意識してか、イルカはあくまで受付員としての顔を保ち、カカシへと問いかける。だが、カカシはむっすりと頬を膨らませて話す気はないとばかりに腕を組み、沈黙を守り続けていた。
 このバカカシがと小さな声で悪態をついたイルカの発言に、ひとまず報告者をさばき切った隣の受付員が頑ななイルカに声を掛ける。
「おい、イルカ。もういいだろう? はたけ上忍だって無尽蔵に支払っている訳じゃなしご自分の意志でされていることだ。里の財政から言えば助かってんだぞ」
 隣の同僚の言葉に、イルカの怒りの矛先が向けられる寸前、カカシは我が意を得たりと弾んだ声で相槌を打った。
「だよね〜。オレは納得、里もお得。双方いいって言うんだから別にいいよね〜。額にしたって本当に大したことないんだし」
 さすがははたけ上忍、言うことが違いますと、追従する同僚に、カカシは後頭部を掻いて照れたような笑い声をあげる。
「ほら、イルカ先生もそう目くじら立てないでーよ。こんなことを指摘するのイルカ先生だけでーすよ。里の内から支える受付員なら、里のお得を考えなきゃだめでショ?」
 だからこれは判子を押してねと、判子を持つイルカの手をカカシが持ち上げた瞬間、判子を持つ手とは逆の手が動いた。
 直後、ダンと破壊音に似たけたたましい音が受付所に轟いた。
 突然の音に一瞬静まり返る。
 それを狙ったようにイルカは同僚に向け「ちょっと頼む」と言い残し、驚いた表情で突っ立っているカカシの手首を逆に掴み、受付机を飛び越え、カカシを受付所の横手の壁に連れて行く。
 虚をつかれたのか成すがままにされていたカカシだったが、壁を背にイルカへ追い詰められたところで我に返ったように声を出した。


「ちょ、ちょっとイルカ先生? お仕事中でショ? 教師がこんなことしていいとおも」
「黙れ」
 言葉を遮るように、カカシの顔横の壁にイルカの腕が振り落される。
間近で鳴った大きな音に驚いたのか、カカシはびくりと身を震わせると口を閉ざした。
いつもとは違う二人の空気に、受付所にいた誰もが二人に視線を向ける。
今度こそ静まり返った受付所内で、二人のやり取りだけが鮮明な動きを持った。
「イルカせ」
「黙れって言ったのが分かりませんか?」
 口調こそ丁寧だが、イルカの声音は陰にこもっていた。本気でイルカが怒っていることを察したカカシは開いていた口を閉じた。
「カカシさん、俺は受付員として何度も言いましたが、アンタはちっとも分かっちゃいないようですね。アンタがそうやって個人的に何でも背負い込むと、他にけじめがつかなくなるって言ってんですよ」
 上忍全員がアンタみたいに金を持っていると思うなと低く恫喝したイルカに、カカシが反発しようと口を開く。だが、それを見越して、イルカは先んじて声を張った。
「だけどな、俺がこうして怒っているのは何もルールを破っているからじゃねぇっ! アンタが命がけで稼いできた金を簡単に他人のために使うなって言ってんだっっ」
 言葉尻と同時にカカシの反対側の顔の壁に、イルカのもう片方の腕が振り落された。
 今やカカシはイルカの両腕の中に閉じ込められ、顔はキスをせんばかりに近づいている。だが、甘い気配は微塵も感じられず、緊迫した空気だけが漂っている。
 本来ならばカカシの方がイルカよりも若干背が高いのだが、生来の猫背が災いしたのか、イルカの気迫に押し負けたのか、イルカに見下ろされている形となっていた。
 受付所内の者たちには、イルカの背とその腕に囲われた顔色の一つも分からないカカシの覆面顔が見える。
 もはや受付所は報告をする場ではなくなり、二人の結末を見守る会場と化していた。


 小さく呻き声をあげて、イルカは目の前のカカシに悔しそうな声で告げる。
 アンタが部下に買ってやった忍具どうなったと思ってんだ。質屋に売られてた。買ってもらったものだから、次もまた買ってもらえるからとぞんざいに使い捨てにされていた。アンタが血反吐を吐いて稼いだ金なのに、アンタが里のためにって毎回死を覚悟しながら必死に挑んで得た金なのに、それをあいつら。
 苦いものを吐き出すように言ったイルカの体は小刻みに震えている。
 しばらく、イルカの苦しそうに息をする音だけが響いていたが、不意にカカシの手が動き、イルカの頬に触れた。大きく震えるイルカを宥めるように、カカシは頬に触れ、そして小さな声で呟いた。
「……先生。オレのこと、思ってくれたの? オレのこと考えて傷ついてくれたの?」
 受付所のある角度の者たちは、そのときカカシの右目が微かに鈍く光ったと後に話すこととなる。
 少し濡れた感のあるカカシの声に、イルカは一つ首を縦に振り、八つ当たりするような調子で吐いた。
「当たり前だろ! 俺が心配するのは、アンタと子供と里と里長と、里の仲間たちだけだ!!」
 イルカの言葉を聞いて、カカシの右目が見える者たちは、カカシの目が一瞬遠い目になったと後に語る。そこはカカシだけだと言ってやれよと、受付所内の者たちの心の声が重なった瞬間でもあった。
 しばし固まっていたカカシだったが、やがて正気を取戻したのか、イルカの背中に両腕を回し抱き締める。


「……イルカ、嬉しい。ごめん。オレ、アンタが内勤の給料が安い安いって言ってたから、少しでも経費削減になれば、その浮いた分がアンタの給料に回るんじゃないかと思って、それで何度も自腹切ってたんだ」
 思わぬカカシの言葉に堪らず受付所内、特に受付員たちの間からざわめきが起きる。
 カカシは知らないのだろうか。受付員の給料、もとい内勤従事者の給料は純然たる固定給であり、経費が削減されたからといって給料に反映することはないということを。
「……カカシさんの馬鹿。俺たち内勤は、忍びでない人たちでいうところの社畜ですよ。経費削減されたら、それだけ意地汚い上層部に金が回るだけです」
 イルカも壁に押し当てていた腕を解き、抱き着いてきたカカシの首に腕を回し抱き締めた。
「そっか……。オレ、イルカにあげようと思って、馬鹿上層部の私腹を肥やさせていたーのね。失敗した」
「そうですよ。アホ上層部に金やるくらいなら、カカシさん主催で内勤の飲み会してください」
「イルカさん抜きならいいーよ」
 どうしてと聞こうとしたイルカのセリフを押し止め、カカシは甘ったるい声で一言言った。
「イルカさんはオレとだけの飲み会するーの」
 「カカシさん」とイルカの声にも熱がこもり始め、受付所内は次第に通常運転となった二人に落ち着きつつも、これからまた暑苦しいものが始まるのかと生ぬるい気配を漂わせた。
 そして、一人ひとり、止めていた足を動かし手を動かし、日常へ帰って行った。


「もう、イルカ先生が今流行の壁ドンした時、オレ滾り死ぬかと思いましたっ。サクラが壁ドン壁ドンって力説してた時はくだんないって思ってましたけど、実際、やられると……。イルカ先生にされると胸がキュンキュンしちゃいました」
 カカシの言葉に回りは思う。あぁ、あの時ビクついていたのは滾りきった欲望による武者震い的なものなのか、と。
「え? かべ丼? 俺、丼なんて持ってませんよ」
 それに対するイルカの答えに、周りは嘆息した。先生、もっと流行を勉強しようよ。アカデミーの子供たちも知ってることだし、話題作りにもきっといいよ、と。
 「もうそんなイルカ先生がすきぃ」「俺の方がもっと好きです」と、恒例の自分の方が相手のことが好き合戦に発展したところで、完全に二人を姦しいオブジェクトとして周りの者は見なした。
 ただ一人、受付員の同僚である男だけは、どんどんと報告にやってくる者たちを一人で捌きながら、イルカにはカカシ主催の内勤お疲れ会を開いてもらおうと、密かに決心を固めたのだった。




(おわり)





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H27.5.24、オンリーカカイル「畑の幸、海の幸」ペーパー。
『イルカ先生が壁ドンしてカカシ先生がきゅんきゅんv』がテーマでした。








きゅん