ラフメイカー

「いい加減、帰っちゃもらいませんかねぇ? 毎晩毎晩ひっじょーに迷惑なんですが」
毎夜訪れる高名な上忍に、ドア越しへ横柄に言い放つ。



「やだなぁ、イルカ先生。そんなつれないこと言わないで開けてくださいよぉ。外は寒いんですよ〜。もうじき冬ですよ、冬ー」
中忍である自分の物言いにも腹を立てず、相変わらずの間延びした調子で言い募る男の考えが読めない。
ため息を吐くドア越しの俺に向かい、男は「息が白い! 寒い、寒いですよ〜。開けてくださいよ〜」とみじめったらしく言葉を紡ぐ。
ドアを開けたいならば、自力でどうにでもなる。
忍びにドアも鍵もあったもんじゃないし、相手は忍びの中の忍びといわれる上忍、はたけカカシだ。
自力で入れるものをどうして俺に開けさせようとする。
そもそもこいつの行動自体、初めからわからない。



この男と知り合ったきっかけは、俺が教師の領分を越えて目をかけていた生徒、うずまきナルトの上忍師になったためだ。
初顔合わせも、ナルトが下忍合格の朗報と共に、上忍師の先生を紹介すると受付所に飛び込んできたことが始まり。



受付任務中だった俺は、ちょうど昼休みの時間になったのを見計らい、顔合わせだけしておいても損はないと、重い腰をあげた。
腕にぶら下がるナルトの案内に苦笑交じりに受付所を出たとき、会いに行くはずだった男が自らやって来ていた。
「オレがつれてくるって言ったのにッ」と頬を膨らましながら、ナルトは俺を紹介しようとして、声を阻まれた。



「イルカ先生、こんにちは。あなたに笑顔を持ってきました」



引いた。
血の気も引けば、周りの気温も急降下した。
俺は心身共にずざっと音を立てて後退し、思わず腕を構えて警戒した。
そりゃ、当然だ。初対面の相手だっていうのに、その陳腐な口説き台詞紛いな言葉を投げつけられ、俺はどう対処したら良かったんだ。それ以前に、俺は男だ。
顔面蒼白になっているだろう俺に構うことなく、男は唯一目を覗かせた右目を細めさせ、笑みを浮かべているだろう顔で朗らかにこうのたまった。



「それが、オレの生きがいです」



生きがい宣言を受けてからというもの、はたけ上忍の行動は常軌を逸していた。
さすがに任務の日はいなかったが、里にいるときは必ず夜にやって来て、ドアを叩き部屋に入れてくれと乞うのだ。当然入れない俺に、はたけ上忍は入れてくれと毎夜毎夜ドアを叩く。
そして、それが始まってから半年は経った。最初こそ、階級が上である男に丁寧な言葉で退去をお願いしていたが、今ではすっかり砕けた言葉で邪険に追い払っている。



「せんせ〜い、聞いてるぅ? 寒いんですけどぉ」
へくちっとやけに可愛いくしゃみをする声で我に返る。頭を掻いて、大きくため息をついた。勿論、聞こえるようにだ。
「いい加減、諦めてくださいよ。こんなことして何が楽しいんですか? しがない中忍追い詰めて、何の得があるってんだ」
「そんなこと言わないでくださいよ。オレはただイルカ先生に笑顔を―」
ぶっきらぼうに言えば、またお得意の決まり台詞を吐こうとした男に、言いようのない怒りが沸き起こった。
「うるさいッッ!! ふざけんな、何が笑顔だッ。アンタがいると迷惑だって言ってんだろ。いい加減、失せろッ、消えちまえッ」
ドアを叩き、ぶちまけた。
いい加減、煮詰まっていた頭に何度も言われた言葉は思っていたより侵されていたようだ。
ぐっとせり上がる衝動に、唇を噛み締める。
しんと静まり返る空気の中、気配が揺れた。まだいやがったのか、あの野郎。
「まだいるのか? 消えろって言っただろッ」
苛立ちつつ声をあげれば、男はぐすぐすと鼻を啜り、しゃっくり交じりの声で言った。
「そんなこと、は、初めて言われ、た。泣き、そっ」
って、泣いてんじゃねーかよ!!
心の中で盛大に突っ込む。イライラ感が余計に増してきた。
「なんでアンタが泣くんだよッ。泣きたいのは、こっちの方だッッ!!」
俺の言葉に触発されたのか、ひんひん言って泣き出した男にほとほと頭が痛くなった。あぁ、もうどうしろっていうんだよ!!
泣かした手前、いつものように奥へと引っ込むこともできず、ドアに背を預け、そのまま座る。向こうもドアに背を預けて座ったようだ。気配をより濃く感じる。
ひくひくとひっきりなしにしゃっくりを繰り返す男の声を聞きながら、ほろりと頬に熱い雫が伝った。



顎を伝い、腕に落ちた水滴を無感動に見やりながら、ふと思う。
俺はいつからこうして泣くようになったのだろうか。
子どもの時はこんなことはなかったように思う。
両親の死を知った時、泣けなかった。
初めて迎えた一人の夜の、孤独を知ったときも泣けなかった。
孤児になった俺に、周りの大人たちが手を差し伸べてくれたときも泣けなかった。
泣いたのは、慰霊碑で三代目に声を掛けられ泣いたあの日だけだ。それも大声で泣いた。
泣いた後は、一人で生きるために必死で、それこそ涙というものを忘れていた。悲しくても辛くても、歯を食いしばってひたすら前だけ向いてきた。
中忍試験に受かり、初めてのBランク任務で、スリーマンセルを組んでいた仲間を亡くした時も泣けなかった。
教職について、初めて送り出した教え子が任務で儚く命を散らせた時も、泣けなかった。
慰霊碑で泣いた以後、俺自身、感情から泣いた覚えはない。悲しさや寂しさは感じた。けれども、泣くことはなかった。
だが、俺はいつのことか、泣き始めた。
ある日、朝起きたら、枕が濡れていた。おかしいなと思いつつも、飯を食べて、アカデミーへ向かう頃には忘れていた。
だが、次の日も枕は濡れていた。次の日も、次の日も―。



そのときからだ。俺は寝ていても、起きていても家にいるとき、ふっとした瞬間に涙を零している。
勝手に両目から出る雫。
何も悲しいことなんかないのにと考える自分とはかけ離れて、ぼろぼろと大粒の涙が零れる目は、故障しているとしか言えなかった。
自分でも訳が分からない。
だからか。
正直、この男が初対面で言った言葉に、ほんの少しだけ動揺した。
一体、俺の何を知っていると、瞬間、取り乱した。



ドアを隔てたそこには、里一番の稼ぎ頭である男が、情けなくもしゃっくり交じりにまだ泣き続けている。
疲れてきたのか、ぐすぐすと鼻を啜る音がやけに小さくなっていた。
「…アンタも物好きですね。ここまで言われて、どうして帰ろうとしないんですか?」
俺だったらとっくに見限って近寄りもしませんよと、言ってやれば、男はしゃっくり交じりに言葉を吐く。
「言った、でしょ。先生に、笑顔を持っ、てき、たって…」
癇に障る言葉のはずが、しゃっくりが途中途中に入るせいか、何だか気が抜けてしまう。
「アンタ…まだ本気で言ってるんですか?」
俺に笑顔って、笑わせようって本気で思ってんですか?
再三、それこそ口が腐るほど尋ねた問いに、男はひくひくとつっかえながらも言葉を紡いだ。
「生きがいなんです。イルカ先生を笑わせないと、オレ、帰れません」
真摯に何度も伝えてきた同じ答えに、はぁと息を吐いた。意味もなく薄汚れた天井を見上げる。
もう、いいかもしれない。
諦めとも何ともいえない気持ちが不意に沸き、消える。



よっと小さく声をあげ腰を上げた。鍵を開け、チェーンを取る。チェーンの澄んだ音が耳に心地良い。
「―ー負けました。負けましたよ、アンタには…。アンタが俺に何をしてくれるか、知りませんけど、どうぞ中に入ってください」
ぐいっとドアを引こうとして、妙に硬い感触に突っ張られた。がたがたと上下に動かし、押したり引いたりしてみるが、ドアはうんともすんともしない。
さてはあのとき叩いた衝撃でバカになっちまったかと、額に手を置いた。タイミングが悪いと毒づきながら、外にいる男へ声をかける。
「…はたけ上忍? すいませんが、そっちから押してくれませんか? ドアがバカになって、開かないみたいなんです」
応答がない。
「はたけ上忍?」
訝しげに名を呼んで、躊躇いがちにノックした。
それでも、応答はない。
「…そんな、まさか」
零れ出た言葉に、目の前が真っ赤になった。



冗談じゃない!
胸のうちで叫んだ言葉に、眩暈がする。バカなと、喚きたい気分だった。
信じたのに。あの瞬間、毎晩毎晩尋ねてきた男へ全幅の信頼を寄せたのに、それなのに、あいつは俺を置いていきやがった!!
信じた瞬間、裏切りやがった…!!
じわりと来たいつもと違う涙を押さえることが出来なかった。焼けるように体が熱くて、目頭も焼けどしそうだ。
それなのに、胸の奥が冷えている。凍えそうなほどに寒い。
腹に押し込めていた塊が喉からせり上がる。口を開いた瞬間、ケモノじみた声が出た時、背後で澄んだけたたましい音が鳴り響いた。



喚くことさえも忘れ、振り返った。
風を受けて膨らむカーテンの向こうに、鉄パイプを持っている男の姿。
月に照らされた銀色の髪がたなびき、場違いなしゃっくり声を響かせながら、男は言う。


「先生に笑顔を持ってきました」



唯一覗いた目はゆるく弧を描き、微笑んでいる。
頭が真っ白になって佇む俺に近寄り、男は涙をぼろぼろと零しながら、懐から小さな鏡を取り出し、俺の顔に突きつけた。
「先生の泣き顔、笑えますね」
鏡の中で、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった真っ赤な俺の顔が歪む。アンタだって、その覆面とったら笑えるだろうよ。
つぅか、アンタ、人の家の窓壊しやがって誰が弁償すんだ、掃除は誰がするんだ、これから寒くなるのにって、そのやたらと花柄マークの痛いピンクの手鏡はアンタの趣味なのかとか、色々頭の中で思ったが、初めて見た男の泣き顔と、二十の半ばを超えたいい大人の男が二人、泣いている状況に気付いて呆れてしまった。
本当に、どうしようもない。けど、



「――笑える」



鏡の中のぐちゃぐちゃな俺が、屈託なく笑った。







                             おわり




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元の作詞がいいから、何にでも合いますね! あぁ、好きぃぃぃvv