「嫌ですよ。冗談じゃない」
カカシは目の前に差し出された皿を手で押し退けるなり、見るのも嫌だとばかりに顔を背けた。
「お前なぁ、その歳にもなって好き嫌いもないだろうが。それに、これはお前の元部下がお前のために採ってきたものだぞ」
カカシの手をかわし、綱手は皿を顔面に突きつける。
大部分隠している覆面から覗く右目があからさまに歪み、眉根はこれ以上ないほど潜められた。
「元は余計です。今も、オレの部下です。しかし、まさか五代目にまで手を回すとは思っていませんでしたーよ。あいつらにはもう言ってありますが、もう一度五代目の口から言ってくれませんか? 気持ちだけはありがたく受け取るって」
頑なに拒否を繰り返すカカシに綱手は大きくため息を吐いた。
写輪眼カカシともあろう者が、随分と聞き分けない。
ここのところ頻発にチャクラ切れを起こすカカシを心配したサクラが、新生七班の仲間でチャクラが増幅するといわれる薬草を採りにいった。その薬草の性質上、油と一緒に摂取するのが一番効果的ということで天ぷらにしたのだが、よりにもよってカカシが唯一食べられないものだったとは。
「あぁ、玉の小さい男だね! 元部下がお前のために骨を折ったんだ、つべこべ言わず、お食べ!! 火影め」
命令だと伝家の宝刀を抜き掛けた綱手に、カカシはそれよりも早く刀を抜いた。
「先日お貸しした金とそれ以外に立て替えていた金、総額一千万両になりますかね?」
喉元に突きつけられた言葉の刃に、言い掛けた言葉が引っ込む。
一千万両はいくら何でも言いすぎだろうと、早くも冷や汗が滲む綱手にカカシは絶対零度の視線を向けてきた。
「あぁ、すいません。一千五百万両の勘違いでしたね。明細がご所望でしたら今すぐにでもご用意致しますが?」
そのときはきっちり全額返済してもらうと言外に匂わせてきたカカシに、綱手は黙り込むしかなった。
持っていた皿を執務机に置いたところで、カカシは気配を和らげ、もうしばらく待ちましょうと笑みさえ浮かべた。
可愛い愛弟子のサクラに頼まれ、任せとけと大口を叩いたこともあり、非常に示しのつかない結果となってしまった。
この男に弱みを握られている時点で、綱手に勝てる見込みはなかったのだと諦めかけたそのとき、名案が閃いた。
綱手の弱みは、カカシにした借金だ。ならば、カカシの弱みは?
にやりと笑みを浮かべた綱手に何か感じるところがあったのか、カカシの眉が寄る。
綱手の思惑を阻止しようと口を開いたカカシに、綱手は人相悪く微笑んだ。
「おや、イチャパラの愛読者であるお前がこんな絶好の機会を逃していいのかい?」
綱手の一言に眠たげな眼が驚きを持って見開かれた。
その考えはなかったと驚愕の叫びを瞳に宿らせるカカシに、綱手は駄目押しした。
「お前のかわい子ちゃんには火影命令だとでも言っといてやるよ。……あんまり無体するんじゃないぞ」
やる気のない通常モードから突然たぎり始めたカカシを生ぬるい目で眺め、綱手は思った。
男ってのは単純だねぇ。



カカシはイルカのアパートのドア前で、溢れんばかりの興奮と期待と劣情を抱えて佇んでいた。
覆面をしていても鼻に届く、カカシの大嫌いな油の臭いは、今日だけはふくよかな匂いを立ち上らせるバラの香りにも等しい。
自然と呼気が荒くなる自身をどうにか押さえようと試みるが、カカシの脳裏に繰り広げられるバラ色の妄想で無駄な努力に終わった。
あーんなことや、こーんなこと、いやいやああいったこともやってくれたりなんてしちゃってっっ。
台所にイルカの気配はない。火影命令ということもあり、準備を全部終え、居間でカカシの帰りを待っているのだろう。
「口移しで食べさせ合いから、恥ずかしがるイルカ先生の男体盛りで、くんずほぐれつつ行きましょうかー!」
イルカ先生たっだいまーと言ったつもりで本心を暴露しつつ扉を開ければ、外では感じられなかった緊迫した空気がカカシを包み込んだ。
可愛いイルカ先生に目が眩んだ男が入り込んだかと、靴を脱ぎ捨て、飛び込むように居間へと踏み込んだカカシの目に、異様な情景が飛び込んできた。
「イルカ先生…?」
思わず声を上げ、ただならぬ気配の発生元になっている人の名を呼ぶ。
居間のちゃぶ台前に正座し、イルカはあるものと向き合っていた。
カカシの大嫌いというより、そのものの存在自体の抹消を願って止まない天ぷらの大盛り合わせと、丼に高く盛られた混ぜ混みご飯の二つ。
対するイルカは、いつも額に巻いている額宛を解き、代わりに真っ白い鉢巻を締めていた。
決死という表情を張り付かせ、言葉もなく二つの物と対峙しているイルカに、カカシは声をかけるのを躊躇いながらもそっと呼びかけた。
「……あの、イルカ先生?」
カカシの呼びかけに、イルカは今気づいたとばかりに体をびくつかせ、視線を向けた。
真正面から見たイルカの顔色はとてつもなく悪い。青色を通り越して土気色になったその顔で、イルカは口端を持ち上げ、おかえりなさいとか細い声を出した。
「う、うん。ただいま。あの……イルカ先生、どうしたの? オレのは分かるけど、なんでまたイルカ先生の唯一食べられない物を」
「それ以上は言わないで下さい!!」
カカシの言葉を遮り、イルカは苦悶の表情をさらけ出した。
どことなくイルカの息が荒い。どうにか落ち着きを取り戻すと、イルカはすいませんとカカシへ疲弊しきった顔を向けた。
「取り乱しました…。火影さまから聞いてます。あなたにこれを食べさせろと、しかも、全て食べさせろという……」
くっとイルカは呻き、眉根をこれ以上にないほど寄せ、苦しさに耐えきれないとばかりにカカシから顔を背け、力強く握った拳を畳に打ちつけた。
「いくら任務とはいえ、カカシさんだけに、こんなむごいことはさせられません!! 俺も男です。あんたが食べるというなら、俺だって一緒に、食べます…!!」
顔を上げ、悲壮感でいっぱいになった瞳に涙を滲ませ、カカシの手をぎゅっと握りしめてきたイルカはとても愛らしい。文句はいっぺんたりともないのだが。
……なんか思っていたのと違う。
まるでこの世の絶望を嘆いているかのようなイルカに、カカシはどこか置き去りにされた感を覚えた。
それでもここへ来るまでに妄想しまくったあれやこれをふいにしたくなくて、カカシは拳を握った。言おうとした。己を奮い立たせ、まずは口移しからのくんずほぐれをしましょうと、口を開いたが。
「なら、食べさせ合いっこしましょう。あなたの手でならば、オレの苦痛も和らぎます」
「……カカシさん!!」
カカシの一言にイルカは感激し、耐えていた涙をその瞳からこぼす。
カカシはここぞという時に限ってイルカの前でだけ紳士になる癖があった。
そのおかげで、交際し始めて半年は経つというのに、二人の間に肉体関係はなかった。
オレのばかぁぁぁっぁぁぁ。
心の中で滂沱の涙を流し、カカシは土気色をしたイルカと向き合い、お互いに食べさせ合うのだった。



翌日、二人は寝込み、お見舞いに現れた新生七班のメンバーに、ごめんってばよと悪いことをしたと顔にありありと書かれた三名から謝罪を受けた。
ちなみに食べた直後、二人で交互にトイレに行き、全て吐いたため、カカシはチャクラの増幅はおろか、思っていたイチャパラとは違う現状の失意と、トラウマな物を一生分食べた衝撃と胸焼けで一日中使い物にならなくなり、初めて任務に穴を空けた。
それから以後、カカシの前に天ぷらを出すなという火影命令が密かに下ったらしい。



おわり




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2014/05/17





食べられない