「さぁ、食ってもらいますよ、カカシさん」
エプロン姿で出迎えてくれたイルカに鼻の下を伸ばしかけたのも束の間、イルカが捧げ持つ皿に鎮座した物体に気付き、カカシは内心そうきたかと呻いた。
今日、五代目火影の綱手から呼び出され、とあるものを食べろと強要された。
あるものというのは、すぐにチャクラ切れを起こすカカシには最適の、チャクラ量を増幅する効能のある薬草の天ぷらだった。
油と一緒に摂取した方が効果があるなどと言っていたが、カカシとしては天ぷらにした時点で食べ物ではなくなっていた。
食えという綱手と嫌ですと拒むカカシ。
そのやり取りで半日を費やし、頷かなかったカカシに腹を立てた綱手はカカシの弱みに付け込むことにしたらしい。
執務室を出る時に、「絶対食わせるからな」と額に青筋を立てていた綱手を思い出し、カカシはため息を吐いた。
ここで決着をつけなければ、次はどんな手でやってくるか分かったものではない。
カカシは後頭部に手を回しがりがりと掻く。五代目火影に頼まれ事をされたならば、真面目なイルカは引くはずもない。
絶対食べさせると挑むようにこちらを睨むイルカを前に、カカシはいいでしょうと頷いた。
「了見は分かりました。……しかし、オレからも条件があります」
「は、……条件?」
イルカの顔が不可解気に歪む。カカシはそうですとおもむろに頷いた。
一度やって以降、その後はけんもほろろに頑なに断られ続けられたことをついに実現するときがきたと、カカシは目を輝かせ切り出した。
「イルカ先生の耳掃除をさせて下さい!!」
もちろん両耳ですよと握り拳を作り、カカシは興奮も露わに一歩前に踏み出した。
己の中では食べ物とは到底言えぬ、気持ち悪いものを食すには破格と言っていいほどの条件だろう。イルカにとっては、綱手に顔も立つし、耳も綺麗になるという一石二鳥のお得な提案。
ついついイルカには甘い顔を見せてしまうと、暗部時代では鬼とも悪魔だとも後輩たちに恐れられ呼ばれていた自分が丸くなったことと、その変化を与えたイルカへの傾倒ぶりを目の当たりにして照れていると、イルカは茫然としていた開けていた口を閉じるなり、分かりましたと呟いた。
「カカシさん」
「オレの優しさに惚れ直した?」と軽口を叩く寸前、イルカは満面の笑みを浮かべた。
「食べなくていいです」
「――はい?」
あれ、幻聴かなと聞き返したカカシに、イルカはにこやかな笑みを浮かべもう一度はっきりと言った。
「食べなくていいんです。カカシさんには今後一切、天ぷらを出しません。俺が間違っていました」
言い切った後、くるりと背を向け、今日の夕飯は肉じゃがですよと居間へと引っ込むイルカへ、カカシは叫んだ。
「なんでですか、どうしてですか!? 耳掃除させてくれたら、オレは食べると言っているんですよ!? そこでどうして諦めるんですか!」
諦めてどうする、それでも教師なのかとイルカの肩を掴み揺さぶるカカシに、イルカは眉を潜め、顔を背ける。
「いえ、いいんです。俺が間違っていたんです。カカシさんが嫌い抜いているものを無理矢理食わせるということ事態、間違っていた事なんです!!」
必死にカカシと目を合わさないようにするイルカの顔は青ざめ、脂汗とも冷や汗とも判断付かぬ汗が流れていた。
一体全体何故、どうしてそういう反応を示す。
目を泳がせ、小刻みに体を震わせ、これは明日綱手さまに返しますと元々入っていたタッパに戻すイルカの態度に、カカシは解せないとばかりに足を一歩踏み出せば、イルカはハッと息を飲むなり、カカシの足元に滑り込んだ。
「本当に本当に俺が悪かったです! もう二度とカカシさんには天ぷらを食わせようとは思いません!! 本当にすいまっせんしたぁぁぁぁ」
綺麗に正座し深く深く頭を下げ、畳みに額を擦りつけんばかりに言い切るイルカの見事な土下座ぶりに、カカシはイルカの真意を汲み取った。
そんなに、オレに耳かきされるの、嫌なの?
試合に勝って、勝負に負けた。
そんな言葉がカカシの脳裏に流れる。
密かな敗北感に侵される中、イルカの声がこだました。
「本当に、本当にすいまっせんしたぁぁぁぁぁぁ!!!!」
(後日談)
「お前なぁ。耳掻きくらいで何諦めてんだい」
それでも男かいと先の頼み事の不履行で綱手の叱責を受け、イルカはお言葉ですがと反論を展開した。
「綱手さま、耳かきをする時、どんな道具を使用されますか?」
真面目な顔で質問を投げかけるイルカに、綱手は片眉を跳ね上げると藪から棒になんだいと文句を交えつつ答えた。
「耳かき棒だ。それが何だい?」
十人いればほぼ十人同じ答えが返ってくるだろう問いだと断定する綱手の態度に、イルカは乾いた笑いを浮かべる。
嘲笑ではなく、途方に暮れたと感じさせる笑みに、綱手は不可解な表情を張り付ける。イルカは分からなくて当然だと言うように一度頷き、言った。
「はたけ上忍の耳かき道具は、二十種類を超えます。ちなみに所要時間は片耳四時間です」
「……は?」
それは何だとあからさまに顔を歪める綱手に、イルカは乾いた笑みを崩さずに怒涛の如く喋り始めた。
「おかしいですよ、狂ってるんですよ、完璧なまでの局部潔癖症、いえ耳フェチと言い換えてもいいですよ!! しかも、俺だけ限定の最悪な所業ですよ! 自分の時はものの数分の癖して、なんで俺だけ四時間なんですかね、四時間、四時間あれば授業計画書幾つ書けますかね、受付の書類何枚くらい処理できるんでしょうかね!? だいたいねちっこいんですよ、手つきから道具の動かし方から全てがねちっこくて変な意志があるんです。普通耳の中ちょちょいって掻くだけでいいですよね。耳垢だってそうそうあるもんじゃないのに、あの野郎一体何をしてんですかね!? 人の耳の中見ちゃふーふーふーふー荒い息発して、『ここがいいの?』やら『こんなにしちゃって悪い先生』とか訳分からん事言い始めるわ、取った耳垢を瓶に詰めてうっとり眺めるわ、耳のマッサージとか言って見たこともない道具突っ込むわ、だんだんアレがでかくなってくるわ、あんな、あんな体験、俺は二度とごめんなんです!!」
目の前に机があったら叩いたであろう気迫を滲ませ、涙目で綱手を睨むように視線を向けたイルカに、綱手はしばし唖然としていたが、おもむろに瞬きするなりそうかと小さく呟いた。
「お前の主張は十分分かった。だがな……それで、はいそうですかと頷く訳にはいかないんだ。すまんな、イルカ。これも里のためだ」
突然の謝罪に、イルカは嫌な予感を覚える。
直後、頭にひらめいた最悪の事柄を問い質す寸前、執務室をノックする存在が現れた。
「失礼しまーすよ」
独特の間延びした声と気配に、イルカの血の気が引く。
綱手の入室許可を待たずに戸を開けた存在を、視認するより早く、その人はイルカの肩を掴んだ。
「約束通り食べたんだから、連れて行きまーすねっ」
どこか弾む声音にイルカは恐怖にわなないた。
五代目と縋る思いで視線を走らせる。すると、いつの間にか綱手は背を向け、外を映しだす窓に視線を向けている。
ちょ、それはないだろうとイルカが口を開く前に、綱手ははっきりと言った。
「これが、忍びというものだ。――許せ」
何かかっこいい雰囲気と口調で誤魔化してはいるが、単にカカシの言うことを聞かせるためにイルカを犠牲にしたという話だ。
木の葉の者は皆家族なんですよね、家族を犠牲にするつもりなんですかと非難の声をあげたイルカの声は、里の長に黙殺された。
綱手さまぁぁあぁと執務室のドアに齧りつき、連れ出そうとするカカシの手から必死に抵抗するイルカへ、せめてもの罪滅ぼしに「イルカは明日は来なくていい」と告げた言葉は、カカシを喜ばせ、イルカの抵抗の気力を奪ったことを綱手は知らない。
結果、薬草を食べたことにより、カカシの必殺技ともいえる雷切りの持続時間は一秒長くなり、イルカの勤務欠席日数は一日増えた。
綱手からもらった臨時休日では職場復帰が間に合わず、予定していない休みを取ってしまったイルカは、己の八時間分がカカシの一秒に相当するのではなく、己の二日分がカカシの一秒分に相当すると里には思われているのではないかと、快くもう一日分休めと言ってくれた上司の言葉を思い出し、涙にくれるのであった。
おわり
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カカシ先生勝利を目指したのです。
イルカてんてーごめん…(T-T)
H26/05/17
食べられない(別々バージョン)