きっと明日は幸せ 10(完)

「イルカ先生!!」
「は、はいッ」
真摯な瞳に見詰められ固まる俺を、カカシ先生はおもむろに俺を抱きしめてきた。
え、えぇ?!
身じろいで距離を開けようとする俺に、カカシ先生は逃すまいかと力を込め、叫んだ。



「イルカ先生、好きです!! 俺と真剣にお付き合いしてくださいッッ」
「……は?」
その一言に俺は惚けた返事しか返せない。何の冗談だと、顔を見れば、カカシ先生は口布と初めて額宛を外した。
右目には青タンを作り、口端は切れている。殴り合いの喧嘩でもしたのか、全体的に腫れている顔を晒し、カカシ先生はがばりと土下座した。
「ごめんなさい! 俺、自分で自分のことが分からなかったみたいです。イルカ先生を傷つけて、こんなことを言うのは間違ってますが、言わせてください」
顔を起こし、俺の目を真っ直ぐに見詰めてくる。
いつもの飄々とした、気まぐれ屋の子供みたいだったカカシ先生がこんな一面を持っているなんてと、新しい発見にバカみたいに嬉しくなる。そして、今まで見たこともない激しさで見詰められ、俺は高まる期待に胸が痛くなった。





「俺、先生が、イルカ先生が好きです。先生に『さよなら』って告げられてから、苦しくて、すごく苦しくて、何してても先生のこと考えちゃうんです」
俺もそうでしたよ。何であんなことを言ったのかって、何度も後悔しました。



「何食べてもうまくないし、何しても楽しくないし、先生と一緒にいたときは焦げた料理でも、どんな物でもおいしかったのに、つまらない話題でも腹がよじれるほど笑えて楽しかったのに」
俺も楽しかったですよ。だって、好きな人といれるんだから、当たり前じゃないですか。



「先生が俺のこと『はたけ上忍』って呼んで、作り笑いを向けたとき、ここが裂かれた様に痛んだんです。昼なのに、目の前が真っ暗になって、全身が凍りつきました。その癖、先生が他の人に笑いかけるのを見ると、目の前が真っ赤になって、イルカ先生のことを壊したくなるんです」
俺もそうです。貴方が人と笑い合ってるのを見て、その人とどれほど取って代わりたいと思ったか。嫉妬で目の前が真っ白になりました。



「俺、先生の友人になりたいんじゃないんです。俺は、先生と二人きりになりたい。手を繋ぎたい、肌に触れたい。口付けしたい。どんな声で鳴くのか、どんな顔で感じるのか、俺だけが知っていたい。俺だけの先生をちょうだい。俺、先生のことが好き。誰にも触れさせたくないんです。触れさせるくらいならいっそ」
色違いの瞳が一際強く輝いた瞬間、カカシ先生の手が肩に回った。そのまま背に手を回し、痛いほど抱きしめられ、俺は息が止まるほどの喜びに襲われた。




「――両手両足を切って、監禁してでも独り占めしたい」
ぽつりと耳元に溢された、強烈な告白。
微かに震える手と声音が、それが本音だということを知らせる。
陰惨な任務にも眉根一つ動かさず、遂行する写輪眼のカカシたる男が、こんなもさい男を繋ぎとめようと本音を曝け出している。





そろりと腕をあげて、背中に手を回した。
すべらかな筋肉質の背中を手に感じ、体温に触れ、腕の中にいるのは確かに本物だと確認する。自分のしょうもない、触れられない幻ではないのだと、歓喜に震えた。



捕まえた。やっと捕まえた。もう離したくない、離せない。



「っ、う……」
逆転満塁ホームランだ、いや、人生一度きりのホールインワンだと、胸中で叫び、カカシ先生の肩に顔を埋めた。任務後のせいか、ふわりと汗の香りと血の匂いが鼻腔をくすぐる。
ずっと触れたかった、抱きたかった存在が間近にいる現実に、眩暈がする。幸せすぎて、息が止まりそうだ。




「先生、泣いてるの? …嫌なの、イルカ先生」
背を抱いていた力強い腕から力が抜けた。弱々しい声音に、腹が立ってくる。
体を離そうとするカカシ先生を意地でも離すまいと、力を込めながら、俺は叫んだ。
「おれのこうりょうではからないんですか! かかひせんせの、ねうれうな、こくはふに、おれのしんろーはひにかけふんでんですよッッ」
ずびずびと鼻を啜っていったせいで言葉が不明瞭だったせいか、カカシ先生はしばらく呆然としていたが、意味が通じるなり、引っ付いて離れまいとする俺を無理やり離し、顔を覗きこんできた。
「死にかけ寸前って、どっちですか?! 嫌なんですか、それとも…」
顔は真っ赤で、涙と鼻水の相当みっともない顔を見られるのは、かなり嫌だったが、こちらを覗き込むカカシ先生の不安そうな顔に、俺は一層泣きが入り、大声で怒鳴った。




「うれひいにひまってるへしょッッ! おれはあんたにほれへんだッッ」
おいおい泣く俺の涙を拭い、カカシ先生がへにょりと眉根を垂れ、泣き笑いに近い表情で俺の額に自分の額を合わせる。
「よかった……。もう…嫌われたかと……思っちゃいました……」
ぽろりとカカシ先生の目から真珠にも似た美しい涙が零れ出る。
はらはらと頬に落ちる涙が痛々しくて、俺は自分のぐちゃぐちゃな顔を袖でごしごしと拭い、カカシ先生の涙を優しく吸った。
「せんせ、泣かないでください。先生に泣かれると、俺、痛いです」
労わるように、ちゅちゅっと慰めるだけに顔にキスを降らせれば、カカシ先生が熱に浮かされたように俺の名を呼んだ。




「イルカ先生……」
その切ない声音に、あらぬ妄想が駆り立てられる。
だけど、俺は、カカシ先生に出会って変わったのだ。
そう、心底惚れぬいた相手が、全裸でベッドに入って待っていたとしても、服を己ずから着せて自宅に送り届けてあげられるような鋼の精神力を身につけた、のだ…!!




今日から、俺は変わった。今こそ、ニューイルカの本領発揮を今こそ見せ付ける時!




そっと目を瞑るカカシ先生の頬に手を当て、心なしか唇を突き出すように見えてしまう錯覚を気力で跳ね除け、額にちゅっと音を立てて俺は身を離す。
瞬間、眉根が寄った気がしたが、俺のくだらない妄想だろうと切り捨て、俺はカカシ先生の肩に手を置き、これだけは言っておかねばと真剣な眼差しで告げた。
「カカシ先生。俺は、今まであなたを弄んできた男たちとは違います。――俺は待ちますよ。あなたが俺に体を預けてもいいと思えるまで、ずっと待ちます。だから、安心してください」
ぎゅっとカカシ先生の手を握り、俺は本気だと思いを込める。
幼少の頃受けた傷は決して治るものではない。
いくら忍びとしての才があり、強かろうとも、カカシ先生だって怪我をしたら痛いのだ。それが幼少時、心ない男たちに受けた心の傷だったらそれはなおさらのことだ。




「これが、俺の誠意であり、愛です」
ぐっと両手でカカシ先生の手を包み、視線を注げば、カカシ先生は眉根を寄せ、俺から目を逸らした。そして、そのまま苦悶にも似た表情を浮かべた。
その痛々しい仕草に、胸をはっと衝かれる。やはり幼少時の性的虐待は今でも忘れられない心の深い傷なのだ。
もうそのことは一切触れまいと心に誓いながら、俺はにっこりと笑う。




「カカシ先生、今日は遅いし、寝ましょう。色んなことがあったから疲れたでしょう?」
二番風呂で悪いが、風呂を温めなおし、その間に簡単な食事を食べさせ、戸惑うカカシ先生を無理やり風呂に入れ、出てきたところを捕まえて、俺のトレーナーを貸し、頭を拭いてやる。
途中何度も恐縮したように「イルカ先生」と名を呼ばれ、俺はくすぐったくて、でも帰したくはなくて、俺の寝具の隣に引いた来客用布団に強引に寝かしつけた。





「あ、あの先生? 俺、帰りますよ。その、明日の朝、早いですし」
隣の布団に寝そべり、ぽんぽんと叩いてやれば、カカシ先生がつれないことを言い出した。
それでも俺は今日という奇跡が、明日になって夢だったってことにはしたくなくて、小難しい顔をして少々意地の悪いことを言った。
「カカシ先生、今までの俺に悪いと思うのなら、今日はここで寝てください。俺、カカシ先生にギブアンドテイクなんて言われて、結構っていうか、ものすごく傷ついたんですからね」
「……す、すいません」
上掛け布団を鼻先まで引っ張り上げ、しょげ返るカカシ先生が可愛かった。
だから、俺はもう許してますよと子供にするように額に口付けをして、布団の中にあるカカシ先生の手を見つけ出して、きゅっと握った。




「な〜んて、いうのはほぼ冗談で、単なる俺の我がままです。けど、明日の朝、一人で目を覚ますと、今日のことが信じられないから、だから、今日だけ我がまま許してください。このまま手を繋いで眠らせてください。俺、夢で終わらせたくないんです」
「イルカ先生……」
不意にカカシ先生の目が潤んだのを見て、俺は誤魔化すように笑う。
しばらく俺の顔を見詰めていたカカシ先生だったが、深く息を吐くなり、優しく俺の髪を撫で笑った。
「分かりました。今日は寝ましょう。でも、こうして、ね」
俺が掴んだ手を一回離し、指と指を絡めるように深く手を繋ぎ直した。俗に言う恋人繋ぎというやつだ。
ぼんと顔が赤くなるのを感じながら、嬉しくて何度も頷けば、カカシ先生は「寝ましょう」と手を引っ張る。それに逆らわず、布団に潜り込む。
隣を見れば、カカシ先生がいる。嬉しくて、夢見たいで、ぎゅっと手を握れば、カカシ先生がこちらに顔を向け、微笑みながらぎゅっと握り返してくれた。




本当に、カカシ先生だ。俺たち、恋人になったんだ。
また嬉しくて涙がこぼれそうで、でも、涙でカカシ先生が曇るのが嫌で、俺はカカシ先生を見詰めながら、誘うように忍び込んできた眠気に身を任せた。
でも、せめてもう一度と、俺は眠気に襲われる目を瞬かせ、唇を開いた。




「……カカシ先生、好きです。俺、…絶対、カカシ先生を、幸せにしてみせ……」
最後まで言えたのか分からない。
けど、眠りに落ちる瞬間、柔らかく耳朶に落ちた声音が俺をひどく幸せにした。



「俺も、好きですよ。ずっと一緒にいましょうね」





きっと明日は幸せだ。



朝日と共に、輝く銀色の光に照らされて、目を開ければ、惚れた相手がすぐ側で眠っているのだ。
そして、握られた手は離されていないに違いない。
俺がずっとこの手に握り締めているのは、幸せそのものなのだから。






                                        おわり




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これで、「きっと明日は幸せ」イルカ編、完となります。見てくれてありがとうございました!!