ずっと今日も幸せ 10

「イルカ先生、好きです!! オレと真剣にお付き合いしてくださいッッ」
紅とアスマが去ってから、オレは言った。
ここまできたら、言うしかないとオレは全て話した。先生がさよならを告げてからのこと、先生がオレのことを名前で呼んでくれなくなってからのこと、どう思い、どう感じ、先生とどういう関係でいたいかを隠さずありのまま喋った。
そして、
「両手両足を切って、監禁してでも独り占めしたい」
心に望む、強い願望を口にした。
望みではなく、本当にやってしまうであろうオレは、やはりどこか狂っているのだろう。
闇を鎮めてくれる先生がいても、オレ自身の闇は、生きている間付きまとう。囁く闇は消えやしない。それはもう一人のオレ自身だと知ったから。
抱きしめた先生の体が身動きを止めた。



「先生、泣いてるの? …嫌なの、イルカ先生」
尋ねるオレの中で、闇の中のオレが笑う。
ねぇ、拒んでよ、先生。そうしたらオレは先生の手足をもぐよ。何処にも行けないように閉じ込めて、一生オレが飼ってあげる。
抱きしめる腕から力を抜いた。逃がすためではなく、捕えるために。
闇の囁きは、困ったことにオレに抗い難い甘美な幻想をもたらす。
――アァ、ソレハナンテ幸セナ、結末ダロウ。
愉悦が湧きあがり、生唾を飲み込んだ。
信じられないくらいの昂揚感がオレを包む。
その一瞬をこの目に焼き付けたい。先生がオレのものになった瞬間のその表情が見たいと、ゆっくり体を離した。
ホルダーに収まったクナイに手を伸ばす。大丈夫。痛みは一瞬。すぐに傷も塞いであげるから。
ダカラ、コノ手ニ堕チテオイデ。
心地よい体から離れる寸前、



「おれのこうりょうではからないんですか! かかひせんせの、れうれうな、こくはふに、おれのしんろーはひにかけふんでんですよッッ」
力強く背中を引き寄せられ、先生の声が耳元に弾けた。
熱い体と、熱い息。震える腕がオレを落とすまいと抱きしめてくれる。
瞬間、血が逆流するほどの昂揚感に代わり、込み上げたのは、ひどく胸を温かくするもので、それは一瞬息を止めさせた。
さざ波のように満ちるそれに、声もなく立ちつくした。全細胞が一瞬にして引っくり返るような衝撃。そして甘く優しい、痛みのない疼き。
「死にかけ寸前って、どっちですか?! 嫌なんですか、それとも」
心配性なオレが声を震わせる。もっと味わっていたかった癖に、それが勘違いかもしれないから、思い込みにすぎないかもしれないから、夢や幻想だったら堪らないからと、先生の顔を見詰め、嘘がないかを確かめた。
そんなオレを先生は、強く抱きしめてくれた。



「うれひいにひまってるへしょッッ! おれはあんたにほれへんだッッ」
先ほどの比じゃない、甘く優しい疼きの只中へ、真っ逆さまに突き落としてくれた。
落ちたそこは、ただひたすらに柔らかく、優しい場所で。そんな場所に来れた事が信じられなくて、こんな場所があることさえ知らなくて、勝手に涙が零れて困った。
泣きやまないオレを先生は優しい口付けで宥めてくれた。その感触が心地よくて、もっと知りたくて、オレは先生にねだった。
もっとちょうだい。先生をもっと味わわせて。
肉厚の唇の奥にあるそれを、服を剥いだ肌の感触を、誰にも触らせたことのない場所を、全部、全部オレにちょうだい。
はっきりとした肉欲を覚えながら、先生に目を向ける。



「イルカ先生……」
オレに、抱かせて。
名にその色を含め、目を閉じた。先生も求めているのだと知りたくて、先生からの口付けを始まりの合図にしようと待った。
体が震える。唇と唇を接触するだけのことなのに、初な小娘のように胸をときめかせている自分が信じられない。
危機管理という一点で、過去誰ともしなかった行為を先生とできることが無性に嬉しくて、待つ時間さえも甘美なものだと初めて知った。
どうして、もっと早く気付けなかったのだろうと、悔やむばかりだ。
先生が告白してくれた時に、先生の家に入り浸った時に、すぐさま気付いていれば、この感動をもっと早くに味わっていた。そして、先生の欲望に触れたあのとき、二人は今より深い関係になれていた。
体も心も交じり合い、歓喜と官能を二人で味わい、今より強固な絆を築き上げたに違いなかったのに。
過去は過去。今は、これから先を見ればいい。
前向きな考えを瞬時に弾き出した己の変わり具合を笑いながら、それも悪くないと呟いた。
きっと先生もそう思ってくれているはずだから。
そうでしょ、先生?
なかなか来ない先生に語りかけるように、ちょっと唇を突き出せば、先生の気配が近づいてきた。
厚くてごつごつした手が頬を包む、先生の匂いと微かな石鹸の香りを嗅いで、生唾を飲み込んだ。いよいよ、先生と新しい関係が踏みだせると、そのときのオレは信じて疑わなかったのに。
ちゅっと小さな可愛らしい音を立てて離れたのは、オレの唇ではなく狭い額だった。
…はい?
嘘でショ、これからまだ続きがあるんだよねと、辛抱強く目を閉じていれば、信じられないことに先生はオレを引き離した。そして、強固な意志が宿る瞳でひたりと見詰めてきた。



「カカシ先生。俺は、今まであなたを弄んできた男たちとは違います。――俺は待ちます。あなたが俺に体を預けてもいいと思えるまで、ずっと待ちます。だから、安心してください」
ぎゅっと手を握られ、語られた言葉に、内心卒倒しそうだった。
バカな。先生の中で幼少時凌辱説が真実となっているの!? 仮にもオレ、四代目の弟子で六歳には中忍になっていた天才だよ? 幼少時から才能溢れて迸っちゃってる子供いたらVIP待遇が普通でしょう?! それに、アンタ、もしかしてオレを抱くつもりなの!?
しょっぱい顔をすれば、先生は涙で潤んだ目でオレを見上げ、実に可愛い顔で言った。
「これが、俺の誠意であり、愛です」
きっぱりと言い切られた先生の愛の言葉に、胸が切り裂かれるように痛む。
襲ってくださいって言っているような可愛い顔して、言うことがカッコよすぎるのよー!! つぅか、何コレ! お預け? もしかしなくてもお預けってことなのッ。食べてくださいって体投げ出してる子羊ちゃんを目の前にして、お預けって何の罠ッ、誰の陰謀?!
理性が崩壊してしまいそうな、きらきらと輝く潤んだ瞳を直視できず、顔を背ける。あぁ、こんな美味しい状況、普段のオレならばっくりいっちゃってるのにーね!



悶々と脳裏で繰り広げられる十八禁妄想を、切り捨ては投げ、投げては粉砕していると、先生は一転して明るい声を上げ、オレに風呂と食事を勧め出した。
え…。お預けなのに、風呂入れっていうの? 無理です。理性崩壊間違いなしですって、オレの理性試すつもりですか?!
「い、いえ、今日は遅いですし、本当に帰りますよ」
固辞するオレに先生は無邪気な笑顔を見せる。
「遅いならなおのこと、今日はここに泊ってください。食事もまだでしょう? 簡単ですけど用意できますし、まぁまぁ座って下さいって」
水を得た魚のようにきびきびと風呂と食事の支度をした先生は、オレに食事を勧め、風呂に無理やり押し込めた。
あぁ、前のようにいかない。流されまくってる。完全に先生のペースだッ。
混乱しつつも、先生が浸かった浴槽と、つい先ほどここを使っていたであろう形跡が残るそれに、完全に鎮火できなかった情欲はあっという間に高まり、ついつい長湯をしてしまった。
ちょっとした罪悪感を覚えつつ、いい湯でしたと声を掛けるオレ。
「先生、もしかして長風呂派ですか? 俺と気が合いますね」
なんて無邪気な顔で近寄ってくる先生を、頭の中でアンアン言わせてましたとは言えず、風呂に浸かったのが久しぶりで思いのほか気持ちよかったんですと、大嘘を吐いて誤魔化した。
自分の手で処理はしたものの、髪を拭きたいと言いだした先生の大接近に、性懲りもなく暴れ出そうとするそれを上忍の意地と根性でねじ伏せた。
髪を拭き終え、ありがとうございますと言って、帰ろうとするオレの手を引き、先生はあろうことか並べた二つの布団の一つにオレを押し倒し、布団をかけるなり添い寝したではないか!
ダメだ、いかん。このままではオレの不埒な手が、先生を生まれたままの姿にするばかりか、そこここに這い回って、あんなことやそんなことをっっ。
『あ、先生。だ、ダメです、そんな、そんなとこッ』
先ほどの涙目の先生が浮かび、身も蓋もなく喘ぐ姿が過ぎる。



「カカシ先生?」
一瞬、トリップしたオレを心配そうに見詰める先生は、妙な色気を発しているように見える。い、いや、それはオレの妄想のせいで。
高等幻術第一の巻から第四十九の巻を頭で唱えながら、オレは暇乞いを告げるために先生と向き合った。
「あ、あの先生? オレ、帰りますよ。その、明日の朝、早いですし」
瞬間、ぷっと頬を膨らませ、口を突き出す先生に、ぎゅんと胸を掴まれる。自分の気持ちに気付いただけで、先生の何気ない仕草がこうもクるものだとは思いもしなかった。
うっかり見惚れていると、先生は難しい顔を作った。
「カカシ先生、今までの俺に悪いと思うのなら、今日はここで寝てください。俺、カカシ先生にギブアンドテイクなんて言われて、結構っていうか、ものすごく傷ついたんですからね」
先生の言葉に、顔をぶたれた気がした。



「す、すいません」
浮かれていた気持ちが急に萎む。思えば、先生に随分と身勝手な言動を放っていた。申し訳なくて、布団を上げて顔を隠せば、額に口付けをくれた。
思わぬことに、びくりと体が跳ねる。驚いているオレに構わず、先生は布団の中に手を突っ込むと、オレの手を探し当て、ぎゅっと握ってくれた。
怒っていたんじゃないのと窺うオレに、先生はとびっきりの笑顔を見せてくれた。そして、先生は言う。夢で終わらせたくないから側にいてと、先生はオレにねだってくれた。
先生はオレを甘やかせる天才だと思う。
オレが欲しい言葉を真っ先に言ってくれる。オレが望んでいることをさらりとしてくれる。
先生には、敵わないや。
ツンとする鼻を啜り、オレは先生の髪に手を伸ばす。本当は触れてみたかった。
黒くて固い、艶やかな髪。腰のある、流れるような感触が気持ちいい。
先生も気持ちがいいのか、猫のように目を細めている。オレの感じている何分の一でもいいから、先生にもこの気持ちを分けてあげたい。
先生の手が離れないように、指と指を絡ませるように握り、オレは先生とオレの二人の望みを口にする。
先生は顔を真っ赤にして何度も頷いてくれた。
嬉しそうに笑う先生を見るのは気持ちいい。
オレを見て、笑ってくれたならもっと気持ちいい。
お互いに顔を見合わせて、忍び笑いを漏らした。ぎゅっと先生が手を握ったら、オレもお返しに握って、そうしたら先生が握って。
目が合ったら笑って、手を握ったら握り返して、何度目のときだろうか。
だんだんと目が閉じていく先生が、小さな声でそっと囁いた。
それを耳にしたオレは、不覚にも泣いてしまった。先生が寝ていてくれたから、何とか情けない姿は晒さなくてよかったけど。



先生の口から寝息が零れる。
鼻を啜り、零れた滴を腕で拭って、オレは我慢できずに先生の体に覆いかぶさる。
そして、無防備に寝る先生の唇に、そっと口付けた。
重ねるだけの、飯事のような口付け。



「オレも、好きですよ。ずっと一緒にいましょうね」
眠りの中、先生の口端が持ち上がる。幸せそうに笑う顔を見て、胸が一杯になって息が詰まった。
こんなオレでも、誰かを幸せにできるのか。
呟いた疑問は目の前の人が答えてくれている。
溢れる涙を擦り、先生の頬へ口付けを送った。
先生の幸せが、オレの幸せになったらいい。



夜の静寂の中、先生の穏やかな寝息が聞こえる。苦痛の夜はやって来る気配がない。
一瞬躊躇いつつ、先生の布団へと潜り込む。そして、体に腕を巻き付け抱きついた。
胸に耳を当てて、生きている音を確かに聞く。
温かい夜があるということを奇跡のようだと口ずさみ、目を閉じた。



朝日が来て、目を覚ましたら、一番最初にイルカ先生の笑顔が見たい。
黒い瞳を細めて、口を大きく開けて、オレの名を呼ぶ。
それだけで、オレは今日もずっと幸せだと思うよ。
俺もあんたの名前を笑顔で呼ぶから、もう一度、幸せそうな笑顔をオレだけに見せてね、イルカ先生。






おわり





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以上。読んでいただきありがとうございました!