素顔 4
緊急に入った任務を終えたのは、里が夕暮れに包まれる頃。
大門を潜ったカカシを出迎えたのは、カカシ信奉者たちと耳を疑う噂話だった。
「カカシさまのご友人であるガイさんが、アカデミー教師の中忍とおつき合いすることになったそうですよ」
「どうやら中忍先生の方が熱烈に掻き口説いたみたいで、それに応えたみたいです」
「同性であろうとも受け入れる度量は、さすがカカシさまのご友人ですわ」
「類は友を呼ぶっていいますし、きっとお二人とも通じ合う何かがあったんでしょうねぇ」
大門を潜った途端に、周りから帰還祝いの言葉を掛けられた後、カカシの周りに侍るために待っていた美貌のくノ一たちは口々にしゃべり立てた。
任務から帰ったカカシに近寄れる者は、容姿が優れている者のみができる特権という暗黙の了解がある。
大門と言えば、里の内外で一番目立つ場所であり、カカシをより際だたせるためには押さえなくてはならない場所だった。
そのためカカシは地道な情報操作を施し、カカシを慕う者たちが自然にそう対応してくれるよう仕向けた。
カカシの思惑に乗り、美しい者たちはより美しくあろうと努力を重ね、今ではカカシを出迎える美貌のくノ一たちを見ようと見物客まで出るほどとなった。しかし、当然のことだが、それはあくまで前座だ。カカシが登場するまでの場を温める以上の働きはない。
美貌のくノ一たちに出迎えられる、任務直後に関わらず埃の一つすら見られない、平素通りの美しさを溢れさせる、はたけカカシ。
くノ一たちに囲まれ、カカシが大門をくぐり抜けた瞬間、フラッシュがたかれ、黒山の人だかりから失神する声や、カカシを賛美する声が叫ばれることは当然というか、日常の、いや木の葉の里の風景となっていた。
美貌のくノ一を側に控えさせ、事前に有志一同がバラの花びらを敷き詰められた道を踏みしめ、フラッシュの光はカカシをダイヤモンドのように煌めかせる。その様を見た周囲からは、感嘆のため息がこぼれ出る。
今日も完璧な仕上がりだと、カカシとて満足できる首尾だというのに何故かカカシの心は全く晴れなかった。そればかりか、一刻も早くこの場から離れたくて仕方ない。
くノ一たちの話を引き継いで、周りにいるギャラリーまでもがガイの新しい恋人について口々に話し始める現状に、カカシの心はざわつくばかりだった。
自分のらしくない思いに舌打ちをつきながらも、押さえても押さえても沸き上がる苛立ちに、とうとう思うままに行動することにした。
この後は、適当な者にカカシの任務報告を任せ、残りの者たちでカカシを囲む会を行うのが通例だったが、今日はここで解散だ。
カカシが歩く歩幅に合わせて、人山が移動するのを横目で見ながら、カカシの真横の位置を無言で奪い合うくノ一たちから一歩抜け出るなり、綺麗に一礼した。
「ごめんなさい、みなさま。みなさまが私のことを思って出迎えてくれたことは感謝していますが、私を信じ任務を任せてくださった受付員のみなさまに一刻も早く報告をしたいのです」
すいませんと伏し目がちに謝れば、周りの者たちにざわめきが走ったが、周りの反応を窺う時間も惜しい。
何か言う気配を見せるギャラリーに無言の視線で圧力を加え、無理やり黙らせた。
「――では、失礼」
今すぐ飛び出したい気持ちを抑え、なけなしの理性で笑みを浮かべて優美なお辞儀を披露する。
周囲の感嘆の声を聞くのは何よりも己の心を満足させたのに、今のカカシにはどうでもいいことだった。
信奉者たちの賛美の言葉も聞かず、カカシは瞬身の印を切った。
一瞬きする間に、受付所の出入り口前へとやってきた。
この中にいるだろう、唐変木の顔を思い出し、カカシは胸にこみ上げる怒りと共にドアを滑らせる。
直後その目で見たものは、受付を交代するイルカと、それを待っているだろうガイとリーの姿だった。
見た瞬間、頭に血が上った。大門で聞いた噂は真実だったことを思い知った瞬間だ。
別れ際に放ったカカシの根拠もない言葉を信じ、本気でガイと付き合うことになったイルカの馬鹿さ加減が腹に据えかねた。
「ちょっと、アンタ!」
これからガイ先生と修行しに行くんだぁと、頬を赤く染め交代員に告げるイルカを目指し、列を作る者たちを押し退け突っ切った。
「あ、カカシ先生、お疲れさまです。報告は割り込みなしで、きちんと列に並んでくださいね」
カカシを認め、あちらへどうぞと列の後方を指さすイルカに、カカシの怒りはますます煽られる。
「ふざけんじゃないよ!? オレが聞きたいのはそういうことじゃなくて!」
一歩踏み込み、イルカに迫ろうとすれば、その中に割って入る者が現れた。
「……ガイ」
苦虫をかんだ顔で名を呼べば、ガイはイルカを背に庇い、芝居じみたポーズで人差し指を一本突き出すなり、右左へ振った。
それに合わせて舌を鳴らすガイの美意識に掛ける仕草に気を取られるも、その後ろでイルカが頬を赤らめ「ガイ先生、かっこいいっ」と弟子のリーとはしゃぐ姿を見て頭が茹だる。
「うざい、ガイ! オレはイルカ先生に話しがあんの。お前は弟子と一緒にどこへでも行け!」
感情も露わに一喝すれば、ガイはどこ吹く風で軽快に笑い声を上げた。
「何だ、カカシはオレの恋人に用があるのか。だが、残念だが今から三人で修行をする予定だ。またの機会にな」
音が出そうな程のウィンクをこちらに送られ、カカシの頭にカッカと血が上る。
気付けば、カカシは受付所の机を叩き叫んでいた。
「上等じゃないの。オレもそれに参加するーよっ」
******
「……カカシ先生」
恨めしそうな目でこちらを見つめてくるイルカに、カカシは喧嘩腰に言い放つ。
「何よ?」
第3演習場を借り切り、修行の一環で手合わせし、服も体もくたくたに汚れている。
今はガイとリーの師弟が手合わせをしている真っ最中で、カカシとイルカはその見学をしていた。
「何で、毎回毎回修行しにくるんですか? おかげで、オ、レ、の! ガイ先生と手合わせする時間が削られるんですけどっ」
恨みがましい目で見つめられ、カカシの額が蠢く。
「はぁ? オレだっていい迷惑してんのよ! 毎度毎度演習場でガイと手合わせって、どんな罰ゲーム? 見てよ、この泥だらけの服。オレね、こんなに汚れたこと今まで一度たりともないんだけど」
麗しのはたけカカシとしてはあり得ない格好を認め、カカシのこめかみが蠢く。
イルカは何言ってんだこいつという眼差しをカカシに向け、鼻で小ばかにするように笑った。
「はぁ? 手合わせすれば汚れるのは当たり前でしょうに。それがお嫌でしたらどうぞお帰り下さいませ。別に引き留めは致しませんから、ささ、どうぞ」
お帰りはあちらですとカカシの視線を誘導するかのように横切り、演習場の出入り口へと指を差す。
目上に対する態度、いやこの超絶完璧なる存在であるはたけカカシに対してあまりにも無礼な態度に、口元が引きついた。
イルカごときに貶められた屈辱と、泥だらけの服に対する嫌悪感に、思わず怒気を滲み出せば、イルカは怯むどころか挑むようにこちらを睨み付けた。
「上等だーよ、このクソ中忍。稽古つけてやるから来な」
「それはそれは高名な写輪眼さま直々の稽古とは身に余る光栄ですねぇ。……クソえのきが」
「ちょっとぉ!? オレの悪口聞こえてんだけどぉ!?」
「はー? 聞こえるように言ってるんですけどぉ!」
なんだ、やんのか、やるかこの野郎と、至近距離でねめつけること数秒。
次の瞬間、カカシとイルカは立ち上がるや否や距離を取り、同時にぶつかり合った。
「ひっでぇ、この腐れ上忍!! 格下相手に何写輪眼出してやがんだ!!」
「うっさい、忍びにひどいも卑怯もないでショ。悔しかったら一発くらい当てて見な。お尻の重い万年中忍く〜ん」
「んだと、この箒頭! 若白髪! 白髪ねぎ!!」
やんややんやと悪態をつきながらお互いの持てる力全てを出し尽くすべく、ぶつかり合う二人の様子に、リーと組手をしていたガイは満足げにうなずいた。
「青春だな、リーよ」
「はい、ガイ先生!!」
その日の修業は、結局、ガイと一度も手合わせすることなく、イルカはカカシとどつき合ったのだった。
******
「はい、お疲れ! っぷっはぁ! 汗かいた後はビールがうまいねっ」
赤い古提灯が掛かっているおでん屋台の席で、長椅子に座ったカカシはご機嫌にビールを空ける。
屋台の親父は離れたところにある電灯の下で、簡易椅子に座り、新聞を読んでおり、客を始終相手するようなスタイルではないようだ。
おでんの具にはそれぞれ串が刺さっており、皿に残った串で勘定を支払うらしい。酒はビール瓶のみで、会計もその数で計算、あとはセルフサービスでという店みたいだ。
高架下の裏さびれた界隈で、外ということもあり、解放感ありすぎる環境だが、橙色に包まれているのは、屋台とそこに座るカカシとイルカのみということもあり、イルカと二人だけ世界が切り取られたような、そんな感覚に陥る。
カカシには相応しくない店だが、我慢できないことはない。
カカシに続いて、右隣に座っているイルカも負けじと煽るように飲み込み、修行中に切れた口内に染みたのか、声のない悲鳴をあげて身を震わせた。
「あははは、ざまぁ! いい気味〜。このはたけカカシに盾突くから、そんな目に遭うんだよ!!」
わはははと声を大にして笑うカカシに、イルカは悔しそうに顔を歪めながら、悪態をつく。
「結局、一度もガイ先生と手合わせできずに、カカシ先生とずーっとすることになるし、なんなんすか。付き合い始めたカップルに対して気遣いとかできないんすか」
ガイとリーの四人で修業した後、ガイは任務へ、リーは家へと帰っていった。
ガイとあまり触れ合えなくて拗ねているイルカを鼻で笑い、目の前に出された湯気の立つおでんの大根を箸で切り分ける。大根から出汁が染み出、ほくほくとした感触とふんわりと昆布と薄口しょうゆの香りが上り、いかにもうまそうだ。
口に入れれば、思った通り薄味の出汁と大根のうまみが口中を満たし、じんわりと染み渡った。
イルカの行きつけらしく、外観はすこぶる悪いが味は悪くない。
味わうように飲み込んだ後、多大なる勘違いをしているイルカへ視線を向ける。
なんだかんだと共に修行するばかりで、イルカの馬鹿な認識を質すことを今までする機会がなかった。
これも乗りかかった船だ。この、八面玲瓏であるはたけカカシ、自ら、その度し難いほど残念な頭に活を入れてやろう。
ふっと小さく鼻で笑い、カカシはどうしようもないとゆっくり首を振った。
「なーに、言っちゃってんのかねぇ。最初からリーがいる時点でカップルなんて枠組み破壊してるでショ。そもそも、ガイと付き合ってるなんて、そんな荒唐無稽な」
「リーとオレはガイ先生ファンクラブの幹部ですから身内です!! でも、カカシ先生はおもっくそ部外者ですからぁぁぁっっ、赤の他人ですからぁぁ!!」
「あぁぁん!? 喧嘩打ってんのか、万年中忍っっ!! 人が下手に出てりゃ言うに事欠いて赤の他人だぁ?! アンタの大事な生徒を受け持ってるこのオレに向かって何てこと言いやがるっっ」
ぱーんとカウンターを叩き、食って掛かれば、イルカも負けじとカカシへ牙を向けた。
「オレ、公私分けるタイプなんですよ。何が悲しゅうてプライベートでいけ好かない上忍さまの相手しなきゃならないんすか。だいたい、カカシ先生、上っ面ばかりでオレのこと何とも思ってないですよね?」
ふんすーと鼻息を荒く吐き出すイルカに、カカシは一瞬怯むも、それは過去の事だと声を大にする。
「そりゃ、始めはそうだったけど、今は違う! オレが必死こいて作ったイメージを地に落とすばかりか、アンタ、ちっともオレに羨望の眼差しを向けないし、これでどうやって何も思えないでいられるのよ! あのね、だいたいオレがこーんなに素に近い状態で話せるのって、本来あり得ないから。これ見せてる時点で特別ってことでショーが!」
顔を近付け至近距離で言い放てば、イルカの眉根が緩む。そればかりか、驚いたように目を見開き、ついでに我に返ったように身を引いた。
何だか避けられたようで面白くなくて、後ろに下がるイルカに合わせて身を近付ければ、焦った気配を曝け出して顔を隠すではないか。
意味不明な行動に出るイルカが不思議かつ面白くなくて、顔を隠す腕をつかんで無理やり下ろした先で、思わぬものを目にした。
イルカの顔が真っ赤だった。
よっぽど何か赤くなる要素があったのか、耳はおろか首筋まで綺麗に染まっている。
「……どしたの?」
想像していなかったイルカの反応に呆気に取られて、茹った頭の熱が引く。
冷静に問えば、イルカはなおも恥じるように顔を俯けて、蚊の鳴くような声で訴えてきた。
「ちょ、ホント勘弁して下さい。手、放して」
きゅっと眉根を寄せて、目を閉じたイルカに調子を狂わされ、カカシは思わず手を離す。
途端に、イルカは両手で顔を隠し、カカシと向き合っていた体をカウンターに向きなおると、呻き声をあげた。
カカシから見える、真っ赤になったイルカの耳を見ながら、なんとなく座り心地が悪いような、妙に浮足立つ自分を不思議に思いつつ、カカシも体の向きを直した。
それでも、横目でちらちらとイルカを見てしまう己に戸惑っていると、ようやく落ち着いたのか、イルカは顔から手を退けて深呼吸を数回した後、カカシへ向き直った。
「カカシ先生!」
「な、なに?」
突然呼びかけられ、思わず体が跳ねる。
どきどきと早鐘をうつ鼓動に気を取られつつ、イルカの動向を探っていれば、イルカは至極真面目な顔つきで、勢いよく頭を下げた。
「今まで、誠にすいませんでした!!」
いきなりの謝罪は、カカシの鼓動を悪い意味で跳ねさせた。
身に覚えのないことで謝られると、逆に居心地が悪くなる。
視線が左右に散る己を自覚しながら戸惑っていれば、イルカは頭を下げたまま、喋り始めた。
「オレ、カカシ先生に嫉妬してたんです。何もかも完璧で何もかも優秀で、しかも顔もいいわ、地位もあるわ。おまけに性格は謙虚で、でもすごく頼りになる上忍だって聞いて。……カカシ先生が子供たちについたらオレなんてすぐ忘れちまうんだろうなとか、カカシ先生に比べられてオレの存在なんて大したことねぇしって、考えれば考えるほど自分が情けなくて、どうしようもなくて……でも、そんなのオレのくだんねぇ感情だからって押し殺してたら」
ずっと小さく鼻をすする音が聞こえてきて、散らばっていた視線が止まる。
剛直に縛った一本髪が小さく震える様を見ながら、訥々と語るイルカの言葉に耳を傾けた。
「実際会ったら、カカシ先生は確かに完璧で気品があって、頼もしいオーラも纏ってて……。でも、子供たちは別として、オレのことちっとも見てなかった。オレみたいなちっぽけな奴はアンタにとっちゃ、取るに足らない人物なんだって自覚したら、もう悔しくて。意地張っちまって。そっちがその気ならオレだって、て、張り合っちまって、ガキみたいな嫌がらせしちまって」
イルカの言葉で初めて思い出した。
子供たちと初顔合わせの前に、確かにカカシはイルカと会った。
取るに足らない引き継ぎで、愛想笑いで適当に会話を流した。イルカはあのとき、カカシが全く気に掛けていないことに気付いたのだ。
自分の信者ならばリップサービスも少しは気に掛けてやるくらいはするが、数少ない友人たちを除き、それ以外はカカシにとって土塊も同然だ。
今まで悟らせたことはなかったが、さすが教師になっただけはあるということか。
しかも、子供たちに話した肥溜め云々は嫌がらせだったとは驚きだった。
確かに聞いたことのない話で、今考えれば嘘くさいことこの上ないのだが、イルカのあの話の持っていきかたといい、その後の自然な演技といい、カカシには全く見破れなかった。
この中忍できると、日々演技の勉強もをこなしているカカシは、その自然派演技の質の高さに慄いていれば、イルカは腕で顔を擦り、続けた。
「そしたら、何か知らないけどカカシ先生、オレに構ってくるし。興味ないくせに何て嫌味な奴だって嫌がらせ続行してたら、カカシ先生、いつの間にかオレのことちゃんと見てるし、おまけに特別なんて言ってくれて……」
ぐずぐずと湿っぽい音を立てながらイルカは一息に言う。
ひっくとしゃくりあげる肩を何となく摩りたくなる。それよりも肩に腕を回した方がいいのかもしれない、いや、そんな接触おかしくないかと、イルカに向かって手を伸ばすか伸ばすまいか悩んでいると、イルカはぐっと跳ねる息を抑え込み震えを止めた。
「オレ、本当情けなくて……。カカシ先生は真正面から向き合ってくれてるのに、オレ、ガキみたいだって、今、すんげー恥ずかしくなって」
あぁ、それで顔真っ赤になったのねと、カカシは赤面の理由に納得した。そのとき、どこか残念な気持ちもあることに首を捻っていると、イルカは深く頭を下げた。
「本当に、本当にすいませんでした。カカシ先生に失礼な態度を取り続けたこと、申し訳なく思っています。それに、上官の方に対する言動ではありませんでした。カカシ先生の気の済むまで殴るなり蹴るなり、煮るなり焼くなりしてください。申し訳ありませんでした!!」
そう言い切った後、身動きもせずに頭を下げるイルカに、思わずため息が零れ出た。
不快のため息と取ったのか、微かにびくついたイルカに、カカシはこっそりと小さく笑った。
何というか、真っすぐな人だーよね。
カカシに向けられている無防備な丸い頭を見て、そういえばと思い出す。
居酒屋でイルカとガイ、リーと四人で飲んでいた時、ガイに頭を撫でられて喜んでいたイルカの姿を。
何となく。何となくその頭を撫でたかっただけ、そんな言い訳をしながら、カカシはイルカの頭に手を乗せて、わしわしと撫でまわす。
結った髪のせいで、髪の毛の質を楽しむことはできなかったが、触れた手には、硬くて真っすぐな、まるでイルカの性格を模したような感触が伝わってきた。
突然頭を撫でられ硬直するイルカに、カカシはくすりと笑うと、ぽんぽんと宥めるように肩にも触れる。
「あのねー。アンタ、悲観しすぎ。それに頭悪すぎ、先走り過ぎて回り見えてなくて、任務時にもへましそうで怖いし、人の話聞いてんのかって怒りたくなるし、突然の謝罪ってどうなんだとか、場所が悪すぎるとか、アンタ、言わなくていいことバンバン言うし、その割には演技うまくて侮れないし、それでも真っすぐすぎていつか自分で掘った穴に嵌りそうで今から心配になるし、こういうところが万年中忍なだけあるっていうか、これは事実だからかとか、色々と思うところはあるんだけどさ」
カカシの言葉にふるふると違った意味で震え出したイルカの素直さが微笑ましくて、カカシは自然と口元に笑みを浮かべる。
「さっき言ったでショーが。アンタはもうオレの特別なんだって。今更、猫かぶられたって、気持ち悪いだけなのよ。いつものように食ってかかってきなさいよ。どうしても罰が必要なら、それを罰にする。アンタは今まで通り、真っすぐオレに食って掛かってきな。これ、上忍命令ね」
軽い調子で言えば、肩に入っていた力が抜けた。
それを機に、顔を上げなと下から顎を掴んで上に上げれば、眉根を寄せて、瞳いっぱいに涙を浮かべている間抜け面が現れる。
「ぶっさいくだーねぇ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を笑い、傍らにあったおしぼりで顔を拭けば、痛い痛いと文句を言ってきた。そうそう、そういう意気でなくては。
「もう! 自分で拭けます!! ガキじゃないんですからっっ」
「あら、そう? イルカ先生、オレに嫌がらせするくらいガキじゃないの」
間髪入れずに言えば、イルカの顔が真っ赤に染まる。
不服そうに睨まれた視線が心地よくて、それに免じておしぼりを手に持たせてやれば、イルカは無言で顔を拭き始めた。
くすくすとそれを見ながら笑っていると、イルカの口が心なし尖る。
「笑い過ぎですよ、カカシ先生。それ以上笑ったら、あることないこと言いふらしますよ」
調子が戻ってきたイルカに、笑みを浮かべて答えてやる。
「へ〜、どうやって? 言っとくけど、オレ、完璧だから。悪い噂の一つや二つどうってことなーいよ」
自信満々に言うカカシに、イルカはにやりと笑みを浮かべる。その笑みがあまりに堂が入っていて、内心怯んでいれば、イルカは勝算のある口調で告げた。
「カカシ先生の張りぼて有効範囲は把握済みです。上層部にはそれ、通じてませんよね? だったら、如何様にもできますよ。半年後、とびっきりの恐妻の婿になる未来が目に浮かびます」
最後はあはははと爽やかな笑みで告げられ、カカシはドン引いた。恐い。素直にそう思う。
「やっぱりアンタ、転がってもただでは起きないよーね。本当、オレの演技なんてアンタに比べたら赤子みたいなもんだよ。この調子でアカデミーの子供たちも騙してんのー? 悪い先生だーねぇ」
「それはそれはお褒めいただきありがとうございます。けど、オレよりカカシ先生の猫かぶりの方が素晴らしいかと。ただ、幻術多用してると任務でへましますよ。ただでさえ、カカシ先生チャクラ量少ないんですから」
お互いカウンターに向きなおり、残っていたビールを一口口にする。
そのまま無言になり、次の瞬間、同時に互いの両手に指を入れ、力比べに移行する。
「ほぉー、万年中忍が言うね。アンタ、今日の手合わせでかすりもしなかった癖に、このオレによく言えるよーね」
「言っておきますけど、掠ってますから。自信満々のところ悪いですけど、アンタの右腕に消えない摩擦痕残してますから。つぅか、アンタ、いっつも新品同様の服着てるけど、どうなってんすか。考えたくないですけど、捨ててるんですか?」
「当たり前でショ。この、完璧なオレが身にまとうのは常に新品以外あり得ないのーよ。言っておくけど、それだけ稼いでるから、薄給中忍にはわからないほどオレ、稼いでるからね」
痛いところをついたのか、イルカの顔が情けなく歪む。その瞬間を見逃すカカシではない。
押し合い圧し合いしていた一瞬をつき、体勢を崩したイルカを長椅子に押し倒した。
「ちくしょー、また負けた!!」
「あはははは、当然の結果だーよね! 何てたって、オレ、はたけカカシだから!!」
悔しそうに叫ぶイルカの太ももに乗り、完全に封じ込め、カカシは口元に右手を当て、腰に左手を置き、高笑いする。
「アンタなぁ……。まぁ、その通りなんですけどね。やっぱ、カカシ先生、鍛えてますよね。手合わせしてる時も思いましたけど、見た目は細っこいのに結構ガタイいいですし」
胸板厚いっすよねと下から見上げられ、カカシはさもありなんと頷く。
「男は胸筋あってなんぼでショ。でも、これ以上筋力つけないようにしてんだーよ。オレ、力勝負より早さ勝負だし、その方が華麗だしーね。そういうアンタは見た目より細っこいね。着ぶくれする性質?」
ここら辺もっと肉ついているかと思ったと、腰を掴み上げる。
「そうですよ。オレ、なんでか筋肉つきにくい性質らしくって、これ以上太くならないんですよ」
支給服の下にある腰は、女ほどの細さはないが、思ったよりくびれがあった。カカシほどではないが鍛えられている体に、内勤にしてはいい体だと腹筋を確かめるように指を這わせた途端、イルカの口から声が飛び出た。
「ひぁ!」
予想外に愛らしい声に驚き見下ろせば、イルカの顔が真っ赤に染まる。
ぐっと唇を引き締め、羞恥に涙目になるイルカは、何だかおいしそうだった。
「あ、ごめん」
おいしそうって何だと、自分の心の声にビビり、イルカの体から慌てて退く。このまま座り続けていれば、何かまずいことに気付きそうで恐かった。
平常心、平常心と呟きながら、素知らぬ顔でビールを飲んでいると、イルカは照れ臭そうに鼻傷を掻いていた。
「変な声出してすんません。へその周り、弱いんです」
突然のカミングアウトに硬直してしまう。弱いって、弱いって。
ぎぎぎと錆びついた機械のようにぎこちなくイルカへ向けば、イルカはタコの足を口に運びながら、話を変えてきた。
「それにしても、こうやってカカシ先生と二人っきりで飲めるようになるとは思ってませんでした」
先ほどの気まずい空気を感じさせないそれに、何となく惜しい気もしつつ、カカシも調子を合わせる。
「……そう? オレは、アンタと飲もうと画策していたところあったんですけど」
カカシの暴露に、イルカは驚いた表情を見せる。
「え、そうなんですか? 気付きませんでした」
「……それは嫌がらせじゃなかったのか」
演技か天然か、全くもって見極め難い。
はてと首を傾げるイルカに、カカシは振り回されそうだという予感をひしひし覚えていると、イルカはふっと小さく笑って、カカシを見た。
その目はどこか気安く、イルカがカカシと向き合おうとしてくれることを感じさせた。その事実がこそばゆい。
イルカはくすくすと笑いながら、カカシを見る。
「オレね。猫被ってるカカシ先生より、今のカカシ先生の方が好きですよ。またこうやって飲みに行けたらいいですね」
衒いのない「好き」という言葉は、今までカカシが聞いてきた中で一番心地よく、胸を躍らせるものだった。
何となくイルカの目を見つめていられなくて、反らしながらぶっきらぼうに返す。
「行けたらいい、じゃなくて、行くんだーよ。オレの素を見せたからには付き合ってもらうーよ」
別にアンタじゃないとダメっていうことはないけど、オレだって気軽に飲みたいし、アンタの方が気を遣わなくて済むっていう単純な理由だから勘違いしないでよねっと、一息に言い切ったカカシの耳に思わぬ言葉が飛び込んできた。
「え? いつもは無理ですよ。だって、オレ、ガイ先生と付き合ってますし、何においてもガイ先生優先ですから」
からりとした笑みを浮かべ、イルカは言い切る。
だからたまにとかになりますねと、この話は以上で終わりだという空気を醸し出すイルカを、カカシは信じられない目で見つめる。
「ア、アンタ、本気でガイと付き合ってるの? 言っておくけど、オレの言葉を真に受けたっていうか、オレへの当てつけが大部分のとこでショー!? ガイにはオレから言っておくから、その認識改めなよ!?」
カカシの言葉にイルカはきょとんとした顔を向ける。まるで思いもしなかったという反応に、カカシは嫌な予感を背負う。
「は? それはそれ、これはこれで、カカシ先生とは全く関係ないですよ。ガイ先生に何言うつもりなんですか。やですね。オレとガイ先生、交際一週間目の出来立てカップルですよ。明日だって、ガイ先生と早朝ランニングと、放課後は夜景の綺麗なコースランニングする約束してるんです。しかも、今回はリー抜きの、正真正銘の二人っきりのランデブーですから」
心底嬉しそうに予定を告げるイルカに、カカシの腹の底でどろりとした感情が渦巻く。
濁ったような、それでも激しい感情であるそれに気付いた時には、口が勝手に動いていた。
「それ、オレも参加するから」
「は?」
「それ、オレも参加するって言ってんの!! 言っておくけど、上忍命令! 拒否権はないからねー!!」
「はぁぁぁぁ?」
言い切った後、我関せずと飲み食いし始めたカカシの隣で、イルカは騒ぎ始めたが、カカシの耳には全く届いていなかった。
今、カカシが思うのはただ一つ。
こいつらの謝った認識を根底から切り崩してやる。
強固な決意を固めたカカシは、明日からイルカの予定を把握しようと心に誓うのだった。
「アンタなぁ! ちょっと聞いてんのか!? 邪魔だって言ってんだよ、おい、この腐れ上忍がぁぁぁぁ!!!!」
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カカシ先生に微妙な変化。そして、ここのイルカ先生は案外強か路線です。