夢(後編)
「おーーーーーい、イッルカー!!!」
「どうだったよ、お誕生日休みはっっ」
今日は午前の受付勤務のみの予定だ。
受付所に入るなり、夜勤を変わってくれた同僚が変なテンションで突撃してきた。
「昨日はさぞかし、熱い夜を送ったんだろ??」
「そうそう、相手はあの夜の帝王だからな、辛かったら交代してやってもいいんだぜ?」
声を潜ませ、耳打ちしてきた言葉が意味不明だ。
朝から訳分からないことを言う同僚たちの頭を叩き、引き継ぎはと促す。
「何、言ってんのか、理解できねーよ。ほら、何か引き継ぎ事項はないのか? お前ら、貫徹で疲れてんだろ。さっさと帰って寝ろ寝ろ」
引き継ぐことは特になしとの連絡に、さっさと帰れと手を振った。
「つれねーのーなー」「なー」とぶすくれて帰途の準備にかかる同僚に、そういえばと口を開く。
「……休み、ありがと。誕生日祝い、嬉しかった」
朝の喧騒に紛れるように聞こえるか聞こえないかの声音で言ったのに、残念ながら耳敏い同僚の耳には漏れなく届いたようだった。
「もー、なんだよー、いっるかー!!! 今日はやけに可愛いじゃねーかっ」
「なんだ、なんだ、どういう心境の変化だよー。自分の誕生日の話振られると不機嫌になっていたお前だったのにーーー」
二人から囲まれ、頭やら肩やらぐりぐりと撫でられ、おれは悲鳴を上げる。
「べ、別に何でもないって!! ただ嬉しかっただけだって……。も、よせ、お前らッ、とっとと帰れッッ」
「わー何何、本当に可愛くなってどうしたんだ、お前ッッ」
「これも技師効果か?! さっすがー、やっぱ里の技師は違うねー」
同僚たちが口々に口笛を吹いた途端、どぎつい殺気が辺りを充満した。
小さく悲鳴を洩らした同僚たちの後ろに、影を見て、任務帰還者だと判断した。
恐怖で固まる同僚たちの手を押しのけ、ついでに体も横に押しのけ、おれは笑顔で迎える。
どたどたとけたたましい音が横で起きたが、この際無視だ。
「お待たせして申し訳ありません。引き継ぎは終わりましたので、こちらで承ります。任務、御苦労さまでした。無事のご帰還何よりです」
頭を下げ、上げた瞬間、前に立つ人が誰かを知って、一瞬言葉を失った。
カカシさん。
夢の名残か、夢で呼んだ名が唇から滑り出そうになる。
それを寸でのところで飲み込み、おれは笑った。
夢のカカシさんに救われた。でも、それは少しの切なさと虚しさが付きまとう。
現実のカカシ先生にばれないように、おれは手渡された報告書に視線を向ける。
カカシ先生は先週から昨日まで、夜盗の残党狩りに出ていたようだ。忍び崩れを頭に持っていた夜盗で、実力はないにしても数と、特殊な術を持つ者たちが集まっているだけに、厄介な任務だったらしい。
今回はカカシ先生の写輪眼での技のコピーと共に、夜盗の殲滅という任務だった。
Aランクに近いBランクであり、技のコピーという機密事項故に、詳しいことは書かれていないが、怪我もなく無事完了ということだけは読みとれた。
予定終了一ヶ月の任務を10日で終わらせる手腕に度肝を抜かれたが、カカシ先生のサポート役が、アスマ先生、ガイ先生、紅先生といった豪華な顔ぶれだけに、納得してしまった。……それにしても、すごいということは変わりないが。
「はい、報告書は受理されました。任務、お疲れ様でした。はたけ上忍には一週間の休暇が与えられております。ゆっくり体を休めてください」
受付の通り文句を口にし、おれは頭をもう一度下げた。
そして、ゆっくりと顔を上げても、カカシ先生はその場に立っていた。
ぼーっと突っ立っているだけのカカシ先生の様子が気になる。
まだ朝早く、任務帰還者も依頼人もまばらな状態だ。受付任務者がおれの他に二人いることもあり、おれは声を落としてカカシ先生の名を呼んでみた。
「カカシ先生ー、どうされました? どこか気分でも悪いですか?」
それでもぬぼーっと突っ立っているだけのカカシ先生が不思議で、驚かせてやれとばかりにおれは夢の名を呼んだ。
「カカシさん」
その瞬間、カカシ先生は受付所が揺らぐようなチャクラを放出して、返事をした。
「はい!!! ここにいますッ」
ばっと手を上げ、迫るカカシ先生に、腰が引ける。
「イルカ先生、オレ、ここにいます。帰りました。今、帰りました。オレ、帰ってきました!!!」
さきほど突っ立っていたのが嘘のように、おれの手を掴み、カカシ先生は必死におれに話しかけてくる。
「え、は、はい! ――カカシ先生、おかえりなさい」
こちらからもしっかりと手を握り、おれはカカシ先生へ笑いながら頭を下げた。
出迎える言葉を吐いた途端、カカシ先生は再び固まり、次の瞬間、前触れもなく受付の机へへばりついた。
チャクラ切れかと慌てるおれに、カカシ先生は口布の上からでも分かるような気の抜けた顔で、へにゃりと笑った。
「はい、ただいまです。ただいま、戻りました」
カカシ先生の笑みに、ツキンと胸が痛んだ。
夢のカカシさんとだぶってしまいそうだ。
曖昧に笑うおれに、カカシ先生はにっこりともう一度笑い、身を起こすと尻ポケットを触ったり、ホルダーを触ったり、はたまたポーチの中を探ったりと、何かを探るように手を動かす。
忘れ物でもあったのだろうかと、動向を見守っていると、カカシ先生は「あ」と小さく呟くと、前触れもなく口布を下げた。
えっと驚くおれに、カカシ先生は気にしたそぶりはなく、アンダー下の首にかかっている鎖を引き上げるなり、その先に括ってあった小さな紙袋を手に取った。
常に隠していたカカシ先生の素顔が人目に晒され、周りがパニックになるのではないかと周囲を警戒していたが、おれの予想に反して、受付任務者も、帰還者も、依頼人も至って普通だった。
「せんせ。イルカ先生」
おかしいなと、周囲を見回すおれを、カカシ先生が呼ぶ。
声に引き寄せられるように振り向いた先で、カカシ先生は夢で見た顔と、寸分違わぬ顔をおれに晒していた。
「あ、あの、いいんですか? 顔、見えちゃってますよ?」
機密事項じゃないんですかと心配すれば、カカシ先生はしれっとすごいことを言った。
「あぁ、いいんです。いいんです。イルカ先生にだけ見えるようにして、後は目くらまししてますから」
わー、芸こまけぇー。
違うことに気を取られるおれの目の前で、カカシ先生は背を正すと、おもむろに咳を払った。
そして、一度大きく深呼吸すると、おれの名を呼んだ。
「イ、イルカさん!!」
突然のことに、思わず姿勢を正し、力強く返事をしてしまう。
「はいっ!」
カカシ先生は、両手で小さな紙袋を持つと、おれに差し出し頭を下げた。
「これ、お誕生日プレゼントです。えっと、一日遅れちゃってごめんなさい。頑張ったけど間に合わなくて、あ、でも、任務は任務で集中してましたから、決して合間に買ったとかそういうものじゃないんですよ!! これは前々からずっと用意して、でも渡せなくて肌身放さず持ってて、って、違いますよ、きれいですから、本当にきれいですから!! 返り血なんて全然ついてませんし、付けるわけないですよ!! あ、でも汗とかちょっと……って、いえいえつけてません、本当に綺麗ですから! だから、安心して受け取ってくださいッッ」
ぐっと押し付けてきた紙袋を、震えそうになる手を押さえながらそっと受け取った。それでも、顔をあげないカカシ先生におれはお伺いをたてる。
「……見ても、いいですか?」
おれの言葉にカカシ先生は顔を上げ、何度も頷いた。
そっと紙袋のテープを外し、中身を出す。
懐紙に包まれたその中には、銀と青色の紐が複雑に編まれた組み紐が二本入ってあった。
思わぬ贈り物に驚いていれば、カカシ先生は照れたように後ろ髪を掻いた。
「えっと、その…イルカ先生の髪紐、そろそろ切れそうだなって、えっと一緒に飲んだ時に思って。それで、その……気に入ってもらえるか分からないけど、あげたくて……えっと」
それ以上言葉が続かないのか、ばりばりと後ろ髪を掻くカカシ先生に、おれは歯を食いしばる。
一緒に飲んでいたのは一年前の話だ。
それなのに、カカシ先生はずっと気にして今まで持っていてくれたのか。
「あ、ありがとうございます!! その、おれ、すごく嬉しいです」
嬉しくて、でも照れ恥ずかしくなって、鼻傷を掻いていると、カカシ先生はふと目を細め、とてもきれいに笑った。
「お誕生日おめでとう。先ーイルカさんと出会えて、オレ、生きてて良かった。――ありがとう、イルカさん」
カカシさんの眦から涙が一つ、転がった。
それはとても美しく、おれの心に染みた。
誕生日にもらった贈り物。
髪紐と一緒に、叶わぬ恋心ももらったといったら、笑われるだろうか。
おわり
戻る