人気のない校舎裏。
イルカの前には、顔見知りのくのいちがいる。
彼女は、イルカの顔を見ては時折照れたように目を逸らしていた。胸に添えられた手は何度も握られ、これから決意を持って何か成そうという気概が見て取れる。
ごくりとイルカは生唾を飲み込んだ。
これは、まさか。もしやのアレかもしれない。
目の前の彼女は、受付任務の時に何度か話したことがある程度の仲だが、ふとしたときに見せる笑顔がいいなと思っていた。






「あの、イルカさん!」
彼女が口火を切る。
顔を赤く染める彼女につられ、イルカの顔も赤くなった。鼓動が激しく打ち鳴る。
「ずっとイルカさんのことを見てました…。好きです。よろしければ、私と付き合っていただけませんか?」
お願いしますと頭を下げた彼女に、おっしゃぁあぁぁと心の中でガッツポーズを取る。
沸きに沸き立つ心に待て待てと声を掛け、ここからが肝心だと自分に言い聞かせた。
「あの、嬉しいです。俺なんかでよければ、ぜひ。でも、一つお願いが…」
半ばオッケーを出したイルカの返事に、彼女は嬉しそうにほほ笑んだ。うっすらと頬を染め、目元を緩ませる彼女はとても可愛かった。
「はい。何ですか?」
私にできることならと、大抵のことは頷いてくれそうな快い言葉に、希望が見える。
今度こそ、今度こそは大丈夫。
苦い思いを誤魔化し、イルカは右手を差し出し、頭を下げた。






「結婚前提で、お願いします!!」
ずばんと言った直後、彼女の笑顔が固まった。






******






「イルカの逆転敗北に、かんぱーいっ」
「かんぱーい」と元気よくジョッキを掲げ、カチンカチンと打ち合わせる友人たちを前に、イルカは卓に崩れ落ちた。
「ちっくしょー!! 今度こそ、今度こそうまくいくと思ったのによぉぉぉ!!!」






ここは、酒酒屋。
安い早いうまいで有名な、薄給中忍の心強い味方である、居酒屋だ。
俺の一体何が悪いんだとわめくイルカに、周りの友人たちは軽やかな笑い声をあげ、毎度お馴染みの言葉を突き付けた。
「イルカは重すぎるんだよ」
「告白した途端、結婚前提はあり得ないだろう」
「逆に、お前の態度は不誠実なんだよ」
なーと、仲良く示し合わせる三人に、イルカはきぃぃと奇声をあげる。
だって、イルカは結婚したいのだ。
結婚して愛する人と二人、一分一秒でも長く、一緒にいたい。そして、平凡だけれど幸せな温かい家庭を築きたいのだ。
ただでさえ明日の身も知れぬ忍び稼業だというのに、くっついたり離れたりが当たり前の、不安定な恋人期間が勿体ないとは思わないのか。
イルカの心の雄たけびに対して、周りは冷たかった。
「一人の女に縛られたくねぇ」とか、「男は遊んでこその華だろ」や「この年で荷物背負いたくねぇよ」とか、イルカの思いに賛同してくれる者は皆無だった。
そして、イルカを好いてくれるくのいちたちも同様だった。
イルカが先の言葉を口にするなり、どん引かれる。笑みが凍る。終いには愛想笑いをしつつ、「この話はなかったことに」とフェードアウトしていく。
告白してくれた時は、頬を染め、情熱的な眼差しをイルカに注いでくれていたのに、去る彼女たちは誰もが引きつった笑みを浮かべ、あなたなんて知りませんよと言わんばかりの冷たい態度で、足早に去っていく。
この度で、何度目のことだろう。
手の平を返したように態度を変える彼女たちに、イルカはほんの少し、いや、精神的にかなり参っていた。






「う、うぅぅぅ。好きだって、好きだって言ってくれたじゃないかっ。なんで結婚はダメなんだよぉ。なんで、俺と一緒に所帯持ってくれないんだよぉ」
ちきしょーと、イルカが一気に飲み干すのは、コップになみなみと注がれた安酒だ。おちょこで飲むはずのそれを、水のように飲み干すイルカの肩を、友人たちは叩いた。
「まぁまぁ、人生何事もうまくいく訳もなし、これも一種の試練だと思えばいいんだよ」
「そうそう。いつかきっとお前のそれに、うんと頷いてくれる奇特な人が現れるって」
「信じる者は救われるって言葉もあるしな」
慰めてくれる友人たちの優しさに、イルカの胸がじんわりと温まる。
「……お前ら」
なんて良い友を持ったのだろうと思ったのも束の間。
『10年後ぐらいにな』
爽やかな笑みで、落とされた。
「お前らな! そこは慰めろよっ。明日にでもお前の運命の人は現れるって、励ますとこだろう?!」
「はー? そんな大嘘つけるわけねーだろ? だいたいオレたち、二十前半だぞ。結婚っていう、人生の墓場にわざわざ片足突っ込む道理はねぇよ」
「そうそう。女どもも何が悲しゅうて、花の盛りに家事、育児に追われたいと思うかよ。若いうちに楽しまないと損だ、損」
「結婚したら、花街にも堂々と行けなくなるんだぜ? しかも、財布も握られちまって、碌に飲みにも行けなくなるんだぞ」
おー、くわばらくわばらと、三人そろって自分の腕を摩り出したところで、イルカは拳を握り、思いの丈を叫んだ。
「ばっかやろう! 一人の人を愛し、その人を慈しみ守り、共に長く生きることこそ、男の本懐だッッ」
「ばっかやろう! いろんな女とあらゆることをし尽くすことこそが、男の本壊だろうがッッ」
間髪入れずに言い返され、しかも友人の言葉に、周りの無関係な客たちも拍手を送ってきたものだから、堪ったものではない。
誰か、イルカに味方をしてくれる者はいないのかと、血眼になって探していれば、






「オレは、イルカ先生に賛成です」
と、間近で声が上がった。
そこに俺の心の友はいたかと顔を向けて、イルカは固まった。そして、友人たちもイルカの隣にいる者を目にし、思わず腰を上げる。
「カカシせんせい!?」
素っ頓狂な声をあげたイルカに、はーいと言わんばかりに片手をあげたカカシの手には、おちょこが握られている。
カカシの前には煮魚や、空になったであろうお銚子が二本置かれていた。食べかけのそれと、イルカたちが頼んでいないお銚子があることからして、カカシは結構前からその場にいたことが窺い知れた。
「気付いたか?!」「いや、全然…」「こえー、上忍こえー」と涙交じりで恐怖に震えている友人たちを尻目に、イルカはやっと現れた援軍を前に興奮していた。
地獄に仏とはこのことだと、カカシが有難い光に包まれているようにも見える。
「そうですか?! やっぱりそうですよねっ。カカシ先生もそうおも――」
だが、言いかけて止まる。
残念なことに、イルカが摂取したアルコールは完全に理性を剥ぎ取るまでの量には達していなかった。
だから、頭の片隅にいる冷静なイルカは、的確に突っ込んだ。
『こいつ、嘘言ってるぞ?』と。
一瞬見えた希望の光は、嘘というしっぺ返しでぐるりとひっくり返り、激しい怒りへと成り変わる。
かっかと煮えたぎるままに、イルカは料理が並ぶ卓をむんずと掴み、思うがままに行動した。






「――っと言うとでも思ったか!! この稀代の遊び人がぁぁぁぁぁっっ」
「うわぁぁぁ、イルカぁぁぁぁ!!!」
どんがらがっしゃんと、見事なちゃぶ台返しを披露したイルカに、友人たちは顔を青ざめさせる。だが、薄給中忍の性か。
その両手や口には、しっかりと自分たちが注文した料理が確保されている。カカシの料理を除いて。
卓と共にひっくり返った、カカシが頼んであろう料理が畳に散らばる。
上忍さまの召し物になんてことをと、血の気を引かせる友人たちとは反対に、イルカは顔を真っ赤に染め上げ、人差し指を振りかざして怒鳴りつけた。
「ふざけんなよ、この花街常連すけこまし男がッ! あんたの噂はこちとらの耳に筒抜けだッ。この里の処女をほぼ食い尽しただ、女千人斬りを一カ月で果たしたとか、ぽい捨て、食い捨て、やりたい放題の悪行三昧! あんたの悪名は俺の中で燦然たる光を放ってんだっ」
お前は俺の敵だと飛びかかろうとしたイルカを、友人たちは押さえつける。ばたばたと暴れるイルカを数の力で制し、悲鳴をあげるようにカカシへ謝罪した。
「す、すいません、はたけ上忍! こいつ、今日振られて自棄になってるんです!!」
「そうなんです! しかも悪酔いしてまして、こいつの言っていることは気にしないでください!!」
「全て酒のせいなんです、本心じゃないんです! どうか、イルカの無礼を許してやってください!」
すんませんでしたと、イルカの頭を押さえ、三人ともども土下座した。そして、汚れた畳を綺麗に掃除し、卓を元に戻し、新しい料理をと、まめまめしく働く。
だというのに、イルカは口を塞がれてもなおカカシに向かって何やら暴言を吐いているようだった。
「ふんむふんむー!」と怒りの言葉を吐くイルカに、カカシは「はー」「すいません」「そんなつもりはなかったんですけどねぇ」と普通に会話を繰り広げていた。
もしかしてイルカの言葉が分かるのかと、真っ赤な顔で鼻息をどんどん荒くさせるイルカのハッスル振りに、ここは逃げた方が身のためかと真剣に考えていると、カカシは三人に向かっておっとり言葉を紡いだ。
「ねぇ。イルカ先生、苦しそうだから離してあげて?」
いや、しかしと、暴言を吐くイルカを考慮して躊躇すれば、何故かカカシは笑った顔で鬼の気配を見せた。
「――離して、あげて?」
はて、空耳か。三人の耳には『いつまで触ってんだ。ヤんぞ、ゴラ』と聞こえた。
『……はい』
どうして自分たちが恐怖を覚えなければならないのかと、理不尽な何かを感じながらも、上忍、しかもはたけカカシの言葉に逆らう勇気は、三人には持ち合わせていなかった。






しょんぼりと肩を寄せ合い、隅っこにうずくまる三人から抜け出し、一人イルカはカカシへと食ってかかる。
それはもう聞くだけで心臓ならびに内臓器官の全てが縮こまるような、無礼千万な暴言だが、カカシは何故か嬉しそうに話を聞いていた。
「聞いてんれすか、カカシせんせ! 俺はもう頭にきて頭にきて堪んないれすよっ。ろーしてあんたみたいな男のカスみたいな奴がいんのか、もぉ理解がれきまへん!! あんたみたいな軽いのいるから、俺が結婚れきないんれすよッ! 全部あんたのへいらッ」
「うーん、そう言われると困っちゃうけど。イルカ先生が言うなら、そうなんだろうね〜」
カカシは相槌を打ちながら、空になったイルカのグラスへ酒を注いでいる。それを気にせず飲みつつ、イルカは酒で力の抜け切った拳でぽかぽかとカカシの肩を叩き、カカシは痛いですよと笑いながら、イルカの手をぽんぽんとあやすように叩いていた。
何故だろう。三人の目には、「もう、ひっどーい、ばっかーん」「あはははは、可愛いなぁ、こいつぅ」のバカップルの体現にしか見えなかった。






どうした、視力が下がったか、いや幻術にでもかかってしまったのかと、頭を悩ませていると、ブーブー文句を未だ言うイルカに、カカシは小さく呟きを漏らした。
「……でも、残念だな。オレ、イルカ先生に嫌われていたなんて…」
そのあまりにも寂しそうな響きに、イルカの口が閉じる。
イルカは、お人よしで情に脆い。
知りあいが少し顔を曇らせているだけでも、大丈夫かなと本気で心配するような奴だから、カカシの見せた寂しそうな態度に気にしない訳がなかった。
「……き、嫌いじゃないれすよ。その、ちょっと、そういうところは苦手ってらけれ、嫌いってもんらないれふよ」
酒に酔っても、お人よしは健在のようだ。イルカはちらちらとカカシを気にしながら、言葉を選んでいる。
「イルカ先生は優しいね。嫌いなオレのために、気を遣ってくれるなんて」
でも、やっぱり寂しいと言外に込めた言葉に、イルカは激しく反応した。慌てたように「嫌ってまへん。ってか、好きれす、好き!」と勢いで言ったイルカに、友人たちは何となく嫌な予感を覚えた。
「……好き? オレのこと好きなの?」
本当にと、イルカの顔を覗きこむカカシに、イルカはもっちろんと胸を叩いて断言した。
「好きれすよ! 何たって、ナルトたちを見てくれた上忍師の先生ですし、忍ひとひては、とーっても尊敬してますっ」
無邪気な顔で言うイルカに、その言葉が一体どういうことを指すのか、よく考えてもらいたい。
二人のやり取りを隅っこで見るだけではやりきれなくなって、友人たちは畳の上でちびちびと飲み始める。
失恋したイルカを励ます会が、とんだ気苦労飲み会に変わったものだ。






影を漂わせてきた友人たちの前で、イルカとカカシの会話は続く。
「じゃ、先生はオレの言うことも信じてくれます? オレ、噂で言われているほど薄情な男じゃないんですよ」
カカシの言葉に、イルカは否定の言葉を繰り出そうとしたが、ふっと浮かんだカカシの寂しげな笑みに言葉を飲み込んだ。
だが、噂もそうだが、普段見るカカシも複数の女をはべらしているハレムスタイルを貫いているため、素直に頷くことはできなかった。
うーんと考えた末、イルカはある思いつきにひらめき、こくこくと頷いた。
カカシ先生の口から言い分を聞いてみよう。本人の口から聞いたことに、嘘はないはずだ!
イルカは、かなり酔っていた。
自分の思いつきがかなり良いことに思えたイルカは、上機嫌で提案する。
「んじゃ、カカシせんせーの、言い分とやらをいってくらさい。俺、それ、信ひまふ」
ふらふらと体を上下に揺らすイルカの体は、何故かカカシの膝の上に抱きかかえられている。
うわー、イルカ、命いらねーのかと、傍観者の態度で友人たちは眺めた。
「じゃ、言いますから聞いてくださいね?」
「あい、任してくらさい!」
至近距離で見つめるカカシに、イルカはへにゃりと笑った。
下の方では、カカシの手がさすさすと怪しいところを触っているのだが、イルカは全く気付いていない。
このときになって友人たちは、あれもしかしてと、ある懸念に思い当たる。
そういえば、はたけ上忍って、イルカによくちょっかいを出してたよなー、とか。しかもイルカの前で故意にくのいちをはべらしては、親の仇のように睨みつけるイルカの反応を楽しんでいたような節も見受けられたりして……。
ごくり。
ちらりと他の者に目くばせすれば、友人たちも思い当たったようで、ひきつった笑みを返してくれた。
この飲み会、実はとんでもない飲み会なのではないかと、友人たちは何となく悟る。






イルカはカカシの胸に全身をもたれかけ、早く言え言えと腹に回ったカカシの手を叩いて急かしていた。
らぶらぶちぇあー。
立派な体格の男たちがする様は、異様過ぎる。
周りの奇異を通り越えて、憐みすら感じさせる視線をもろともせず、カカシは叩くイルカの手を掴まえるなり、指と指の間に自分の指を滑り込ませ、ぽつりと呟いた。
曰く、「オレ、実は可哀そうな男なんです」と。
思わず吹いてしまいそうな台詞だが、イルカは真剣な面持ちで聞いている。
「オレ、恋人とは一生を共にする覚悟で付き合おうって思っているんです。イルカ先生も言っていたように、いつ死ぬかもしれないような人生じゃないですか。だったら、より濃密な関係を一人の人と築きたいって思うのも自然なことです。……でも、オレの思いとは裏腹に、恋人候補に名乗り上げてくれる人なんか一人もいなくて、来るのは一夜限りの誘いだけ」
ふっとさびしげな笑みを浮かべるカカシの表情に、イルカの瞳が揺れる。
どうしてとイルカが問いただす前に、カカシは話を続けた。
「オレ、里の看板背負っちゃってるじゃないですか。だから、ややこしい禍根とかなんだりをよく引っ被るんです。オレの親しい人、特に生涯の伴侶になる人も無関係じゃいられなくて…。オレの努力が足りないって言われたらそれまでですけど、みんな、尻込みしちゃうんだーよね」
困ったなと眉根を下げるカカシに、イルカはひぐっと息を飲んだ。その目は、なんて可哀想なのだと口で言うよりも雄弁に物語っていた。
「カカシせんせっ。俺、俺!!」
うるうると瞳を揺らせ、振り返ったイルカの唇へ人差し指を押し当て、カカシは黙らせた。






イルカは言葉をごくりと飲み込み、カカシへ眼差しを向ける。
カカシはカカシで、イルカの瞳を覗き込むこと、三分。
お互いがお互いをじっと見つめ合い、息すらも殺すようなそんな濃密の時間が流れた直後。
「わかりまひた! 俺がカカシ先生の恋人になりますっ。俺と結婚してくらはい、カカシ先生ッッ」
突然、イルカは腰を浮かせるなり、カカシめがけて飛び付いた。そして、カカシは
「あぁ、イルカ先生。オレも、ずっとあなたのことが好きでした。喜んで、夫になりましょうっ」
と、いけしゃーしゃーと夜の主導権宣言をかました。
熱い抱擁をかます二人を呆然と見つめていれば、カカシの額当てがいつの間にか上に押し上げられていることに気付く。
髪に隠れて見えないが、そこにはカカシの二つ名である、里の宝たる写輪眼が埋め込まれている訳で……。
奇妙な静けさの中、きゃっきゃうふふと二人だけの声が居酒屋に響き渡る。
「さぁ、イルカ先生! オレたちの愛の巣へと参りましょう。大丈夫、心配しないでくださいっ。新居並びに、引っ越しはすべて今日済ませました!」
えぇ、一体いつの間にと度肝を抜かす友人たちを尻目に、イルカはすでにあちらへと旅立っているのか、「その行動力、痺れます! 素敵れすっ」とカカシの首にしがみつき、感激で上ずった声をあげていた。
「今日は、二人のプロポーズ記念日ですね。そして、明日はイルカ先生の誕生日」
明日一番、オレにお祝いの言葉を言わせてくださいねと言葉を残し、二人は煙に包まれて消えた。そして、遅れて、ちゃりちゃりーんと、二人がいた場所にお金が降り注ぐ。
この金は慰謝料か? 迷惑料か? 口止め料か?






あっという間の出来事に、反応できず呆然としている中、居酒屋の店員さんが言いにくそうに声を掛けてきた。
「あの、ケーキはどうなされますか?」
時刻は、午後11時50分。
飽きもせず、またフラれたという可哀そうな男のために、誕生日が目前なこともあり、サプライズを計画していたのだが、今となっては無用の長物と化してしまった。
「あ、食いますんで、持ってきてください。すいませんが歌はキャンセルで」
酒酒屋の若くて可愛い女性店員も交えての歌プレゼントも、お蔵入りだ。
何なら、ナイスバディの女に変化して、イルカに鼻血でも吹かせて見せるかと、仲間内で盛り上がったこともすでに遠い過去のように思えた。
誕生日おめでとうと書かれた、ホールケーキを真ん中に、男三人でもそもそと食べる。
あっさりとした甘いクリームと、甘酸っぱいイチゴがいいハーモニーを奏でてている。スポンジも柔らかく、口の中に入れた途端、溶けるようにほぐれていく。
「……なぁ。今、イルカって」
「言うな、想像するな、目の前のことに集中しろ!」
「今日はおれたち三人で来たんだ。おれたちは、今日、三人で来たんだ!」
かっかっかと、掻き込むようにケーキを口に入れる者。ケーキを食い入るように見つめる者。そして、そっとイルカの身を案じる者。
三者三様の思いを胸に、夜は更けていった。






******






「……ひでぇ顔だな」
「死人みてぇだぞ」
友たちの第一声に、顔が歪む。その言葉、お前らにそのまま言ってやりたい。
三人でケーキを食べ終え、帰宅した面々だったが、連れ去られたイルカの安否がどうにも頭の片隅に残ってしまい、眠れぬ夜をすごしてしまった。
そして、職場へと出てきた途端に、三人はそれぞれ違う場所で質問攻めにあった。
さすがは忍びの里。
昨日の夜起きたことは、里中に知れ渡り、それを間近で見た三人の名前も知られていた。
朝から我が身に起きたことを報告している中、そのうちの一人がぽつりと言った。
「実はさ。昨日、イルカに告白したけどフッた子に、泣きながら責められちゃったよ。…あの子、その場では頷けなかったけど、一晩よく考えて、プロポーズを受けるって決めたんだって。それなのに、朝来たらこの状態だから…」
はーと我が事のように顔を覆い、ため息をこぼした友の肩を叩く。
はたけカカシが昨日、突然仕掛けた理由が理解できた気がした。
悪いのはお前じゃないよ。これも何か良く分からない外部の力のせいだよと慰めていれば、渦中の存在が声を掛けてきた。






「よう、固まって何してんだ!」
かかかっと晴れやかな笑い声を響かせる男に、三人は一瞬目を疑った。
悪夢のような一夜を体験をしたであろう友人が気がかりでかつ、何も言えなかった己たちの引け目さも相あまり、せめて励まそうとやってきたのに、この元気は一体なんだ。
目にくまを貼り付け、背中を丸める自分達と比べて、イルカの溌剌さはどこから出ているのだ。
「お、お前、無事だったのか?」
どもりながら聞いた言葉に、イルカは目を見開いた後、照れたように鼻傷を掻いた。
「あぁ、そいやー。お前らと飲んでいた途中でいなくなっちまったんだっけ。悪いな、金も払わずに出ていっちまって」
いやいや、心配しているのはそこじゃなく。
三人はイルカの目をじっと見つめ、一言聞いた。
「……はたけ上忍とは?」
見つめ続けていると、イルカの顔が真っ赤に染まった。あぁ、やっぱりあの後は食われちまったのかと、どう言って慰めようかと思案していると、イルカは「いや、その」と視線をさまよわせ、再び鼻傷を掻き始めた。
「えっと、その…。おかげさまでというか、俺たち、結婚前提に付き合うことになったから」
そうか、そうか。イルカはやっぱりはたけ上忍の……。
『は?』
涙を拭く予定だったハンカチを握り締め、三人は驚愕に体を固まらせた。結婚? 前提? 付き合う??






「お、ちょっと待てよ! あのさ、お前、確かに連れ去られたけど、あれははたけ上忍の瞳術のせいだろ?! お前、何か弱みでも握られたのかッ?」
もしそうならば、今度こそは黙っていない。火影さまにチクって、中忍全員巻き込んでの全面抗争だと気炎をあげる友人たちに、イルカは違う違うと慌てて手を振った。
「落ち着けよ! そりゃ、……俺の何かは確実に喪失したけど…。俺、ちゃんとカカシ先生、いや、カカシさんのことが好きなんだ!!」
拳を握り断言するが、やっぱり友人たちは信じきれない。
疑う眼差しを送る友人たちに、イルカはあぁもうと焦れるような声をあげ、事の経緯を説明し始めた。






イルカが意識を取り戻したのは、今朝のことだったという。
見たこともない部屋のベッドの上で、原因不明の痛みと素っ裸な自分に混乱していれば、エプロンをつけたはたけカカシが現れた。
そして、祝いの言葉と共に頬に口づけをされ、自分の身に何が起きたかを理解したイルカは激昂した。
おまけに知らぬ間に自分の持ち物の一切合切が移動していたことにも切れて、怒り狂った。
元通りにしろと迫れば、カカシはイルカに告白すると共に、一緒に暮らそうと縋りついてきた。勿論、イルカは聞く耳持たず、ふざけるなと一蹴したが、カカシはしつこく何度も言い募ってきた。
終いには土下座までしてきたが、それも、にべもなく突っぱねた途端、カカシは豹変した。
クナイを持ち出し、イルカの首筋に突きつけて言ったそうだ。






「『うんって言ってくれなきゃ、あんたを殺して、オレも死ぬ!!』って、涙と鼻水流して熱烈に言われちゃって……」
たっはー参ったなぁとイルカは相好を崩して頭を掻いている。
友人たちはイルカのその反応が不思議でたまらない。そこは警邏隊を呼んでもいいレベルな話ばかりか、形は違えど修羅場とも言えなくない現場だ。
呆然とする友人たちの前で、イルカは人差し指を突き合わせ、頬を染める。
「そのときのカカシさんのブサかっこ良さって言うの? 元がいいだけに、ひっでー顔でさ。猿みたいに顔真っ赤に染めて、子供みたいに手加減なく泣き喚いて俺に抱きつく姿が、堪んなく可愛くってさー。もー気が付いたら、俺からキスしちゃってたよ。この人は俺が守んなきゃいけない人だって悟っちゃったって言うか、俺以外にこの人は守れないって結婚決めた」
あははははーと、照れ笑いを交えて、本気で嬉しそうに笑ったイルカに、友人たちは黙り込む。






こいつは、マジだ…。
マジで、救われねぇ感性している。
乳談義をしていた時よりも遥かに浮かれた調子で、いかにカカシさんが可愛いかを力説してくるイルカの言葉を聞き流しながら、友人たちは遠い目をして微笑む。
うん、なんだ。お前の長い失恋に終止符が打ててよかったな。そして、折しも今日はお前の誕生日だ。






……はっぴーばーすでー、イルカ。
カカシさん、可愛い、サイコー!と、身をくねらせるイルカを見つめ、友人たちは、心の中で、そっとつぶやくのだった。













<完>






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オンリーカカイルさまへの投稿作品です。(H24.5.26)


はっぴーばーすでー。