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「で、オレは、誓ったんだよ。次こそは見失わないって。今度イルカと出会った時は、そのときは絶対間違わないってね」
語り終えた男を視界に収め、アスマは短くなった煙草を灰皿へと押し付けた。
思うことは、ただ一つ。
ジジィ、余計なことをしやがって。
両手を組み、沈鬱な表情を浮かべるアスマを尻目に、男はきゃっきゃっと嬉しそうにはしゃいだ。
「それでー。そのイルカの最後のおにぎりと味噌汁を受け取ったのが、なんとオレの誕生日だったのーよね! 運命だと思わない? 運命だと思わない!?」
つんつんと腕を突かれ、アスマはあーあーと、呆けた返事をする。
「まぁ、少々痛んでいたけど、愛の前には些細なことだーね。イルカってば、オレが好きって言ってくれた物を、おにぎりに入れてくれて、しかも味噌汁も茄子と豆腐が具だったんだ〜よ」
愛だよね、これは絶対愛だよねと、一人盛り上がる男を止める気力は、アスマには残っていなかった。
だがと、沈みこむ気力を何とか奮い起し、アスマは物言いをつける。今、アスマだけがイルカを救える唯一の人間なのだから。
「待て、カカシ。オメェの話はイルカを思うようになった切っ掛け話だ。イルカに会ってから、少々変わったことは認めるとして、その先のオメェの素行はどうなってんだ」
ぎっと呪い殺すように視線を向けた先、男はにへらと口布の上からでも分かるよな、腑抜けた笑みを向けてきた。
「やっだなー、アスマ。そんなの品行方正だったに決まってるじゃなーい。言っとくけど、アスマが見た素行の悪い男はとっくに滅んでんだよ。だって、つまんない女相手するより、イルカを見てる方が何倍もいいでショ?」
時間が勿体ないと、弾んだ声をあげる男に、嫌な予感しかしなかった。
待て待てと頭を抱え、しばし気力を溜めた後、アスマは口を引きつらせゆっくりと問いかける。
「……オメェ、イルカと会ってねぇんじゃなかったのか?」
アスマの問いに、もちろんと頷いた男の返事に安堵したのも束の間、男は悪びれもなく言い切った。
「オレたち、会えなかったけど、オレはイルカを毎日見てたーよ。だって、見失わないって決心したし」
いやいや、意味ががちげぇだろと、心の中で突っ込んだ後、アスマはふるふると震えた。
まさか、こいつ。別れた日から、イルカのことをストー……。
「見失わないように見守っていただけだーよ。オレ、変態じゃないから」
アスマの心の声を察したのか、胸を張る男に、頭痛がしてきた。傍から見れば、誰がどう見てもお前は変態だ。
男の見守り中の話を突くと、とんでもないものが出てきそうで、アスマはひとまず話を進めることにする。
「じゃ、聞くが、オメェのイルカに対する思いは本当に、恋愛感情なのか? オメェ、ただ単に友達が欲しかっただけじゃねぇか?」
出来ればそういう形に無理にでも持っていきたい。
男の過去話を聞く限りでは、いいところを持って友人関係なのは確かだ。
一縷の望みを抱いて尋ねれば、男はふっとニヒルな笑みを浮かべた。
「イルカと会えない日々は、オレの気持ちを真実の愛へと導き、屋根裏から垣間見たイルカの肢体は――」
「あー、あー、あー!! いい、もういい。喋るな、その続きは喋んなッ、テメェ!!」
これからがいいところなのにと、残念そうに呟く男を無視し、アスマは何か手はないかと思考を巡らす。
すると、最近よく見られた、受付所での女たちを纏わりつかせていた光景を思い出した。
これだと、人差し指を突きつけ、アスマは息を吸った。
「テメェ、イルカだなんだ言い出す前は、受付所やアカデミーで女をべったべたに纏わりつかせていただろ!! それはどう言い訳するつもりだ、このスケコマシ野郎がッッ」
どうせイルカもあの女たちの一人に数えるつもりだろうと、叫んだアスマに、「あー、あれ?」と男はとくに慌てた様子もなく、小さく笑いを零した。
至らぬ自分を恥じるような、そんな笑い方に、アスマはどん引く。
「イルカと会えるって分かった時から、オレどうやってイルカに話しかけようかって随分悩んだのよ。おにぎりのこと言いたかったけど、まだ結婚もしてないから、正体を明かすこともできなくて、考えている内に機会を失っちゃって……。どうしようかって受付所うろうろしてたらさ、女が集まれば集まるほど、イルカがオレのことを情熱的に見てくれたのっ! オレ、嬉しくって、イルカの視線が欲しくて、オレ頑張ったんだっっ」
目を輝かせて言う男に疲労感が募る。
何と言うか、どうしてこんな男にイルカが引っかかってしまったのかが理解できない。
どうして、この二人はくっついてしまったのか、アスマには理解ができなかった。
うーんうーんと人の縁というものの、摩訶不思議さに頭を抱えていると、上忍待機所の戸が開いた。
「失礼します。はたけ上忍、いらっしゃいますか?」
折り目正しく頭を下げ、上忍待機所にやってきたイルカに、男が黄色い声をあげる。
「イルカせんせー!!」
飼い主を待ち望んでいた犬のように、一目散に駆け寄っていた後姿がどこか目に痛い。
あれでも、写輪眼のカカシなんだよなとか、木の葉を代表する忍びなんだよなとか、アスマの脳裏に深く追求してはいけない事柄が色々と沸き起こるが、ぐっと目を閉じて、全てに蓋をした。
「あ、カカシ先生。お待たせいたしました。一緒に帰りましょう」
イルカが満面の笑みを浮かべて、男に手を差し出す。それを当然のように握りながら、カカシはふわふわと浮かれた気配を隠しもせずに、微笑んだ。
「イルカ先生。毎日、上忍待機所に来なくても、オレが受付所に行きますよ。出口もそっちの方が近いし」
男の殊勝な言葉に、イルカはいえ、いいんですと、首を振りつつ、真剣な顔で言い切った。
「可愛いカカシ先生を狙う輩は五万といるんです。誰の出入りも自由という魑魅魍魎が蠢く受付所なんて、危なかしくって待たせられません!! その点、上忍待機所は気心知れた方々がカカシ先生を守ってくれますし、俺の強い味方のアスマ先生もいらっしゃいますから!」
だよね、アスマ兄ちゃんと言葉に出さず、無条件で信じているよと、良い顔をしてこちらに笑顔を向けるイルカに、アスマは重いため息をつきたくなる。
イルカから男との話は一切聞いていない。それなのに助力を求めると言うことは、イルカの頭の中では、すでに男の存在は当たり前に存在しているとしか考えられなかった。
「イルカ先生、オレ、幸せです」
「それはこちらの台詞ですよ、カカシ先生。それに、今日はあなたの誕生日。俺に、あなたが生まれてきた奇跡をお祝いさせてくださいね」
そっと寄り添う男に、イルカは至極ご満悦だ。
上忍待機所の出入り口を塞ぎ、バカップルオーラを放っていた二人に、待機所は喜ぶ気配と、見て見ぬふりをする気配と、あからさまに不機嫌な気配の三つに分かれる。
これ以上、空気が悪くなることを阻止するべく、アスマはため息を吐きながら、一応用意していた酒を手に持ち、バカップルどもの前へと歩いた。
近づいてきたアスマに気付いたイルカが、嬉しそうに同意を求めてきた。
「アスマ先生、俺の結婚相手可愛いですよね」
にへらと締まりのない笑みを浮かべるイルカは、頭の病気だと言われた方が気が休まる気がした。
それでも幸せそうな二人に、アスマはしゃーねぇと、手に持っていた酒を男に突き付けた。
「祝いの酒だ。持ってけ。イルカ泣かすんじゃねーぞ」
しっかりと受け取ったことを確認し、踵を返す。
とっとと帰れと後ろ手で仰げば、男が名を呼んだ。
「アスマ、ありがとう」
滅多に聞いたこともない素直な言葉に、少々照れる。
止せやいと頭を振れば、男から不穏な単語が聞こえた。
「イルカ先生、今日は酒池肉林のお許しを、お義兄さまからいただきました。お義兄さまの気持ちを無駄にせぬよう。今日も頑張りましょうね!」
「酒池肉林? 肉をぶら下げるんですか? 分厚いお肉、うまそうですね」
うっとりと肉の林を思い浮かべるイルカの肩を抱き、待機所を出たカカシの背に否定の言葉を投げかけようとして、口を閉ざす。
待機所の出入り口から顔を出した先には、すでに二人の姿はなかった。
相変わらず素早いというか、勘違い甚だしいというか。
ちょっとした悔いが残ったが、まぁいいかと息を吐いた。
イルカが幸せなら、まぁ、それはそれでいい。
それに、しけた面をして、何も興味を持てなかった男が、貪欲に求めるようになったことも、それなりに良いことだ。
「おめでとさん」
いなくなった二人向けて、二重の意味を込めて、アスマは呟いた。
遅くなりましたが、カカシ先生、誕生日おめでとー!!