地下通路に二人の足音と息遣いがこだまする。
言葉もなく足早に通路を進み、勘を頼みに岐路を選べば、ほどなくして大きな
鉄格子の扉に行く手を阻まれた。
その先には、地上に続くであろう階段が見える。
鉄の棒を挟んだ先に、扉を封印する錠前が鎮座していたが、鉄格子の隙間は腕
が辛うじて通るほどの広さで、剣を振り回せるだけの自由は見込めない。
無理をすれば、錠前を壊すことができるかもしれないが、剣が使い物にならな
くなる可能性が高かった。
地上に出た時、戦闘にならないとは言い切れないだけに、今、剣を失うのは無
謀に思えた。
それに、ミントがいる。彼女だけは自分が守らなくてはと、後ろにいるミントへ視線を向ければ、ミントは耳に手を当て周囲を見回していた。
「……クレスさん、何か、聞こえませんか?」
ミントの言葉に、弾かれたように階段へ視線を走らせた。
見張りがやって来るのかと、焦りがクレスを襲う。
今から、ここを離れたとしても、一直線の長い通路では、逃げる姿を見られる危険性がある。かといって、ここを離れなければ、増援を呼ばれ対処し切れなくなる。
逃げ込んだ先で身を潜め、一か八か奇襲をかけるしかないと、ミントを連れて駆け出そうとすれば、ミントは怪訝な表情を見せた。
「水の、流れる音?」
「え?」
思ったものとは違う答えに、面食らう。
手を耳に当てたまま、何かを探すように振り仰いだ後、ミントは指した。
「あちらです。あちらの方向から水の音が聞こえます。クレスさん、もしかすると抜け出せるかもしれません」
表情を明るくしたミントに、そうかとクレスも得心する。
水が流れているということは、それはどこかへと繋がっているということだ。運が良ければ、地上に出られるかもしれない。
「行ってみよう。案内してくれる?」
「はい! こちらです」
今度はミントを先頭に、通路を引き返した。
いくつか分岐する通路を、迷うこともなくミントは選び、着いた先は袋小路になっていた。
その一番奥側に半円にくり抜かれた穴があり、古びた鉄格子がはまっている。
明かりのない中、鉄格子に顔を押し当て、穴を覗き込めば、暗い水面が見えた。深さは分からないが、ゆっくりと移動する水の流れに、いけると確信する。
後は鉄格子をどうにかすればいいだけだと、鉄格子の強度を一本一本確かめていれば、ミントが申し訳なさそうに謝ってきた。
「……すいません」
「? どうして謝るの?」
感謝こそすれ、謝られる理由が分からずに問えば、ミントは俯いたまま気落ちした声を出した。
「……抜け出せると思ったのですが。そう、うまくは行きませんよね…」
落ち込むミントの様子に、あぁと合点する。鉄格子のことを言っているのだ。だが、
「落ち込むのはまだ早いよ、ミント。ちょっと離れていて」
「は、はい」
クレスの言葉に、ミントは後ろへと足を進ませる。十分離れたことを確認して、クレスはいいよと声を掛け、ミントに向かってほほ笑んだ。
「そこで見ていて」
戸惑うミントに声を掛けた後、鉄格子に触れた時についた錆を手を叩いて落とす。そして、抜身の剣を下げ、鉄格子と対した。
小さく息を吐き、精神を集中させる。
剣を横に構えながら片足を引き、重心を後ろにして脇を締める。
今からするものは、父、ミゲールが始めに教えてくれた技だ。
「『魔神の吐息は嵐と共に大地を駆ける』」
そうクレスに告げ、父は目の前でその技を見せてくれた。
そのときの父の剣は大地を抉り、父の背丈を越す大岩をも粉砕した。大きく崩れ、土くれとなった残骸を呆然と見つめるクレスの背を、大きな手で叩き、父は言った。
「口伝の意味を理解すれば、お前もできるようになる」
見上げた父の笑みは、輝いて見えた。
それからクレスは昼夜を忘れ、技を練習し、ようやく使えるようになったが、あの時見た父のような威力は出せないままだった。
物に当たればひびが若干入る程度、人に当たれば牽制できるぐらいの威力。
今のクレスには、古びているとはいえ鉄格子を粉砕できるだけの威力を生み出せるか疑問ではあった。しかし。
やれる。
クレスの胸には確信があった。
闇雲に練習していた時、父は「口伝を思い出せ」としきりにクレスへ言ってきた。分かるような分からないような曖昧な認識の中、繰り出してきた技だった。
けれどここにきて、クレスは知った。
憎しみという強い感情を。
その強い感情は己の体を飛び出、何かをもたらしている。自分の体にまとわりつくように漂う、目には見えない何か。
その何かが口伝と結びついた今、鉄格子を前にしたクレスの心は静まり返っていた。
緊迫した空気の中、ミントも息を潜め、クレスを見守る。
息さえしているのか疑問に思うほど微動だにしないクレスを、両手を組み合わせて見つめていれば、クレスが動いた。
ミントの耳に聞こえたのは、音のない一拍の気迫の声。
それと同時に腕の残像を目に捉えた直後、風が走った。
煽られた風が髪を、服をはためかせる。思わず目を閉じてしまいそうな強い風に負けじと、辛うじて目をこじ開ければ、視認できる風の鋭い切っ先が鈍い音を立てて石畳を抉り、強さを増して鉄格子へと襲いかかっていた。
甲高い音が地下通路に響き渡る。
鉄格子と風の刃がぶつかった直後、衝撃が走り抜けた。
嬲るように耳元を過ぎる風の唸り声と、吹き飛ばされそうな暴風に、思わず腕を上げて目を閉じる。
徐々に弱まる風を肌に感じながら、ゆっくりと腕を下ろせば、笑みを浮かべたクレスの顔が見えた。
「うまくいったみたい」
まだ耳の奥では、風の唸り声と金属を激しく打ち付けた高音が残っている。
手を差し伸べてくれたクレスに、自分がへたり込んでいることを知った。
瞬きを繰り返しながら手を伸ばせば、力強く握られ、引き上げてくれる。手をそのままに、迷いもなく進むクレスの先には、半円の穴が見えた。穴の周囲には、無理やり引きちぎられた跡を残す鉄格子の残骸が見える。
クレスの技があの鉄格子を破壊したのだ。
「……クレスさん、すごいですね」
クレスが先に潜り抜け、続いて狭い穴を潜り抜けようとするミントの手をクレスが支えていると、夢から抜け出したような顔でミントが呟いた。
素直に賞賛を伝えてくるミントに少し照れ恥ずかしく思いつつ、穴を潜り抜けたミントを出迎える。
「あー。実は、僕もここまで出来るとは思ってなかったんだ。ぶっつけ本番だったけど、うまくいって良かったよ」
そこ深いから気をつけてと、クレスの言葉に頷きながら、ミントは慎重に暗がりの中に流れる水へと足を入れた。
足の脛近くまで流れる水はゆるやかだ。足首近くまで覆う上衣が水に濡れ、足にまとわりつくため、走ることは無理だが、速足くらいなら問題なく進める。
気遣う視線を向けるクレスに、大丈夫と頷き、足を踏み出す。
下流へと流れる水に沿い、水を掻き分けて進んだ。
不謹慎かもと一瞬思ったものの、少し先を進むクレスの顔はどことなく落ち着いている。
緊迫したものではないそれに勇気付けられ、ミントは口を開いた。
「クレスさん。鉄格子を破ったあれは、何だったのですか? 風が走ったように見えましたが」
ほんの少しの興奮と好奇心を覗かせてクレスを見るミントに、クレスは知れず笑みが浮かぶ。
安否の知れぬ母を大丈夫だと自分に言い聞かせ、クレスと共に進もうとするミントはどこか痛々しかったから、少しでもミントが元気になったことに安堵した。
「あれは、アルベイン流剣術の技だよ。基礎の技だけど、使いこなせれば、大岩を一発で砕く威力だってあるし、牽制にも使える。使い勝手のいい技なんだ」
剣術と小さく呟き、ミントは少し考えた素振りを見せた後、クレスに向き直る。
「では、さきほどの風は、クレスさんの気の具現化というのでしょうか?」
思わぬ言葉にクレスは足を止めてしまう。
急に止まったクレスに対処できず、背中にぶつかり、ミントはすいませんと恐縮した。
「いや、こっちこそ急に止まってごめん。え。ちょっとごめん、少し考えさせて」
ミントに断り、クレスは顎に拳を当て、一点を見つめたまま黙り込む。真剣に何事かを考え始めたクレスの邪魔にならないように、ミントは息を潜めてその様子を見守った。
時間にして数十秒。
もう少しかかるかと思えた時、クレスは弾かれたように顔を上げ、そうかと嬉しさを隠さぬ様子で拳を握りしめた。
「ミント、君のおかげで分かったよ! そうか、そうだったんだ。あの口伝。あれは、そういう意味だったんだっ」
興奮と喜びに満ちた満面の笑みを向け、クレスは無邪気に声をあげる。
ミントは訳が分からないものの、クレスが喜んでいる様を見て、微笑ましい気持ちになった。
黙ったまま見つめていると、クレスは我に返った顔をして「ごめん」と恥ずかしそうに頭を掻いた。
「何のことか分からないよね。技の口伝と、技の意味がようやく理解できて、嬉しくなっちゃって」
アルベイン流の剣士ではないミントには詳しく話せないことが残念だが、口伝の意味を理解したことで、目の前が一瞬にして広がった心持にさせられた。
父から教わった口伝。
『魔神の吐息は嵐と共に大地を駆ける』
嵐とは己の闘気。
それを練り上げ、凝縮し、繰り出したものに、魔神の加護はつくのだ。その闘気が強く、磨かれば磨かれるほど、威力は増大する。
クレスは魔神というものが本当にいるかどうかは分からない。
けれど、剣を振るう時、一瞬だが何かしらの存在を感じることがある。それは己の力が飛躍的に伸びた時や、己が出せる以上の力を発揮できた時など、それは本当に一瞬で、油断すればただの勘違いと済ませられるものだが、剣を修練した者ならば、おぼろげにその存在を知覚することができる。
簡単に掻い摘んでミントに興奮した訳を話せば、ミントはなるほどと小さく頷きを返した。
剣を修めていないだろうミントには訳が分からないだろうと思っていただけに、ミントが得心する様子が不思議に思えた。
止めていた足を進ませ訳を聞けば、ミントは小さくはにかんだ。
「未熟者ではありますが、私も法術を学ぶ者です。私たち法術師は、神や大地から力を借り、精神エネルギーを使って術を発動させます。一緒にするのは乱暴かもしれませんが、クレスさんの剣術も法術を使う上で同じことをしているのだろうかと思ったものですから」
出過ぎたことを言ったと思ったのだろうか。
言い終えると同時に、すいませんと顔を赤くするミントに、クレスは謝ることなんてないと首を振りながら、感心する。
「すごいよ、ミント。こうして考えたら、剣術も法術も根本的には、同じ考えからできているのかもしれない」
すごい発見だと目を輝かせるクレスに、ミントは恐縮する。
「いえ、私は何も。クレスさんが気付いたからこそのことですし、私なんて足手まといにしか……」
節目がちに顔を俯けようとするミントに、クレスは少し眉を寄せる。
状況が状況なだけに、気弱になることは仕方ないが、どうもミントは自分を過小評価する傾向にあるようだ。
黙り込むミントに、クレスは顔を上げて真っ直ぐ言い切る。
「そんなことはないよ、ミント」
「え?」
声を掛けられるとは思っていなかったのか、ミントは訝しげな声をあげた。
「ミント。あんまり卑屈にならないでよ。こうやって地下水路を見つけられたは君が気付いたからだし、僕が本当の意味で口伝の意味を理解したのは、君のおかげなんだ」
軽く振り返って、ミントの瞳を見つめる。
「口伝を理解することで、僕は今まで以上に闘える術を身につけた。それは、僕にとって何よりも大切で、重要なことなんだ」
ミントの瞳がわずかに見開く。何となくミントに訳を聞かれそうで、クレスは視線を外して、前方を見た。
視界の奥。
その水面には暖色の明かりが揺らいでいる。
外へ出ることは叶わなかったが、事態は好転していると信じたい。
「だから、僕は言うよ。『ありがとう』って。君がいてくれたことで、僕は強くなれた。感謝こそすれ、足手まといだなんてことは一度も考えたことはない」
はっきりと断言すれば、後ろから小さく息を飲む音が聞こえた。
小さく震えるような息も交じっていて、クレスは少しホッとする。気付かれないように肩口からこっそりと後ろを見れば、ミントは何度も頷きながら、流れ落ちる涙を拭っていた。
「……い。はい」
涙を拭けるものがあれば良かったのだが、使えそうなものは額に巻いているバンダナしかない。そのバンダナも血や埃で汚れており、手渡せそうにもなかった。
「、大丈夫、です。ありがとうございます」
何か他にないかとポケットを探っているクレスに、ミントが後ろから声をかけてくる。
振り返れば、ミントは少し目の下を赤くしながらも笑みを浮かべていた。
気負うことのない素の笑みだと感じ、胸が温かくなる。
「うん。やっぱりミントは笑った方が可愛いよ」
思ったことを素直に告げたつもりだった。
だが、クレスの一言を聞くや、ミントは目を大きく見開き、一瞬にして顔を真っ赤に染め、深く俯いた。
ミントの思わぬ変化に、自分の言動を思い返し、クレスは動揺した。
まだ会って間もないというのに、妙齢の女性に気軽に掛けていい言葉ではなかった。
ナンパしていると思われても仕方ない言葉に、他意はないということを伝えようとすれば、ミントが小さな声で礼を言った。
「…ありがとう、ございます」
顔を真っ赤に染めたまま、それでも視線を上げて、クレスにはにかんだ笑みを浮かべたミントに、鼓動が高まる。
「いや、えっと、その……」
何となく気恥ずかしくなって、顔を前に向ける。奇妙な熱が体を回って、顔を赤く染めたのが分かった。
火照る頬を擦り、クレスは気を取り直すように声をあげた。
「きっと出口に近いと思うんだ。気を引き締めて行こう」
「はい」
早口で言い立てるクレスに、ミントは微笑ましい気持ちで、頷いた。
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この小説では、技の名前を叫んだら、技発動という表現は止めようという結論にいたりました。
そして、捏造すいません……orz こうするしか私が納得できんかった…!!
魔術関連は術名ばりばり叫びますけども!! でもその前の言葉とか作ってみたいっすね、すね!!(中二病と言われようが、詠唱呪文、大好きだッ)
参考HP:『テイルズ●ブ用語辞典』大変お世話になっております。