色温度 2

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何故か、体がかゆかった。
全身がちかちかした後、かゆみが襲ってくる。手や足で必死に叩くのだが、そのかゆみは全身を回り、どうしようもなかった。
そして、臭い。
生ゴミが腐ったような、腐臭が鼻をつき、首を振っても臭いが追ってくる。
夢にかゆみと匂いはないはずだと、うんうん唸りながらばりばりと体を掻きむしっていれば、


「…うーるさいねぇ。少しは静かにしてくんない?」
突然、鼻を何かに抓まれ、息ができなくなった。
「ふ、あ!」
驚いて目を開ければ、目と鼻の先に、どえらい綺麗な顔がある。
苦しさも忘れて見惚れていれば、その綺麗な顔は右に口端を吊り上げると、実に悪そうな顔で言った。
「昔の誼で拾ってやったってのに。うるさいなら、そのまま外に放り出すよ」
そう言われて、自分の体に視線を落とせば、何故か服を着ていなかった。
衝撃のまま、ぎゃぁぁと声に出そうとして、長い指が口を塞ぐ。苛ただしげに潜まれた眉に、目の前の美人が気分を害したことが分かったが、鼻と口を塞がれ、息が出来ない。
「んー、んんんっ」
窒息すると押さえている手を叩いて、主張する。苦しい、死ぬッ。
「……あ、そうか。息できないのか」
ずいぶん遅い反応の後に、ようやく塞いだ手が離れた。夢中で息を吸い込み、咳きこんだ。生理的に浮かんできた涙を拭い、この野郎と睨めば、その美人は肘立てた手に右頬を乗せ、からかう口調で言ってきた。
「へぇー。そうして髪下して涙目になったら色気出ーるんだ。もしかして掘られたことある?」
人様に向けるには信じられない言葉と問いに、頬が引きつる。
いくら美人とはいえ、性格が極悪だと最悪だ。
「ご期待に添えずに悪いですが、その手の経験は一切ありませんし、色気なんてものはありません」
 きっぱりと言い放てば、「へぇ、そう」と軽く返される。そのままじろじろと見詰めてくる美人に、悪感情がなおのこと募った。
一体誰だと綺麗な顔を観察していて、特徴のある傷と髪の色に、一瞬放心した。
もしかして?


「そう、カカシ。はたけカカシでーすよ、イルカ先生」
先回りするように放たれた言葉に、口がかぱっと開く。
カカシ。はたけカカシ。ナルトたちの元上忍師の。
遠い記憶から、ついさっきの出来事を思い出し、頭に血が上る。
「か、カカシせむんが!」
あの女の一件は何だと非難の声を出す前に、再び口を塞がれた。
「だーから、うるさいと、放り出しちゃうよ? いいの?」
カカシの手がぴらりと布団をめくる。そこには、パンツさえも穿いていない己の裸身が姿を現した。続いて、隣にいるカカシも全裸の格好だということに気付き、パニックに陥る。
何故だ、どうしてだ。一体、何が起きた。
「むがむがんがんがが!」
「あー、何言ってるか、わかーんない。ま、オレとしては結構眠れたし、今からアンタを相手にしてもいいんだけど?」
誘うようにきわどいところへ、足を擦り寄せてきたカカシに、目を剥く。
カカシが男色の気があるとは聞いていないが、女の人を夜込みの家政婦扱いするくらいだから、性欲処理ができれば男も女も関係ない人なのかもしれない。
途端に体を硬直させるイルカに、カカシはふふふふと笑いながら体を起こす。
「あーれー? 今までの勢いは、どーしたの。なーに? 怯えちゃった?」
起き上がると同時に、両手首を掴まれ、寝台に押さえつけらえた。腰に跨がれ、腹へ微妙に元気なカカシの一物が当たる。
慌ててカカシの体を跳ね落とそうとしたが、全く動かない手応えに血の気が引いた。
無駄な足掻きだと笑みを浮かべるカカシが怖い。もしかしてこのまま掘られてしまうのか。後ろの純潔を散らしてしまうのか。
そのまま覆いかぶさってくるカカシに、声も出せずにとんでもない恐怖を覚えていれば、ぷっとカカシが吹き出した。


「アンタ、何、本気にしてんのー?!」
ぶははははとカカシが笑う。隣に寝転がって、背を向け笑い出したカカシに、しばらく反応できなかった。しかし、カカシが腹を抱えて笑い出すに至り、かーっと頬に熱が集まる。
からかわれた!!
「カカシ先生、あんたなぁっ」
起き上がって、大笑いするカカシに向けて、手元にあった枕を投げつける。ぼすんと後頭部に直撃するが、カカシは全く笑い止めなかった。
イルカが怒るだけ笑いが呼び起こされるのか、ひぃーひぃー笑うカカシに、何だかとっても悲しくなった。
そんなに笑わなくてもいいのに……!!
「もういいですよ! カカシ先生はそうやって一生笑っていればいいですッ」
ぷいっとカカシから背を向け、鼻を啜る。
今日は散々だ。結局ご飯は食べられなかったし、知らない女の人には殴られるし、今日の宿(?)はあったけど全裸で、性格悪い上忍のところだし。
ベッドの隅で膝小僧を抱えて、一日を振り返っていれば、お腹が空いていたことを強烈に思いだした。
きゅーぐるぐるぐる。
きゅーくるるるるる。
泣き止まない腹の音に、何とも情けない気持ちになる。泣いてもいいだろうかと鼻を擦っていれば、背後のカカシが起き上がり、肩口から何かを突き出した。


「……何ですか、これ?」
許した訳ではないが無視するのも子供っぽいと、ちらりと視線を向ける。すると、カカシはため息を吐きながら、イルカの手を掴み、強引に小さな袋を乗せた。
「腹、鳴らされてるとうるさーいの。それ、食べなよ」
安眠妨害と続けざまに言ったカカシへ反感を覚えた。だが、成り行きとはいえ一晩お世話になる人を無下にする訳にもいかない。
「……あ、ありがとうございます」
ぼそりと呟けば、「どーいたしまして」と、すでに寝転がったカカシから気のない返事が返る。
背を向けているカカシを窺い、眠ったことを見届けて、イルカは袋を開ける。一体何が入っているのだろうと目を輝かせて、中の物を取り出すと、黒い丸薬が三つ出てきた。
………はい?
一つ抓みあげて、匂いを嗅ぐ。
見た目は兵糧丸なのだが、特有の甘酸っぱい匂いがしない。
試しに舐めてみると苦みが舌をつき、思わず体が震えた。
胆汁に似た、ひどい苦みに声を殺して苦しんでいると、背後からくっくっくと忍び笑いが聞こえてきた。
「オレ、甘いの嫌いなの。オレの特製だーよ」
てめぇ、甘いのが嫌いって、限度があるだろうがッッ。


ひりひりし始めた舌は痛みを感じている。我慢できずに水を求めて、床に足を下ろした瞬間、ぐにゃりと信じられない感触が素足を襲った。
バナナを踏みつけたような、柔らかくぬめった感触が指の股に侵入する。
とってもいやーな予感に、そろりそろりと床に視線を落として、悲鳴をあげそうになった。
汚い。その言葉に尽きた。
紙や巻物、ペットボトル、空き缶、酒の瓶、食べ残した残飯、色のついた液体、脱ぎ捨てられた衣服、その他もろもろ。
それらは寝台の周りの床を占拠し、まさにゴミ部屋と言うにふさわしい有様だった。
だらだらと嫌な汗を流しながら、自分が踏んだ物からそーっと足を上げる。
そこには、赤や青や緑といった素晴らしい色合いを醸し出した、原形を止めていない残飯が、イルカの足型を残して潰れている。
上げた足と未知の物体とを結ぶ、粘りつく糸を見て、ははっと笑った。
「おー、ビンゴーっ」
おどけていないとやっていられない。
「なになに、アンタ、何、踏ん付けたの?」
わくわくした調子で覗きこんできたカカシに、イルカの額がぴきりと引きつる。
身を乗り出し、イルカの足と床に落ちている物を交互に見て、「アンタ、トロくさー。それ、ネギトロだーよ。まずかったから捨てたんだーよね」とぷふふと笑ったカカシに、イルカは切れた。


「清掃活動、開始――ッッ!」
唐突に声を張り上げたイルカに、カカシの体がびくりと跳ねる。
手に持っている兵糧丸を口に運び、がりがりと噛み砕いて飲んだ。
苦い、まずい。だが、それよりも俺はしなければならないことがある。
茫然としているカカシを鋭く見据え、イルカは尋ねる。
「カカシ先生。あの女の方がこの家に最後に来たのはいつですか?」
「さーてねぇ。最近は外で捕まることが多かったからねぇ。さっきも家に来いっていうのに、いきなりあんなことしちゃうし。わーけ分からないよーね」
そうか。あの人はあまりに汚いこの部屋の掃除をしたくなくて、ああいうことで誤魔化したのか……。
カカシが根本的に悪いが、あの人もカカシのことが好きなら全部受け入れればいいのに。まぁ、二人の関係は置いといて、だ。
一応カカシに聞いてみた。
「カカシ先生。俺、今から掃除しますけど、カカシ先生は――」
「はぁ? なーんでオレがそんなことしなきゃなんないのー? 冗談じゃなーいね」
聞くまでもなかったかと、イルカは肩を落とす。
「一宿の恩義ということで俺は掃除します。うるさいのは多目に見てくださいねっ」
まず服はどこいったと、視線を走らせるイルカに、カカシは茫然とした声で聞いてきた。
「……掃除、アンタがしてくれるの?」
「しますよ。お礼ですよ。お礼」
それに、こんな中で眠れるほど人間駄目になっていないと、イルカは思う。
あの夢の中で、ちかちかしたかゆみの正体はダニかと、身震いさせていると、カカシがこちらをじーと見ていることに気付いた。


「……何ですか?」
尋ねると、カカシは慌てて視線を逸らし、胸を突き出すように横柄に言った。
「言っとくけど。オレ、アンタに奉仕するつもりはさらさらないからねッ。女ならまだしも、男に手を出すほど不自由してないから」
どっと疲れが両肩に圧し掛かる。
頭痛を感じ、顔を俯ければ、ばさばさと髪が前を覆った。
掃除の前に何か縛るものを見つけなくてはと考えつつ、前髪を掻きあげ、カカシを振り返る。
「……不自由しているとは思っていませんし、俺はカカシ先生の元にいた女の人のように奉仕を望んでいません。というか、迷惑ですから、絶対に止めてください」
きっぱりと言い放てば、カカシの顔色が輝いた気がした。
目はきらきらと光り、白い肌にうっすらと朱が差す。
子供が何かを見て喜ぶような態度に違和感を覚え、ぽけっと見ていれば、カカシはばつの悪い顔をして背を向けた。
「そ。じゃ、勝手にやりなよ。オレ、寝るからっっ」
そのまま布団を被り、寝る体勢に入ったカカシを見届け、やれやれとため息を吐く。期待はしていなかったが、そう突き放して言わなくてもいいだろうに。
気を取り直して、それじゃやるかと、頬に一発気合いを入れ、立ち上がる。
時計を探すが見当たらず、時刻はよく分からない。
できれば、朝がくるまでに終えたいなと思いつつ、まずは服を探しに行ったイルカは、先々の場所を見て目眩を覚えた。
朝までは無理だ……!





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このイルカ先生は、家事は普通にできます。何たって一人暮らしが長いですから!!