色温度 5
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「あー、帰りたくねぇ……」
職員室の一角。
他人の残業を横取りして時間を稼いでいたが、それもとうとう終わってしまい、イルカは机に突っ伏した。
只今、時刻は夜の七時半。もう少し、先延ばしにしたかったのだが、ここら辺が限界のようだ。
「なんだー? お前、いい下宿先が見つかったって、喜んでいたんじゃねーの?」
残業を分け与えてくれた同僚が笑いながら声を掛けてくる。それに「まぁな」と返事を返しつつ、零れ出るため息を隠さず大きく吐いた。
「始めはなー、そら良かったよ。豪華な食材、でかい檜風呂。寝台は少々難ありだけど、それでもでかいダブルベッド。ゆとりのあるでかい家! それがなんと家事するだけで、無料で飲み食いできて下宿できるたぁ、最良物件どころの話じゃないよなッ」
なら良かったじゃないかと口を開こうとする同僚を制し、イルカは拳を握りしめて続けた。
「ところがどっこい、世の中にゃそうそう上手い話は転がってねぇ」
分かるかと眼差しを向ければ、同僚は曖昧に笑って「さぁ」と言う。
そらそうだ、分かるわきゃないよ。こんなことになるなんて予想外、想定外すぎるさと、イルカはうふふと笑う。
「その家には、陰険意地悪姑と、元気でいっぱいやんちゃで悪戯好きの甘えたな子供が複数漏れなくついていたんだ」
「は?」
言っていることが分からないと眉根を寄せる同僚に、イルカは乾いた笑みを浮かべた。思い出すのは、カカシの家に身を寄せた日のことだ。
イルカがカカシの家に帰ると、事態は急展開を迎えていた。
「ただいま戻りました」
玄関の戸を開けた途端、出迎えたのは複数の声だった。
「遅い遅いぞっ」
「カカシが腹空かしてるだろ、何やってんだ」
「仮にもこの家に入るなら、きちんとしてもらわないと困るね」
ぎゃいぎゃいわんわん。
広い玄関口で、大きいのから小さいのから、サングラスかけたのやらが飛び跳ねては、帰りが遅いとイルカを責め立てる。
突然、犬の集団に囲まれ、イルカは瞬きを繰り返した。もしや家を間違えたかと、玄関を出て表札を見れば、そこには『はたけ』と明記してある。
首を傾げてもう一度玄関へ足を踏み入れば、犬の猛攻撃が始まった。
「鈍臭い奴だなー」
「さっさと食事の支度しろッ」
「おれたちのもだからなッッ」
「い、いって! こら、噛むなっ、急かすなッ。おい、まだ靴脱いでないんだぞッッ」
何とか靴を脱ぎ終え、廊下に足を下ろして、あぁーと声をあげたくなった。足の裏に突き立つ砂や泥の感触。
今朝やっと綺麗にしたというのに、また逆戻りしたその感触に、イルカの機嫌は急降下した。
「こら、さっさと動け」「愚図、のろま」と吠えたてる犬たちに、仕事で疲れた体が怒りを覚える。
まとわりつく犬たちを見下ろし、イルカはにっこりと笑った。
「まず、先に、手洗いだ」
何かを感じ取ったのか、犬たちの声が止まる。一瞬の隙をつき、手近な一匹を捕まえ、問答無用で風呂場に押し込め、結界で封じる。ぎゃおーんと声をあげ、風呂の戸を掻くそれを皮切りに、一斉に犬たちは逃げ出した。
イルカは今朝を振り返る。掃除をしている時に、か所か所に落ちていた動物の毛や土や泥。そして、寝ていた時に感じたあのかゆみ。
こいつらが原因かぁぁあ!
今晩の安眠を確保するべく、本気で追いかけた。どの犬もよくよく見れば、うす汚れている。
「カカシに養われている癖して、生意気だぞ」
「おれたちの方が先輩なんだぞっ」
憎まれ口を叩くが、追いかけている尻尾はどれもが嬉しそうにぶんぶん振り回っていた。この野郎、完全に遊んでいやがるっ。
木の葉の額当てと、同じマークのマントをつけているそれは、カカシの忍犬だろう。さすが忍犬というような素早い動きでイルカを翻弄し、目に入る犬全てを風呂場に押し込めたときは、イルカはへろへろになっていた。
「……お、終わった……」
ぜーはぁと肩で息をしながら、風呂場の前に座り込む。
「ね、案外、筋いいでショ」
「ふん、どこがじゃ。あいつらが本気だったら捕まっておらんぞ」
カカシと聞き覚えのない声を聞きつけ振り返れば、若いカカシとその足元に小さなパグ犬がいた。その犬も、他の犬と同様に額当てとお揃いのマントを付けている。
やはり他の犬と同様、風呂場送りにせねばと狙うイルカに、そのパグ犬はしわくちゃな顔を歪め、「小童が」と不快も露わに言い捨てた。
何となく他の犬とは違う、貫録十分なそれに思わず腰が引ける。いやいや、だがしかし、今夜の安眠を得るためにはと己を鼓舞して捕まえる算段をしていれば、イルカの横を通り、カカシは唐突に風呂場を開けた。
「なっ!?」
途端に出てくる七匹の犬に、イルカは今までの苦労はと衝撃を隠せない。
「紹介すーるよ。オレの心強い忍犬たち。で、こっちがイルカ先生」
シバ、ビスケ、アキノ、グルコ、ウーヘイ、ウルシ、ブルと名前を告げるカカシに合わせて、イルカへとタックルをかましたり、足を噛んだり、匂ったり、さまざまな反応を見せる忍犬たち。時折、ピンと小さくて黒いものが飛び跳ねるのを横目で見ながら、イルカは放心する。そして、
「で、このちっこいのが、パックン。忍犬たちのリーダーで、オレの育ての親みたいなもん」
「みたいなもんではなく、親じゃ! まったく昔は可愛かったのに、憎まれ口を叩くようになりおって」
かぷかぷと犬に噛まれつつも、顔を向ければ、パックンと呼ばれたパグ犬は、イルカの目線の遥か下にいるというのに、見下ろすような尊大な態度をとり、まるで親の仇を見るような目でイルカを睨んだ。
「小童…。貴様がどれほどのものか、見せてもらうぞ」
無防備な頬を強烈に叩かれたような気がした。
「イルカ、イルカご飯ご飯」「腹減ったー、ご飯―」「うーわんわんわん」とじゃれつく犬の中、何故か不敵に宣言されたパックンの言葉に、イルカは「よろしくお願いします」と間抜けな挨拶をするしかなかった。
そして、ノミダニ駆除に続き、微妙に汚い忍犬たちを洗い、ブラッシングをし、ノミ駆除液を垂らし、ようやく安眠を確保できたイルカに、「あいつら喜んでたから、時々やってよ」とカカシに言われ、そのまま忍犬たちの面倒まで見るようになってしまった。
家事に加え、子供のような犬たちの世話係を申しつけられ、イルカの生活は激変した。
通常任務をこなした後、家に帰ると休む暇もなく、朝干した洗濯物を取り入れ、すぐさま料理の支度に取りかかる。煮物やご飯が出来上がるまでに洗濯物を畳んで、風呂の準備、忍犬たちのご飯も作って、一緒に食べて、その洗い物をして、風呂に入って、その残り湯で洗濯機回して、合間合間に忍犬たちの相手をして、姑パックンのねちねち攻撃を受け流しつつ、時折マントの縫物もして、忍犬たちが外に出た日は床の掃除と忍犬たちの足を洗ったりなどなど。
目まぐるしい事この上ない。
一日が終わる頃にはへとへとで、授業の準備もそこそこに倒れ込むように眠る事がざらとなった。
家事に追われるとはこの事なのかと、世の共働きの女性方に脱帽する。
家にいるよりも、勤務先にいた方が楽かもしれないと、イルカは無駄な足掻きと知りつつ、残業を他人から毟り取っていたのだった。
だが、それもお終いだ。
気ままな一人暮らしのときならば、これからいっちょ酒盛に繰り出すところだが、家にはイルカのお仕事が待っている。しかも、陰険鬼姑パックンと、無邪気で可愛いが体力を使う忍犬たちもイルカを待ちわびている。
うぅと男泣きするイルカの肩を叩き、「何か良く分からんが、根性だ、タダ飯最良物件だろッ」と励ましてくれるが、今のイルカには何も響いてこなかった。
「イルカ先生、姑問題ならば、『将を射んと欲すればまず馬を射よ』ですよ」
同じく残業をしていた先生が声をかけてきた。
半年前に結婚したくのいちの先生で、当初は姑が姑がとアカデミーの給湯室で鬼嫁と化し、男性陣の心に深い傷を残していたが、近頃ではそんな悪鬼の形相も成りを潜めている。
「……どういうことですか?」
経験者のご助言だ。ありがたく聞くに限る。
今後の参考にお前も聞いておけと、帰ろうとする同僚の肩を掴み、話を促せば、先生は満面の笑みを湛えて言った。
「要は旦那を味方につければいいんですよ。姑には旦那からそれとなく言ってもらった方が波風立たない確立が高いですからね」
「……イルカ、旦那を攻略しろ」
ぽんぽんと肩を叩き、それじゃオレは帰ると足を踏み出した、薄情な同僚の背中に張り付き、イルカは叫んだ。
「旦那って! 俺は嫁に行ったつもりは毛頭ないですよッ。第一、俺は男ですッ」
嫁宣告は撤回してと悲鳴を上げれば、先生は朗らかに笑う。
「だって、イルカ先生。毎日、陰険姑と言いたくなる方に家事をしごかれているんでしょう? 婿とはちょっと違いますし、どちらかと言えば嫁の立場じゃないですか」
確かに身を寄せているとはいえ、やっていることはまるで嫁だ。だが認めたくなくて、声を張り上げる。
「いやいやいや! 違います、大いに違う点がありますよッ」
「ふーん、どんな?」
早く帰らせてくれと冷めた視線を向ける同僚に、ひどいと内心憤りながらもイルカは胸を張って答えた。
「家主が帰りません!」
夫婦ならば同じ屋根の下で暮らすのが普通だろうが、どっこいイルカとカカシは違うのだ。
共同生活が始まって数日間は、確かに一緒に生活をしていたが、ある日突然カカシは帰らなくなった。
用意している食事はいつの間にか無くなっているから、帰っていないと言うには少々語弊があるが、イルカは全く姿を見ていなかった。
大方、むさい男と生活するのが気詰まりになり、修羅場生産に精を出しているのだろう。未成年の癖して何てヤツだ、説教してやるッと思うことも度々あるが、身を寄せている身でカカシの自由な時間についてあれこれと口を出すのも憚れる。
教育者としてと、居候としての身の上に挟まれ悩んでいると、同僚と先生は同時に間の抜けた声をあげた。
『は?』
どうしてイルカのことを「やだ、こいつ信じらんない」「脳みそついてんのかしら」と蔑んだ目で見てくるのだろうか。
「どうかシマシタカ?」
叱られる予感を覚えて、半笑いで尋ねれば、二人は同時に爆発した。
「お前、家主いないって、何、いけしゃーしゃー言ってんだッ。有り得ないだろ、というか、何か思わないのかッ?!」
「先生! それは姑問題じゃなくて、先生のデリカシーのなさによる当てつけですよッ。何、やってんですか!」
爆発した二人の怒りの矛先が分からない。
「え? え? え? だ、だって、家主には家主の事情ってもんがあるだろうし、居候の俺がとやかく言うことじゃ……」
『アホッッ』
「か」「ですか」と言葉尻は違うものの怒鳴られ、イルカは項垂れる。
そこに直れと同僚が床を示すから、神妙な顔で床に正座していれば、先生もこちらにやってきて同僚と一緒に見下ろされた。
「イルカ先生、お聞きしますけど」
おもむろに切り出した先生が、ため息混じりに言葉を吐く。
「先生が言う、最良物件事情から察するに、家主は上忍、しかも外回りの戦忍でしょ。おまけに、かなりの稼ぎ頭」
「違う?」と視線で尋ねられて、違わないと首を振る。
それと同時に「やっぱりか」と同僚が頭を抱えた。
「イルカー。お前ほど鈍い忍びも珍しいぞ。オレたちだって数週間前までは一緒に外勤任務励んでいただろうに、何でわかんないんだ?」
言葉が遠回り過ぎて、とんと理解できなかった。
頭に疑問符を突きたてるイルカに、同僚は呻く。
「任務後は、自分のテリトリーで精神を清めるのが普通だろ」
その任務が陰惨なほど。
そう付け加えた同僚に、イルカは首を傾げた。
久しぶりに出た外回りの任務だが、カカシほどではないが陰惨なものも中にはあった。そのときのイルカは部屋がないため、家に帰れない者たちと皆でアカデミーにて雑魚寝をしていたが、特に困る事はなかったし、回りも皆、イルカと同じ様子だった。
どんな問題があるのだろうと眉根を寄せるイルカに、同僚は悔恨の呻き声をあげる。「しまった、こいつは究極の無神経野郎だったんだ」って、失敬な!
同僚の言葉にムッとしていると、先生も何故か納得の声をあげ、「言い方を変えましょう」と切り出した。
「先生。世間一般の、ごくごくまともな神経を持っている忍びなら、任務後は荒れるのが普通です。それを癒す方法は人それぞれですけど、自分のテリトリー内で行うことが一般的なの。先生が身を寄せている方の家は間違いなくそのテリトリー圏内。傍から見たら、イルカ先生はテリトリー内にいる邪魔者でしかないの」
思いもしなかった己の立場に、驚愕する。
「え、でも、そんなに俺が邪魔ならとっとと家から追い出せば!」
「それは望んじゃいないってことだろうが」
「はぁ?」
一体、何故そうなる。
本気で分からないイルカに、先生はあーもーと地団太を踏んだ。
「イルカ先生、どこまで鈍いんですか! そんなの連れて帰って欲しいからに決まってるでしょ。家主はあなたが呼んでくれるのを待っているんですよッ。それを姑も分かっていて、あなたが何もしないから、家主が不憫なのもあって余計あなたをいびるんですッ」
断言されて言葉を失う。
いや、だが、でも、だって。
頭の中でそんな言葉がぐるぐると回る。
固まるイルカに、同僚は重々しいため息を吐いた。
「その家主が家を出て行ったのも、お前に原因があるんじゃねーのか?」
そんなバカなと笑おうとして、先生が横から口を挟んだ。
「先生。もしかして、子どもたちばかりの相手をしていませんでしたか?」
唐突に話の矛先が変わり、面食らう。
「へ? そりゃ、任されましたし、誠心誠意、朝から晩まで相手をしていましたけど」
何故分かるんですかと驚けば、先生と一緒に同僚まで額に手を当て、首を横に振った。
「やっぱり」「どうしようもないな」と残念な気配を前面に押し出す二人に、イルカは戸惑うばかりだ。カカシが帰らない原因が、どうして忍犬と繋がるのだ。
「なんだよ、二人ともっ。二人で分かり合っていないで教えてくれよッ」
自分だけ分からない疎外感が非常に寂しい。
じっと見つめていれば、二人は教育者の顔になった。
「先生。家事をしてくれるとはいえ、赤の他人を自分のテリトリーに進んで入れる人はいません」
「給料日までの期限つきとはいえ、自宅に帰ったら常に他人がいる状況。オレだったらごめんだ。気を休める暇もありゃしねぇ」
そこで一旦口を閉じ、二人は同時に言った。
『と、いうことは?』
「え?」
『と、いうことは、その家主は何を求めているのでしょうか?』
「何をって。だから家事だろ。あの人、家をごみ溜めにして、おおよそ人が住めない環境に――」
「今までそれでやって来たんだろう?」
「わざわざ家事だけのために家に入れます? 中忍よりも警戒心強くて、お金も有り余るほど持っている上忍なのに。家を綺麗にしたいなら専門の人を雇いますよ。暗部、上忍専門の家政婦協会があるくらいなんですから」
さらりと言われ、咄嗟に言葉が出ない。それは、その通りなのだが。
「…えっと、金なし、宿無しの俺を、哀れんだから…?」
「それなら、金貸して終わりです」
「家に住ませるまでしねーよ」
続けざまに言われ、思考回路が止まる。
確かに。
始めの出会いの成り行き上、連れて帰ることはあるだろうが、家にイルカを置かなくてもいいはずだ。一晩休ませたら、金を持たせて放逐すればいいだけなのに、カカシはそうはしなかった。そればかりか、契約なんてものを持ち出して、イルカを家に繋ぎとめようとした。それは一体。
「――あっ、俺、秘密を握ってるからだ! きっとそ――」
偶然知った機密を思い出し、これが答えだと顔を上げた先に、顔を青くしている二人を見つけ、言葉が途切れる。
「…よく無事でいましたね」
「…上忍の秘密を知って、五体満足でいられる方がおかしいぞ」
ドン引きする二人を見て、冷や汗が吹き出る。
本当だ! 俺、よく無事でいたなッ。
「どうして俺はあそこにいられるんだ!!」
今更ながら直面した疑問に、動揺が走り抜ける。イルカはカカシにそこまでしてもらう義理も関係も情もなかった。
どういうことだと混乱しているイルカに、二人は拳を握ってせっついてきた。
「先生とその人の会話の中に答えがあるはずなんです!」
「そうだ、会話だ! 特に、お前がその人の家に身を寄せる時に交わした会話がキーポイントだ!!」
会話。
身を寄せたときの会話。
「頑張ってください」「イルカなら思い出せるっ」と応援してくれる二人の声に後押しされ、思い出す努力をしてみる。
イルカがカカシとまともに会話したのは、そう、身を寄せることになった、豪華朝食のときだ。
『……じゃ、オレがまともに食べたら、アンタ、笑ってくれる?』
『オレと笑い合って、おいしいって言ってくれる?』
『オレ、今度からまともに食べるかーらさ。オレ見て、笑って、おいしいって言って』
『約束』
そう言ってカカシは、年相応の顔を見せ、小指を差し出してきた。
結局それは契約云々の前振りに過ぎなかったが、そのときの顔が妙に頭へこびりついてしまい、イルカはカカシのことを年相応に扱ってやりたいと思う切欠になった。
そこまで思い出して、答えを見つけた気がした。カカシがイルカを家に置いた理由。
「――分かった」
ぽつりと零した言葉に、二人は諸手をあげた。
「そうですか!」
「ようやくかッッ」
歓声に沸く二人の前で、イルカはしみじみとカカシのことを思った。
そうか。そうだったのか。表向きは全然堪えていない様子だったけれど、それは見せ掛けだけで、本当は誰よりも求めていたのだ。
「……寂しかったんでしょうねぇ。大人の温もりってやつを求めていたんだな、きっと」
『………はい?』
事故のような成り行きだったが、本来の自分を曝け出せる存在を見つけて、カカシはきっと息をついたに違いない。これで虚勢を張る必要もなくなる。大人ぶる必要はなくなるのだと。
カカシは今までずっと大人として扱われてきたから、素直に甘えることが出来なくなっていたのかもしれない。もしかしたら、そのことが原因で修羅場製造マシーンとなっていたのか。だとしたら、それはなんて。
「泣ける話じゃねぇか」
思わず出そうになった鼻水を手首で跳ね上げ、イルカは感じ入って頷く。
「きっと無償の愛ってやつが欲しかったんでしょうねぇ。親の愛を存分に受けられなかったから、成り行きで一緒になった俺にそれを求めてしまった。いやいやいや、重荷なんて思わねぇよ、俺は。親の愛を失くした気持ちは俺が一番わかってんだ。そういう生徒に笑って欲しくて、俺は教師になったってのもあるんだからな」
ぐずつく鼻を一度大きく啜り、イルカは立ち上がる。
「え、イルカ先生?!」
「ちょ、イルカ、おまっ」
慌て出す二人の手を取り、イルカは目を輝かせた。開眼しましたと希望と悟りの光を放つイルカの視線を避け、二人は目を背けている。
「ありがとう、二人とも! 俺は目が覚めたッ。これから探しに行ってくる。あの家に帰るときは、二人で一緒のときだッ。今日から俺があいつの父親だッッ」
ずばんと言い切るイルカに二人は何かを言おうと口を開いたが、イルカはもう何も言うなと手を掲げて制した。
「分かってる。実の父親は無理だってことは重々承知してる。でも、立派な仮親に、いいや第二の心の親となってみせるッッ」
今までに培った教師生活の集大成じゃぁぁと雄叫びを上げ、イルカは荷物を引っつかみ、職員室を飛び出した。
「イルカー、違うんだぁッ」「戻ってきてぇ、先生」と背中の方から叫び声が聞こえた気もしたが、愛を求めて彷徨うカカシの前には、些細なことだと切り捨てた。
普段のカカシの行動範囲は全くもって分からないが、ここは当たって砕けろ戦法に限る。前に会ったところを入念に探せば、きっと手がかりが見つかるはずだ。
夜の歓楽街へと足を向けるその前に、イルカはパックンへと式を送る。
犬の身で、カカシの親として今まで頑張ってきたパックンに、ヤキモキさせて悪かったなと深く反省した。
これからのイルカの行動で、少しはパックンの心の平穏を取り戻せたらと願うばかりだ。
『今日、カカシ先生を連れて帰ります。今まで、すいませんでした』
聡いパックンのことだ。これで全て通じるはずだ。そして、今日は家事できなかったが、この式で全部収まる、はず!
それはそれ、これはこれじゃと仏頂面の難しい顔を思い出しかけて、頭を振って他所に追いやる。
星がまたたく空へと消えていく式を見送り、イルカは歓楽街へと走った。
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大いに鈍いイルカ先生の本領発揮だ!!