「たーだいま、と」
玄関前で、カカシは一人呟く。
町外れにある平屋の一軒家が、カカシが今、わりと高い頻度で使っている家だ。
忍犬と、そして未来の嫁と一緒に暮らす予定で、広い庭とそれなりの部屋数のある家を購入したが、カカシの予想を裏切り、ここで忍犬たちと嫁と暮らした事は一日たりとてない。
嫁は、未来という言葉が冠するようにまだ相手が見つかっていないという理由だが、忍犬たちを呼び出せないことには、それなりの理由があった。
手入れすれば忍犬たちの簡単な運動もできる庭は、腰丈まで伸びた雑草に覆い尽くされ、人と犬の侵入を拒んでいる。
そして、和風建築の戸を滑らせて中に入れば、あらゆるゴミがカカシを出迎えた。
「…やっぱりねぇ」
女の様子からだいたいの見当をつけていたが、出てきた時と同様の有様に、カカシの口からため息が零れ出る。
面倒をみたいと言い寄る女の顔を思い出しているカカシは、物心ついた時から一度たりとて家事というものをしたことがなかった。
幼くして忍びとして生きていたカカシは、生き残ることと任務を完遂することが全てで、人間らしい生活を知らずに育ってきた。
非凡な才故に、一気に上忍へと駆け上ったカカシは、下働きを務めたことがない。
里に戻って生活することはほとんどなく、専ら戦場暮らしを送っていたため、側についた下忍や中忍が、カカシが過ごしやすいように掃除洗濯はもちろんのこと食事や身の周り全てのことを面倒みてくれていた。
そして出来あがったのは、生活力皆無な男だ。
そんな男が一軒家を購入したところで、まともに暮らせるはずがない。
幼いころから任務を受け続けた結果、金は有り余るほど持っているため、着る物、食べる物、日用品雑貨を気ままに買っては、家の中に捨てる日々。
掃除をしないから埃は綿毛になるほど溜まり、蜘蛛の巣が天井を蔓延り、庭では草が生え放題。
食べ終わった容器も、食べ残した物も全てその場に捨てるものだから害虫が沸く。その匂いや虫に引き寄せられ、小動物というには可愛くない生き物も蔓延り、気付いた時には腐臭が漂う、悪屋敷と化していた。
町外れにあったことと、人が滅多に立ち寄らなかったことも、なおのこと家の環境を悪化させた。
異臭がすれば、ご近所さんの注意で少しは綺麗なったかもしれないが、戦場暮らしが板についていたカカシには、食べ物の腐った臭いくらいでは悪臭と思わなかった。
ただ一つ、家についてカカシが思うことは、いつになったら忍犬と一緒に暮らせるのだろうかと思うことだけだった。
自分が暮らすには、大して弊害を感じていないカカシだが、忍犬をここに住ませるのは可哀想だと変な感覚を有していた。
廊下を占拠するゴミや衣類を土足で踏みつけ、カカシは寝室へと向かう。
ドアの前に幅を利かせている、がらくたを足で蹴飛ばし、寝室に入れば、そこにもさまざまな物があふれ返っていた。
床を最後に見たのはいつだったっけと、眠い頭でぼんやり考えながら、寝台にイルカを放り投げる。自分の靴を脱いだ後、イルカの靴を脱がし、おもむろに服を脱がし始めた。
カカシとしては血生臭い任務を終えたのに、家の中まで血の臭いを嗅いでいたくないという考えだ。
ベストを取っ払い、アンダーを引っこ抜く。鼻の下を汚していた血をアンダーで擦り落とし、ズボンに飛び散った血も気になって全部剥いて、一緒に火遁で燃やした。
焦げくさい臭いを残し、血の匂いが消えたことに満足を覚えながら、パンツ一枚だけになったイルカを見下ろし、カカシはしばし考えた。
家は安らぎと解放感があるものだと、育ての親に教わったカカシは、寝るときは全裸で眠ることにしている。
ここは家主であるカカシのルールに従ってもらおうと、イルカのパンツを引っこ抜き、床へと投げる。
眼前に出てきたイルカのものは、通常時ながらなかなか立派なものだった。だが、自分と比べるとひよっこというところか。
忍び笑いを漏らし、身につけているものを脱いで、床へと投げ捨てた。
意識は眠気に引きずられ朦朧としている。イルカに布団を被せ、自分も布団に潜り、息を吐いて力を抜いた。
ふとそこで、このまま眠りにつこうとしている自分に気付き、驚いた。
長い野戦暮らしで、寝首を掻かれないためにも他人の気配には敏感過ぎるほど神経質になっていたというのに、カカシはその他人の隣で眠ろうとしている。
「……変な人だから?」
平和そうな顔をカカシに向け、眠りこけているイルカをぼんやりと眺める。
ぷすーと時々膨らむ頬を人差し指で突けば、イルカの眉が寄った。苦悶に呻く顔が面白くて、ぷにぷに突いていれば、避けるように仰向けに寝転がる。
「う、ううぅぅ」
途端に、顔をしかめて唸り始めたイルカに、笑いが零れ出た。変な人。だが、悪くない。
歯軋りしながら首を振るに至って、ようやくイルカの苦悶の原因が分かった。イルカの後頭部には、高々と結わえられたちょんまげがある。それが仰向けになったことで、結わえた紐が食い込み、痛むらしい。
「ばっかだねぇ」
笑いながら、その苦悶の元を取ってやれば、思った通りイルカの顔は安らかなものへと変わった。
シーツの上に、黒い髪が広がる。固い髪は持ち主の性格を表したかのように真っすぐで、癖毛のカカシの髪とは違って頑丈そうだった。
「……変な人……」
柔らかな寝息に誘われて、瞼が落ちる。
久しぶりによく眠れそうだと、眠りに落ちる寸前、カカシは思った。
「う、ぅ、くさ、かゆいっ」
もぞもぞと隣で身じろぐ気配で、意識が浮上した。
目を開けるのも億劫だったが、しぶしぶ開ければ、こちらに顔を向けたイルカが眉根を寄せて、全身を掻きむしっていた。
小動物の落とし物に、襲われている最中らしい。
戦場では害虫から身を守るため、全身にチャクラを薄く張りつかせ、防護服代わりにしているのだが、内勤のイルカはしたことがないのだろうか。
失神していたのだから無理もないと思いつつ、うんうん唸るイルカはうるさいことに変わりない。
「…うーるさいねぇ。少しは静かにしてくんない?」
カカシはすでに目が覚めているのに、うるさい癖に眠り続けるイルカの図太さに苛立つ。
腹いせに思い切り鼻を抓んでやれば、さすがのイルカも目を覚ました。
ふあっと口が開き、目が開く。
思ったよりも深い黒の瞳が、カカシを映した。
間近で見た、黒曜石のような深い闇を湛えた瞳を綺麗だと見惚れ、次の瞬間、馬鹿かと自分の感情を否定した。男相手に綺麗だと思うなんて、どうかしている。
イルカは何を言うこともなく、ぽかーんと口を開けてカカシを見詰めていた。
「昔の誼で拾ってやったってのに。うるさいなら、そのまま外に放り出すよ」
何か反応が欲しくて、ことさら意地悪げに言ってやれば、ようやく己の状況に思い至ったらしい。
カカシから視線を外し、自分の体を見下ろして、顔色が変わった。ひっと大きく息を吸う気配を感じて、遠い記憶がよみがえる。
『イルカ先生の怒鳴り声ってば、耳が痛くなるんだってばよ』
『あれは凶器だ』
『ホント、こっちが叱られている訳じゃないのに、竦みあがっちゃう』
苦い顔の中にどこか嬉しそうな気配を滲ませ、子供たちがカカシに言っていた。
その瞬間、体が動いた。イルカに覆いかぶさるように、口を塞ぎ、一分の隙もないように声を閉じ込める。
驚いたようにイルカの目が見開く。イルカの手がカカシの腕に縋り、叩いたり、つねったりしてきたが、大した衝撃はない。
顔を真っ赤にして抵抗してくるイルカを見下ろしていると、顔が徐々にどす黒い赤に変わり始めた。
「……あ、そうか。息できないのか」
窒息させるところだったと、両手を退ければ、イルカは体を横に曲げ、激しく咳を繰り返し始める。胸を上下に大きく動かしながら、気だるげに零れた涙を拭く様はどこか色を感じさせた。
意外な一面を見つけて、内心これはと驚いた。
普段は朴訥としてもっさい男だが、髪を下ろして黙っていれば案外そそられる。昼の底抜けに明るいイルカを知っているせいか、そのギャップも心擽られた。
濡れた目でカカシを睨みつける様も、一筋縄ではいかない強情さが染み出ていて何だかいい。
「へぇー。そうして髪下して涙目になったら色気出ーるんだ。もしかして掘られたことある?」
立てた肘の上に頬を乗せ、半分本気で尋ねてやる。
可虐心を煽る風情のあるイルカは、その手の男だったら喜んで相手をするだろう。かくいうカカシも、このイルカなら手を出してもいいなと思っている。
だが、イルカはあからさまに嫌悪の表情を浮かべると、不快も露わに言い放った。
「ご期待に添えずに悪いですが、その手の経験は一切ありませんし、色気なんてものはありません」
強い眼差しを向け、断言するイルカに、未だ手を付けられていないことを知る。
これは掘り出し物かもしれないと、イルカを興味深く見ていれば、イルカは眉根を寄せた次の瞬間、あっと何かに気付いた顔をした。
その表情に、まさかと思う。イルカはカカシだと今の今まで気付いていなかったのか。
「……そう、カカシ。はたけカカシでーすよ、イルカ先生」
呆れつつも、未だに疑問の残る顔をするので告げてやれば、イルカの口が開いた。そして、顔を赤らめ、指差してくる。
「か、カカシせむんが!」
爆発の予兆を感じ、イルカの口を再び塞ぐが、暴れっぷりが半端ない。
元気だなーと内心感心しつつ、殴りかかってきそうなイルカを大人しくさせるため、カカシは布団をめくった。
「だーから、うるさいと、放り出しちゃうよ? いいの?」
胸元から太ももが見えるようにめくれば、イルカの体が一瞬震えた。
全裸で放り出されるのは嫌だろうと尋ねたつもりだったのに、イルカは激しく誤解したらしい。
「むがむがんがんがが!」
首を振り、腕を振り上げ、足が飛ぶ。
よくよく聞けば、何故だ、どうしてだ、俺は男だと叫んでいるようだ。もしかして、カカシがイルカに性的悪戯をしたとでも思っているのだろうか。
涙目で必死に暴れるイルカに、笑いが込み上げてきた。そんなに嫌がられると、悪乗りしたくなってしまう。
「あー、何言ってるか、わかーんない。ま、オレとしては結構眠れたし、今からアンタを相手にしてもいいんだけど?」
女がいいと絶賛する声を出して、イルカのきわどいところに足を寄せて擦り合わせた。それだけでイルカの体は硬直し、ぷるぷると震えだす。
カカシを見上げるイルカの瞳に、怯えが入ったのを見てとり、心の底から楽しくなった。
「あーれー? 今までの勢いは、どーしたの。なーに? 怯えちゃった?」
気分はすっかり悪役だ。
意地悪げに笑い、両手首を掴んで寝台に押さえつける。恐怖で声も出せないイルカの腰に乗れば、小動物のように怯えてくれた。
あー、ちょっと可愛いかもしれない。
ごつい男に抱く感想ではないが、苛めて欲しいと言わんばかりの涙ぐんだ瞳といい、全身を緊張させる様といい、どれもがカカシのツボをついてくる。
微妙に元気になっている自分のものにまずいなと思いつつ、もう少しだけ遊びたいと顔を近付ければ、イルカの顔が避けるように俯き、瞳を固く閉じた。唇まで引き結び、迫りくるカカシに心底怯えている。
「嘘だーよ」と間近に顔を近付けて終わるつもりだったのに、ぷるぷると震えるだけのイルカの反応に、心臓がきゅんと音を出した。
今までカカシに近付いてきた者は、自分に自信のある女や男ばかりで、自分の肢体をあからさまに見せつけては誘いをかけるものが多かった。
そのため、目の前のイルカの態度はひどく新鮮であり、感動まで覚えてしまった。そして、これだと一も二もなく思った。
カカシのお気に入りの本はイチャイチャパラダイスという十八禁本だ。
その本はシリーズ化されており、主人公とヒロインは時代と境遇を変え、あらゆるシチュエーションの中で愛という名の行為を深く追及していく。
イチャパラシリーズから本当の愛を学んだという読者の声も数多く聞かれ、十八禁本の枠を越えて、人々に愛されている名作だ。
その中で一番多いシチュエーションは、相思相愛の上での行為だが、中には無理矢理から入るものもある。
主人公の愛撫に、いつもは歓喜に浸り悦ぶヒロインが、抵抗し怯え、それでも快楽へと突き落とされる様は、カカシの心を擽ってやまなかった。
お互い曝け出して貪る愛もいいけれど、抵抗空しく快楽に堕ちていく愛もいいよねと、カカシは密かにそのシチュエーションに憧れていた。
だが所詮は、作りもの。イチャパラは架空のものだ。
無理矢理に襲えば、そこから愛が育まれる訳もない。何よりそれは犯罪であり、してはいけないことだ。そして、カカシが一声掛ければ女も男も断る者もいない中、カカシの頭の中で描く、遠い夢だった。
それなのに――。
散らばった髪。無抵抗に横たわる肢体。体は震え、怯えるように体を硬直させて、唇を噛みしめ耐える姿。
どこをどう見ても、あのイチャパラの一節がそっくりそのまま目の前に現れたものとしか思えない。
作中では、小柄だが豊満な胸を持っていたヒロインが、嫌がり怯えつつも主人公の手によって快楽に染まる様は、鼻血が出るほどの興奮とときめきをもたらしてくれた。
それもそのはず、エロさにかけては右に出る者がいないと謳われる、天下一品のイチャパラだ。
だが、カカシにとって今一番問題なのは、自分と同じ性別であり、顔見知りでもあるイルカに対して、どうしようもなく煽られている自分に対してだった。
イルカの怯える姿に、脳裏ではイチャパラの再現映像が流れ始める。その映像が、まんまカカシとイルカに取って変わるに至り、カカシは咄嗟に笑った。
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キリ悪くてすいません。
色温度ぷらす 3