「…カカシさー。努力の方向性間違ってないか?」
屋根裏に潜んで何日経っただろう。
イルカが寝たのを見計らい、台所へ下りると、忍犬たちがカカシの元に集まってきた。
イルカが作った夕飯のおかずを冷蔵庫から取り出し、冷たいままその場で貪り食う。
「なーによ。押して駄目なら引けって、よく言うじゃない。何が問題だっていうの?」
オムレツを手掴みでつかみ、口に入れる。冷蔵庫で冷やされ肉に脂が浮き、口の中で何ともいえない不快な感触を伝えてくるが、構わず飲み込んだ。
こんなにまずい飯を食う羽目になったのも、イルカがちっともカカシのことを気にかけていないせいだ。
屋根裏から覗いたイルカの呑気な寝顔を思い出して、カカシの苛立ちはますます強くなっていく。
カカシが何も言わずにイルカの前から姿を消して、四日になる。その間、イルカはカカシがいる時と全く変わらない態度で今日まで過ごしていた。
朝と夕の食事は必ず作ってくれているが、カカシに対してしてくれることはそれだけで、後の時間はほとんど家の清掃と忍犬の世話、そして自分の仕事に費やしていた。
疲れた表情を見せながら、忍犬たちの要望に仕方ねーなぁと応えるイルカは実に楽しそうで、屋根裏からその様子を一部始終見ていたカカシは、何度地団太を踏みそうになったことか。
屋根裏で見たことが蘇り、視界が曇ってくる。鼻に下りてくる液体を啜っていれば、沈鬱な面持ちをしたパックンが声を掛けてきた。
「カカシ、悪いことは言わん。イルカはお主のことを大して思うておらん。あやつを見限り別の嫁を…」
「冗談じゃなーいよッ。オレの嫁はオレが選ぶッ。そういうことは、例えパックンでも口出ししないでッッ」
痛いところを突かれ、カカシは金切り声を出した。びくりとビスケたちは体を震わせ、気遣わしげにカカシを見詰めている。
鼻の下に落ちた液体を袖で拭い、カカシはどうしていいか分からなくなってきた。
イルカにカカシの思いは何一つ伝わっていない。
何も言わずに姿を消したのは、イルカに気付いてもらいたかったからだ。カカシがいないと、イルカに探してもらいたかったからだ。
なのに、イルカはカカシがいてもいなくても同じような態度を取る。イルカにとって、カカシはいてもいなくてもいい存在だと言外に告げられた気がして、カカシはひどく悲しくなった。
「ひ、イ、イルカ先生のばかぁ」
オムレツを口に入れながら、ばたばたと涙が零れる。胸が切なくて、痛くて堪らない。苦しくて苦しくて、どうしていいのか分からない。
「カカシー、泣くなよぉ」
くぅんと、忍犬たちがカカシの周りを囲んで、身を擦り寄せてくる。
寒い時やひもじい時、一緒に身を寄せ合って慰め合った。どんな苦境下に立った時でも、一緒にいれば心は奮い立った。
温かい毛並みや、安心する匂いや気配は同じなのに、カカシの心は前にも増して切なさと痛みを訴えてくる。
この心を癒すのはたった一人しかいないのだと気付いて、ますます泣けてきた。カカシが求めるのはあの人だけなのだと、昔と何かが変わった自分にぶち当たって、途方に暮れた。
「な、泣いてないっ。忍びが泣く訳あるかッッ」
強がって言った言葉も、嗚咽が混じっていては意味がない。
カカシが泣き止むまで、忍犬たちはカカシの身に寄り添い、結局そのまま朝を迎えた。
「カカシ。おれっちから言ってやろうか?」
今日は、任務は休みだ。
イルカがアカデミーへ行った事を確認し、カカシは屋根裏から降りて、自分の寝台に丸まっていた。
微かに香る、自分以外の匂いが嬉しくも切ない。
イルカがここにいたということをもっと感じたくて、布団を体に巻きつけて寝転がっていると、ビスケが声を掛けてきた。
「……一体、何て言うのよ」
むすっと問えば、ビスケはそりゃと言葉を濁した後、ぼそぼそと言った。
「カカシを、探さないのかって…」
イルカに見つけてもらいたくて姿を消したカカシ。
ビスケの提案は本末転倒だが、このまま何もしなかったらイルカは一生何事もなく暮らしていきそうだ。
ここ数日間、任務の合間も、カカシはこっそりとイルカの様子を眺めていた。アカデミーで教鞭を取るところも、受付所でにこやかに任務の報告を受けているところも、ずっと影から見つめていた。
カカシが知らないイルカがそこにはいっぱいいて、興味深いと同時に寂しくなった。イルカはカカシの家にいるのに、一番近い場所にいるのに、イルカの心とカカシの心はひどく遠い。
アカデミーでも、受付所でもイルカは数えきれない人に求められていた。
イルカ、イルカ先生、先生、うみのさん、うみの中忍、うみの。
親しみを込め、様々な呼称で呼ばれている。
中には明らかにイルカに好意以上のものを寄せているのに、イルカは全く気付かず、誰にも同じ態度で接する。
深夜の受付所で、血に塗れた忍びと対した時も、イルカは常に変わらぬ態度で接した。
『今日は少し肌寒いですから、温かくして寝てくださいね』
『おっしゃっていた物がようやく分かりましたよ。また明日にでも持っていきます』
『どうした? 彼女が待ってるぞ。早く行ってやれよ』
『よくやったな。今日はゆっくり休むんだぞ』
ちょっとした言葉を添えて、任務に疲れた忍びたちを出迎える。傷つき、疲れ果て、虚ろな顔をして辿り着いた受付所で、イルカは気負うこともなく、息を吸うように出迎える。
帰還者たちはイルカに出会うと、ふっと息を吐く。暗闇を覗いた瞳に再び光を灯し、夢から覚めたような顔をして日常に戻っていく。
そのやり取りを目にした時、カカシは知らず泣いていた。どうしてイルカでなくては駄目なのか、何となく分かった気がして、その存在の奇跡に体が震えた。
がさつで鈍い、デリカシーもなくて、警戒心が無さすぎで、とっても無神経で、図太い、人の気持ちの機微が分からない最低な人。
だが、何があろうともぶれない人。全てのものをありのままに見つめ、心に寄り添い、接してくれる稀有な人。
イルカの漆黒の瞳が何故心に響くのか、そのときになってようやく分かった。
無垢な魂は穢れを取り込んでも、強く輝く。穢れを知るほどに輝きを増して、周囲を照らす。
カカシは目を閉じ、息を吸った。
辛くても苦しくても、何度辛酸を味わうことになっても諦めきれない。
イルカが欲しい。イルカの瞳に、カカシを映したい。そして、抱きしめてその温もりを感じたい。
答えは変わらない。何度考えても、変わることはない。
手甲を外した自分の左手を見る。薬指にはまだ何もない。でも、ここに名を刻む。イルカの意志で、ここに名を刻む日がきっと来る。
願いを込めて、左手を握り胸に抱いた。
『お前が心底望んだものは、何があろうと、決して離すんじゃないよ』
聞こえた声に、しっかりと頷きを返した。
落ち込んでいる暇はない。イルカを望む者は、カカシだけではないのだ。イルカの稀有な魂に心を惹かれる者など、忍びならば掃いて捨てるほどいる。
「カカシー」
「くぅーん」
寝台を取り囲んだ忍犬たちの声に、体を起こす。心優しい兄弟たちをいつまでも心配させる気かと、喝を入れる。
「心配かけたーね。……大丈夫。オレ、頑張るから。もっともっと頑張るから、心配しないで」
それでも気遣わしげな視線をくれる忍犬たちを笑い、カカシは寝台から下りた。
ふと窓を見れば、外はすでに日が落ちていた。一体どれほど不貞寝していたのだろうと己を笑っていれば、こちらに急いで走ってくる気配を感じた。
「パックン?」
冷静な態度を崩さないパックンが珍しい。忍犬たちも顔を見合わせる中、寝室へと滑り込んできたパックンの言葉に、カカシは目を見開いた。
「カカシ! ようやく小童が行動を開始したぞッ」
小さな尻尾をぶんぶん振り回し、パックンは息せき切って、頭に巻いた額当てに挟んだ式を、カカシに取れと身を寄せた。
「カカシ、やったな!」
「良かったな、カカシ!」
「イルカに喧嘩売るとこだったぜ」
「うおぉぉん」
興奮で沸き返る中、カカシはパックンの頭に手を伸ばす。微かに震える手で式を開き、イルカの字を見て泣きそうになった。
読みやすい、綺麗な字で書かれた、イルカの言葉。
『今日、カカシ先生を連れて帰ります。今まで、すいませんでした』
「…パックン、みんなっ!!」
感極まるカカシに呼応して、忍犬たちは遠ぼえをし始める。
それと一緒になって、喜びを分かち合うために吠えたカカシは、この先に何が待ち構えているのか、知る由もなかった。
「オレが馬鹿だった。オレの行動が間違っていた。今までなーんでこうも生温いことをしていたんだろうーねぇ」
歓楽街の中にある、老舗の割烹料亭。
普段は食事を楽しむ場所だが、古い馴染みや一部の限られた者が宿泊できる造りとなっている。
昔、四代目に連れてこられ、ここを紹介されたカカシは、声を掛ければうまい食事と静かな寝床を確保できるため、一人になりたい時によく利用していた。
ここへイルカを連れ込んだ時は、料亭の女将に驚かれたが、その後は何も言わず部屋に通してくれた。
二つ敷かれた布団に、前後不覚となっているイルカを下ろし、カカシはうっそりと笑う。
ここまでくれば、体に教え込むしかないだろう。都合のいいことに、今、イルカは暗部の媚薬に侵されている。
イルカがカカシを探しに出たという知らせを受け、カカシは喜び勇んで、大通りへと出掛けた。
カカシの家へ帰るために必ず通る道であり、人目が多いため、イルカが人に聞いた時、情報が出やすいと考えてのことだ。
一応、念には念を入れ、大通りの真ん中を目立つように、何度も往復した。
これでイルカは絶対にカカシを見つけてくれると、その時のカカシは信じて疑わなかった。だが――。
十分経ち、二十分経っても、イルカは現れなかった。違う場所を探しているのだろうかと思いつつ、いずれは通ることを信じて、諦めずにカカシは大通りのど真ん中を歩き続けた。
通行人はカカシが何度も往復する様に不可解な顔を見せ、近所の住人は不審人物が現れたと家に隠れ、カカシの半径一メートル内を避けるように輪ができる頃になっても、イルカは現れなかった。
そして、一時間が経ったのを機に、カカシは忍犬を呼び出し、イルカを探させた。
この時点で、立場が逆転していることに腸が煮えくり返っていたというのに、ウーヘイからの知らせを聞き、急いで駆け付けた先で、イルカは暗部の後輩に手篭めされそうになっていた。
沸々と煮え滾る怒りを抑えつつ、虎面の後輩に訳を聞けば、後輩は歓楽街の路地裏の奥にある、ハッテン場でイルカと出会ったと言った。
イルカの左薬指に刻まれた文字が見えなかったのかと震える声で聞けば、イルカがハッテン場にいる時点で、そういう仲なのだろうと考えたらしい。
「先輩、まずいですよ? こんなおいしそうな人、一人で放ってたら、悪い虫がつきますよ。警戒心もとんでもなく薄いですし、首輪つけて管理した方がいいんじゃないですか?」
したり顔で言ってきた虎面に次はないと言い放ち、イルカを保護したが、そこでイルカはカカシの堪忍袋の緒を切れる発言をした。
近江屋の巨乳で目の大きな女の子でお願いします、と。
イルカに切ないほどの思いを寄せているカカシに対して、言う言葉では決してない。
そこで、自分の甘さに気付いた。今までの手ぬるさを痛感した。
欲しいならば、手段を選んではいけなかったのだ。こうなれば、体から攻略してカカシから離れられないようにしてやると、カカシは意識が混濁しているイルカの頬に手を当てる。
小さく息を吐き、身じろいだ拍子に、解いた髪がシーツに広がる。熱に浮かされるように、切ない表情で瞳に涙を溜めるイルカへ、苦いものが込み上げる。
ハッテン場へ足を踏み入れるためか、普段ではあり得ないほど着崩したイルカの姿が忌々しい。この姿を見た者たちの記憶を消去してやりたいと本気で願う。
薄らと開く唇に、そっと自分の唇を重ねれば、熱い息が吹きかけられる。その熱と柔らかさにどうしようもなく煽られた。
怒りで茹った熱は、違う熱に取って代えられ、急き立てられるようにイルカのアンダ―を脱がした。
「っ、ぁ」
服が擦れることも感じてしまうのか、切ない声が上がる。媚薬に侵されているせいだと分かっているが、カカシが声をあげさせている事実に、興奮してくる。
「全部、もらうよ。アンタはオレのものだ」
首筋に噛みつき、耳元に囁く。ズボンの上からでも分かるほど成長しているイルカのものを掴み、カカシは手を動かした。
戻る
/7へ
--------------------------------------
忍犬に可愛がられているカカシ先生っていいと思います。
……実際の犬の生態からしてあり得るのか分かりませんが……。
次回、チョイエロ!
色温度ぷらす 6