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「いやー、生きるって素晴らしいねぇ、パックン」
 洗濯した衣類を広げ、ハンガーにかける。パンパンと叩いて乾せば、皺がよらず、畳むのにも楽なのだとイルカに教わり、毎回必ずやるようになった。
 中庭の物干し台には、カカシが乾した衣類と、シーツが風にはためき、ぱさぱさと音を立てていた。
 その中でも一際目立つのは、白いシーツだ。ここ最近、毎日洗っては乾しているそれに、カカシは笑みを噛み殺せない。


 媚薬解毒一日目、もとい、イルカ骨抜き計画の一日目は、カカシにとって素晴らしい夜となった。
 始めこそイルカは手こずらせてくれたが、カカシが中に入ってからは可愛い声をあげて縋り、許してと可憐に涙を零し、カカシを煽りまくってくれた。
 おかげで、カカシは未だかつてない新記録を樹立してしまった。さすがに明け方になる頃には腰が痛くなってしまったが、それもいい思い出だ。
 心身共にすっきりとしたカカシとは反対に、一夜明けたイルカは心身ともに疲弊していた。
 顔色も悪く、体中が痛いとぼやくイルカに、カカシが連絡を入れるから休めと言えば、力強く憤った。
「こんなことで休んだら、教師の名折れですッ。受付の同僚にだって、迷惑がかかりますッ」
 そう言い、「行ってきます」とカカシに気張って声を掛け、イルカはほうほうの体で登校した。
 強情というか、真面目というか。
 損な性格だとは思うが、そういうところもイルカらしくて大好きだ。
 それにと、カカシは思い出し笑いを漏らす。
 アカデミーに行かせたはいいが、朝まで離さなかった自覚があるだけに、心配して様子を見に行くと、イルカは早退をしていた。
 午前のアカデミーの授業を終えるなり、体調を崩して帰ったのだと、イルカの同僚がカカシに教えてくれた。


 急いで自宅に帰り、イルカの姿を求めれば、イルカは寝台に丸まって謝りながら泣いていた。驚き、訳を聞くと、イルカは半分パニックに陥りながら、事の次第を聞かせてくれた。
 気力だけで授業をこなした直後、突然、腹が痛くなったそうだ。トイレに駆け込み、用を足した後、信じられないものを見たと、イルカは顔を青冷め、涙ながらに語った。
 その時点で、カカシは全て分かり、吹き出しそうになっていたが、あまりにもイルカが真剣に言うものだから、笑っては悪いとずっと我慢して聞いた。
「あ、あんなの、初めてでした。俺、何か悪い病気にかかっていたんです…! 俺、カカシ先生にうつしちゃったかもしれません。すいません、カカシ先生っ。まだカカシ先生お若いのに、俺は何て事を…っ」
 一緒に病院行きましょうねとカカシの手を握り、涙にくれるイルカの姿に我慢できず、カカシはそこで吹き出してしまった。体をくの字に折り曲げ、腹がよじれるほど笑い転げてしまった。
 イルカの腹痛の原因と、トイレで見たものを、涙ながらに説明すれば、イルカは一瞬何を言われたか分からない顔をしたが、次の瞬間、顔を真っ赤にして怒った。
「馬鹿野郎ッ! アンタ、何考えてんだぁぁ! 上忍として意識無さ過ぎですよっ?!」
 本当に病気がうつっていたらどうしていたんだとか、精子が売られる時代に物騒すぎるとか、イルカは額に青筋を立てて怒った。
 全部カカシが悪いのに、イルカはカカシのことを心配する。無意識に甘えさせてくれる。そっと抱き締めてくれる。
 イルカは、温かい。
 ぎゃーぎゃー怒りながら殴りかかってくるイルカの手を胸で抱き止め、カカシは泣いた。笑いながら泣いた。


「……本当に、生きているっていいよね」
 抱き止めた腕を、体の温もりを思い出し、胸に柔らかい火が灯る。
生を実感する瞬間が、日常生活にも存在するのだと、イルカと暮らして初めて知った。
 他人の命を刈り取る瞬間が、死の淵に立った瞬間が、肉欲のままに快楽を貪る瞬間が、カカシにとって生の全てだった。
 心穏やかに、カカシがカカシとして、ここにいることを実感できることが不思議で、それと同時に堪らなく愛おしく感じる。
 充実しているということは、きっとこういうことなのだと、風にはためく洗濯物を眺めた。
「カカシ! お主はイルカの色香にとち狂っておるんじゃっ。嘆かわしいことこの上ないぞっ。はよぅ目を覚まさんかッ」
 下から聞こえてきたパックンの叫び声に、笑いが出る。
 小さい頃からカカシの側にいたパックンから見れば、今のカカシは狂っているとしか思えないだろう。
 ずいぶんと遠くまで来たような気がする。だが、それは懐古の念ではなく、過去の未熟な自分への憐れみが多分に含まれている。
 何がおかしいと噛みつくパックンに笑いながら、空に向かって腕を伸ばし、思い切り空気を吸い込む。
 草木の匂いと土の匂いが肺を満たす。目に映る空の青さが心地いい。


「そうだねぇ。昔だったら、洗濯干すなんてしなかっただろうーね」
「そうじゃ。はたけ家の当主として、身の振るまい方をじゃな」
「でもね」
 パックンの言葉を遮り、カカシはしゃがみ込む。パックンとできるだけ同じ目線になるように屈んで、にっこりと笑った。
「オレ、昔と違ってよく笑うようになったでショ? オレね、今の自分の方が好き。かっこ悪くても、はたけ家当主として貫禄なくても、オレは今の自分が大好き」
 ごめんねとカカシがパックンに謝れば、パックンは驚いたように毛を逆立て、立ち上った。
「何を言っておる! お主がよう笑うようになったことは拙者が一番喜んでおるッ。拙者が言いたいのは、あまりイルカを甘えさせるなと言うておるのであって、今のお主を否定しておる訳では決してないぞ」
 左右に動きながら、必死に言い募るパックンに瞬きした。
 パックンの口から出る言葉は、イルカが簡単に家事をカカシに任せることに対しての不満だとか、カカシが家事を率先してしまうからパックンが口を出せないとか、イルカの花嫁修業の遅れだとかで、要は姑の愚痴だった。
 嫁の教育に使命感すら覚えていたパックンは、カカシが家事に手を出すと困るらしい。
 せめてイルカに口出しできるくらいの家事を残せと訴えるパックンに、カカシはごめーんねと再度謝った。


「オレたち若いかーらね。夜の時間は長い方がいいのよ」
 きょとんと、何を言っているか分からない顔をしたが、カカシが含み笑いを漏らしたことで、ようやく合点したらしい。
「やはり、色狂いしておるではないかッッ」
 空になった洗濯かごを手に引っかけ、憤るパックンから逃げる。
「だって、若いんだも〜ん。多めに見てよ、姑さんっ」
「誰が姑じゃッ!!」
 パックンから逃げていると、家の中で寝ていた忍犬たちが騒ぎを聞きつけてやってきた。
「鬼ごっこか?」
「入れて入れてー」
「わんわぅ」
「あ、鬼姑ごっこかッ」
「わっふぅ」
「何じゃと?! 言わせておけば、そこに直れっ。再教育してやるわッ」
 忍犬たちの姦しい声に、パックンの怒りの叫び声が加わる。それにけたけたと笑いながら、鬼と化したパックンの追撃から逃げ回った。



「へ〜、鬼ごっこですか。結局、最後は誰が鬼になったんです?」
 庭で忍犬たちと駆けっこをして、土埃だらけになったことを話せば、イルカは興味深そうに聞いてきた。
「それはね」
「ブルっすよ。あいつぁ、力は強いがトロくていけねぇや」
 言おうとしたことをグルコに言われ、カカシは思わず顔を顰める。
「予想通りというか何と言うか」
 笑いを零すイルカの手の中で、グルコは尻尾を振って続きを話そうとしたが、そうはいくかとカカシは先手を打つ。
「はい、グルコ。おしまい。パックンにドライヤーかけてもらいなさい」
 タオルに埋もれていたグルコを引っ張り上げ、廊下に追い立てる。カカシが拭いていたウーヘイも一緒に追い立てれば、ウーヘイから恨みがましい視線をもらった。
「カカシ、狭量な男は嫌われちまうよ?」
「わふん、わふ」
 耳を貸さず、居間へ行けと言えば、二匹はぶつぶつ言いながら走り去っていった。
「はい。で、ブルでラストだーね。ちゃんと浴室で体振ってきたか?」
 こくりと頷き、巨体を揺らせてイルカとカカシの目の前に、ブルが座る。
「お、ブル。今日はお疲れだったな。おめぇ、優しいから手加減したんだろ?」
 新しいタオルを引き出し、ブルを二人がかりで拭いた。
「イルカ先生、それ夢見過ぎ。違うよなー、ブル。お前、走るのが面倒で休んでいただけだよな」
「カカシ先生、それはブルに対して失礼ですよ。だいたいブルが全力で走ったら、物干し台に激突します。それに、あの庭の広さじゃ、トップスピードに乗り切る前に垣根突き破っちゃうんじゃないですか?」
 無言で大人しく体を拭かれていたブルの尻尾が、ゆっくり左右に振れた。 それを見て、イルカはそれ見たことかと、にかりと歯を見せて笑う。
 ブルと一緒にいた年月はカカシの方が長いのに、気持ちが分からなかったカカシは立つ瀬がない。
 むぅと唇を尖らせていれば、ブルがおもむろに立ち上がり、カカシに顔を向けるや、大きな舌で顔を舐めた。
「うわっ、な、何すんのよ、ブル!」
 滅多に人の顔を舐めないブルの行動に驚いていれば、イルカは弾けたように笑い声をあげる。
「ブル、カカシ先生のこと慰めているんですよ。何たって、カカシ先生が一番好きだもんなー?」
 カカシの顔をべろりと舐めた後、イルカの言葉を肯定するようにブルは「うぉん」と一声吠えた。
 忍犬たちには好かれていると思う。カカシだって口には出さないが、忍犬たちのことを大切に思っている。けれど、こうも真っすぐに好意を向けられることは今までなくて、動揺した。
「ぷ、カカシ先生、顔、真っ赤〜」
 カカシを見詰めてくる視線から逃げるように、カカシは背中を向ける。
「う、うるさい! オレ、風呂、先に入るから、今日は一人で夕飯作りなさいよッ」
 タオルを放り、ずかずかと風呂場に入る。「はいはーい」と後ろから笑いが混じった返事が聞こえて、カカシは思わず叫んだ。
「返事は一回!」
 咄嗟に叫んで、顔が赤らむ。これは、イルカが散々カカシに言っていた言葉だ。
 イルカもカカシと同じことを思ったのだろう。笑いを噛み殺した声で、「はい」と一言返ってきた。
 居心地が悪くなって浴室に逃げ込む。ドアを閉めたところで、イルカとブルの笑い声が聞こえてきた。
 カッカと顔が紅潮する。この仕返しは夜にしてやると、カカシは誓うのだった。



 イルカとの生活は穏やかに流れていった。
 カカシがイルカと家事をしている内に、忍犬たちまでしたがるとは思いも寄らなかったが、失敗をしつつも忍犬たちは楽しそうに手伝いをしてくれる。
 元から器用なせいか、カカシはイルカの手伝いをする内に、瞬く間に家事の腕があがった。今では、カカシが掃除をした方が塵一つもない完璧具合で、パックンは息を飲み込み絶賛し、イルカはよくやると呆れ、カカシは己の腕に惚れるほどだ。
 特にカカシが気に入っているのは、水場の掃除だ。
 頑固な水垢がついていると、胸が高鳴り、駆逐せずにはいられなくなる。すればするほど止められなくなり、一度、工事道具を買い込み、シンクを分解して一つ一つ綺麗にしていたら、アカデミーから帰ってきたイルカに叱られた。
「あんたのそれは病的だッッ! 限度というもの知れ、限度をッッ」
 シンクに残る水垢や、排水溝のぬめりが気になって仕方ないと、涙ながら切々と訴えれば、イルカはしばし考え、日曜日かつカカシに任務がない日ならばしてもいいと妥協してくれた。
 小躍りして喜ぶカカシに、イルカはこうも言った。
「……今のカカシ先生を、あの悪屋敷に住んでいた頃のカカシ先生と会わせたいですよ」
「イルカ先生は、過去のオレの方が良かったって言うーの?」
 カカシがここにいるのに、過去のカカシの話をするイルカが面白くない。
 恨みがましく見れば、イルカは何を言っているのだと目を見開く。
「そんなこと言ってませんよ。俺、カカシ先生とここに住んでから、初めてカカシ先生の良さが分かりましたし、最近、素行もいいので安心しています」
 「始めの頃は、女連れ込まれたらどうしようって思っていました」と、悪気なく言うイルカに、カカシは心で涙を零した。


 イルカはまだまだカカシの思いに気付いていないようだ。
 だが、カカシはほんの少しずつ手応えを覚えていた。
 媚薬の解毒という名目で肌を重ねるようになってから、イルカの反応が変わり始めた。
触れれば意識するようになり、時折、イルカから欲を感じさせる眼差しが送られる。
それはカカシが風呂から上がった時だったり、体が掠めるようにすれ違った瞬間だったり、二人で笑い合った後、不意に目が合わさった刹那だったり。
 イルカは、切ない感情を宿し、カカシを見詰める。不意に見たその眼差しに触発され、日中だというのに、何度襲いかかりそうになったか分からない。
 イルカはカカシに欲情している。
 飽きることなく這わした指先や舌を思い出し、自分の身を穿つ熱がもたらす快楽と、焦れるようなうねりが忘れられず、イルカの体はカカシを求めている。
 体はほぼ手に入れた。
 後は心だ。
 後はイルカの心さえ手に入れば、カカシの望みも叶う。



「あーぁ、早く終わらないかねぇ」
 薄暗い森の中、洞穴を行き来する男たちの動向を観察しつつ、ため息を吐いた。
 最近、近隣の村や町を襲っている、夜盗の退治にカカシは駆り出されていた。
 寄せ集めで作られた集団だが、首領となる者が忍び崩れの者らしく、珍しい術を会得している。その術の回収ならびに、夜盗の殲滅が、今回の任務だ。


「珍しいな。オメェがそんなこと言うなんてよ」
 今回、同行した一人がカカシの独り言を笑う。
 ごつい体躯に似合わず接近戦を得意とする、猿飛アスマだ。短くはない付き合いだが、一人を好んでいたカカシと軽口を叩き合うような仲でもない。
 それはこちらの台詞だと、珍しく話しかけてきた男に視線を向ければ、もう一人の同行者も小さく笑った。
「そうね。カカシが任務中にぼやくなんて初めて聞いたわ」
 夜盗たちから目を逸らさずに、夕日紅もアスマの言葉に同意を示す。
 紅とも事務連絡程度にしか話した事がないカカシは、通常時と違う二人に戸惑いを覚えた。
 もしかして敵の変化だろうかと、油断なく視線を這わせていれば、紅が口を押さえて肩を震わせる。
「何だって言うのーよ」
 突然笑い出す紅が気味悪い。チャクラや匂いからも敵ではないと判断できたが、肩を震わせ、笑いを止めない紅から距離を開けた。
「そりゃ、こっちの台詞だ。しばらく会わない内に、随分と可愛くなりやがって、どういう心境の変化だ?」
 口寂しいのか、木の枝を噛み、アスマが尋ねてくる。
「はぁ? お前、頭のネジが飛んでるんじゃなーいの? 言っていることが分からなーいよ」
 憮然とした表情で返せば、紅は腹を抱えて体を震わせ始めた。
 激しく笑う紅に、こいつこそ一体何だと、アスマに視線を向ければ、にんまりと口端を上げた。
「人に隙を与えなかったお前がぼやくばかりか、里出てから何度も名残惜しそうな顔で振り返るわ、突然顔をにやけさせるわ、落ち込むわ、終いには落ち着きなくそわそわしやがって」
 「心ここにあらずだ」と肩を竦めたアスマに、息を飲む。他人に分かるほど感情が漏れていたのか。
 忍びとしてあるまじき失態だと臍を噛んでいれば、ようやく落ち着いた紅が一つ息を吸って、目尻の涙を拭った。
「今のあんた見て少し安心したわ。あの子たちがいなくなってから、死にそうな顔していたからね」
 一瞬だけカカシに視線を向け、紅は微笑んだ。
「まぁな。よく分からんが、立ち直ったみてーだし」
 続けて上がった声に、咄嗟に言葉が出なかった。
 アスマと紅は、カカシと時を同じくして上忍師となった同僚だ。三人とも初めて上忍師を任されたこともあり、時折合同訓練や、子供たちの指導方法について話し合ったこともある。
 子供たちに対する感情は、些細な差はあれど、カカシと同じものだろう。それ故に、今まで心配されていたのだと、気が付いた。


 イルカとの会話を思い出す。
 話の切っ掛けは、些細なことだった。
 嘘をついている疾しさが苦しくて、その感情を悟られたイルカから話を逸らそうとして願い事を言った。
 その願いが、思いの他、切実で、カカシにとって今まで触れることができなかったものだと、そのときになって気付いた。
 先生と呼ばないで。
 口に出した途端、襲ったのはひどい喪失感で、込み上げてくる悲しみと怒りに、声が凍った。
 自分の不甲斐なさと力の無さ、そして引き止められなかった事実が押し寄せ、カカシを苦しめた。
 もっと自分がしっかりしていれば、もっと自分があの子たちを見ていれば、もっとあの子たちのことを考えていれば、あの子たちに深い傷を刻まずに済んだのに――。
 もっと、もっとと、悔恨は途切れることなく沸いた。
 カカシにできることはなかったのか、カカシが見逃しただけで繋ぎ止める方法があったのではないか。
 がなるように喚いてくる己の言葉に、自分自身が子供たちを預かることは無理だったのではないかと思った時、イルカは呆れるほど簡単に言い切った。


「カカシ先生は、先生です。あいつらの、先生でしょう」
 資格がないと泣き言を言うカカシを、イルカは笑い飛ばした。それに首を振っても、イルカは頑として認めないため、事実を口にした。
 班が解散した原因となった、サスケの名を口にした。
 里抜けしたサスケは、木の葉の里の、忌むべき、許されざる存在となった。そして、周りもまたサスケの存在を危険分子として判断した。
 手配書に載った自分の部下を見た時、カカシは泣き叫びたかったのだと思う。
 初めて会った時と同じ、幼い顔で前を見詰めているサスケの写真。
 手に取った時、何も感慨は浮かばなかった。だが、イルカの前でサスケの名を口にした今、刃を突き立てられたかのように熱く、痛みに燃えている。
 サスケを見た時、カカシは自分に似ていると思った。
 斜に構え、周りを見下すように睥睨している姿。
 里の何かを疎い、見えない敵に怒りを燃やし、生き急ぐように強くなろうと足掻く子供。
 自分に似ているからこそ手は抜けなかった。カカシにはパックンや四代目が側にいてくれた。導いてくれる者がいた。
 だが、サスケには導く者がいない。一族郎党をことごとく殺され、実の兄がその首謀者であるサスケには、誰も頼れる者がいなかった。
 スリーマンセルの仲間がサスケの力になることは分かっていた。
 根は優しく、情に厚い子供だと知っていたから、スリーマンセルの絆がサスケをいい方向へ導くだろうと確信していた。
 だからこそ、カカシは失敗してはならなかった。サスケを正しい方向へ導くためには、絶対に間違ってはならなかった。
 それなのに――。
 サスケは一人、去ってしまった。
 行き場のない、業の道へと進ませてしまった。
 カカシは、サスケにとって導く存在にはなれなかったのだ。
 認めたくなかった。あの子たちの先生でいたかった。サスケに、先生と呼んでもらいたかった。


 黙すカカシに、イルカは淡々と認めた。
「それじゃ、サスケはカカシ先生のことを先生とは思えなかったんでしょうね」
 慰めてもらいたかった訳ではない。だが、肯定したイルカの言葉は、思いのほかカカシを打ちのめした。
 勝手にぼやける視界を晴らそうと、瞬きを繰り返す。それでも晴れない視界に忌々しさを覚えていると、イルカはしみじみ呟いた。
「――寂しいですよね」
 イルカの一言に驚いた。
 口さがない里の連中が、部下の里抜けを食い止められなかったカカシを蔑むように、イルカもまた、大事にしていた生徒を里抜けさせたカカシに、他にすることがなかったのかと詰られるものだとそう思っていた。
 イルカの言っていることが分からず、ぶっきらぼうに返したカカシに、イルカは穏やかな顔で言葉を紡いだ。
 カカシとサスケは似た者同士で、お互いに似ているから反発してしまった。けれど、その反発が強いほどこう言えるんだと。
「憧れていたって」
 漆黒の瞳が柔らかく微笑む。そこには侮蔑も嘲笑も、非難も浮かんでおらず、ただ優しい眼差しがあった。
 カカシ先生のせいじゃないんですよ。
 そう、言われた気がして、胸が詰まった。
 いい加減なことを言うなと咄嗟に口に出したが、カカシはその一言に気持ちが楽になったことを認めざるを得なかった。
 頭を抱き、抱きしめてくれる胸の中で、イルカの瞳を見詰めた。
 イルカはちっとも不安や恐れを感じさせない眼差しで断言する。
 サスケは帰ってくる、と。
 そのとき、カカシは先生として痛い拳骨を食らわせてやればいいのだと、途方もない夢を語る。
 里抜けをした忍びがどうなるか、カカシは知っている。
 その罪は決して贖えることはできず、命をもってしか償えない。
 実際にカカシは、自らの手でその命を刈り取った。抗戦する者もいたが、許してと泣き叫ぶ者すら容赦せず、刃を下ろした。
 里の同胞の断末魔は、カカシの耳の奥底に残っている。誰かの名を呼び、涙を零した顔も覚えているのに。どうして、イルカの馬鹿げた夢を信じたいと思っている自分がいるのだろうか。
 拳骨くれた後は抱きしめてやれと、カカシを抱きしめるイルカに涙が零れ出た。
 簡単なことじゃない。けれど、簡単に諦め切れることじゃない。だったら、足掻け。サスケもカカシも、ナルトもサクラも、生きている。死んでいないなら、そこには必ず希望がある。
 無責任に言い放つイルカが無茶苦茶で、それにも増して滅法心強くて、そこでカカシは吹っ切れた。
 悲観するのは全てが終わってからでもいいはずだ。今はまだ、カカシも、子供たちも道の途中だ。生きている限り、まだ終わっていないのだから。


 にかと笑ったイルカの顔を思い出して、カカシは小さく笑う。
「……ありがとう」
 小さく礼を口にした。驚く二人の気配に、口端が上がる。
 イルカは何にも分かっていない。だが、何でも分かっている。
「…任務、早く終わらせたいんだ。今、無性に会いたい人がいるから、これからは集中するよ」
 言い切り、前を向く。アスマは「そうか」と呟き、紅は「分かったわ」と静かに応じた。
 洞穴の人の行き来が激しくなる。そろそろ狩りの時間らしい。
 首領らしき人物が見えたのを機に、カカシたちは行動を開始した。






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読み返してみるとカカシ視点はぶつ切りな気がしてきました……。すいません、精進します…orz





色温度ぷらす 9