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「カカシ、無茶はいかんぞ。無茶は」
重々しい表情を浮かべるパックンに、ブルの背に寝そべったカカシは力ない笑みを浮かべる。
「あー。それは、悪かったって。まさか、なり代わりの首領が手配書に載る大物とは予想外でーね」
任務に際して、カカシは二人と別行動を取った。配下のものたちを二人に任せ、首領と一騎打ちの形で相対したのだが、それがまずい方向に動くとは思わなかった。
結論からいえば、カカシたちが狙いをつけていた首領は、すでにやられており、配下のものたちは気付かないまま、首領に変化した忍びと日夜、襲撃に精を出していたようだ。
カカシが対した時、その首領は名を上げる機会と変化を解き、襲いかかってきた。
事前情報とは全く違うことに調子を崩されつつも、忍犬たちを呼びだし、辛くも勝利を収めての凱旋だった。
事と次第を説明すれば、アスマと紅は情報の不確かさに文句を言っていたが、疲労困憊しているカカシを見て、報告はこちらでやるから休めと、有難いお言葉をもらった。
走りながら、くどくどと隣で説教を繰り返すパックンに、適当な返事を返しつつ、カカシは密かに口布の下で笑みを浮かべた。
忍犬たちや二人にはチャクラが切れかかっていると言ったが、実際は違う。
確かに体力は大幅に殺がれ、チャクラも残りわずかだが、歩いて帰れるだけの体力は残っている。受付所の報告だってこなせるチャクラ量も保持してある。
何故、カカシが敢えてブルに寝そべって体力温存並びに、煩わしい事務手続きから逃れようとしたか。
理由は簡単。
イルカに早く会いたいからだ。
脳裏に浮かぶのは、別れる前に交わした熱い情事だ。
初めてイルカから口付けをされた。しかも、「カカシさんが欲しい」という、鼻血ものの台詞付きだ。
とうとうここまで来たかと、己の成果に歓喜すると同時に、押さえ切れず、その場で押し倒し、致してしまった。
普段は「無理、馬鹿野郎、そこは嫌だって言ってんだろっ、ふざけんなっ。さっさとイかせろッ。ムカつくっ、アホ―ッ」と、色気もない言葉を叫びまくっているイルカだったが、あのときは終始大人しく、積極的にカカシを求めてくれた。
自分から舌を差し出し、足を絡め、歓喜に啜り泣くイルカに、カカシは危うく自分を失いかけた。
イルカの痴態を脳細胞に刻みたい一心で、何とか意識を保っていたが、あのときのイルカは本当にヤバかった。
「…うおぅ」
低い声で小さく諭され、カカシはすまんと小さくブルに謝る。
ブルの気遣いでパックンにはバレなかったが、危ない危ないとカカシは茹った頭に喝を入れ、猛る分身を抑えた。
もうすぐカカシの家だ。
久しぶりの我が家に胸を高鳴らせる。今日はブルに寝そべったままの恰好で入っていき、イルカに面倒を見てもらうのも悪くない。
また風呂場でできるかも、上手くすればイルカが上に乗ってくれるかもと、カカシは幸せな妄想に浸っていた。
「帰ったぞ、小童ッ」
引き戸を開けた瞬間、パックンが声を張る。
はたけ家当主がと口うるさく言う癖に、パックンは主を差し置いて、一番始めに玄関戸をくぐる。
何だかんだ言っても、イルカに出迎えられることを喜んでいるパックンに苦笑いを漏らし、カカシも声をかけた。
「イルカ先生、ただいまー」
ブルが玄関戸をくぐり、カカシを玄関の框に丁寧に下ろす。ブルの背を手掛かりに、腰を落ち着けた。「ありがとう」とブルに礼を言いながら、振り返ってみれば、家の中はシンと静まり返り、電気は全て消えていた。
「? イルカ先生?」
夕暮れも過ぎ、外はすっかり暗くなっている。時間的に、イルカは家に帰っている頃だが、急な用事でも出来たのだろうか。
当てが外れ、がっくりと肩が落ちる。パックンも出迎えがないことを知り、ぶつくさ文句を言いつつ足の泥を専用のマットで拭い、家の中に入った。
他の忍犬たちも同様にマットで足を拭っていると、家の中からパックンの叫び声が聞こえた。
「カ、カカシっ。大変じゃッッ」
廊下の床を滑りつつ、全速力で戻ってきたパックンに、カカシは首を傾げる。パックンはもどかしいとばかりに、口に咥えた白い封筒をカカシに突き付けた。
受け取れと差し出されるままに、封筒を引き抜けば、パックンは吠えた。
「イルカがおらん。代わりにこれが残されとった」
カカシを見つめ、焦りを滲ませるパックンが不思議だった。
封筒を見た。封筒の中には何か入っているようで、微かに膨らんでいる。
膨らんだ場所を指先で辿れば、覚えのある感触がした。
凹凸のある、硬い固まり。
手に馴染むそれは、カカシがイルカに渡した、この家の鍵だ。
どうしてと、思う。何故、イルカは家の鍵を封筒に入れて残した。
廊下の先、静まり返る部屋を見た。
イルカとカカシ、そして忍犬たちが一緒に過ごす、憩いの場所。
時々喧嘩もしたが、いつだって笑い声に満ち溢れていた。静かになる時は忍犬たちが昼寝をしているときで、イルカと二人で普段の騒がしさが嘘みたいだと笑い合うのが常だった。それなのに――。
今、イルカと笑い合った場所は、静寂に包まれている。
誰の声も、息遣いも、聞こえない。
がらんどうの部屋。
視線を彷徨わせた先で、パックンの視線とぶつかった。カカシを気遣う眼差しに、不意にパックンの気持ちを理解した。
馬鹿なと笑おうとして、表情が凍る。
イルカはいない。イルカはカカシの家を出た。戻らないつもりで鍵を残し、去って行った。
「――嘘だ」
立ち上った。
戸惑う声を背に、カカシは家を飛び出る。
訳が分からない。カカシがいない間に、イルカに一体何が起きたのか。
ブルに背負われて通った道を引き返し、大通りを抜けて、受付所へと走った。
イルカの姿を求めて、廊下を抜け、受付所の戸を開け放つ。
「イルカ先生ッ」
期待して呼びかけた声は、受付所に響いただけだった。
視線が集まる。その中にイルカのものがないか首を巡らせた。だが、いない。何処にもいない。
「カカシ? オメェ、何してんだ」
「あんた、チャクラが切れそうじゃなかったの?」
声が掛けられた。近寄る気配はつい先ほど別れたものだ。
受付所にはいない。だったら、どこにいる。イルカはどこへ行った。
歯を噛みしめ、身を翻した。
「おい、カカシ!!」
廊下を走りだした背中に声がかかる。それに振り返る暇も惜しいと、カカシは駆けた。
次は歓楽街に足を運んだ。後輩の暗部のところにも押しかけたが、イルカの姿はなかった。
質問を投げかける後輩を無視して、カカシは無我夢中で足だけを動かした。
アカデミーへの通り道、火影岩、公園、修練場、商店街。
足を運ぶ先に、イルカの気配は一つも感じられない。こうしてみると、カカシはイルカについて知らないことが多い。
イルカが、何が好きで、どういう場所によく足を運ぶのか。思い出の場所は何処か。どういう場所が好きなのか。
あれだけ近くにいたのに、尋ねればきっと答えてくれただろうに、カカシは何も聞いていない。
一緒にいたくて、側に寄り添いたくて、早くイルカがカカシに堕ちてくれるように祈っていただけ。
肝心なことを何一つ聞いていない。カカシはイルカがいる場所を特定できない。
「くそっ」
悪態をつき、足を止めた。
膝に手をつき、前屈みの姿勢で、荒れた息を吐き出す。頭の中はまともに働かず、鼓動だけが異様に早く胸を打っていた。
流れ落ちる汗を腕で拭って、腕よりも長い袖口に気がついた。だぶついた忍び服を身にまとう自身に、変化が解けたことを知った。
動揺し、変化が保てなくなっている。
機密事項がと小さく脳裏に過ぎったが、すぐ消えた。頭にあるのはイルカのことだけでいっぱいだった。
「……イルカ…」
一体、どこにいるんだと、震え出した膝の上で拳を握り締めた。
そのとき、小さな音が耳に届いた。紙が重なり、擦れる音。
そこで、ようやく封筒の存在を思い出した。
イルカが残したもの。カカシに宛てたであろうもの。
手がかりを求め、封筒を引き裂いた。中から出てきたものは、家の鍵と、一通の手紙。
震える手を宥め、手紙を開く。
手紙に書かれてある内容に、呻き声が出る。イルカの文字を追いながら、口を押さえた。
イルカの手紙には、給料日まで世話を見てくれたことに対する礼と、媚薬を解毒するためとはいえカカシに迷惑をかけたと謝る言葉、そして、買ってもらった物は、お金を工面でき次第、返しますという、短い文だった。
「――何よ、それ」
漏れ出た声はひっくり返っていた。苦しくもないのに息があがる。
ガンガンと痛みを訴える頭を、他人事のように感じながら、立ち尽くした。
何だ、これは。何なんだ、これは。
髪を掻き毟る。理解できなくて、どう行動していいか分からなくて、ぐるぐると回る景色に気持ち悪さを覚えていた時。
「カカシ! イルカの匂い、掴んだぞッ」
シバの声が聞こえた。
跳ねるように顔を上げれば、シバの後ろからビスケが駆けてくる。
「急げ、カカシ。イルカは土手にいるって。今、パックンから連絡があった」
ビスケの言葉に、唇を引き結ぶ。視界が明確になっていく。ふら付く足を地面に踏みしめた。
「わぅー、わん」
ウルシがしっかりしろと叱りつける。
「イルカを連れ戻すんだろっ、足止めんなッ」
アキノが後ろからカカシを押す。よろけるように一歩踏み出したカカシに、グルコが背中を押すように叫んだ。
「男見せろよ、カカシッ」
二歩目からは、地面を蹴った。カカシを見上げる忍犬たちの瞳に励まされ、がむしゃらに足を動かした。
「うぉん」
背中に声がかかる。皆で待っているからというブルの声に、奥歯を噛みしめる。千切れそうになった心が繋がった。折れそうになった気持ちが奮い立った。
「わん、わんわん!」
前方を走るウーヘイが、付いて来いと呼んでいる。
「うん!」
大きく頷いて、カカシは溢れ出る涙を拭い、全速力で駆けた。
「カカシ、あそこじゃ」
ウーヘイの案内で川岸の近くに入ったところで、パックンが道の真ん中に座り、土手の真ん中あたりを指さしていた。
イルカは土手の傾斜の中ほどで、腕で目を覆い、寝転がっている。
足を止め、息を整えながら、目にしたイルカに、喜びと怒りが突いて出た。
カカシをここまで心配させたイルカが憎く、無事に見つけ出せたことが嬉しく、感情が入り乱れる。
「…カカシ、冷静にな」
荒れる息を制御できずにいれば、パックンが静かに言った。
「拙者たちは一足先に戻る。決して、我を忘れるんじゃないぞ」
荒れる呼吸のまま、パックンと目を交わした。
真剣な眼差しを向けてきたパックンの瞳に、少し頭が冷える。カカシが望むことは、感情のままイルカを詰ることではない。
「――うん」
パックンの瞳を見詰め、頷くと、パックンはウーヘイと共に帰って行った。
その背を見送り、顔を覆って息を吐く。
深呼吸を繰り返し、息を吸ったところで、足を踏み出した。イルカには言いたいことが色々とある。
落ち着けと、感情に任せて行動するなと何度も言い聞かせる。油断すれば暴れようとする感情を、手を握りしめ抑えた時、カカシの耳に、イルカの呟きが聞こえた。
「……結婚、しようかな」
小さく漏れた言葉に、息をすることも忘れた。
イルカが言った言葉が理解できなくて、理解もしたくなくて、混乱する。
周りの景色が色褪せる。浮遊感さえ感じ始めたカカシの耳に、再びイルカの声が聞こえてきた。
「――許して。許して、ください」
悔いるように、振り絞り出された声。
誰に告げられたかは分からない。だが、その声に、切実な思いが込められた言葉に、イルカの本気を知る。
イルカは、カカシと違う誰かと結婚するつもりだ。
「許して、ください」
続けて上がった声に、必死で掴んでいた理性が飛んだ。
「――許さない」
唸るように告げ、イルカに飛びかかった。驚くイルカの両腕を草むらに押し付け、腰に乗る。
カカシの目の前で大きく目が見開く。
漆黒の瞳は相も変わらず綺麗だ。カカシを見るイルカの目には、何ら変化も見えず、それがなおのこと怒りを煽る。
口を開こうとするイルカの言葉を遮る。聞きたくないと叫び、渦巻く思いをぶつけた。
「なんでッ。なんで、アンタいないのさッ。オレと約束したのに、オレと一緒にご飯食べてくれるって、言ったじゃない?!」
約束を破るつもりかと叫びかけて、違うと首を振る。カカシが聞きたいことは別にある。
「違うッ。そういうことじゃない。オレが言いたいのはそういうことじゃなくて。アンタを給料日まで預かるって、誰が決めたの。オレはそんなこと一つも聞いてないし、知らないッ」
間近で見つめるイルカの息が止まる。静かにカカシを見詰めてくるイルカが遠い人に見えて、恐怖を覚えた。
腕を掴む手に力が入る。
逃がしたくなくて、脅してでも繋ぎ止めたくて、カカシは殺気を忍ばせる。
「どうして? ――結婚、するから? アンタ、結婚するの? オレのいない間に何があったの? 一体、誰と結婚するの」
相手の名前を言えと低く唸った。
「……言ったら、どうするんです、か?」
白々しく聞いてきたイルカに笑みが零れ出る。決まっている。
「殺す。アンタの相手を殺してやる」
イルカの心を奪う者が許せない。カカシのいない間に、イルカを誑かした奴が心底憎かった。例え誰であろうとも、カカシはその命を奪うことに躊躇はしないだろう。
カカシの本気を悟ったのか、イルカの顔が歪む。横に流れる涙を見ながら、頭は完全に冷え切っていた。
「泣いても無駄。命乞いしても無駄だよ。庇いたてしても、絶対に見つけ出して殺すから」
これは決定事項だと冷酷に告げ、相手の名を言えと殺気を強めた。
イルカの顔は抜けるように青冷めていた。
カカシの殺気に当てられ、顔色を悪くしながらも、口を割ろうとはしない強情さに苛立ちを覚えた頃。
イルカは静かに涙を流しながら、少し困ったように眉根を寄せた。
「……カカシさん。俺のこと、どう、思っていますか?」
途切れ途切れ聞こえてきた言葉に、頭が真っ白になる。
怒りに囚われていた頭が、眩むような殺意が、強い恋慕の感情に支配された。
今、それを尋ねるのかと、カカシは泣きそうになった。
「――好きに決まってるでショ?! 誰が好き好んで野郎を家に住ませるの? オレ、寝るときは一人でしか眠れなかったんだよッ。男を抱いて本当に楽しいと思ってんの!? 面倒だし硬いし、好きじゃなきゃ、あんなに抱ける訳ないじゃないッ」
カカシのこの切ない、狂おしいほどの気持ちを、イルカに見せつけてやりたい。
この胸を裂くことで、カカシの思いの一片がイルカに伝わるなら、今すぐここで引き裂いてやる。
この世界で、イルカを切実に求めている者は、カカシ以外あり得ない。
イルカでないと嫌だ。イルカでないと、カカシは生きる意味すら失う。
どんなに美しくて、人から称賛される者でも、誰からも望まれる相手だろうと、それがイルカでないなら意味がない。カカシにとって、全く意味のないことだ。
イルカを思っている。
己が壊れそうなほどイルカを思っている。
これは、カカシにとって最初で最後の恋であり、愛だ。
「カカシさん」
歪む視界の中、イルカがカカシの名を呼ぶ。
綺麗な笑みを浮かべて、イルカは大粒の涙を零した。
「俺が結婚したいのは――」
心が震える。
イルカの声は嗚咽が入って、聞き取りにくかったが、カカシには確かに聞こえた。
『カカシさん、あんたしかいない』
時が止まった気がした。
頭に浸透するまで時間がかかって、気付いた時には、訳も分からずイルカの唇に突進していた。
今の言葉を撤回されないように、イルカの体に巻きついて、勝手に零れ出る涙のままに、カカシは叫んだ。
「する、結婚する! イルカと結婚する!! 絶対結婚する」
口を開く度に、わんわんと意味のない声をあげながら、カカシはイルカに抱きついた。
絶対離さない。
思いを込めるように、力を入れようとした。けれど、イルカはカカシが力を入れる前に、痛いほどカカシのことを抱きしめてきて、カカシはより一層泣いてしまった。
カカシは、イルカの心をようやく手に入れた。
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