『おかえり』10
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「今日は簡単な任務だから、早く帰るーね」
手を振りながら玄関を出たカカシ。
笑顔で行って来いと、声を掛けるイルカ。
毎夜の行いに、毎朝の行い。
変わらず毎日続けられる、行為。
薄暗さを伴う夜の行為と比べて、カカシに向かって笑みを浮かべる朝の行為の、健やかさは一体何なのだろう。
カカシは成長を止めた。
暗部の任務を行いながら、イルカが待っている家に帰ってくる日々が続いている。
今日は肉じゃが食べたいとリクエストしてきたカカシに、イルカは頷いた。味噌汁はなすを入れておくよと言えば、カカシはとても喜んでくれた。
健やかな毎日だった。
これが任務だと忘れてしまいそうなほど、平穏な日々だった。
だが、均衡はあっという間に崩れる。
夕飯作りも終わりに差しかかった頃、玄関から重々しい音が聞こえた。戸にぶつかるような、荒々しい音。
まさかと思いつつ、火を消し、玄関に走った。廊下を曲がって、玄関を目でとらえて、既視感を覚えた。
カカシは戸に背をつけ、座り込んでいる。
「カカシッ」
肩を濡らす真っ赤な血を見たような気がして、悲鳴が零れ出た。
「来るなッ」
前のめりに駆け寄ろうとしたイルカに、制止の声がかかる。何をと口を開こうとしたイルカを遮り、カカシははっきりとした声で言った。
「怪我は、ない。性質の悪い、媚薬で体が思うように動かない、だけ」
吐き捨てるように言われた言葉に、足が止まった。
一つ息を吐き、跳ねる鼓動を押さえながら改めてカカシに視線を向ければ、カカシに傷は見当たらない。
額から汗を流し、肩を大きく上下しているだけで、今朝見送ったカカシと変わらないように見える。
だが、媚薬とは…。
戸惑う視線に気付いたのか、カカシは口端を大きく吊り上げた。
「……朱里の、くのいちが仕込んでた。俺の想い人の姿を借りて、淫らに誘ってきたよ」
ぎらついた瞳がイルカを射る。その鋭い瞳に思わず肩がびくついた。
その様を見て、カカシは一瞬傷ついた目をしたが、それはすぐに瞳の奥に消える。
カカシは大きく息を吐きながら、目を閉じると、小さく笑った。
「もちろん、殺してやったよ。気持ち悪い。俺は、アンタしか欲しくない」
拳を握りしめた。奥歯を噛みしめ、震える心を押し殺す。
「ねぇ、イルカ。…今、選んでくれる?」
問いかけられて、落ちそうになった視線を上げた。
カカシはイルカの瞳を見詰め、荒い息をつく合間に、言葉を吐いた。
「俺を殺すか、それとも生かすか」
何だそれと思った。
言われた意味が分からず困惑する。
目を見開くイルカを見詰めたまま、カカシは笑った。
「簡単なことだよ。俺を受け入れるなら、抱かせて。受け入れられないなら、このまま放っておけばいい。この媚薬、耐性ないと死んじゃうんだって。抜かないと、死ぬんだって」
事も無げに言った言葉に、息を飲んだ。まずいと冷や汗が流れる。綱手さまに解毒薬をもらおうと、声に出す前に拒否された。
「俺は飲まないッ。意地でも飲まないからッ」
「カカシ、何言ってんだッ」
死ぬ気かと叫べば、さもおかしいと顔を歪ませる。
「言ったでショ。死ぬ気だよ。アンタに選ばれない俺なんか要らない。死んでしまえばいい。俺が欲しいのは、いつだってアンタだけだ。イルカ、俺はアンタが欲しいんだ。他のものなんていらない。アンタが何を考えているか、さっぱり分からないよ。俺のこの気持ちをどうして否定するの?」
真っすぐに見詰めてくるカカシの瞳。
奥底まで見透かすような色違いの瞳。
魅入られたように身動きが取れなかった。
お互いの視線を交じらわせ、カカシは言った。
「――あんただって、俺と同じように思ってる癖に」
衝撃だった。
声が出ない。だが、黙ることは認めてしまうことで、何かを言おうと必死に頭を動かす。
「知らないと思った? アンタ、俺の声を聞きながら自慰してたよね。興奮して、自分を慰めてたよね? 俺のこと考えながら、してたんでショ」
バレていないと思っていた。
イルカの気配は殺していたから。カカシの態度は全く変わらなかったから。
「影分身だよ。イルカって、妙に優秀だよね。少しでも俺に興味持ってくれたらって、イルカの様子見に行ったら、完全に気配殺して自慰してんだもん。ねぇ、イルカ。その時の俺を褒めてよ。アンタに襲いかかるのを必死で我慢したんだからさ」
さっと血の気が下がる。あの行為を見られていた。あの醜いだけの行為を。
怒りが沸き上がる。見られたくなかった、何よりもカカシにだけは……!!
「カカシ、お前ッ」
睨むイルカをカカシは笑う。
「何? 秘め事見られて恥ずかしかった? それとも悔しかったの? あぁ、違うか。本心を見透かされたのが――」
「カカシッ」
それ以上言うなと叫んだ。皮肉げな笑みを浮かべていたが、カカシの顔がふと苦悶に歪む。
「――う、あ、ッ」
胸元を掴み、前屈みに倒れ込んだ。激しく何かに抵抗しているのか、がたがたと体は震え、低い呻き声を上げ続けている。
「ッッ。綱手さまを呼んでくるッ」
言い合いしている場合ではなかった。踵を返し、寝室へと走り出そうとした瞬間。
「待って!!」
引き留められた。馬鹿かと振り返った先で、カカシは閉じかける目を見開き、唇を噛みきったのか、口から血を零して荒い息を吐いた。
「言ったはずだよ。綱手さまを呼んでも無駄。呼ぶつもりなら、俺はここを出る」
「カカシッ」
泣きそうになる。顔を歪ませるイルカに、カカシもくしゃりと顔を歪ませた。
「限界なんだ。アンタのことばっか考える。アンタが欲しくて欲しくて、変になりそうだ。――ねぇ、イルカ。俺の手を取らないなら見捨ててよ。俺に死ねって、言ってよ。優しくしないで、笑顔を向けないで、手を伸ばさないでよッ」
「イルカ」と叫ばれた。
どっちかを選べと、選択肢のない答えを求めてくる。
答えを知っている癖に、カカシは不安な瞳でイルカを見詰める。選ばれない選択を思い、心細い瞳で揺れている。
「……お前は、ずるいよ」
裸足で土間に下りた。
座り込むカカシが歪んで見える。ぐらつく視界は目が曇っているせいだ。
ゆっくりと歩みを進めるイルカに、カカシは時折体を震わせながら、溜めた瞳から涙を流した。
カカシが手を伸ばす。
「――そういう、あんたは、ひどいよ」
伸ばされたその手を、握った。
「イルカ、息吐いて」
カカシの声に、詰めてしまう息を懸命に吐く。
狭い内壁を裂くように、カカシが進んでいく。体が裂かれるような錯覚に陥りながら、息を吐いて、体を弛緩させることだけに集中した。
媚薬の解毒の経験がないイルカには、どうすればいいか分からなかった。必死に抑えているカカシから与えられた指示は、とにかく出して欲しいということだった。
カカシのものを握り、咥え、思いつく限りの方法で出させたが、未だカカシの昂りは鎮まらない。
それでもイルカがやっているだけ、楽だとカカシは苦しげに笑う。他の者だったら、勃ちもせずに悶え苦しんで死んでいたと、カカシは言った。
何度カカシのものを吐き出させたのか。不意に、苦しんでいたカカシは起き上がり、イルカに圧し掛かってきた。
「抱くよ」と告げられ、カカシはイルカの肌に手を這わした。苦悶に歪ませる表情はまだ媚薬が抜けていない証拠で、自分で準備すると言ったが、カカシは「ごめん」と謝ると、我慢できないとイルカの中に無理矢理入ってきた。
「っ、あ、っっ!!」
「ッッ」
無理矢理押し入ったそこは狭すぎて、カカシにも痛みをもたらしたのだろう。向き合わせにあるカカシの顔が苦しげに歪まれた。
大丈夫かと声を掛ける暇もなく、カカシの目が開いて、強い光を湛えた。
「動く」
宣言され、体が強張る。
来たのは凶悪なまでの衝撃で、喉を曝け出し、イルカは声のない悲鳴をあげた。
「っ、イルカ、息、吐いてっ」
余裕のない息の中、こっちを気遣うカカシを馬鹿だと思いつつ、言われた通り、吐く努力をする。
ひどい痛みで頭痛がしてくる。無遠慮に動かれ、意識が飛びそうだった。
でも、生理的な涙で曇る目を瞬きで飛ばせば、縋りつくような不安に怯える瞳が見えたから、精神を奮い起こして、耐えた。
「…カ、イルカ、イルカ」
大きくグラインドしながら、名を呼ぶカカシの体は汗塗れだ。下に組み敷いているイルカに大粒の汗を落としながら、切羽詰まった声をあげている。
馬鹿だと、何度思ったかもしれないことを再び思う。
こんな体を組み敷きたいと思わされたカカシが哀れで仕方ない。
「好き、イルカ、好き」
たまにうわ言のように繰り返される言葉も、哀れ過ぎて涙も出やしない。
一方的な言葉は辛い。
報われない思いは一体どこへ行って、昇華するのだろうか。
ひどい痛みを無視して、腕を伸ばした。カカシの首に縋りつき、いつの間にか大きくなった肩へと顔を押し付けた。カカシに瞳の奥を覗かれたくなかった。
ひどい痛みと吐き気を覚えている癖に、喜んでいる自分がいる。
結局、カカシは一晩かけて媚薬を抜き、その一晩でイルカは、再び寝込むことになった。
「イルカ、いい?」
深夜、任務から帰ってきたカカシに抱き締められた。
裾から入り、不埒な手つきで肌に触れてきたカカシの手を掴む。咎めるように視線を向ければ、カカシは薄く笑った。
「……また、媚薬を食らったら、抱かしてくれる?」
首を啄ばみ聞いてきた言葉に、手の力が抜ける。
イルカはカカシを拒むことができずにいた。
媚薬が抜けきった後、当然のように求めてきたカカシをイルカは拒絶した。
カカシの手を離すことはできないが、このまま関係を続けていくつもりもない。
正直に言ったイルカの言葉に、カカシは怒りの表情を浮かべたが、それは一瞬で、そのときは大人しく引き下がってくれた。
だが、翌日、カカシは再び、媚薬を浴びて帰ってきた。
わざとくのいちの媚薬を浴びてきたと言うカカシの言葉に、イルカは激昂した。何でそんなことをすると詰るイルカに、カカシは一つもぶれない声で言い放った。
「なんでって? こうしないとイルカは素直にならないじゃない。俺にこういうことさせるのは、イルカだってこと分かってる?」
告げられた言葉に、泣きたくなった。
それ以来、イルカはカカシに抱かれている。
ほぼ毎晩、任務のない日は一日中。
慣れない行為と、疲労に、家事をすることはままならず、家は荒れた。食事を作っている最中も襲いかかってくるカカシに、まともな食事にありつけるのはカカシがいない日だけで、イルカは痩せていった。
カカシはそれよりひどく、イルカを抱くためだけに家に帰る有様で、頬はやつれ、骨が浮き出るほどだった。
何とか食事させようと、作ってはカカシに食べさせようとしたが、イルカの言葉は聞かずに、ただ体を求める。
そして、たび重なる情事はイルカを変えた。
「あっ、いやっ、あ」
下から貫かれ、イルカはあられもない声をあげる。
「なんで? イルカ、ここ好きでショ? ほら、求めてよ、もっとあげるから、さッ」
突き入れられるように腰をぶつけられ、我も忘れるような快感が走る。触れられてもいないイルカのものはすでにはち切れんばかりに勃ち上がり、だらしのない汁をカカシの腹に零していた。
「っ、や、いや、だッ。やめッ」
喉を曝け出し、髪を振り乱す。イルカの手首はカカシに後ろ手に縛られていた。もがくように腕を動かせば、「そう」とうっそりカカシは笑う。
「イルカが言うなら仕方ないか。俺は、イルカに惚れてるからね。止めてあげるよ」
突き入れていた腰を停止させ、カカシは今まで掴んでいたイルカの腰から手を離すと、後ろ首に手を組み、イルカを見上げた。
「っ、な、で」
突然のことにイルカは戸惑う。体はもう走り出していて、あと少しで果てることができるのに。
非難の声を上げれば、カカシは息を吐いた。
「だって、イルカが言ったんじゃない。『嫌だ、止めろ』って。自分の言葉に責任持ちなよ」
当て擦ってくるカカシを睨む。その間にも火のついた体は疼き、苛んだ。
覚悟を決めて、目を瞑る。
「…、ぅ、は」
息を吐いて、腰をぎこちなく動かした。自分の感じる場所を探して、腰を蠢かし、小さく上下に動く。
「は、やっらしー、イルカ。嫌だって言ってたのに、自分でやっちゃう訳? いつの間にそんな淫乱になっちゃったの、アンタ」
カカシの笑い声に、羞恥で顔に熱が集まる。けれど、あと少しなのだ。
快感を求める体に負け、カカシの嘲笑に目を瞑り、自分の快感だけ追う。だが。
「っ、な、なんで!」
揺らめかせていた腰を押さえられた。がっちりと捕まえられた腰は一つも動かず、足に力を入れてもびくともしなかった。
信じられないと目を向ける。カカシは笑った。
「馬鹿言ってんじゃないよ。自分で動いてどうすんのさ。アンタは嫌だって言ったんだーよ?」
ぎりっと歯を食いしばる。頭は解放される快楽を求めて止まない。
体を焼く焦れったさに知らず体が動く。そのとき、不意にカカシの腰が突き動いた。
「っっ」
思ってもみない衝撃に、声にならない悲鳴が零れ出る。己のものが一瞬震えたが、快楽とは捉えなかったらしい。
吐き出す一歩手前の状態で放置され、その苦しさにカカシへ媚びるように視線を向けてしまう。
「ん? なーに?」
獲物を狙う獣のように、カカシは目を光らせてイルカを見詰めている。
「…て、願い」
「何? 聞こえない」
ふてぶてしい笑みを浮かべるカカシに、泣きそうになる。けれど、あの一瞬が欲しくて、イルカは叫んだ。
「動いてくれッ、お願――」
言葉途中でカカシが動き出す。激しい癖に、イルカのある一点を掠めないように突き入れてくるそれに、イルカは泣き叫んだ。
「や、いやだッ、そこじゃないッ、やっ、」
揺らされながら、首を振る。閉じそうになる目をこじ開ければ、カカシは荒い息を吐きながら笑っていた。
「どういうこと? 動いてるじゃない。我がままだよね、アンタ」
顔色一つ変えずに突き動くカカシに、いやだと泣く。そこじゃないと、首を振って、叫んだ。
「そこって、ここ?」
ついと掠めた場所に、イルカは息を飲む。
「そこッ、そこ突いてっ」
欲しかった場所に当たり、夢中で頷いた。欲しくてたまらなくて、形振り構わず声を張った。
「カカシ、突いて、そこ。もっと、もっと強くっ」
笑い声が耳に届いて、気付けば、下に組み敷かれていた。足を広げられ、肩口に乗せられる。
全て見られる態勢に、一瞬、正気に戻り、非難の声が出そうになったが、衝撃に声が出ることはなかった。
「アンタ、我慢しすぎ。もうちょっと早く言いなさいよッ」
苛立ちをぶつけられるように、叩きつけられ、視界が真っ白に染まる。待ちわびた瞬間に、背中を震わせた。
「っ」
カカシの息を飲む声が聞こえ、打ちつける腰が止まる。
荒く息をつき、体を弛緩させているイルカに構わず、カカシは律動を再開させた。
「っ、あ」
目を閉じ、イルカはカカシが果てる瞬間をひたすら待った。
「、イルカッッ」
大きく腰を動かし、突き入れる。
その深さに息を飲んだ直後、カカシの体がイルカの体に圧し掛かった。
腹に注がれた熱い迸りに、眉根を潜め、荒い息をつく。
カカシがイルカの体を固く抱きしめてくる。それを享受していれば、不意にカカシの顔が上がった。近付いたカカシの顔からそれとなく背け、イルカは小さく呟いた。
「……もう、いいだろ。…やり過ぎだ、お前」
カカシの顔を見ないようにした。そこにあるカカシは、決まって裏切られた様な悲痛な顔をしているから。
カカシの荒い呼吸音を聞いていれば、不意にカカシが動いた。
「……まだだ。まだ、足らない」
引き抜き、再び突き入れてくる。
「カ、カシッ」
今にも倒れそうな顔で行為を強いるカカシの考えが分からなかった。青白い顔で目だけを異様に輝かせる姿は、まるで幽鬼のようで恐ろしい。何かに取り憑かれたように、腰を振るカカシが恐ろしかった。
どうすればいいのか、イルカには分からない。
「…限界だな。カカシと話す」
定期連絡に綱手を呼びだせば、厳しい顔をして告げられた。
「何を…」
突然のことに戸惑えば、綱手は視線を落とし、イルカの手を見詰めた。つられて視線を落とせば、手首に昨夜の縛られた跡が赤黒く残っている。
後ろ手に隠し、俯くイルカへ、綱手は大きくため息を吐いた。
「痩せたな、イルカ」
ぐっと唇を噛みしめる。綱手の視線を避けるように、顔を背けた。だが、綱手はイルカから目を離さず、淡々と続ける。
「肌の血色も悪い。チャクラの巡りも悪い。顔に生気がない。その隈は寝てないせいか?」
部屋も随分荒れたなと、綱手は沈鬱な声を出した。
「……お前の様子がおかしいのは分かっていた。私が口出しすることではないと今まで黙っていたが、限界だ」
奥歯を噛みしめ、顔を上げた。体が震える。
どうすればいいか、分からない。綱手に任せていいことなのか、それとも分からないとしても自分で解決せねばならないことなのか。
開いた口から息が零れ出る。結局何も言えず、俯いたイルカに、綱手は優しく声を掛けてくれた。
「ここは甘えとけ。任務とはいえ、辛い思いをさせ続けた。すまん」
首を振る。公私混同をしたイルカが悪いだけであって、綱手に謝られる資格はない。
「……お前も難儀な子だね。もっとうまく立ち回ることもできただろうに」
不意に、綱手は柔らかい気配で呟いた。
母を彷彿とさせる声に、涙腺が緩む。ひたすら優しい空気に、張っていた心が崩れた。
ぼたりと畳に黒い染みが落ちる。
「っ、すいま」
零れ落ちた雫に、両手で目を覆った。
火影の御前で涙を零す己を恥じて、必死に止めようとしたが、壊れたように零れ出る涙を受け止めることしかできなかった。
止めようとすればするほど、涙が零れ落ちるイルカの様子に、綱手はあっけらかんと言い放つ。
「なに、気にするな。しかし、惜しかったな。私がそっちにいれば、この胸で好きなだけ泣かせてやったのに」
言われた言葉に、思わず綱手を見た。
茶目っ気のある笑みを浮かべ、豊満な胸を見せつける綱手に、笑みが零れ出る。
「鼻から、違うものが、出ます」
鼻水を啜り、引っくり返る声で言えば、綱手は目を見開いた後、豪快に笑った。
「そりゃそうだ」
けらけらと笑う綱手に、イルカも笑った。
明け方、任務を終えたカカシに綱手の言葉を告げれば、カカシは鼻で笑いながらも、対話してくれることを了承した。
「こっちも聞くことがあるしね」と笑うカカシは、何か鬱屈したものを秘めているようで、イルカの不安を煽った。
イルカから水晶玉を受け取るなり、寝室に閉じこもり、結界が張られた。
一切の干渉を受けつけない高等結界のそれを見て、イルカは廊下から台所へと移る。
綱手はカカシと何を話そうというのか想像もつかない。
考えても分からないと早々に投げだし、イルカはひとまずカカシには食事を取ってもらおうと己を奮い立たせる。
今の、骨と皮に近い有様になったカカシの姿を思い出し、胸が疼いた。
今日こそは絶対食べさせてやると、心に決め、胃に優しい雑炊を作ることにした。
雑炊を作り終えてもカカシは部屋から出てこない。ならば、もう少し品数を増やすかと、和え物と煮物を作り、それでも出てこないのでスープも作った。
昼になり、夜になり、朝作った雑炊が食べられないほどに膨張した時、カカシが台所にやって来た。
「カカシ」
身構えるようにカカシと対する。今日は絶対、引く訳にはいかない。噛みついてでも席につかせてやると、息巻いていると、カカシは何も言わず席に座った。
カカシの行動に拍子抜けして、まじまじと見ていれば、卓に置いていた雑炊の蓋を開けた。
「あ、それは、ちょっと」
食べられないと声に出す前に、カカシはおたまで掬って食べた。
カカシが食べ物を口にした。
「あ…」
何を言っても食べようとはしなかったカカシを知っているだけに、一瞬、幻術でも見ているのではないかと思ってしまった。
何度も瞬きを繰り返し、見詰めていると、カカシは再びおたまで雑炊を口に入れた。
「……おいしいよ」
ぽつりと言ったカカシの言葉に、鼻が痛くなった。おたまで食うなと叱るのも忘れ、これも食べろと、作っておいた料理を並べる。
「あ、温めた方がいいよな。もう冷めちまって」
一度卓に乗せた料理を取ろうとして、カカシの手が皿を掴んだ。
「――いいよ。それより、一緒に食べよう。イルカ」
ガリガリに痩せたカカシが優しく微笑んだ。
久しぶりに見たカカシの笑みに、イルカの名を呼ぶカカシの穏やかな声に、息が詰まる。
鼻から下りてきたものを啜り、照れ隠しに笑う。向かい側に座って、おたまで食べ続けているカカシに深皿を手渡す。
「おたまで食うなよ。俺も食うんだからなっ」
「…だね」
二人で顔を見合わせて、笑った。
その日、作った料理を全て平らげた。本当なら、食べられないような雑炊だったのに、不思議とおいしく感じた。
風呂に交互に入って、おやすみと寝室の前で別れる。
不安げな眼差しを送ったイルカに、カカシは大丈夫と笑った。
「もうしないよ。安心して、寝て」
「おやすみ」とカカシがもう一度言い、寝室の戸を閉める直前、
「ごめんね、イルカ」
小さな声が聞こえた。
謝るのは俺の方だと言おうとして、閉じられた戸に機会を逸した。
綱手が何を言ったのか、カカシは全く言わない。でも、二人の関係が何か動き出したことだけは感じた。
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ここは、管理人が鬱になった描写です。
軽くカカシくんに嬲られる?ところ。
管理人のメンタルの脆さがよく分かります。どんだけ脆いんや…orz
これ以上の物は書きたくないですし、読むとしおしおになります。