『おかえり』13
声を掛ければ、姿が揺らめいた。
笑みを浮かべた口元は変わらずに現れた男を見て、カカシは首を竦める。
「随分、粋なもの残していくじゃない」
笑おうとして失敗する。奥歯を噛みしめて、何も言わずカカシを見詰めて笑うサクモへ、息を吐いた。
「………に感謝してよ。あの人がいなかったら、たぶん、ここまで冷静でいられなかった。――親父には、色々と言いたいことがある」
目を細めて、息を吸う。目の前のサクモの姿は消えかけている。終わりは近い。
何も喋らない、いや、喋られないと言った方が正しいのか。サクモは少し困ったような顔をしている。
「親父、一つ聞かせて」
答えが返ってこないことは分かっている。けれど、どうしても聞きたくて、カカシは問いかけた。
「この巻物を残した理由。………は、俺が成長していく様を間近で見たかったからじゃないかって。俺の、後悔ばかりの過去を、乗り越えることを信じて見守りたかったからじゃないかって言ってた。……でも、本当は半分当たっていて、半分は違う」
弱気な声が出そうで、腹に力を入れる。歪みそうな瞳を瞬き、真っすぐ見詰めた。視線の先のサクモは、穏やかに笑っている。
「俺を支えてくれる人がいるか、確かめたかったからでショ? 親父にとって母さんのような、何があっても側にいてくれる。そんな、かけがえのない人がいるかどうか、親父は知りたかったんだ」
霧が晴れるように、周りの景色が鮮明になる。
光が満ち溢れた、白い場所。
それと同時に、解け込むように、サクモの姿が薄くなる。色を薄くさせ、揺らぐ姿に息を飲む。
まだ答えを聞いていないと叫ぶ直前、サクモの後ろに誰かの影を見た。
長い黒髪の女性。
サクモと寄り添い、カカシを見て微笑んでいた。
息が詰まる。叫ぼうと開いた口が閉じてしまう。
たぶん、合っている。カカシが思っていることは合っている。
呼ぼうとするのに、色々なものが溢れて、ついには口に出すことはできなかった。
消え入る直前、二人は幸せそうに笑っていた。まるで祝福するように、安堵したように、二人はカカシを見詰め、微笑んでいた。
堪らなくなって、二人を追うように一歩足を踏み出した。追いかけるように手を前に突き出す。けれど、
「――カカシ」
後ろから名を呼ばれた。
カカシの大切な人。かけがえのない人。そして、たぶん、両親が導いてくれた人。
振り返る。
光と、白の世界。
方角さえわからぬ世界で、カカシは迷わずに足を踏み出した。
「カカシ」
声がカカシを導く。
迷うことはないと、力強く。
恐れることはないと、励ますように。
カカシは笑う。泣きながら笑った。
両親を追いかけそうになった。幸せそうなあの二人に話を聞きたくて、確かにあった思い出を語りたくて、手を伸ばしかけた。
でも、カカシには待ってくれる人がいる。家に灯りを点し、カカシの帰りを待ちわびてくれる人がいる。
「………っ」
名を呼ぶ。しょっぱい雫を舌に感じながら、名を呼んだ。
目を覚ましたら、いつも通り言葉をかけてくれるあの人を思い出して、そしてカカシはその手を握り、いつものように応えるのだ。
駆けて行く前方に、まばゆい光が見える。その中に、その人を見た気がして、カカシは飛び込んだ。
******
間近で、何かが破れる音が聞こえた。それと同時に、玄関で人の気配がした。
目を開き、飛び起きて玄関へ向かう。
高鳴る鼓動の音を聞きながら、日が差す玄関戸に体当たりするように、横に引いた。
立つ人影の名を呼ぼうとして、息を吸い込む。
焦れるような、泣いてしまいそうな感情が突いて出て、そのまま声に出そうとして止まった。
騒いでいた鼓動が凪ぐ。
おやと、目を開いてこちらを見ている人物は、求めていた相手ではなかった。
「……綱手さま」
付き人も従えず、カカシの前に現れたのは、五代目火影、その人だった。
「よぉ。目覚めたばかりだってのに、ずいぶんな歓待振りじゃないか」
そんなに私に会いたかったかと、笑う綱手に、ぎこちなく口元を上げ、目を逸らした。
「……まぁ、そんなところですよ」
踵を返し、綱手を招き入れながら、今度は不安で波打つ鼓動に手を押し当てる。
違うと言っている。しきりに、カカシの六感が違うと警告を発している。
まだ横になっていろと、勝手に寝室へと向かう綱手の後につき従いながら、胸元の服を握りしめた。
乾いていく口内をわずかな唾液で湿らせながら、そっと顔を上げて窺う。
前方を歩くのは間違いなく、五代目火影だ。滲み出るチャクラの質は、本人であることを示している。
ならば、何が違う。何に対して違うと言っているのだ。
「ほら、横になってろ。お前、顔色が悪いぞ」
「え、ええ」
ひどく不安なのは、体が不調子だからなのか。
寝室に入って、床に敷かれた布団の横の物に目を奪われた。
枕もとの高さに巻物が置いてある。その巻物は広げられ、縦方向に途中から真っ二つに引き裂かれていた。
あれは何だと問いかけるより前に、綱手は笑った。
「気になって当然だろうね。この巻物には、お前が今まで掛かっていた術が記されていた。お前が術を破ると同時にその役割を終え、自ら裂けたんだろう」
腰を屈め、二つに分かれた巻物を手に取る。それを見詰める綱手の瞳は、どこか優しげだった。旧知の友を見詰めているような、懐かしさの交じった眼差し。
「……術。あの大名家の?」
問いかけて、頷かれた。
畳の上に坐したのを見て、カカシもそれに倣って座った。
カカシが覚えている記憶は、指名任務である大名家の蔵に入ったところまでだ。蔵の奥底には、ありとあらゆる術が封印された巻物が置いてあり、興奮したことを覚えている。
目に入った巻物へと、何気なく触れた直後から、記憶がない。
思い返してみるが、巻物には封印がされていた。古くはあったが、解かれてもいない巻物が自動的に発動するなぞ、聞いたことがなかった。
綱手は首を竦めて、そういう巻物だったと一言言った。
「ともかく。術に掛かったお前は静養を余儀なくされ、ここでずっと暮らしていたのさ」
だからと、部屋を見回して思う。
長年使われていなかった家だった。カカシも立ち寄ることはせず、後は朽ちていくばかりだと思っていたのに。
カカシの生家は、過ごしていた時の記憶のままの姿で目の前にある。見慣れない調度品はあったが、どれもが生活用品ばかりで、今回の静養の時に使われたものだと見当づいた。
そのとき、不意に胸騒ぎを感じた。また違うという声が聞こえる。何かを否定したがっている。
「――俺の、面倒を見てくれた人は?」
不意に言葉が付いて出た。その言葉に焦れるような、切ない感情が溢れ出て来る。
縋るように見た先で、綱手は苦い笑みを浮かべていた。
「……お前に掛かったのは、人心術の一種でね。お前にも記憶がないことから、分かるだろう?」
聞くまでもないことだった。
写輪眼を移植されたそのときから、カカシはカカシの物だけではなくなった。木の葉の里の、写輪眼のカカシとして、生きることを決定付けられた。
そのことに後悔も、恨みも感じたことはないが、このときばかりは少しきついと弱音を零してしまいそうだった。
悪いねと、謝ることなど何一つない綱手が呟く。仕方ないことだと笑おうとして失敗する。いつもならば制御できるはずの己の感情が溢れ出て、視線を落とした。
手甲をしていない己の手。
指先は無数のクナイだこと、見慣れないたこが二つ。
正座をした膝の上で、手の平を上に向け、軽く畳まれた指先を天へと伸ばしている。
「……俺の記憶消去は、誰が処置しました?」
「私だ」
即返って来た言葉に、奥歯を噛みしめる。
「この任務は、俺が目覚めたことにより完遂したと見做していいですか?」
「無論だ。この任務は性質上、上層部の意志を反映している。お前が目覚めたことで、この件は決着がついた。誰にも文句は言わせやしないよ」
カカシの考えを読んだように、望む答えをくれる綱手に、感謝しか浮かばない。
目をきつく閉じ、胸の内で感謝の意を伝えた。両手を握りしめる。まだ、だ。まだ終わっていない。全ては、これからだ。
「カカシ」
呼ばれ、顔を上げる。綱手は楽しそうな表情を張りつかせ、今後の予定を告げた。
「明後日から、遠方の前線にいってもらうよ。そのつもりで用意しときな。お前にはこれからどんどん働いてもらう。しばらく休みはないと思え」
「はっ」
静かに頭を下げる。出し抜けに笑い声が聞こえ、視線を上げれば、綱手は胡坐を掻いた膝を景気よく叩いた。
「よっし、合格だ。今のお前なら安心して任せられるよ。――変わったな、カカシ」
深い眼差しをくれる綱手へ、口を引き結ぶ。綱手の言葉に思い当たることがあり、小さく頷いた。
目を覚めて思った。
満たされている。
ずっと埋められなかった無数の穴。それが、一つ一つ、綺麗に塞がっている。
けれど、それと同時に大きな穴が開いた。
今はいない人。でも、必ずこの手に掴む人。
諦めませんよと笑えば、綱手は笑いながらカカシの肩を叩いた。
普段から馬鹿力なのに、遠慮もせずに叩くものだから、体が沈みこみ、肩に強烈な痛みが走る。
そのせいで、少し涙目になってしまった。
――待っていて。必ず、見つけ出すから。
奥底に住みついた人へ向かって呟き、滲み出た涙を拭った。
戻る
/14へ
--------------------------------------
ここでカカシ先生がイルカ先生の声に振り向かず、ご両親の後を追っていたら、即死亡となっておりました。(裏設定)
サクモさん、それくらい容赦ないと思うんです! です!!