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「イルカや。久しぶりに一勝負どうじゃ?」
コンコンと部屋をノックされた後、覗いた顔に笑みがこぼれ出る。
「いいですね、望むところです。負けた人は、衛門屋のどら焼きを奢るってことで、どうです?」
「いいぞ」と部屋から出てきた私を先導するように、火影さまことじっちゃんが自分の部屋へと案内してくれる。
じっちゃんと将棋を指すのは久しぶりだ。今のところ、わずかな差で私の方が勝ちを収めているが、今日はどうなることやら。
はたけ上忍と病室で別れて、私ははたけ上忍の家に帰る気にならず、一時避難場所として火影さまを頼ることにした。
火影さまとは、両親が懇意にしていた経緯で、小さい頃からよく遊んでもらっていた。
両親が任務でいない日には幼い私をじっちゃんが面倒をみてくれてもいたので、小さいながらに私の部屋まであったりする。
アカデミーや職場で会う時は、里の長である火影さまだけれど、火影さまの家に行った時は、昔からよく知っているじっちゃんとして私と対してくれる火影さまの気持ちがすごく嬉しかった。
と、いうわけで、私はじっちゃんに一晩の宿をお願いして、ここにいる。
パチパチと軽快な音を立てながら、交互に将棋盤へ駒を置く。
じっちゃんと勝負している状況にとても心が癒された。
じっちゃんが熟考している間に、温かいお茶をすすり、ほっと息を吐く。
病室では泣きに泣いてしまい、退院手続きする時は目が真っ赤で瞼も腫れて、応対してくれた事務員さんが怪訝な表情を浮かべていたものの、何も突っ込まないでいてくれた。事務員さんの優しさがものすごくありがたい。
じっちゃんのとこに行った時も、私の瞼は腫れていたのだけれど、じっちゃんは何も言わずに歓待してくれた。
みんな、いい人だ……。
ふぅーと息を吐きながら、ぱちんと置いたじっちゃんの駒を見る。
考え過ぎていつも負けをみる典型的な手を指したじっちゃんに、この勝負もらったなと胸の内でほくそ笑む。
衛門屋のスーパーデラックスアソートどら焼きは私の物だと、高々に王手と叫ぶ直前、音もなく忍びが降り立った。
突然の登場に、叫ぶはずだった言葉を飲み込んでしまう。
じっちゃんは気配に気づいていたのか、まったく動じた様子も見せず、邪見気味に降り立った忍びを見つめていた。
「なんじゃ。今、わしはいそが……ほう。ほうほう」
見たこともない忍びがそっとじっちゃんに耳打ちをし始める。じっちゃんはそれに頷きながら、まったくなっとらんのぅと小さくぼやいた。
一体何が起きたのだろう。
気にはなるが、里長の自宅へ報告しに来た話の内容なんて、恐れ多くて聞きたくない。
この場の空気になることをひたすら目指していれば、廊下の外で何やら物々しい音が聞こえてきた。
「困ります! 今、お休み中で」と、焦る女中さんの声を耳にしたと同時に、廊下に面した障子がパンと音を立てて開いた。
現れた人物に思わず息を飲む。
傍から見ても不機嫌そうな気配を貼りつかせ、こちらを見下ろしたのは、私が今一番会いたくない、はたけ上忍だった。
「……何してんの?」
地を這うような声が響き渡り、びびびっと体が震える。瞬間、何も考えられなくなり、ぽろっと出たのは何とも間抜けな返事だった。
「じっちゃんと将棋してます」
ついでに「王手」とぱちりとした私に、じっちゃんが頭を抱えて嘆いた。
「ぬおお、してやられたわい!」
「じっちゃん、私、衛門屋のスーパーデ」
胸の前で手を組み、うきうきと続けようとすれば、横から怒鳴り声が降り注いだ。
「そういうことじゃないでショ―っ!? 俺はあんたに帰れって言ったはずだよッ。上忍命令とも言ったでショ!! それなのに、何のうのうと茶啜って、ジジイの将棋の相手をしてんの!!」
怒りの形相で畳に踏み込み、腕を掴まれた。手首に食い込んだ力の強さに驚けば、はたけ上忍はじっちゃんを胡乱な眼差しで睨みつけていた。
「と、言う訳で、返してもらいます。お世話様でした」
「帰るよ」と、腕を引っ張られ、私は中途半端に座ったままの恰好で引きずられる。何だ、何だ、一体何が起こっているのだ?
「ちゃんと立ちなさい!」とより腕を引っ張られた時、じっちゃんがこれみよがしにため息をついた。
何か悩みごとでもあるのだろうかと視線を向ければ、じっちゃんははたけ上忍の顔を見て、なっとらんのぅとしみじみと呟いた。
「カカシ。お主は何がしたいんじゃ。悪戯にイルカを泣かすようなことあるならば、わしはだまっとらんぞ」
ひたりと見据えたじっちゃんの眼には凄味があった。
今のじっちゃんに歯向かったら、何かとんでもないことになりそうだなぁと思っていると、はたけ上忍も何かを感じたようで、言葉を飲み込むように怯んでいた。
はたけ上忍でも怯むことがあるんだと様子を眺めていれば、私の視線に気づいたのか、唯一出ている肌をぱっと赤らめる。
「っっ! い、いいから、あんたは立ちなさい! あぁ、もうっ、ここじゃ話せるものも話せないから、とにかく帰るよ!!」
「え、でも、あの」
どうしていいか分からず右往左往する私に苛立ったのか、はたけ上忍は腰を屈めるや、肩の上に私を担ぎ、そのまま歩きだした。
「え、あの! あ、じっちゃん、お世話になりました! たぶん、また来るから!!」
ばいばーいと大きく手を振れば、じっちゃんは朗らかな笑みを浮かべて「待っておるぞ」と手を振り返してくれた。
「はぁ?! あんた、まだそんなこと言ってんの!? たぶんも、またもないって言ってるでショ!」
ぴしゃんと尻を叩かれ、ひぎゃっと声が出る。
手加減されていると信じたいけど、今のは痛かった。
はたけ上忍に担がれ、じっちゃんの家を後にする。
はたけ上忍が目指したのは、今まで暮らしていたはたけ上忍の家だった。
「イルカ! ったく、迷子になってんじゃねーよっ。皆、心配すんだろう?」
本日の門番係りであるビスケが鼻を鳴らしながら出迎えてくれる。
「えっと、迷子になったんじゃないんだけど、心配掛けてごめんね。今度からちゃんと言ってから出てい――」
玄関の戸が鼻先で閉まり、ビスケとの会話が打ち切られた。
何となく後味の悪さを覚えていると、廊下に下ろされた。それと一緒にはたけ上忍と真正面から向き合う。
前かがみの私と、腰を屈めたはたけ上忍の瞳がかち合う。
額あてに隠されていない、本来の色である、深い海の色を見入られるように覗きこんでいれば、はたけ上忍がぼそりと言った。
「……ひっどい顔」
その一言に、衝撃を受ける。
確かに今時の子に多い、目が大きくて、まつ毛も長くて、全体的に小作りで可愛い容姿ではないけれど、それでも少しはいいところはあるはずだと、心の中で地団太を踏んだ。
毎日鏡の中で極上の容姿を見ている人は無神経で困ると、むぅと唇を突き出せば、はたけ上忍はくわっと目を見開き、私の頭を乱暴に撫でた。
「だ、だから! そういう気品さの欠片もない顔をすんなって、言ってるでショ! あんたは俺の許嫁だって何回言ったら分かるの!!」
「痛い痛い痛い! 頭の皮剥けちゃいますってー!」
激しい回転をくわえる頭の撫で方に悲鳴を上げる。すると、はたけ上忍の手がぴたりと止まった。
髪の毛が根こそぎ奪われなくて良かったと、ぐちゃぐちゃになった頭を手櫛で整えていれば、はたけ上忍は頭の上からつま先までを見渡し、不機嫌に富んだ声音で尋ねてきた。
「で、あんたのその格好は一体何なの? ジジイの家でなんでそんな格好になってる訳?」
はたけ上忍の質問の意図が分からず首を傾げれば、再び回転式で頭を撫でられた。こ、これは早く答えろという意思表示なのか!!
「べ、別に普通の恰好ですよ! じ、じっちゃんが私には着物が似合うからって、色々と用意してくれたんですー!!」
痛い痛いと、はたけ上忍の手を押しとどめるように掴んで、ようやく動きが止まった。
「……ジジイが用意? その浴衣も?」
「これは浴衣じゃなくて、寝巻です。あ、でもじっちゃんの趣味いいから、浴衣としても見えますよね」
私、これ気に入っているんですと笑えば、無言で頭を力強く撫でられた。痛い痛い痛い!!
「はたけ上忍、ひどいです…! 今ので私の髪の一割は寿命を縮めましたっ」
廊下に横ざまに倒れ、しくしくと泣きごとを言う。息を荒げたはたけ上忍は「ああん?」と上から睨んできた。
ひどい! とにかく今日のはたけ上忍はひどい!!
下りてくる鼻水をすんすんいって啜った。やがて大きなため息を吐いて、はたけ上忍が腰を下ろす。
また何か痛いことされるのかとビクビクしていると、再び大きなため息を吐かれた。
「……頭グリグリは今日のところは見逃してあげるけど、今後一切こういう恰好を人に見せんじゃないよ。それに、俺以外の奴が贈った服なんて身につけないの。……はしたないでしょうが」
ついっと視線をそらし、呟いた言葉が理解できなかった。
頭ぐりぐりを回避できたのは嬉しいが、はたけ上忍の先ほどからの発言の意味を正確に捉えることができない。
ごくりと生唾を飲み込み、奥歯を噛みしめる。
終わることが分かっているのに、このままの関係を続けることは、私にはできない。
痛い痛いとずっと胸の奥で叫んでいる声を無視して、息を吸った。
「はたけ上忍。私は、任務を下ろされました。もうここに帰ってくることはできませんし、いつまでも、はたけ上忍の側にはいられません」
私がここにいることで、犯人逮捕に支障が出てくると続けようとして、キンと耳鳴りがした。
遅れて、体が固まる。
息をすることすらできなくて、硬直した体に戸惑っていれば、
「……本気で言ってるの?」
凪いだ声に詰られた。
目の前には、深い海の色と赤い夕焼けの色。
はたけ上忍の左目を、初めて見た。
昔はそこには右目と同じ、深い海の色が浮かんでいた。でも、今は、赤く染まっている。
意識が逸れたのは一瞬で、次の瞬間、大きな体に抱きしめられていた。
ふっと、息を吐く。
自由に呼吸できるようになったことを理解しつつ、暴れ出した心臓にゆっくりゆっくり落ち着くように語りかけた。
目の端には銀色の髪が見える。痛いくらいに強く抱きしめてきた腕に、少々顔をゆがめながら、懐かしさも感じていた。
こんなことが昔にもあった、と。
少しだけならいいじゃないかと、今だけは触ってもいいんじゃないかと、心の声に唆されて、そっと手を回す。
驚かさないように背中に触れて、視界の端に映るきれいな銀の髪を撫でれば、はたけ上忍の背が震えた。
「……あんたは、本当にずるい…!!」
唸るように呟いた直後、振り切るように体が離れた。
背中に添えられていた手は弾かれ、頭を撫でていた手が空を切る。
痛い。
そう、思う。
はたけ上忍は私から背を向け、印を組み始めた。
練り上げられるチャクラの密度の濃さと、組む印の多さに、高等忍術を発動させるのだと察する。でも、一体何をするのだろうと、はたけ上忍のしたいことが分からずに戸惑っていれば、空気がたわみ、しぼみ、鼓膜を震わせた。
直後に、硬質な音が脳裏に響き、どこかに閉じ込められるような圧迫感が四方から襲ってきた。
結界?
四方から襲ってきたことから考えて、家全体に結界を張ったのだろうと推測できた。
玄関に降り立つ音を聞き、視線がそちらへ引き寄せられる。
問おうとして、はたけ上忍は背を向けたまま、固まった声音で言った。
「…あんたをここに閉じ込める。始めから、こうすれば良かった」
そう言って玄関を開け、はたけ上忍の姿が夜の闇へと消える。後を追おうとして、目の前で扉が閉まった、途端。
「っっ!」
バシと何かにぶたれるような衝撃を指に感じ、無意識に手首を握った。
燻ぶるように白煙をあげ、青い稲妻に似た光が戸全体に波打ち、行く手を阻む。
「……どうして?」
疑問の声をあげても、誰も答えてはくれない。
私の力では到底破れることができない結界を前に、しばらく呆けてしまった。
足の先が凍えて感覚が鈍くなる頃、ようやく戸の前から離れることができた。
ひとまず風呂場で足を洗おうと廊下を進んでいると、鼻から液体が下りてきた。うるっときた瞳にも気付いて、両頬を力強く叩く。
「……泣くな、自分!」
自分の何がはたけ上忍の不興を買ったのか、全く分からない。ここに閉じ込めて、一体どうするのか、見当もつかない。
分からない尽くしで、不安になる。
でも、全く分からないなら、本人に聞くしかない。それだけは分かるから。
「だから、泣くな…!!」
全てが分かった後で泣きたいだけ泣けばいい。分からないうちからめそめそするなと、熱を持った頬にもう一度張り手をお見舞いした時、風呂場に行く途中の廊下から、台所が見えた。
暗闇で沈んで見えるテーブルの上、ひっそりと物が立ち並んでいる。
鼻から息がし辛くて、口から息を吸った。引き寄せられるように足を進ませて、テーブルの前で止まる。
二組みのお茶碗とお椀が逆さにひっくり返り、煮物、焼き物などのおかずにはラップがかけられている。
それは、はたけ上忍が今まで毎日作ってくれたもので。
手もつけられていないそれは、明らかに私を待っていたもので。
温かい料理が冷めるていく中、はたけ上忍は、帰らない私をどんな気持ちで待っていたのだろうかと考えて、堪らずに声を上げて泣いた。
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カカシてんてー怒るの巻。(H24.5.17)
カカシの許嫁3