福女
正直言って、オレはモテる。
忍びとしても色男としても名が挙がった親父の血を濃く引いたオレは、自他ともに認める凄腕の忍びであり、そしてまた容姿も優れていた。
オレが望む望まぬに限らず、周りは放っておかなかった。
女は根こそぎ、中には何をとち狂ったか、男までも立候補してきたが、オレは異性しか抱きたくなかったので丁重にお断りをいれたり、実力行使で排除していた。
幼少時から女が入れ食い状態で、適度に食い散らかしていたオレの周りは、常に女がいがみ合っていた。良い思いもしたがそれ以上に面倒ごとも多かった。
綺麗な女も、可愛い女も、貞淑な女も、妖艶な女も、薄皮一枚剥げば、誰もが般若のような顔を見せ、口汚くお互いを罵り合う。
そんな女たちを間近で見続けたオレは、そのうちある思いを抱くようになっていた。
女なんてろくでもない。
顔と実力さえあれば、複数と関係を持っている最低男にでも、喜んで尻尾を振ってついてくる。
安い情を求めて舌を出して媚びを売ってくる女は、なんとまぁ浅ましい。
責められるべきオレを責めずに、相手の女に食ってかかる女たちを眺め、オレは内心ため息を吐いていた。
己の所業を棚にあげつつ、オレは密かに女に失望していた。
そう、失望していた、はずだった。
「もう! アンタ、何考えてんの!? ぷりっぷりな唇に餡なんかつけて!! これ見よがしに見せつけるなんて、頭どうかしてんじゃないっ。アンタ、それでも聖職者なの!?」
かっかっと頭に血が上るのを自覚しながら、オレは叫ぶ。
目の前にはオレを誘惑しようと無駄に足掻いている、冴えない、ムサイ、魅力ない女がいた。
くノ一にあるまじき化粧なさと、里から中忍以上が支給される正規の服を何の面白みもなく実直に着込み、黒い髪をちょんまげのように一本に縛った、アカデミー教師兼受付員のうみのイルカ。
今年、上忍師となったオレが受け持つ子供たちとの縁で知り合ったうみのイルカは、くノ一、いや女として色々とあり得ない人物だった。
下忍として合格した子供たちが報告したい人がいると言って連れられた場所にいたのが、うみのイルカという女だった。
平凡な顔立ちで、唯一目を引くのは、顔のど真ん中を横切った大きな傷跡。
木の葉では一般的な黒髪を持ち、大きな黒い瞳をした特に特徴のない女は、合格した子供たちを認めて晴れやかに笑った。
全身で喜びを表す様はひどく無邪気で、感情を殺すことを旨とする忍び、しかも子供たちに忍びとは何かを教える立場である教師とは思えず戸惑ったことを覚えている。
オレを置いてけぼりにして喋り立てる子供たちを宥め、女はオレに頭を下げて自己紹介をしてきた。
「初めまして、私はうみのイルカと申します。至らない点はあるかと思いますが、子供たちのことをどうかよろしくお願いいたします」
喋り足りないのか不満げな表情を浮かべる子供たちの頭を撫でながら、オレと会話をしたい欲求を優先した女に、これも上忍師の務めと、元担任という立場を尊重して名を名乗れば、女は顔色を変えてこうのたまってきた。
「あなたが、はたけ上忍ですか!! マイト・ガイ上忍のライバルとして名高いあなたに会えるなんて光栄ですっ」
儀礼的な笑みを浮かべていた表情が一変し、顔を真っ赤にして、手を差し出したオレの手を両手で握ってきた。
「ガイ先生素敵ですよね。ライバルとしてどう思います?」やら、「ガイ先生と勝負三昧なんて、とても羨ましいです。あの、ガイ先生とお手合わせできるよう口添え願いませんか?」とか、「ガイ先生の好物とかご存じありません?」などと口を開けば、ガイ一色。
いや、まさか、これは予想外だった。
いくらオレの気を引きたいからといって、ガイを引き合いに出すとは悪手過ぎる手だろう。
その時点でオレの中でうみのイルカは最低すぎる第一印象を持ったが、それは序の口だった。
ある時は、校庭で。ある時は、受付所で、ある時は教室で、ある時は飲み屋、そして自宅で、あの女は羞恥心の欠片もなく、オレにアピールしてきたのだ。
水遁の授業では、真っ青な青空の下のもと、水遁を打ち上げて霧雨のように降らせながら、漆黒の髪と浅黒い肌を濡らし、喜ぶ子供たちに無邪気な笑みを浮かべて、オレに無垢な少女とその中に潜む色気を見せつけてきた。
終いには子供たちと水遁の打ち合いごっこに発展して、びしょ濡れの姿になる始末。
その後に受付があるにも関わらず、だ。
案の定、あの女はいつもとは違って肌に張り付くそれを、何の恥じらいもなくオレに見せてきた。
しっとりと濡れた正規服は微妙に体の線が見えるものだから、常に体の線を隠している恰好との対比で非常にいやらしく見えた。
いくらオレに見せたいからといって、不特定多数、しかもまだ未成年である子供たちが行き交う受付所でやることではないと思う。
そればかりか、ある時は暑いからといって袖を捲り上げて、もろ肌を晒した。
適度についた筋肉と女性らしい柔らかい曲線を描くそれは、日に当たっていない場所だからこそ他の肌より白くて、とんでもなく卑猥なものだった。
見苦しいとオレは指摘したが、それでもオレを誘惑することをあきらめきれないのか、袖を直すことをしなかったため、女の手口に乗ってしまうと悔しく思いながらも、オレは袖を手首まで戻してやった。
ホント、何て狡猾な女なんだろうね! オレ直々に注意を受けるよう仕向けつつ、まんまとオレに直させるなんて!!
それに、授業中も本当に腹が立つ。
オレが見ていることに気付いているかのように、子供たちに熱心に教える教師役を演じつつ、時におっちょこちょいなドジ属性を交えながら、生徒に突っ込まれて、顔を赤らめてはにかんだり、時には厳しい顔で生徒を叱る頼りがいのある顔を見せたり、授業についていけない生徒を秘密裏に呼び出して出来るまでつきっきりで教えたり、悪戯をした生徒たちを叱り飛ばして反省と罰をさせた後は、一楽でラーメンを奢ったりとか、理想の教師像を見せつけてくる。
おまけに家では、基本、窓にはカーテンが引いていなくて、外から覗き放題で、髪を下ろして首にタオルを引っ掻け、Tシャツに短パンという無防備な風呂上がりの姿でうろうろと部屋の中を歩き回っている。
時々仕事を家に持ち込んで、飯を食べる時と兼用にしている卓袱台で書類を書いていたりするのだが、疲れがたまってその場で寝ることすらあるのだ。
髪をきちんと拭かない性質なのか、濡れ髪が首筋に張り付いて妙にいやらしいし、大胆にも胡坐をかいているから短パンから覗く太ももが惜しげもなく晒されているし、本当に頭がどっかおかしいとしか思えない!!
そして、今だって受け持った子供たちのことでどうしても聞くことが出来て、仕方なく、本当に仕方なく飲みに誘ったのだ。
そうしたら、金がないから普通の居酒屋でと、わざわざオレが前もってリサーチしていた料亭を断ることで庶民派を気取り、やっすい焼き鳥を美味しそうに頬張ってはふにゃりと可愛い自分アピールをするわ、オレの目の前で串に刺さった鶏肉を上から齧って、アレを彷彿とさせる仕草をするわ、唇についたタレを躊躇いもせずに舌で舐めとるわ、挙句の果てには餡掛け豆腐を頼んで、その白く濁った固まりをこれ見よがしに唇につけやがった!! し、しかもそれを舐、舐め……!!!
目の前で起きたことが到底許容できず、オレは机を叩き抗議した。
それに対し、うみのイルカはようやく羞恥を覚えたのか顔を俯け、意気消沈していた。
これでようやく子供たちの話ができるかと思ったが、オレは甘かった。
このオレにどっぷりご執心である女は、時折オレを上目遣いに見つめ、オレへの好意とこの後の誘いをしきりにしてくるのだ。
なんて。なんて、恐ろしい女なんだろう。
口には決して出さず、その目線、仕草、体全体でオレを誘って、オレから言葉を引き出そうとしてくるなんて!!
結局、その後、オレはうみのイルカに大いにダメ出しをすることに全力を注いだ。
だいたいオレの口から言わそうなんて百年早いんだーよ。アンタのアプローチはそこそこオレに効いてるんだし、あとはきちんとオレと向き合ってそれなりのことを言いさえすれば、オレだってそう無下にはしないーよ。まったくもって素直じゃないんだから!!
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「で、さー。オレとしては辛抱強く待っているんだよ? 会った瞬間から熱烈なアプローチをされた手前、他の女の誘い全て断って、縁のあった女全部切り捨てて待ってやってんのよ。そんなにオレのこと好きなのかって、その熱意に負けたというか、あそこまでされて無視するのも人としてどうかなって思うし、だいたい子供たちの恩師でもあるしね。仕方なく、本当に仕方なく身綺麗にして待ってやってんのに、あれから一度も二人きりで飲みに行けないばかりか、二人きりで話す機会もないんだーよね」
正月元旦。
売れっ子忍びには季節の行事など関係ないとばかりに、元旦暗殺を請け負い、気心の知れた後輩と共にツーマンセルでさくっとやってきた帰り道。
里に近づいたこともあり、話の種としてあの女との進展を語ってやった。後輩は、猫面の顔をオレに向け、何故か沈黙を守っている。そして、ただただオレを注視している。
「……あのね、なんか言いなさいよ。オレがお前を気遣って会話してやろうと心配ってるのに、だんまりこくなんてどういう神経」
「あの、先輩。それ、アプローチされたっていうんですか?」
あまりな後輩の態度に苦言を呈してやろうとすれば、その直前でようやく後輩が口を開いた。
面で表情は見えないが、後輩から発せられる感情は何故か動揺していた。
「は? お前、オレの話聞いてたの? どう考えてもオレにアプローチしてるでショーが」
「いや、先輩、アプローチって……」
語尾を濁し、非常に困惑した気配を出す後輩に、オレは内心鼻を鳴らしていた。
オレがあの女について語ると必ずといって、後輩のような反応を示す輩が多い。あの髭熊にしろ、蟒蛇女にしろ、甘党女や楊枝や眼鏡、熱血くんなんかも微妙に困惑した表情を見せ、奥歯に物が挟まったような口調でオレに何かを分からせようとしてくる。
はっきりいって、何が言いたいのかちっとも理解できない。言いたいことがあるなら単刀直入に言ってもらいたいものだ。
うーやらあーやら、意味のない声を上げ始めた後輩に、いささかげんなりしていると、意識に引っかかる気配を捕らえた。
「っと、先輩?」
突然足を止めたオレを追い抜いた後輩が、慌てて足を止める。
その間にも周りの木々を見回し、ある一点で視線が固定された。
いる。
あそこにいる。
直感というよりは本能が訴えかけた。そこからは、勝手に足が動き出す。
言葉もなく、里から遠ざかる場所へ方向転換したことで、後ろから後輩の驚きの声が聞こえた。だが、そんなもんに気を取られている場合ではない。ここからそう遠くない場所に、あの女、イルカがいるのだ。
瞬きする間もなく、感じた気配がする近くの木の幹に降り立てば、町娘風の格好をしたイルカとそれに対峙するように距離を詰めようとする中年の他里の忍びがいた。
正月元旦から配達任務でも請け負ったのだろうか。
状況からして、予想外の交戦らしい。すでに戦ってきた後なのか、イルカの服はそこかしこに戦闘の跡が残っていた。
「介入します?」
追いついてきた後輩が声を掛けてくる。
「もちろん」と答えようとした時、イルカの視線がこちらに向いた。
目線で頼りにしていいですかと問うてきたそれが何となく嬉しい。
期待に答えてあげようかと珍しく心穏やかに行動に移す直前、またしてもあの女はやりやがった。
「きぃやぁぁぁ、助けてぇっぇ、犯されるぅぅぅぅ」
飛び出たその言葉に、束の間唖然とした。
オレが自失している間にも、イルカは着物を自ら引き裂き、地面に倒れるている。
対象の目を引くための行動だとしても、そこまでしなくてもよいのではないか?
頭痛とふつふつと腹から込みあがってくる怒りを抑え込みながら、敵忍の意識を刈り取った。
しきりに感謝されたが、先を急ごうと焦るイルカに、もしやと声を掛ければ、驚きの言葉を聞くことになった。
イルカが急ぐのは、今年の福男に憧れの人がいるためで、普段は恥ずかしさがたたって言えなかったけれど、このイベントを切っ掛けに一歩踏み込んだ仲になって、常にイチャイチャしたいから自分をオレの福女に選んで欲しいという、何とも愛らしい告白だった。
元旦の任務を告げられた時、「帰ったら三日にイベントがあるから参加するんじゃぞ。今年の福男はお主も入っておるからの。強制参加じゃ」と、煙管を吹かせて横暴に言い放ってきた三代目は正直腹に据えかねていたが、あの意地っ張りなイルカから素直な愛らしい告白を聞ける切っ掛けとなったことは、非常に有意義だと言わざるを得ない。
だが、オレはこう見えて公平な男である。
いくらイルカが勇気を振り絞って言ったからといって、贔屓をするわけにはいかないのだ。
「待っててあげるから」と、これくらいはいいだろうと、暗部秘蔵の気力体力を復活させる兵糧丸を食べさせ、任務に送り出した。
何だか早くも新婚さんみたいだとうっとりとしてしまったことはオレの中だけの秘密だ。
イルカの胸元に入っていた書簡は、ここから一日かかる街にいる大店の店主宛だ。だとすれば、普通の忍びの足では三日かかるかかからないくらいだろうから、イルカが帰ってくるのはぎりぎりのところだ。
だが、オレには確信がある。
「……先輩、彼女、先輩が誰か気付いてました?」
イルカのことを考えて入れば、ちょうど折よく後輩から尋ねられ、オレは腹からこみ上げる笑いを一度だけ漏らす。
「当然。じゃないと、オレにあんな告白する訳ないでーショ?」
「え、告白?」
普通ならコートを頭から被り、暗部の面をつけたオレが誰だか分からないだろう。だが、イルカはオレの目を見て熱い気持ちを伝えてくれた。
その情熱とイルカの思いは本物だ。
一度でいいからと、いじらしいまでの謙虚さを見せるイルカの言葉を反芻しつつ、今から三日が待ち遠しくて堪らなくなる。
「イルカは、三日に必ずやってくーるよ。だって、オレと約束したんだもの」
「へ? 先輩? 一体何言って」
ごちゃごちゃと後ろから言ってくる後輩を無視して、オレは弾むように木の枝へと足を付け、そのまま里へと向かう。
「せ、先輩、ちょっと話を! ちょっと本当にお話を!!」
飛ぶように後ろへと抜ける木々を眺めながら、くつくつとした笑みがこぼれ出る。
三日にイルカと会ったら、頑張ったご褒美に、こちらの気持ちを少しだけ素直に言ってみてやるのもいい。
イルカはどんな風に喜ぶかな。
今まであまり二人で話せなかったからこそ、イルカは全く気付いていないかもしれない。
イルカは一度だけでもって言ってたけど、両想いになれたんだからそれこそ回数なんて気にしなくてもいいくらい、いっぱい蕩けさせて、オレなしでは生きてはいけないと言うまで可愛がってあげよう。
どちらかと言えば慣れてなさそうな、いいや、もしかしたら正真正銘初物の恐れもありえるイルカのことだ。
混乱して泣いちゃうかな。でも、それに興奮して無体な真似を働きそうで今から少し不安だ。
姫始めならぬ姫初め。
おまけに初物をいただけるとなれば、今年一年無病息災は確定したものだろう。
オレにとってのまさに。
「福女だーよね~」
ふくふくとした温かい何かを胸に抱え、オレは里へと帰る。
後ろから何かわめきながら追いかけてくる後輩は無視して、それこそ出かける前よりも軽快な足取りで駆けた。
今年は生まれてから一番の目でたい正月だと、誰彼構わずに言い触らし、叫びたい。
その後、オレが予想したようにまさに人生史上初のめでたい日となった。
一つ残念なことがあるとすれば、姫初めはいただけなかったことだろう。
でも、美味しいものは後から食べた方が楽しみが続くもーんね。
極度の恥ずかしがり屋の恋人の元へ、オレは今日も帰っていく。
おわり。
戻る/
福男へ
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またもや時季外れな作品となりました。
カカシ先生視点となります。
……もしかしてこのカカシてんてーはあかんやつか……(((゚Д゚:))
終わりが良ければすべてよし編をいずれ書きたいです。