初顔合わせの時は、高名な忍びに会える緊張と、子供たちを任せる心配ばかりで、特別な感情を抱く余裕はなかった。
顔下を隠す口布と、左目を覆う額当て。木の葉では珍しい銀髪は奔放そのもので、風が横から吹く度、その髪型を変えた。
顔の中で唯一見えるのは右目だけで、少し垂れ目気味の目は覇気がなく、猫背もあいまってやる気なさそうな印象を受けた。
とてもではないけれど凄腕の忍びには見えなくて、この人に子供たちを任せて大丈夫なのかと、会ってからますます心配になった。
だから行く先々で見かける度、積極的に声を掛けては距離を縮め、世間話ができるようになった時だった。
夕暮れ時の渡り廊下で、報告に来たであろう7班の姿を見つけた。その人の周りには子供たちがじゃれるようにまとわりつき、にぎやかに何か話をしていた。
教室にいた私は窓を開け、挨拶しようと息を吸い込んだ時だ。
先に行こうとする子供たちの頭を撫で、その背を見送ったその人は、子供たち一人一人を目に収めて、ひどく優しい目をした。
その人は、子供たちを見て微笑んでいた。愛しいという思いを隠しもせずに、一人で小さく笑っていた。
その瞬間、身動きが取れなくなった。
鼓動が急に高鳴って、動悸を起こしたかのように胸が苦しくなった。
あんなに優しい笑みを浮かべる人を、私は見たことがなかった。
それからだ。
何をしていても、あの人の微笑みが頭から離れなくなっていた。視線は常にあの人を探し、知れずあの人と会えることを待ち望んでいた。
そこで気付いた。
恋に落ちた、と。
私、うみのイルカは、はたけカカシに恋をした。
唐突に、前触れもなく、私は彼のことが好きになった。
それは、私の初恋だった。
******
「よりにもよって、あんたは……」
興奮冷めやらぬまま、自分に起きた奇跡的現象を伝えたくて、アカデミーの同僚で友人のいとのマキを食堂へと連れ込み、テーブルを叩きながら自分の思いの丈を余すことなくぶつけたのに、返ってきたのはひどくあきれたため息だった。
「な、何なの、その反応! マキなら、マキなら私の記念すべき初恋を応援してくれると心の底から信じていたのにっっ」
ひどい、裏切られたと頭を覆って、仰け反れば、マキはこれみよがしにため息を吐きつつ、食券で買ったコーヒーを一口啜った。
ブルジョアなマキは、給料日目前がどうしたとばかりにコーヒーを飲める身分だ。一方の私の目の前に置かれているのは、水だ。無料の、ご自由にお取りなさいという、懐に限りなく優しいお水さまだ。
マキのコーヒーの匂いを嗅ぎながら、これはコーヒーと言い聞かせながら水を口に含む。大丈夫、私は忍び。これくらいの暗示、見事にかかってみせる!
コーヒーコーヒーとぶつぶつ言っていたせいか、マキは私を見るなりひどく疲れた顔をして、額に手を置いた。
「……もうそこからして、有り得ないんだけど。あのねぇ、イルカ。言っておくけど、はたけ上忍の彼女になりたい女はそこら中にいるの。倍率半端ないの。しかも、良い女が群がるまさに入れ食い状態、選び放題のフィーバーが永遠に続いている身の上なわけ。そこに、貧相な鰯風情のあんたが入り込む余地があると思ってんの?」
鯛と鰯ならどっち食べたいと思うのよと、魚に例えてきたマキに私は胸を張り言い切った。
「鰯に決まってるじゃない! 値段は安いし、お手軽だし、うま味もあるし、干物も最高っ! 酒のおつまみとしてもイケる!」
鰯一択っと目を見開いて主張する。ということは、私にも十分勝機があるのではなかろうか。
わくわくしてマキを見れば、マキは一度にっこりと笑うと、おもむろに腕を伸ばし、私の眼前に止まると親指で止めていた人差し指を解放した。
「っだ!」
額には額当てが巻かれているせいか、マキはよりにもよって目と目の間のへこみを狙ってきた。狙いが違えば、目に直撃したであろう暴挙をしでかした友人が恐ろしい。
恐怖の目で見つめていれば、マキは鼻で笑った。
「あんたの貧乏根性がはたけ上忍にあると思ってんの? 答えは当然、鯛。貧相でがさつなあんたじゃなくて、ぼんきゅっぼーんの才色兼備でおしとやかで最上級の女がいいに決まってるでしょ。現実をしっかり見据えなさい、現実を」
やれやれとため息をはき、長いまつげを伏せてコーヒーを口元に運ぶマキは、絵になるほど美しかった。
ふわふわとした長い栗色の髪、色白の肌。小顔で凛とした美しさがある面立ち。出てているところは出ているけれど、決して露出的ではない上品な服に身を包むマキ。
それに比べ、毎日、日の下で子供たちを追っかけているせいで肌は黒く、肩口まである髪の毛を頭頂部で一本結んだだけのお手軽髪型、おしゃれは一切皆無で、正規服に身を包み、元から体型が貧弱なせいか、ぱっと見、性別の判断に困る私。
マキの言葉にしゅんと悄げる。
確かにマキと一緒にいる時の男の人の関心は、マキ一本で、私はいつも隅に追いやられていた。
現実とはこういうことなのかと、手元のグラスをいじっていれば、マキが「でも」と言葉を続けた。
「本気なんでしょ? イルカが異性に対して執着するところ初めて見た。あんたのことだから諦めることなんて絶対あり得ないし、やれることはやるつもりなんでしょ?」
視線を上げれば、呆れているけれど仕方ないと微笑んでいるマキがいた。相談に乗ってあげるわよと、言外に言ってくれるマキに、涙腺が緩む。
「マキ、大好き!」
嬉しくて、テーブルを挟んでマキに抱きつけば、マキは真っ赤な顔で怒鳴ってきた。
「ちょ、だから、あんたは所構わず抱きつくなって言ってるでしょ!? 離れなさい、もう落ち着きないんだから」
口では何だかんだ言うものの、本心からいやがっていないマキに上機嫌になりつつ元の席につく。
「で、恋に落ちた宣言だけじゃなくて、ほかにも話があるんでしょ?」
言ってみなさいよと促されるまま口を開こうとした時だった。
「あなたたち馬鹿じゃない。中忍風情、しかもお気楽な内勤のアカデミー教師がカカシの恋人になりたい、ですって? 立場を弁えなさいよ、立場を」
ひどく硬質な声が放たれると同時に、影が差し込んだ。
仰げば、そこにはナイスバディで美人なくノ一が私を見下ろしていた。
目の前のマキの気配が動揺で揺れる。何か言いたそうな空気も発していたが、ひとまず話しかけられたことに答えることにした。
「恋人に立場は関係ないと思います」
下忍の子が上忍と付き合ったり、中忍が下忍の子と付き合ったり、中忍と上忍が付き合っている現状を知っているだけに、その人が言うことはおかしいと断言できた。
「イルカっ」
顔色を変えて私の名を呼ぶマキが不思議だ。
気配とチャクラから見て、この方は上忍に違いない。
目上の人と対しているのに座ったままでは悪いと思い、席を立つ。
女にしては少々背の高い私は、その人を見下ろす格好になる。少し怯んだ様子を見せたけど、その人は眉根を逆立てるなり、食ってかかってきた。
「私と対抗できると思ってるの? あんたみたいな芋女がカカシの彼女に立候補する方がおこがましいって言ってんのよっ。カカシが見ている下忍の元担任だとか言って、うろちょろされるのは目障りなの。どうせカカシだってあんたのことを女として見てないに決まってるじゃない!」
一息に言い切るその人に、さすが上忍、肺活量が違うと感心する。今度の言い分は事実なだけに、私も快く肯定した。
「はい。カカシ先生から直接そう言われているので、その通りだと思います」
きっぱりと言えば、その人は絶句し、マキは「はぁ!?」と叫んだ。
驚く二人が不可解そうなので、私はそのときの説明をすることにした。
あれは、カカシ先生に恋をする前の話だ。
カカシ先生の人となりがどうも心配で、何気なく近づいては話をしようと画策していた時、カカシ先生はこう言った。
「言っとくけど、アンタみたいなもさい女趣味じゃなーいの。当分、子供たちで手一杯だし、特定の女を作るつもりもないし、作ろうと思ってもアンタがオレの女になる可能性は99%あり得ないかーら」
カカシ先生は私から視線を外さずに言い切った。
そのときは恋していないから、「そうなんですか、それより子供たちのことなんですけど」と見事なスルースキルを発動したが、今となっては難しいことだ。今、そんなこと言われたりしたら、たぶん私泣いている。
「だから、ご指摘の通り難しいことだとは思うんですが、逆に1%は可能性があるということで頑張ってみようかと思います」
受付で顔を見たことはあるが、話したことはない。顔見知り程度の人に胸の内を話すことは恥ずかしいが、どうやらカカシ先生に恋をしている同志なので隠すことなく告げる。
照れますねと頭を掻いていれば、その人は衝撃を受けたように一歩退いた。
「だから? だから、カカシは私の誘いにも乗らなかったの?」
微かに体を震わせ、その人が小さく呟く。その言葉に私は目の前が開ける思いだった。
チャンスだ!
こんなに美人な人が言い寄っても、カカシ先生はあのときの言葉を翻したりしなかった。
このもさい身がどう変わるかわからないけれど、彼女が欲しいと思った時に少しでも見栄えのするいい女になっていれば、可能性はわずかだがあるわけだ。
よっしと、ひとまずもさい女から脱却することを目標に定めれば、こちらを睨み据えてきた。
「そんなに私が袖にされたのが嬉しいわけ? 冗談じゃないわよ、たかがガキのために私を振る? そんな侮辱的な事が許されるわけないじゃない! よりにもよってあのき」
言いかけた先の言葉が想像できて、思わず手が出た。
さすがに女性なので殴る訳にはいかず、口を押さえるだけに止めたが、黙らせることに成功した。あの言葉を言わせずに済んでホッとする。
「駄目ですよ。傷つける言葉を言って傷つくのは、言われた本人だけとは限らないんですから」
分かってもらいたくて言った言葉は、その人に伝わったらしい。
瞳に走ったわずかな影を見て、これ以上言うことはないだろうと手を離せば、その人は顔を真っ赤にして叫んだ。
「ーーあんたに何がわかるのよ!」
苦しみささえ感じる言葉に、その人の複雑な思いを感じ取って力を抜く。
知ってる。その痛みも苦しみも、許せない自分が許せないことも。でも、大丈夫。きっといつか乗り越えられる時はくる。
振り上げられた手を見つめ、せめてそのきっかけになれればいいと目を閉じた直後、乾いた音と勢いを伝える風が伝わった。それと同時に、心地いい声が降ってきた。
「物騒だーね。たまには子供たちに奢ってやるかと来てみれば……ね」
聞き覚えのある声に弾けるように目を開けて、目の前の人に度肝を抜かれた。
「カ、カカシ先生」
ということは、当然。
振り返るより早く、私を背に庇い威嚇するように睨み付けるナルトが現れた。
まずいと思った。決してこの人が悪い訳ではないのに、流れがそっちへ向かっている。
カカシ先生に手を掴まれ、外そうと足掻いているその人は、今にも泣きそうな顔をしていた。
その人の瞳から涙がこぼれ落ちることは忍びない。だから。
「ナルト、久しぶり!! 大きくなったかー?」
緊張が高まる中、私はわざと大声をあげて、張りつめているナルトの体を後ろから抱き込み、そのまま持ち上げた。
「ぅえ! な、何すんだってば、イルカ先生!」
わたわたと両手を振り回すナルトの手がカカシ先生に当たり、一瞬気がそれる。
その隙をついて、その人はカカシ先生から手を取り返すなり身を翻して駆けた。
振り返る一瞬、私に憎悪の視線を向けたことに気づき、私は謝罪の意味を込めて頭を下げる。こういう結果を望んだわけではなかった。
「イルカ先生ってば!」
胸に抱き込むナルトが叫び、我に返る。ごめんごめんと床に下ろし、大きくなったねぇと頭を撫でれば、「子供扱いすんな」とむくれてしまう。
ご機嫌を取るように、筋肉量が増えて体つきがたくましくなったことを言ったのだと熱弁すれば、ナルトはあっという間に機嫌を直してくれた。
「あの、イルカ先生」
愛い奴めと久しぶりのスキンシップを堪能していれば、背後からおずおずと声を掛けられた。
振り返れば、サクラとサスケの姿を発見し、胸が躍る。
「うわー、久しぶり。元気にやってるみたいだね」
腰にナルトを引っ付け、サクラとサスケの頭も可愛い可愛いと撫でる。
ナルトより精神的に大人に傾いている二人は、ひどく恥ずかしそうな顔を見せたけれど、嫌がる素振りはない。
いずれ止めてくださいと言われる未来を思い浮かべ、貴重な一時だと二人を胸にしまい込めば、ぎゃーぎゃー叫びだしたけれど無視した。
「イルカ…。あんたのその素っ頓狂ぶりを発揮するのは同僚の前だけにして」
おれもおれもと腕の中に入りたがるナルトも入れて、ぎゅーっと抱きしめていると、脳天に手刀が打ち込まれる。
あまりの痛みに腕の力が緩んだ瞬間、ナルトを除き、二人が我先に逃げ出す。おのれ、逃すものかと手を伸ばし掛けて、襟首を引っ張られて行動を制されてしまった。
「あー、マキのいけず! 元生徒とのスキンシップを邪魔しないでぇぇっ」
いずれあの子たち、私に見向きもしなくなるんだからと叫べば、ナルトが「おれは違うってば」と力強く言い切ってくれた。
「ナルトぉぉぉぉ」
「イルカ先生ー!」
言い切ってくれたナルトを真正面から抱きこめば、ナルトも精一杯の力で抱きついてくれた。良い子だとぐりぐり肩口にすり寄れば、ナルトの笑い声が弾ける。
うふふ、きゃっきゃとじゃれ合っていれば、私に見切りをつけたマキがおもむろに頭を下げた。
「はたけ上忍、厄介ごとに巻き込んでしまい申し訳ありません。助かりました」
ん? はたけ上忍?
はっと我に返って顔を上げれば、確かにそこにはカカシ先生がいた。私の初恋相手の、カカシ先生が!!
これはいかんとばかりにナルトから身を離し、カカシ先生と向き合った。
「カカシ先生、こんにちは。珍しいですね、こちらに来られるなんて」
ま、ま、こちらにどうぞと席を引き、私の近場に座らせようとすれば、カカシ先生は結構ですと断ってくる。うぅん、ガード固いな。
けれど、子供たちが私を囲むように座ってくれて、残念な気持ちが幾分緩和された。
カカシ先生が珍しく奢ってくれるって言ったのに、こんな食堂なんてケチだと思いませんか? などと、サクラやナルトとサスケの文句を、相槌を打ちながら聞く。
ここも結構おいしいよと話掛ければ、カカシ先生は見計らったように子供たちに好きな物を買いさせに行った。
手を振って遠ざかるナルトたちに手を振り返し、相好を崩していれば、カカシ先生がこちらに視線を向けてきた。
「……アンタさ。さっき言ったこと、本気?」
見つめる視線はどことなく不穏気だ。カカシ先生を不機嫌にさせることなどした覚えはないはずだが。
腕を組んで考えて、カカシ先生の言いたいことに思い当たった。
そうか。あの美人くノ一とのやり取りを見られていたのか。いや、そればかりか、マキに熱く語っているところから見られていたのかもしれない。
「いやー、聞かれちゃいましたか。あははは、参りましたね」
照れ隠しに笑えば、カカシ先生は呆れた目で見つめてくる。
「だいたい、忍びしか利用しないここで話すことじゃないでショ。どっちにしろ、明日には筒抜けでしたよ」
忍びとして情報管理力が低すぎると咎めてくるカカシ先生は、やはり立派な忍びと頷くしかない。けれども、これはこれで別に。
「問題ないですよ。どうせ、今日か明日には宣言するつもりでしたし」
『……は?』
私の言葉にカカシ先生ばかりか、マキまで鈍い反応をする。
大っぴらに食堂で話す以上、筒抜けになることくらい私でも分かる。せめて友人のマキには私の真意に気付いてもらいたかったと嘆いた。
訳が分からないと目を白黒させるカカシ先生に、それでは改めましてと席を立つ。
カカシ先生の目の前で膝をつき、有無を言わさず左手を取ってその手首に口付けた。
途端に手を振り払われ、ガタガタとカカシ先生が仰け反るように椅子を後退させる前で、私は宣戦布告する。
「カカシ先生が好きです。今日から猛アタックするんで覚悟してくださいね」
にこっと笑って言えば、背後からガシャーンと食器が落ちる音がした。
振り返れば、そこには顔面蒼白になったナルトとサクラ、サスケがいた。
『あり得ない』
ってばよ、です、と、遅れて、にぎやかな声が食堂にこだました。
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性懲りもなく新連載。
女の子が書きたかったんです。頑張る可愛い子が見たかったんです……。
ここの女イルカ先生はちょっとずれてます。女子力ゼロからスタートだ! 頑張れ、イルカ先生!
初恋1