物陰に隠れて私は獲物を待っていた。
視線の先には7班の子供たちが、私の獲物であるところのカカシ先生を待っている姿が見える。
恋する乙女と化した私に隙はない。
当然、この日のために半有給を取ったし、子供たちからの事前リサーチでカカシ先生がだいたいいつ頃にくるかなんてことはとっくに把握済だ。
時刻はそろそろお昼時。
カカシ先生が来る時間であり、私が仕込んだものが効力を最大限に発揮する時刻でもある。
期待と緊張に胸が膨らみ、自然と息が荒くなる。
隠密行動中にとんだ失態だが、子供たちは私の存在に気付きもしない。ここが風上だったならばナルトが匂いで気付くのだろうが、そこら辺も考慮して風下へ風下へと隠れているのだが……もう少し周囲の観察をしてくれたら私の事を見つけられるはずなんだけどなぁ。
風下へ移動する最中に痕跡をわざと残しているのに、それにも気付いてくれない。
完全に油断しているなと、子供たちのまだまだ忍びには程遠い感性に頭を悩ませていると突如後ろから声がかかった。
「アンタ、何してんの?」
「ぎゃおん!!」
油断していた直後の声掛けに悲鳴が迸り、思わず体が前へと逃げる。
ドコドコと波打つ心臓を押さえ振り返れば、中途半端に手を前に出したカカシ先生が立っていた。
私の反応に少し驚いた様子を見せた後、顔を背けて体をふるふると震わせている。
カカシ先生が何をしたいのかよく分からないが、重要なところはそこじゃない。中途半端に前に出したその手は私の肩に触れようとしていたのではなかろうかっ!?
何てことだ、なんて惜しいことをしたのだと内心大いに悔しがっていれば、子供たちがようやく私の存在に気付いてこちらに駆け寄る姿が見えた。
「イ、ルカせんせーっ!」
元気よく腰に突進してきたナルトを受け止め、空いた手で頭を撫でてやる。
「イルカ先生どうしたんです? 何か御用ですか?」
一つ遅れてサクラとサスケがこちらへ歩み寄り、会釈をしてきた。
頭撫でさせろと一歩近付けば、二人とも一歩下がったので、私はにっこりと笑う。
ちょっと気まずげにサスケは目を逸らし、サクラは髪が乱れるとごにょごにょ言ったがそんなことはしゃらくさいとばかりに中忍の本気を持って襲い掛かってやった。
「ちょ、いやぁぁぁ、先生、痛い!!」
「な、ま!!」
嫌がる二人の頭をまとめて腕でロックし、しこたま撫でてやる。
おれもおれもと、ナルトが脇から首を突っ込んできたので、三人まとめてこれでもかと本気で撫でた。
あぁ、至福。この子たちが大きくなっておじさん、おばさんになってもこうして襲いかかって撫でてやりたい。
よーしよしと飽きることなく撫でていたが、サクラが癇癪を起したように叫んできた。
「イルカ先生、止めてください! それより、何か御用ですか?」
髪の毛が痛むという発言に、恋する乙女の匂いを嗅ぎ取り、同志としてここは潔く手を引くことにする。
そして、よくぞ聞いてくれたと胸を張った。
「半日有給取って、カカシ先生にアプローチしに来ました!」
どやと胸を張って威張れば、子供たちの顔が曇る。
もしや任務の邪魔だと思ったのかと察し、私はフォローするように言葉を紡いだ。
「いや、皆の任務の邪魔をしに来た訳じゃないよ! 私はカカシ先生にお弁当作ってそれ渡しに来ただけ。これ、渡したらすぐ帰るからっ」
ほらほらと、徹夜して作った手弁当を見せる。
本当だったなら子供たちにも作ってあげたかったが、私の有り余る思いがそうさせたのか、食材がほとんど消し炭になって量が確保できなかった。
涙ながらに経緯を話し謝罪すれば、子供たちに動揺が走る。
「……先生、もしかしてその手……も?」
私の指を見、その後に顔をじっと見つめてきたサクラの顔が心なしか青い。
指摘された手を見れば、昨日の奮闘ぶりを表している包帯に巻かれた指が10本ある。
「……いえ、これは違う案件です」
弁当を作って怪我なんかしたということがバレると格好悪い。
視線を逸らし、そしてそっと指を弁当で隠しつつ丁寧に否定すれば、子供たちはそれ以上言及することはなかったが、何故か潤んだ瞳に見つめられた。謎だ。
子供たちと向き合うことが居心地悪くなった時、私は我に返る。
ここに来た最大の目的があるではないか!!
ぐるりと後ろを振り返り、嫌そうな顔で立っているカカシ先生目がけて私は頭を深く下げ、作ってきた弁当を両手で捧げ持ち叫んだ。
「カカシ先生、どうぞ食べてください!!」
とてもじゃないけどカカシ先生の反応を見る勇気がない。
いらないと取りつく島もなく言われたらどうしようと、心臓が破裂しそうな心持で待っていたら、上の気配が何かしきりに動いている。
位置関係からしてカカシ先生が腕を動かしている様子だが、一体何をしているのだろう。
このまま永遠と続くのではないかと思えたその時、前にいるカカシ先生が大きなため息を吐く音が聞こえた。直後、私が持っていた弁当の重みが軽くなるではないか。
受け取ってもらえた!!
勢いよく顔を上げれば、予想違わずカカシ先生が弁当を抓んで持っていた。
唯一覗く右目が私とその後方に動いている。
「あー。……一応、一応今回だけはもらってあげーる。でも次は」
「ありがとうございます!! 私、これからも頑張ります!」
目標は達成したとばかりにその場で跳ね、長居は無用とばかりに子供たちへ向き直る。
「ごめんね、任務の邪魔して。それじゃ、先生、行くから」
うふふ〜とスキップを踏みながらアカデミーへ帰っていると、後ろから声が聞こえた。
「いや、アンタっ、人の話を!!」
「カカシ先生、ひどい! あんなに喜んでいる人傷つけて楽しいんですか!?」
「そうだ。最低だな、カカシ」
「イルカ先生、料理超ド下手なのに頑張ったんだぞ!! 受け取ってやるのが男ってばよ!!」
何やらカカシ先生と子供たちが口論しているようだ。非常に気になるところだが、元という存在になった私が首を突っ込んではならぬ。
大っぴらに関わり合えなくなったことを少し寂しく思いながらも、一仕事を終えた達成感で私は空さえ飛べそうなほど上機嫌のまま、その場を後にした。
「……一応聞くけど。それをはたけ上忍に渡したの?」
清々しい気持ちで午後からの仕事に励む前に、まず腹ごしらえだと、職員室で弁当を開けた途端に隣の席のマキが突っ込んできた。
「そんな訳ないじゃなーい。これは失敗作。カカシ先生にはちゃんとほどよい色のものを入れておきましたっ」
カカシ先生の弁当に入れられなかった失敗作が、今日の私の昼食だ。
ごりごりと噛み砕いていると、マキは虚ろな目を見せた。
「……あのね、イルカ。普通の一般的な人の目から見て、あんたが今食べているものは表面炭の生焼けという、もはや食べちゃいけない物なの。そこから考えて、はたけ上忍に渡したものは失敗作と言っていいものになるわ」
カカシ先生に渡した弁当を見てもいないのにマキは何を言っているのだろう。あ、もしかして。
「カカシ先生が写輪眼持ちだから、そこを突いたの? あはは、マキってばおっ茶目〜」
座布団一枚あげちゃおうかなと冗談に冗談を返せば、マキの裏拳が肩に直撃した。
思いの他、渾身の力が入ったそれに、声もなく苦しんでいれば、マキは「あ゙ー」と奇声を発した。
「あんた、本当に馬鹿でしょ! 救いようもないアホでしょ! 初恋だって言ってたけど、あんた本当に初恋だったのねっ。異性の目なんか気にしなさすぎて好き勝手奔放に今まで過ごしてきたんでしょ、そうでしょ!?」
マキの言葉に首を傾げる。
マキには真っ先に初恋だと言ったのに、どうしてここでまた確認を取るのだろう。
前途多難どころがスタート位置にさえ立てないと深刻な顔でぶつぶつと言いだしたマキに、いい心療内科でも紹介しようかと考えていれば、パーンと職員室の扉が開いた。
一体何事だと視線を転じれば、出入り口には先ほど別れたサクラがいた。
どうしたと声を掛けようとするより早く、私を見つけたサクラが厳しい顔で猛然とこちらに歩み寄ってきた。
そして、私が座る席の横で止まるなり、怒りに似た感情を露わにし見下ろしてきた。
「イルカ先生……これはあまりにもひどすぎます。はっきり言って、女の影が多数チラつくカカシ先生に、純朴なイルカ先生が恋人候補に名乗りをあげること自体反対でしたが……。これを見て、考えが変わりました」
そう言うなり、サクラはミニ風呂敷を解くなり弁当箱を取り出し、その蓋を開ける。
それは何も入っていないばかりか、綺麗に洗われていた。
完食してくれたのかと問いを発しようとして、サクラが先に口を開いた。
「食べました。カカシ先生、全部食べました!! あの、食べ物とは言えない、嫌がらせにしか思えないこげ茶色の硬い音がする物体を全部食べ切りましたっっ」
「え」と隣で驚愕の声をあげるマキを尻目に、私は感動で胸がいっぱいになった。カカシ先生、全部食べてくれたんだ〜!
良かった、ありがとうと弁当箱を受け取ろうとした私に、サクラは目を光らせて突然手を叩いてきた。
思わぬ攻撃にまんまと手を叩かれた私は束の間自失する。
前を見れば、恐い顔をしたサクラがいる。
え?
どうしたのだろうと視線をちらつかせる私に、サクラは言った。
「同じ思いを抱える者として、これは断然、見逃せません!! イルカ先生、好きな人に無理をさせて何考えてるんですか! 喜んでもらってなんぼのアプローチなのに、何苦しめちゃってるんですか!?」
カカシ先生は「食えるものはきちんと食べないと後で後悔するぞ」と止める七班の子供たちに言い、完食したらしい。
食事にはあり得ない音を立て、訳の分からない物を口に運ぶカカシ先生に、気分が悪くなったのは子供たちの方だったようだ。そして、鼻の利くナルトが弁当の匂いにやられて失神し、思いの外繊細だったサスケも嘔吐を催し、今日の任務は次の日へと持ち越しになったとのことだった。
「……すいません」
あまりに申し訳なくなって床へ正座する私に、サクラは気炎をあげた。
「まともな物を作るまで弁当は禁止です! そして、前々から思っていましたが、イルカ先生、女子力低すぎです! こうなったら徹底的にイルカ先生を改造しますから、覚悟してくださいねっっ」
この弁当箱も没収と、サクラはぷりぷりしながら職員室を後にした。
地中深くに潜りたいと正座をしたまま反省していれば、マキがため息交じりに言葉を吐く。
「さすがのあんたも元生徒にがつんと言われたら凹むみたいね。まぁ、いい機会じゃない。せっかく教えてくれるって言うんだから教わりなさいな」
まぁ、私もできるだけ協力してあげるわよと、そっけなく言葉を付け足したマキに、私は鼻が痛くなる。
「……うん、ありがとう。でも、任務を潰しちゃうなんて、私、忍びとして最低なことした」
してやらかしたことの重大性に、自然と頭が下がっていれば、マキが素っ頓狂な声をあげた。
「はぁ!? そこ? そこなの、あんた! 元生徒にあそこまで言われた癖に、そこ気にするの!?」
マキの驚き具合に眉根を潜める。
忍びたるもの任務を遂行してなんぼだ。個人の都合は大事を除いて、切って捨てるべきだろう。
眉目を潜めた私と、同じ表情をしたマキが見つめ合うこと数秒。
マキはやがて諦めたように息を吐いた。
「……さすがは元戦忍って言うべきなのかしら…。ますます女子力から遠ざかっていくわ」
遠い目で呟いたマキの発言に、ただ首を傾げるしかなかった。
そして、数日後。
サクラの声掛けで、私の女子力アップを目的としたチームが結成された。
同僚であるマキ、下忍であるサクラを筆頭に、イノ、ヒナタの三名と、イノとヒナタの上忍師であるアスマ先生と紅先生。そして、何とガイ先生までが駆けつけてくれたのだ。
集まってくれた面々に声もなく感動していると、上忍師の先生方が笑いながら肩を叩いてくれた。
「おめぇ、厄介なのに惚れたなぁ」
「ちょうどいい退屈し…。ごほん。アスマはこう見えても料理上手だし、私は美容面に関してアドバイスできるわ」
「イルカー! 我がライバルを射止めんとばかりに体当たりするさまは感動したぞっ! 任せろ、我がライバルを落としたければ、1にも2にもまず体力強化だ! 体を鍛えれば心も鍛えられるっ。オレに任せろ、オレが立派な淑女に育て上げてやるっっ」
滂沱の涙を流しながら、小粋に親指を自分を指示したガイ先生のかっこよさぶりに私の心が奮える。
「はい、皆様、どうかお願いしますー!!」
ぐっと腰を深く倒した私に、チームメンバーの皆々が頼もしく響いた。
「やったるわよ、こんちくしょー!!」
「イルカ先生、うまくいった暁にはサスケくんのちょっとしたプロフィールをぉ」
「あ、あの。イルカ先生、頑張りましょうね」
「んふふ、いい遊びができた〜。アスマもしっかり協力しなさいよ」
「面倒くせぇがほどほどにやってやるよ」
「うおおおおおおお、熱い、熱いぞ、今、オレたちは燃えている!!!」
「……不安だわ」
戻る/
3へ
----------------------------------------
周りの協力が欠かせないお話です。
初恋2