「すいません、紅先生とガイ先生いらっしゃいますか?」
ノックもそこそこに戸を開け、深く一礼をすれば、ざわめいていた上忍待機所が一瞬静まり返った。
視線を動かし、手を上げる人影を見つけ、私は思わず顔がほころぶ。
「あ、師匠!!」
ひらひらと手を振りながら、煙草を吸っている師匠の元には、紅先生、ガイ先生がいた。
一直線に駆けよれば、横合いから女性の嬌声が聞こえた。昼間からお盛んだなと思いつつ、私は目的地へと真っ直ぐ進む。
「よぉ、今日はどうした? 何か分からねェことでもあったか?」
ニヒルに問いかける師匠に私は頭を下げる。
「いえ、今日は師匠にではなくて、紅先生とガイ先生にお話があ」
私の言いかけた言葉は突然の強襲でぶっ飛んだ。
「もー!! イルカちゃんってばひどいひどいひどい!! 私、どれだけ待ったと思ってるの!? アスマってば、ここに来るたびにイルカちゃんの事ばっかり話して、私も色々と教えたいのにもー!!」
ぷりぷり怒りながらも抱き着いてきた紅先生はどこか嬉しそうだった。
こんな美女に抱き着かれて嬉しいのだが、前回会った時との態度の違いに少々動揺してしまう。
師匠とはそれこそ毎日顔を突き合わせていたから、忍びの上下関係があるとしても多少気安くなってしまうが、紅先生とはあまり話したことがない。
戸惑う私に気付いたのか、紅先生はちょっと唇を突き出してみせた。
「アスマが口を開けばイルカちゃんのこと言うから、こっちは顔見知りよりも深い仲感じてるの! いい、イルカちゃん、私のことはお姉さまって呼んでちょうだい。私があなたをうーんと綺麗にしてあげる!!」
紅先生は、いや、紅お姉さまは目をきらきらと輝かせて宣言してくれた。
始めは大人の女性という印象だったが、目の前にいる紅お姉さまはとても可愛らしく見えてしまった。
「はい、紅お姉さま、よろしくお願いします」
心遣いも嬉しくて、素直に礼を言えば、紅お姉さまは頬を色づかせるとどこか夢見心地の息を漏らした。
「いい…!! 気ばっかり強い周りのくノ一には、絶対醸し出せない良さだわ……。あぁ、滾ってきた、イルカちゃんの未来の姿が湧き上がってきた……!!」
ふるふると震えはじめた紅お姉さまにまごついていると、横から声が飛んだ。
「イルカー! ひどいではないかっ! お前に声を掛けられる日を、オレは待っていたのだぞー!!」
「!! ガイ先生!!」
ハッと息を飲み、声がした方へ顔を向ければ、ガイ先生が滂沱の涙を流しておられた。
「す、すいません!! 私、うっかりしていて、本当に申し訳ありません!!」
「反省しているならば、早速今日から特訓だ! 始めから飛ばしていくからな、性根入れてついてこいっ」
ガイ先生の熱き言葉に、はいと返事を返そうとして、横からしなるような声が飛んできた。
「ちょっと待ったー! イルカちゃんは今日は私とお買いものっ。明日、私任務なんだから、今日は譲りなさいっ」
「オレも明後日から任務だぁぁぁ。しかも一週間はおらぬっ。ここはイルカとの友情に篤いオレに譲れぇぇ!!」
言い返そうとした紅お姉さまが一瞬口を閉じ、私を見る。ガイ先生との関係を問い質している雰囲気を見てとり口を開いた。
「ガイ先生とは、教師の親睦会の際、知り合いまして、それ以後、時々教育などについて熱く語らさせていただいてます」
「そうだ、二人きりで飲みに言ったことも何度もある」と言い切るガイ先生に私も頷く。ただ、最近は色々あって飲みに行く機会は全くなくなってしまったが。
「それじゃ、なおさら私を優先なさいよー! この中でイルカちゃんと関係浅いの私じゃないっ。男ならレディファーストしなさいよね!! 全く男らしくない」
流れるような黒髪を後ろに払い、腕を組んだ紅お姉さまの堂々たる仕草に、さすがのガイ先生の口が閉じる。
男を出されたら後に引けないのがガイ先生だ。
私の予想違わずガイ先生は、しばし目頭を押さえていたが、次の瞬間ケロッとした顔で親指を突き出した。
「仕方あるまい。今日は紅に譲ってやろう。だが、イルカ、次に会った時は特訓だぞ、約束だ!!」
「はい、もちろんです! お願いします!!」
ガイ先生に教えてもらった心よく了解の印の親指をビッと立ててれば、ガイ先生は満足そうに頷いた。
「じゃ、イルカちゃん。今日どこへ行くかちょっと話しましょうよ。あと10分は大丈夫でしょう? 毎日、同じ時刻に撤収してるものね」
紅お姉さまが私の腕にぶら下がり、ソファへと誘導する。されるがままソファへ座ったところで、紅お姉さまの言葉にふとした疑問を覚えた。
「? よくご存知ですね」
待機所に掛かる時計を見て、紅お姉さまの言った通りだと頷けば、紅お姉さまは目を細め、悪戯好きな猫のような顔を見せた。
「イルカちゃん、全く気付いてなかったでしょうけど、上忍待機所から丸見えなのよね。イルカちゃんたちが子供たちと毎日お昼を取っている場所って」
ほら、あそことソファの後ろにある窓を指さされ、覗き込めば、そこにはマキが子供たちと何やら深刻に話し合っている姿が確認できた。
下からでは結構大振りな木が立っているため、木の影に隠れ、上忍待機所が近くにあるとは気付かな
かったが、三階にある待機所からは難なく下が見下ろせる。
「……す、すいません。うるさかったですよね?」
子供たちと一緒になって大声で笑ったり話したりと、とんだ騒音だったに違いない。
明日から場所移動しようかと検討していれば、とんでもないと紅お姉さまは笑った。
「ここって、任務帰りの奴も立ち寄るところだから、日によっては殺伐としてんの。でもね、何もない平和な里の一コマが側にあるだけで気持ちは軽くなるものよ。そりゃ、うるさい時もあるけど、それもご愛嬌よ。私たちを気遣ってくれるなら、移動する事だけは止めてね」
思わぬ言葉に目を見開く。おそるおそる周囲の上忍さんたちの様子を窺えば、私と目が合う人数がやたらと多かった。しかも、その人たちは妙に照れたような顔で視線を逸らしていく。その様子は、悪意のあるものは一つも感じなかった。
そこにいてもいいと言われた気がして、安堵と同時に嬉しくなる。
「はい。これからもうるさくしますが、お許しください」
上忍さんたちを代表して、紅お姉さまに告げれば、「よろしい」と紅お姉さまは茶目っ気たっぷりに頷いていくれた。
気安いその態度と口調に笑いが零れる。紅お姉さまも私に誘われた様に笑い出して、何だかとっても居心地良かった。
「それじゃ、今日、行くところだけど」と、紅お姉さまが机に分厚い雑誌を広げた時だ。
雑誌に影が差し込むと同時に、低い声が聞こえた。
「……どうもー、イルカ先生、御無沙汰しております」
聞き間違えるはずもない。恋した人の声音に一気に胸が高鳴った。
カカシ先生と喜色をあげてその名を呼ぼうと顔を上げて、口が開いたまま止まる。
カカシ先生の両腕には、見知らぬくノ一の、しかも趣が違う美しさを湛えた美女が引っ付いていた。
ぱっと晴れやかだった気持ちが萎んでいく。
……終わったのかもしれない。
しゅーんと勝手に落ち込む気持ちと、いやまだだ、まだ勝負は終わってはいないと言う声に励まされ、私は心の中で踏ん張り、なけなしの笑みを浮かべて問いを口にした。
「こんちには、カカシ先生。ところで、そちらのお二人はか、……か、……彼女で……」
最後の一言を言う前に、魂が口から出そうになる。
がくんと体が傾いた私を、紅お姉さまが慌てて抱きとめてくれた。
「イ、イルカちゃん!?」
もう駄目だ、もうおしまいだ。私の準備期間はとんだ無駄骨だった。
ぶつぶつとこの世の終わりを儚む言葉を呟いていれば、上ずった声が聞こえてきた。
「や、いやー、あ。まだ、だーよ。まだ彼女はいない決まってるじゃなーい。まだまだ子供たちに手がかかって、そんな暇なんてなーいよ」
「えぇ、やだカカシぃ」「もう、焦らすんだから」などと美女二人の甘い非難に、カカシ先生は「ごめーんね」と答えている。
やった! まだ勝機がある、私には勝機がある!!
ぐんと腹筋に力を入れて体を戻し、私は勝負はまだ終わっていない幸運を噛み締める。がんばれ、自分、まだまだこれからだ!!
浮かれる私に、良かったわねと浮かない顔をする紅お姉さまに「はい」と元気よく答えていれば、
カカシ先生が問いかけた。
「で、さ。アンタ、オレに弁当作るってのは、どーしたのよ? 子供たちには毎日作ってるんでショ?」
「え?」
うきうきとした気分で聞き返せば、カカシ先生は少し眉根を顰め、どこか不機嫌そうに言う。
「あのさ。アンタが言ったんでショ。これからもがんばるって。オレ、自分の言葉を翻すような奴は
好みじゃ」
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!」
カカシ先生が何を言おうとしていたかを悟り、私は思わず頭を抱えて絶叫してしまった。
何たる失態!!
当初の目的である、男を掴むには胃袋作戦! 胃袋掴むにはまず弁当!
弁当をカカシ先生に食べてもらい、いずれは私にメロメロ大作戦という作戦の肝心要の肝に料理を
食べさせていないことに今気付いてしまった!!
全身の血の気が下がる思いで、ちらっとカカシ先生を見上げれば、カカシ先生は何かを言い掛けていたのか、
口布の下で唇をもごもごと動かしていた。
「す、すいません、カカシ先生!! うっかりド忘れてました!!」
正直に己の失態を認めれば、カカシ先生は呆然とした表情を晒し、何故か周りの紅お姉さまたちが
腹を抱えて笑い始めた。
「っあははは、色男が形無しねぇ、カカシ!」
「忘れちまったもんは仕方ねぇよなァ」
「うんうん、まぁこれも青春だな!」
けたけたと笑う上忍師の皆さんの言いたいことがよく分からない。
笑い声が響く中、カカシ先生を窺えば、カカシ先生はふるふると小刻みに体を震わせるや、
突然美女二人の体を強引に押しのけ、突き放した。
ちょっと乱暴なその仕草に思わず眉根が寄る。まぁ、美女二人は「いったーい」「もう、乱暴な人ねぇ」と
ハートマークをつけたように甘い口調だったので大したダメージは負っていないみたいで一安心だ。
だが、一言言っておかなければならぬだろう。
「カカシ先生」
ソファから立ち上がり、踵を返そうとしたカカシ先生を呼び止める。
カカシ先生はイラついた感情を隠しもせずに、こちらへ向き直った。
「もういらないーよ。誰がアンタの作ったものなんて食べたいと思うかって――」
「任務時以外、女性には優しく接してあげてください。今の態度はひどいです」
「……は?」
私の言葉が伝わらなかったみたいで、カカシ先生はハトが豆鉄砲を食らったような顔を見せた。
覆面で隠れているから感じだけだけども。
「ですから、ただでさえ、女性の身で激務に励んでいるんです。この方々の身は将来子供を宿す、
大切な体です。任務時ではそうは言っていられない代わりに、里の中では気遣ってあげてください」
カカシ先生だって、この方のどちちらかと結婚して子供が欲しいと思った時、あの時のひどい
行いが苦になる瞬間が絶対やってきますよと、苦言を呈せば、カカシ先生の顔が赤くなっていった。はて?
「はぁ!? アンタに言われる筋合いないでショ! オレが誰と付き合いたいか、結婚したいかなんて、
アンタには全く関係ない。それにね、オレは結婚なんて堅苦しい付き合いは一生しない、
する必要性を感じなーいね。オレの子供なんてそれこそ冗談じゃない、悪夢だ。オレがこいつらを
侍らせてるのだってーね、体が好みだったから以外の理由は一切ないの。態のいい性処理道具だーよ」
お前らだってそうでショ? と、カカシ先生は冷たい眼差しを美女二人に注いだ。美女二人は一瞬怯んだが、
その顔には悔しさと寂しさが混ざり合っていた。
待機所は静まりかえっている。
どこか動くのを躊躇うような緊迫感が漂う現場に、私はぽんと手のひらを打った。
こんなにぎすぎすしているのは、きっと。
「カカシ先生、お腹減ってるんですね?」
私は朗らかに笑い声をあげた。
「すいません。格下である私が注意したことに腹を立てた上、空腹時にそんなことをされたもんだから
逆上してしまったんですね……」
もう少しタイミングを計れば良かったと反省しつつ、美女二人にも声を掛ける。
「カカシ先生、あんなこと言ってますけど、あんなのつい口から出た言葉に過ぎませんからね。
本心ではないことを私が保証します」
だから大丈夫。恋する同志、諦めずにいきましょうと握り拳を作れば、後ろから肩を引かれるなり
喉元を掴まれた。
真正面にいるのは恐い顔したカカシ先生だ。
「アンタ、ふざけてんの?」
殺気ともいえる冷たい空気を差し向け、見下ろすカカシ先生の鋭さを間近に感じ、私は小さく笑う。
「ふざけてませんよ。私は、カカシ先生のことを知っています。あなたは軽々しく人を傷つける人じゃない
ですから」
何も感情が浮かばない灰青色の瞳を覗き込む。
薄い色素のそれは、一見冷たい色に見えるけど、柔らかく温かいものだと私は知っている。
瞬きもせずに見つめ合うこと数秒、カカシ先生の瞳が揺らいだ。
舌打ちをして、私の襟元から手を退けようとしたカカシ先生を逃すまいと、逆に私はカカシ先生の手を
引いて、ついでに足払いを掛けて体勢を崩し、胸に倒れこんできたところで両腕にしっかりと抱き上げた。
「……は?」
緊張しているのか、表情がこわばっているカカシ先生の顔を見下ろし、私は笑う。
このアングルは新鮮だなぁ。
「紅お姉さま、お話は受付終了した後でもよろしいですか? カカシ先生にご飯食べてもらってきます」
カカシ先生を腕に抱いたままお願いすれば、紅お姉さまは呆気にとられた顔のまま、無言で何度もうなずいた。
よし、了承は得たということで、善は急げだ。
上忍待機所の窓を、失礼ながら足で開け放し、私はおもむろに窓枠の桟に足を掛ける。
「え? え?」
いたく動揺しているのか、きょろきょろと周りに視線を向けるカカシ先生へ、私は熱い言葉を贈る。
「アカデミー教師としてこういうことは絶対禁止なんですが、私の大好きなカカシ先生がお腹を
減らしている緊急事態ですので、今日は特別にその禁を犯します!」
「は?」
カカシ先生が私の顔に視線を定め、疑問の声をあげる。
カカシ先生の瞳に自分が映る喜びに心を躍らせながら、桟にかけていた足を蹴った。
空に浮かぶ太陽の光の中に二人一緒に踊り出る。
状況がつかめきれなかったのか、襲ってきた浮遊感に驚いたカカシ先生の腕が私の首に回った。
目の端が輝いている。
太陽と銀色の光が瞬き、目を打った。
叶うなら、時間が止まればいいと思ってしまう。
けれどもそんなものはただの夢想に過ぎない。
私の足が地上につくや否や、カカシ先生は私の腕から飛び退いてしまった。
もう少し味わいたかったなと苦い思いが込み上げてきたが、私の思いよりもまずはカカシ先生の
お腹を優先するべきだろう。
車座で話し合っていた子供たちとマキが、私たちを口を開けて見入っている姿に笑いながら、
私から背を向けたカカシ先生の手を掴み、強引にその中へと入っていく。
「ちょ、ちょっと!! アンタねぇ!!」
「カカシ先生、お腹空かしているから一緒に食べさせてね〜」
「だ、だから、オレはそんなこと一度も……!!」
抗うカカシ先生をまぁまぁと座らせ、私はようやくカカシ先生にまともなものを食べさせることができたのだった。
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イルカ先生は、直進性格です。肝心のことを忘れてしまうほど真っ直ぐ。
初恋4