「イッルカせんせー!!」
全授業を終えて歩いていれば、背後からとびっきり元気な声が聞こえた。
振り返らなくても分かる。私の可愛い元生徒だ。
「ナルトー!!」
振り向くなり両腕を広げれば、それと同時に胸に飛び込んできた。
勢いがついたそれを抱き止め、ぐるりと回って力を逃がして、ぎゅーと思い切り抱きしめてやる。
「先生、苦しいってば!!」
くぐもった声で騒ぐナルトが可愛くて、「ごめん」と言いつつ、今度はぐちゃぐちゃに頭を撫で回してやる。途端に弾けた笑い声に、こっちまで嬉しくなってしまった。
「……相変わらずだな」
「ナルトー、あんた下忍になったんだから、もう少し落ち着いたら?」
遅れて来て、こちらに挨拶をするサスケとサクラに、私の気分は上昇する。
「サスケにサクラもおいでー。先生の腕はまだ空いてるぞー?」
ナルトを抱いていた腕を開いて、こいこいと呼べば、二人は口を噤んで視線を明後日に向けた。微妙に唇を尖らせ、ほっぺたが少し赤くなっている。
さては照れているんだなと察して、笑いながらもう一度誘う。
「恥ずかしがらなくてもいいじゃない。みんながどれだけ成長したか、先生に確かめさせてよ。ね?」
二人に向かって笑えば、ナルトも「来い来い」と援護してくれる。
しばらく迷う素振りを見せていた二人だったけど、顔を背けながらもゆっくりと近付いてくれた。
我慢できなくて、こちらから二人の手を引いて、三人まとめてぎゅーっと抱きしめた。



抱きしめてから、ちょっとびっくりしてしまった。
腕の中にいる三人は、驚くほど成長しているのだ。
華奢だとばかり思っていた背中は厚くなっていて、戦忍もかくやとばかりに鍛えられた筋肉が手の平を押し返す。
まだまだ小さいと思っていたのに、しゃがんでいた私を逆にすっぽりと覆い、痛いくらいに背中を抱きしめる。
背中に添った手の平だって大きくて、本当に驚いた。
いつの間にこんなに大きくなったのだろうと、声に出そうとして、耳元で発せられた声に体が固まった。



「いやー、イルカ先生って大胆ですねぇ。昼間っから、人の目が激しい廊下で、熱い抱擁をかましてくれるなーんて。昨日こそ、これくらいしてくれればよかったーのに」
間延びした口調とどこか甘い声。
「ま、昨日は昨日で熱いのを一発食らいましたけどねぇ」とどこか意地悪げに言われた言葉に血の気が引いた。
「カ、カカカッカカカッカカ」
「はいはい、わかってまーすよ。カカシですよ、カカシー」
名乗られて、パニックに陥った。
背中に回していた手を離し、距離を置こうと突っぱねるが、それ以上の力が背中を締め付けてくる。
「く、苦しっ、カカシせんせ、くるしい、ですって!!」
「ん〜、胸が苦しくなるほど素敵って? いやー、参っちゃいますねー」
力を緩めてくれと背中を叩くが、全く意に介してくれない。もしかして昨日の仕返しなのだろうか。
ひとまず背骨が折れる前に力を緩めてくれと、叫んだ。前方や背後からは、子供たちが離せと応戦してくれたが、どこ吹く風で腕に力を入れてくる。
「カ、カカシ先生ッ、ほんと、内蔵で、出そうですからッッ」
「ん〜、イルカ先生っていい匂いするね。何の香水つけてんの?」
「イルカ先生を離せってばッッ」
「カカシッ、見苦しいぞ!」
「いやぁぁ、変態、変態、痴漢ッ!」
わーわーと周囲から子供たちの声が聞こえる。私も叫び、カカシ先生も的の外れたことを言っていた。
自分ではどうすることもできずに、カカシ先生の腕の中で気を失いそうになったとき、天の助けが舞い降りた。



「イルカッ。火影さまがお呼びだぞ!!」
息を切らして、受付の同僚がこちらに向かいながら叫ぶ。
なんて、いいタイミング。しかも、じっちゃんのお呼びならば、カカシ先生だって逆らえはしないだろう。
「か、カカシ先生ッ、呼ばれました、私、呼ばれましたッ」
肩を叩いて主張すれば、予想に反して、カカシ先生は「あ、そう」とつれない態度で返事をした。
思いも寄らぬ返答に二の句が継げない。
駆けつけてくれた同僚ーーアサリも驚いたようで、声に焦りを滲ませ、再度繰り返す。
「イ、イルカ。火影さまがお呼びなんだっ。急ぎの用で、早く呼んで来いっておっしゃってるんだ!!」
「カ、カカシ先生ッ。じっちゃーーほ、火影さまがお呼びになってるので、ここで失礼しま、ぐぇ」
「えー? 何それ、聞こえなーい」
「カカシ先生、耳悪いのか?」
「ウスラトンカチめ。質の悪い戯言だ。それぐらい、気付け」
「なんだとぉ?!」
「ちょっと、バカナルト、止めなさいよッ。サスケ君が迷惑してるでしょ?! ねー、サスケ君」
「サクラちゃ〜ん…。くっそー、サスケめッ」
カカシ先生の空惚けた主張により、子供たちが私の背中で騒ぎ始める。
前には素知らぬ振りでぎゅうぎゅう抱きつくカカシ先生、後ろでは可愛い恋のバトルが始まり、横ではアサリが私に助けてと眼差しを送っていた。
……いや、いや、ここは私が助けを呼びたい場面ですよ?



「ア、アサリ! 火影さまは何て言ってたの? 急ぎなんでしょ。急ぎだって言ってたよね?!」
具体的な話をして、そこからカカシ先生に自ら撤退してもらおうと水を差し向けるが、ぴきりと固まったのはアサリの方だった。
「アサリ?」
名を呼べば、アサリはだらだらと汗を流す。そして何故か視線を背けた。
どうして、そこで目を反らすと突っ込もうとすれば、カカシ先生は背後で騒ぐ子供たちを振り落として、後ろに回り込むなり、私の肩に顎を乗せて静かに笑った。
「そりゃ、黙るでしょーよ。今頃、三代目はホムラさまの家にご訪問の最中ですから」
任務帰りに会いましたよと、続けたカカシ先生の言葉に、アサリの肩が飛び跳ねる。
首を真後ろに向け、完全に私とカカシ先生の視線を避けようとする、あからさまな態度のアサリに掛ける言葉が見つからない。
やれやれと息を吐きながら、カカシ先生は首を巡らし、ふーんと鼻を鳴らした。
「イルカ先生って、ずいぶんとまぁアイサレちゃってんでーすね。よもやここまでとは思ってもみませんでしたよ……」
「はい? ちょ、ちょっとカカシ先生、くすぐったいですって!!」
口布越しとはいえ、唇を寄せるように擦りついてくるカカシ先生に、内心、心臓が暴れ回っている。
頼むから離してくれと、腹に回った手を叩くが、子猫みたいと笑うだけで一向に離してくれなかった。
いつもならば、人通りの多い廊下なのだが、こんな時に限って誰も通りかかってはくれない。
横を見ても、しきりにどこかへ視線を飛ばすアサリしかいないし、後ろの子供たちは自分たちのことで手一杯だし、どうしようかと途方に暮れる。おまけに、カカシ先生は付き合おうと、未だに不本意極まりない言葉を掛けてくる。だから、誰にも言わないって言ってるのに!!



「そんなこと言わないでさー。軽い気持ちでオレと付き合おうよ」
「軽い気持ちのお付き合いなんて、私は好きじゃありませんッ。それに、私は言わないって言ってるじゃないですかッ」
何度も言わせるなと癇癪を起こしてみるが、カカシ先生はまたまたーと軽い調子でしか返してくれなかった。そればかりか、腰に腕を回し拘束すると、私の顎に指を這わせる。
「ね、うんって頷いて。悪いようにはしないから。ねぇ」
妙に肌をざわつかせる甘い声を耳へと吹き込んできた。
声だけで変な気分になりそうだ。な、なんて、恐ろしいっ。
優秀なくのいちは流し目で男をその気にさせるというが、カカシ先生はその声一つで、女を落とせるのではないかと思ってしまう。
「わ、私はそんな人間じゃありませんッ! なんで信じて下さらないんですかッ」
カカシ先生の毒が含まれた声から逃げようと、顔を反らせて叫ぶ。
「またー、そんなこと言っちゃって。駆け引きは好きだけーどね。あんまりしつこいのは、無粋ってもんだよ?」
くつくつと笑いながら、むき出しになった首筋に唇を寄せられ、泣きそうだ。
あの朝の記憶は、まだ私の脳裏に鮮明に残っている。
服越しとはいえ密着され、カカシ先生の温度を感じてしまい、何も考えられなくなりそうだった。



「おぉ、イルカ。こんなとこにおったのか」
前方から耳によく馴染む声が聞こえ、安堵感に包まれた。
「じっーー三代目ッッ」
弾かれたように顔を上げれば、編み笠を押し上げ笑みを浮かべているじっちゃんがいた。
あわあわと手を動かし、三代目の元へ行こうとするが、カカシ先生は私を逆羽交い絞めにして拘束してきた。
どうして行かせてくれないのかと振り返れば、カカシ先生は目を細めて、とてもつまらなそうな顔をした。
「どうして、オレよりあっちのご老体を好むのよ。オレの方がよっぽど頼りになるし、あっちの方だって満足させてあげられるーよ?」
三代目の御前でなんて事を言うのだろうかッ!
くわぁあと赤くなるのと同時に、ざーっと血の気が引く。
恐々と三代目に視線を向ければ、三代目の顔には変わらぬ笑みが浮かんでいたが、細められた目の奥に危険な光を見た気がした。



まずいと直感が叫ぶ。
このままではカカシ先生の身が危うい。
「カ、カカカカシ先生! ご自分の身が可愛いなら離してくださいっ。このままだとカカシ先生が危ないですっ」
三代目は常々から私の伴侶となる男性を自分が見つけると豪語していた。
私も私で、特に決まった相手もいないから、いい人がいたらお願いしますと冗談交じりに返していたものだから、三代目はすっかりその気になっていた。
お前に似合う男は、真面目で誠実で、わしより強く優しい男でないといかんと、嬉しそうに話していたのは耳に新しい。
それだというのに、遊び人として名を知られるカカシ先生が、私とほにゃにゃらな関係を結んでいたと分かったら、一体どんな目に遭うことやら…!!



小声で忠告したというのに、カカシ先生はそ知らぬ顔で私の頬に顔を擦り付けてきた。
「いいよ、別に。みんなから愛される、里の珠玉に手を出すっていうシチュエーションって、なかなか味わえないスリルだーよね。火遊びは危ないほど燃える性質なんでーね」
言葉尻の最後にちゅっと額に口付けられ、ひぃと体が震える。
あまり見たくないなと思いつつ、それでもどういう反応がくるのかが気になり、ちらりと視線を向ければ、ゴゴゴゴーと地鳴りでも聞こえてきそうなほどの荒ぶるチャクラが三代目の体を覆っていた。
見たこともないほどの怒り具合に、言葉を失う。
駄目だ。これは、私にはどうすることもできない。



身を固まらせ、荒れ狂うチャクラを迸らせている三代目を見詰めていると、後ろから何も知らないカカシ先生がちょっかいを出してくる。
「ん、なーに? 口開いちゃって、かっわいーの。舌突っ込んじゃおうかな〜」
「ん〜」と口布に手をかけて、顔を近づけてきたところで、じっちゃんの怒りの咆哮があがった。



「カーカーシーッッ、そこになおれぇぇっぇ!! 成敗してくれるわッッ」



あとは、何と言うか……。



里の誉れと、里の最高権力者のガチバトルに、アカデミーの廊下は吹っ飛び、一帯のガラスはひび割れ、校舎は震撼した。



雷と炎が渦巻く廊下で、何が起きたんだとわくわくするナルトと、忌々しそうに舌打ちを打つサスケと、サスケ君、怖いと乙女心を発揮するサクラの三名を胸に抱きしめて、早く事態が収拾することを祈る他なかった。
暗部さん、早く来ないかな……。




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女誑しのカカシ先生が難しい…。タラシって一体どんなのだろう…。









ひみつ 4