「カカシ先生、最近、全然修行つけてくれないんだってばー」
ずるずると麺を啜りながら、ナルトがつまらないと声をあげる。
ここ数ヶ月、全く見かけなくなった人の名に、ラーメンをつついていた手が思わず止まった。
「……へ、へぇ。そうなんだ…」
内心、ビクビクしながら耳を傾ければ、ナルトは拗ねた様子で唇をとんがらせる。
「サクラちゃんが言うには、夜に上忍の任務が入っているから仕方ないって。でも、そんなのズルいってば! おれもカカシ先生と一緒に夜の任務に行って、大活躍したいってのにッ」
ちょろりと一本麺をはみ出し、ぷーっと膨らんだ頬が可愛い。
ナルトの微笑ましい仕草に一瞬和んだものの、それは無理だとひそかに吐息をついた。
きっとカカシ先生は、三代目が私情で出した、一癖も二癖もある高ランク任務についているはずだ。



カカシ先生と三代目がやり合った日。
駆けつけた暗部に任せて、アカデミー内にいた全員で、外へと避難した。
アカデミー周辺の近隣住人の話では、明け方まで雷が轟き、異様な熱波に見舞われたらしい。
その翌朝、事の起こりの原因である自覚があるだけに、こわごわと三代目の様子を見に行けば、三代目は昨日の一騒動など微塵も感じさせない様子で、盆栽の手入れをしていた。
落ち着いている三代目を前に、暗部さんがどうにか二人の仲をとりもったのかなと、そのときの馬鹿な私は軽く考えていた。
「どうしたんじゃ」と声をかけてくれた三代目に、何でもないと帰ろうとして、自分の浅はかさを思い知ることになった。
茶でも飲もうと引き留めてくださる三代目に、授業の準備があるからと退出する間際、三代目は盆栽にピンセットを入れながら、実におどろおどろしい声で独り言を漏らしたのだ。



『悪い虫は早急に対処せねばのぅ』



思わず振り返った私の目に、ピンセットでつまんだ名も知らぬ虫を冷たい目で見下ろし、一瞬で燃やし尽くしたじっちゃんの姿が映った。
そのときのおどろおどろしい表情を私は忘れられない……。



「はぁ……」
何度目かも知れぬ、ため息がこぼれ出る。
カカシ先生の目的は三代目が考えていることとは全く違うのに、三代目の勘違いで、カカシ先生には悪いことをしてしまった。
一応、それとなくカカシ先生とは何もないのだと言ってはみるものの、三代目は一体何のことじゃと空惚けるばかりで話にならない。
これこれの任務は誰に宛がおうかと、執務室で唸っていた三代目を最近見かけないのも、胸騒ぎに拍車がかかる。
カカシ先生は里を代表する忍びだから、手心を加えてくれていると思いたい。



「はぁ…」
せっかくの一楽のラーメンなのに、箸が進まない。気が塞いでいるせいか、胸がいっぱいで、これ以上入りそうになかった。
「イルカ先生、食べないのか?」
私の箸が止まったことを目敏く発見したナルトが聞いてくる。ナルトの丼はすでに空っぽで、私の丼に羨望の眼差しを注いでいた。
ここ最近、風邪気味のせいか、食事の量が落ちている。それじゃいつまで経っても治らないと分かっているのだが、どうも食欲が沸かない。
けれど、せっかくの一楽のラーメンだ。ここは無理してでも、もう少し食べようかと箸を握れば、ナルトの息を飲む声が聞こえた。
そっと横目で窺えば、お預けされた犬のように、今にもくぅーんと鳴きそうなナルトを見つけて、思わず笑ってしまう。
あんな顔を見てしまったら、無視して食べ進める訳にいかない。
「……先生、お腹いっぱいになっちゃったから、ナルト、食べてくれる?」
丼をナルトの前に持っていけば、見る間に表情が明るくなった。
「食べる食べる!!」
言うか言わないかの内にがっつくナルトの食欲の旺盛さが羨ましい。これほど美味しそうに食べてくれると、なんだかこっちまで元気になってくる。
ずるずると勢いよくナルトの口に消える麺を微笑ましく眺めていれば、テウチさんが驚いた声をあげた。
「イルカ先生、最近どうしたんだい? 食欲ないようだけど、さっきのため息といい、もしかして恋のお悩みかい?」
にやりと口端をあげたテウチさんの言葉に苦笑が出る。
「違いますよ。ちょっと気になることがありまして…。恋の悩みだったら様になったんですけど、現実は寂しい独り身です」
まいったまいったと鼻傷を掻けば、テウチさんは目を見開いて嬉しいことを言ってくれた。
「そうなのかい? おれの見た手じゃ、先生モテそうなのに。おれがあと二十若けりゃ、先生にお付き合いを申し込んでいたんだがなー」
はっはっはと爽やかに笑うテウチさんの言葉に、きゅーんと乙女心がくすぐられた。
「テウチさんってばっ! もう、すごい嬉しいからビール頼んじゃうっ」
「まいど」と手際良くビール瓶の蓋を開けるテウチさんに、商売上手だな―と思うものの嫌な気分は全くない。そればかりか、お世辞だと分かっていても、テウチさんに口説かれた事実が無性に嬉しかった。
鼻歌交じりで、テウチさんが注いでくれたビールを一口飲めば、隣で成り行きを聞いていたナルトが口を開いた。



「イルカ先生、結婚したいのか? じゃ、おれが大きくなったら、もらってやるってばよ」
と、にっかと私に笑みをくれたナルトは、大きく光り輝いて見えた。
サクラはどうしたと突っ込みを入れたくもあったが、私を心配して言ってくれた言葉だと分かったから、嬉しさの方が勝る。
「もー、今日は一体どうしたの?! ナルトまで嬉しいこと言ってくれちゃってッッ。こうなったら、先生、今日はナルトにいっぱい奢っちゃうっ。好きな物頼んでいいよっっ」
「お、太っ腹だねぇ、イルカ先生」
「やっりー! おっちゃん、おれチャーハンと餃子と、一楽スペシャル!!」
ナルトの歓声を酒のつまみに、ビールを飲む。
ナルトとテウチさんがその後も嬉しいことを連発して言ってくれるせいか、その日はついつい深酒をしてしまった。



******



「……あんた、どうしたのよ。顔、真っ青じゃない」
悪心が続く胸を押さえ、アカデミーの自分の椅子に座れば、隣の席のマキから開口一番に言われた。
「うー。実は、昨日ちょっと飲み過ぎて……」
昨日の一楽で、稀に見る私の株の大上昇ぶりを語って聞かせれば、マキはしょうもないと呆れた感情を隠しもせずに、私を見た。
「あんた、悪い男に騙されるから気をつけなさいよ」
マキの断定的な一言に、心外なと口を曲げる。
私は仮にも忍びだ。
そんじょそこらの純情初な一般人と一緒にしてもらっては困る。
それに、昨日は、親しい人たちからの嬉しい言葉だから、浮かれるのも無理ないことなのだ。
そう力説すれば、マキはふーんとつまらなそうに相槌を打っていたが、そうだと唐突に声を上げるなり、口を開いた。
「イルカの作った唐揚げ美味しかったなー。あの味が本当に忘れられないの。毎日でも食べたいくらい! イルカ、私のために毎日、作ってくれない?」
「うん、作る作る! マキが喜んでくれるなら、私、頑張るよっ」
マキの突然の申し出に、俄然やる気が沸き起こる。
そんなにあのときの唐揚げを気に入ってくれたのかと嬉しかった。
明日持ってくるとして、鳥に下味をつけなければならないからと、家に帰ってからの時間を逆算していると、マキは大きくため息を吐いた。
「ストップ、ストップ。冗談よ。本気にしないでって。……あんたねぇ。ちょっと褒めたくらいで、そうほいほい人の言うこと聞くもんじゃないの。だから、危なっかしいっていうか、目が離せないというか……」
心配だわーと息を吐くマキに、私は疑問符が脳裏を占領する。
どういうことなのだろうか。唐揚げがまずかったということか?



「マキ…。あの唐揚げ、実はまずかった?」
唐揚げを出した時、美味しいと目を輝かせて食べてくれたマキを思い出し、あれも嘘だったのかと落ち込んでいれば、マキは慌てたように口を挟んだ。
「ちょ、ち、違うってば! あんたの作る物で不味いものは一切ないって! 私が言いたかったのは、ちょっと褒めたくらいで何でも引き受けそうな、あんたのお人好し加減を心配してるのであって……!!」
マキの言葉にぱぁぁと世界に明かりが戻る。
あのときの美味しいと言ってくれたマキの笑顔が本物だったことに、喜んでいれば、はぁぁぁと大きなため息が聞こえた。
「あー、心配だわ。やっぱり、あんた危ない」
心配だと頭を抱えるマキが、よく分からない。でも、
「マキ。私、マキの頼み事だから何でも聞こうって思ったんだよ。私、マキのこと大好きだから」
マキ以外の人に言われたら、無理のない程度には叶えてあげたいと思うが、さすがに毎日なんて作らないと言葉を継げば、マキの顔が何故か真っ赤になった。
「マキ、どうしたの?! 風邪? 熱でも出た?!」
驚いて声を上げる私に、マキはうるさいうるさいと叫び、授業があるから行くと、耳を真っ赤にしたまま教材を小脇に抱え出て行ってしまった。
授業までは後10分あるのに、一体どうしたことだと思っていれば、向かいの席の先生がさもおかしげに笑った。
「イルカ先生、マキ先生をいじめちゃ駄目でしょ。あれでマキ先生、恥ずかしがり屋なところがあるんだから」
一体、どこにマキが恥ずかしがる要素があったのだろうか。
首を傾げる私に、まぁまぁと事務員のおばさんがお茶を持ってきてくれ、ついでに時々手作りのお菓子を持ってくる私を真似して作ってみたと、試作品のクッキーをくれた。
私は二日酔いのせいで食べられなかったけど、後からいただきますねと断り、渋めのお茶をいただいた。
みんな、おばさんのクッキーをおいしいと褒めたたえ、おばさんはとっても嬉しそうだった。
和やかな時を職員室で過ごし、おばさんが愛情を込めていれてくれたお茶のおかげもあり、二日酔いもマシなものになったと思った矢先ーー。



「先生?! イルカ先生ッ」
世界が反転した。
子供たちの金切り声と、地面の固い感触。
体勢を整えようともがこうとしたけれど、体は全く言うことを利いてくれない。
逆さまの視界は、真っ青な空が広がり、その後、突然暗くなった。
泣き叫び、パニック状態に陥った子供たちに、大丈夫と言いかけた言葉は結局口から出なかった。



「……起きた?」
伺うようにのぞき込んできた顔に、知らず詰めていた息を吐いた。
「…マ、キ?」
開いた目に、白い蛍光灯は眩しくて、何度も瞬きを繰り返す。
マキはいつもの調子でため息を吐きながら、状況を説明してくれた。
「ここは、木の葉病院。あんた、手裏剣の実演中に倒れたのよ。…最近、顔色悪いと思ってたけど、ちゃんとご飯食べてる?」
眉を跳ね上げ、マキは不機嫌な顔で聞いてくる。けれど、見下ろす瞳は不安げに揺れていて、ずいぶん心配をかけたことを知った。
「…うん。食べようとするんだけど、あんまり食べられなくて……。風邪、かな…」
体をゆっくりと起こしながら、目眩が起きないことを確認する。
どうして倒れたのだろうと、マキに視線を向けたのと同時に、病室のドアが開いた。


「お、だいぶ顔色が良くなったね。だから言っただろ。心配しなくても、ゆっくり休養したら良くなるって」
眼鏡をかけた青年が、私とマキを見て柔らかく微笑む。白衣を着ていることから、病院の先生だということが推察できた。
「うっさい、藪医者! 誰が心配したっていうのよっ。ただでさえ激務なのに、教員一人欠けたらみんなに迷惑かかるって、私は思っただけで…!!」
「出たー。マキのツンデレ〜。ーーイルカさんだよね? マキから君の話はよく聞いてるよ。こんな奴だけど、末永く頼むね」
「余計なことを言うな」と歯をむき出して罵るマキを見て、ちょっと驚いた。
マキのつい出てしまう憎まれ口を理解し、普段は冷静なマキをここまで怒らせることのできる人は、マキが気を許している証拠だ。
もしかして恋人さんかなーと、人の良さそうな、穏和な白衣の先生を見つめていれば、先生は私の視線に気づいて苦笑をこぼした。
「マキとおれは幼馴染なんだよ。でもって、おれは只今、マキに猛アタック中。マキがあんまりイルカイルカばっかり言うから、おれ、ちょっと君に嫉妬してたんだよね。でも、ま。会ったら、マキが夢中になるのは仕方ないかって、分かったよ」
と、先生は言葉を結ぶ。
「余計なこと言うな、眼鏡ッッ」と、顔を真っ赤にして怒るマキの反応に、マキの春はもうすぐそこなのだと、良かったと何度も頷く。
「イルカ! 変な笑み浮かべて、私を見ないでッッ。あぁ、もー。動けるようなら、とっとと帰るわよっ。用心で病院まで来たけど、とんだ無駄足だったみたいねっ」
「嫌な奴が担当医だしっ」と、先生を睨みつけるマキは、本当に可愛いと思う。
マキが過剰なまでに怒る相手は、気になっている人だということだ。
だから、マキが怒れば怒るほど、相手に好き好きと言っていると言っても過言ではない。
可愛いですねと、先生にアイコンタクトを送れば、先生もマキの特性を知っているようで、可愛いだろうと私に親指を立ててきた。
「そこっっ! 無言で会話しないっ」
私と先生の視線を遮るように、身を乗り出したマキに、ただもう微笑ましさしか感じない。
いつか、マキの可愛いところを愛でる会でも、先生と開こうと思いつつ、寝台から身を起こす。



寝台の脇に置いてある棚に、ベストと額宛が綺麗に畳まれて置いてあった。
それに手を伸ばし、帰り支度をする。
着の身着のままで、マキも急いで病院に駆けつけてきてくれたから、お金を持参していなかったが、治療代は後日でもいいよと快く言ってくれた先生に、深く頭を下げた。
必ず明日持ってきますからと、共に病室を出ようとした時、先生はそうだとにこやかな笑みを浮かべて言った。



「もう三ヶ月目とはいえ、無理は禁物だからね。マキも、ちゃーんと気遣ってあげなよ?」



たぶん、このときの私は、横にいたマキと同様、ぽかーんと口を開けていたに違いない。
「は? ……ちょ、ちょっとあんた、何言ってんの?」
私より少しだけ早く正気に戻ったマキが、先生に尋ねた。
先生はさもおかしそうに笑う。
「何、言ってんだよ、マキ。イルカさん、おめでたじゃないか。今日、倒れたのだって、ホルモンバランスがちょっと崩れて、目眩が起きたせいだよ。あと、疲労かなー。お腹の子供のためにも、規則正しく、ちゃんと栄養取ってあげてよ」
そこで、先生は一つ息を吸うと、私を見て満面の笑みを浮かべた。



「ね、お母さん」



ひくっと隣のマキが息を飲んだ。
そして、



「はぁぁぁぁぁぁぁぁっっ、お母さん?!」



私の心の声を代弁したマキの声は、廊下中に響き渡った。
ええええぇぇぇっっぇぇっぇぇ、お母さん?!??










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はい、こちらのお話は、イルカ先生妊娠話でした!!
明るい話にしていきたいです。





ひみつ 5