「はたのオリとな?」
編み傘を少し上げ、じっちゃんが訝しげな声をあげる。こちらを見つめてきたじっちゃんの瞳を捕まえ、私は勢いよく頷いた。
早朝、アカデミーへ着くや否や、マキの可愛らしいお願い事を叶えるために、執務室のドアを叩いた。
じっちゃんは朝の喫煙タイムを楽しんでいる最中で、差し迫った用事がない今がチャンスとばかりにお願い事をした次第だ。
じっちゃんはキセルをくわえ、煙草をふかして何かを考えている。
じっちゃんには、はたの先生を私の担当についてくれるよう口添えしてくれと頼んだのだが、もしかして、はたの先生は産婦人科は専門外だったりするのだろうか。
だとしたら、私に打つ手はない訳で、でも、幼なじみであるマキから言い出したことだから、専門外というのも考えにくい。と、なると、はたの先生は予約いっぱいの凄腕のお医者さんとか、特殊な任務を請け負った医師だったりとか、私のような普通の中忍が診てもらえるような人じゃなかったりして……。
考えれば考えるほど不安が膨らんでいく。
出かけ間際に、そこまでしなくていいからと、どこか焦った様子で引き留めたマキを、大丈夫任せといてと自信たっぷりに言った手前、非常に心苦しい。
変にマキへ期待を持たせてしまったことを申し訳なく思っていれば、じっちゃんが私の名を呼んだ。
「イルカや。一つ聞くが、はたのオリを担当につけてもらいたいと望んだのはイルカではなかろう? 一体誰が、そのような入れ知恵をおぬしにした?」
どことなく棘が感じられる問いに少し驚く。けれど、隠すこともないので正直に言った。
私のサポート任務に入ってくれたマキのこと、そして、そのマキが今、もどかしい恋愛をしていることを、昨日の憶測も交えて、熱くじっちゃんに語った。
「だから、マキの恋愛成就のためにも、はたのオリ先生に担当へついてもらいたいの! じっちゃん、お願い。わずかでもいいから、はたのオリ先生の時間を都合して欲しいの! ほとんど私に付きっきりのマキのためにも、愛し合う二人の時間を作ってあげてほしいのっ」
お願いしますと頭を下げれば、じっちゃんはそうかと軽い相づちを打った。
頭を下げたまま上目で窺えば、何故かじっちゃんの口端は上に釣り上げられ、何かよからぬことを企んでいる微笑みを浮かべていた。
どうしてじっちゃんがマキの恋愛問題について、そんな顔をするのか分からず、軽く困惑する。
気付かぬうちに、何かまずいことでも言っていたのかと内心慌てたが、じっちゃんは一つ鼻を鳴らすなり、快い返事をくれた。
「あい、わかった。はたのオリを担当につけてもらえるよう、手を回そう。ーーそうなると、マキさんと一緒に診察へ行くことになるのかの?」
じっちゃんの口添えがあれば、ほぼ決まったも同然だ。感極まって、ありがとうとじっちゃんの手を握りつつ、私は頷いた。
「うん。なるべくマキの都合のいい時間を見て、行くつもり。私はマキがいてくれて心強いし、マキははたの先生と会えて一石二鳥だよ」
じっちゃんのおかげだと、ほくほく顔で礼を言えば、じっちゃんはよいよいと朗らかに笑いながら言葉を続けた。
「マキさんにはわしからも一つ挨拶したいんじゃが、診察の時に邪魔しても構わぬか?」
いつまでも子供扱いされているようで恥ずかしかったが、じっちゃんの気持ちは嬉しい。
マキが驚くといけないから事前に了解を取ってくると言ったが、じっちゃんは気を遣わせたくないから黙っておいてくれと言ってきた。
「火影ではなく、イルカの家族として挨拶したいんじゃ」
言外に大事にしたくないと言うじっちゃんの言葉に、それもそうだと思い直す。
じっちゃんの予定を聞こうとすれば、執務室のドアが控えめに叩かれた。そろそろお暇しなければ、迷惑がかかる。
診察の時間が決まったら式に書いて送るねと最後に言葉を交わし、執務室を後にした。
つつがなく授業も、受付任務も終わった。
受付のみんなと別れた後、マキの様子を見にアカデミーに行けば、職員室で大量の紙と格闘していた。
「あ、イルカ。今日は遅くなる。私のことは気にしないで先に全部済ませて、寝てちょうだい。待っていようとか、絶対思っちゃダメだからね!」
私を見つけたマキが、手を休めずに叫ぶ。
マキの机には答案用紙の他、火遁の巻物などが置かれ、長丁場になることが予想された。
手伝おうかと申し出るより先に、マキはこちらを睨んでくる。
「あんたが今一番大事にしなくちゃいけないのは、自分の体でしょ」
言ったら怒るわよと、如実に目で語ってきたマキに、私は口を閉じる。ここは素直にマキの言うことを聞くことにしよう。
残業中のみんなにお先に失礼しますと声を掛け、私は一人帰途につく。帰りに少なくなった食材を買い足して、居残りが決定したマキのためにも、夕飯を作ろう。
以前、マキが美味しいと言ってくれたスペアリブを献立に選び、料理に勤しんだ。料理を作り終え、机にお皿を置いて、食べられる準備だけはしておく。マキは待たなくてもいいと言ったけど、一人で食べるより二人で一緒に食べた方が美味しい。
お風呂の支度をして、洗濯物を畳んで、少し気になる油汚れと格闘した後、お風呂に浸かった。お風呂から上がり、ふと何時だろうと時計を見上げれば、すでに0時を回っている。
待ってたらダメよと難しい顔をしていたマキを思い出し、さすがにこれはまずいと夕飯とは言えない夜食をとることにする。
時間が時間なだけに今夜は軽めのものにして、夕飯分は明日のお弁当に入れよう。
お茶漬けくらいでいいかなと、ご飯を盛りつけに台所へ行けば、玄関ドアの外で薄い気配を感じた。
もしやマキかと、びくりと体が跳ねる。なんで寝ていないのと怒るマキの様子が想像できて、訳もなく辺りを見回してしまう。
夕飯を食べていないことは部屋に入ったら即バレるし、どう考えても穏便に事を進ませることはできなさそうだ。
観念してそのときを待ち構えていたのに、何故かドアが開かれることはなかった。
そういえば、昨日もなかなか入ろうとはしなかったなぁと思い出す。
自分で叱られにいくのは気乗りしなかったが、仕方なくこちらから接触することにした。
ドアのノブを握り、一呼吸。そして、ドアを開けた。
「マキ、おかえりなさい。あの、まだ起きていたのは、ちょっと気になる油汚れが、いや、ものすっごい頑固な油汚れがあってねっ」
叱られるのは分かっていても、往生際悪く言い訳なんぞしてみる。
マキが言葉を挟めないように、どのように頑固な油汚れだったかを事細かに説明しようとして、マキの姿を視界に収めた直後、私の口は閉じてしまう。
目の前のマキは、ひどく顔が青ざめていた。
どうしたと廊下へ一歩踏み出るより早く、マキは身を引き、制止の言葉をかけた。
「近づかないで」
思わぬ言葉に戸惑う。問おうとしても、マキは私を避けるように視線を逸らし、ばつの悪い表情を浮かべた。
「ごめん。今日は私、自分の家に帰るわ。……急にごめん。それじゃ」
口早に告げるなり、マキは身を翻す。逃げるように背中を向けたマキに、思わず体が動いた。
「待って!」
体当たりするように飛びつけば、振り払うように激しく体が動いたが、私を突き飛ばす寸前で止まった。
抱きついたマキの体は驚くほど冷たく、そして、微かに血の臭いがした。
怪我でもしたのかと思ったが、真新しいものではない。鼻を掠めるくらいの極わずかなものだ。
顔を上げれば、ひどく辛そうな顔で私を見ているマキがいた。何かを耐えているような、今にも泣きそうな、そんな顔。
何となくだけれど、マキには言えない事情があるのではないかと思った。そして、今、そのことでひどく傷ついている。
よくよく見れば、マキの髪は湿っている。体を温めるのではなく、冷やすために水を浴びてきたのだと想像できて、胸の奥が痛んだ。
「……イルカ」
耐えるような表情を浮かべたまま、私の体を引き離そうとするマキの手を逆に捕まえる。
指の先まで冷たいマキの手を強く握って、私は部屋のドアを開けるなり、連れて入った。
「ちょっと、イルカ」
たたらを踏むように部屋へ入り込んだマキを、体を入れ替えて押し込み、鍵をかける。そのまま狭い玄関先の廊下に座らせて、靴を引っこ抜く。
「イ、イルカ? あの、私、帰るって言って」
しどろもどろに言い募るマキの言葉を無視して、靴をドア付近へ置き、マキを立たせる。
突っ立っているマキの背中を押しつつ、狭い廊下に面している浴室の戸を開けて、放り込んだ。
さっき入ったばかりだから、湯加減はちょうどいいはずだ。
「ちょ、ちょっと! だから、帰るって言ってるでショ!」
マキが動くと、湯気が廊下側へ流れ出てくる。
廊下へ出ようとするマキの進路を塞ぐように立ち、私は目を半眼にさせて、腕を組む。浴室に入れられてもまだマキは分かっていないらしい。
「ダメ。絶対ダメ」
ここを退くつもりはないと、きっぱりと言い放てば、マキの目が見開く。
信じられないと口を開閉させるマキへ、私は人差し指を突きつけ、宣言した。
「私のところに来た以上、マキには癒されていただきます!」
胸を張って、ふんと鼻息を吐けば、一つ遅れてマキは眉をこれ以上ないほど寄せた。
「……はぁ?」
一体何言ってんだと言わんばかりの態度を受け、上等だと袖をまくって、浴室へと踏み込む。
呆然としているマキの裾を握るなり、上へ思い切り引っ張った。
正規支給服とは全く違った、薄くて光沢を放っている布地は驚くほど簡単にマキの体からすっぽ抜け、肌着を晒け出す。支給服愛用者としては、こんなに簡単に脱げて良いものかと心配になってしまった。
しかし、今心配することはそういうことではないので、ひとまず脇に置いておく。
それじゃ、どんどん脱ぎましょうねと、ミニのスカートにレギンスを組み合わせている、マキの服を手に掛ければ、素っ頓狂な声があがった。
「ちょ、冗談じゃなーいよ!! 何、勝手に脱がせてんの、オ、私は帰るって言ってるでショ!!」
スカートのウエスト部分を握り、下ろそうとする私と、引き上げようとするマキとでしばし拮抗状態に陥る。マキの服など簡単に脱がせられると自負していただけに、強硬なマキの抵抗に、私は下唇を噛みしめる。
く、マキより力が強いと思っていたけど、火事場の馬鹿力ってやつかしら…!
「離しなさいよ!! この痴女! 変態っ」
マキの罵声が耳を貫く。いくらこちらが頑張っても、マキのミニスカートとレギンスは一向に下へ降りない、そればかりか、ちっともそこから動かない。く、こうなったら、最後の手段!!
「いた、いたたたたた!!!」
マキの服から手を離し、お腹を押さえてその場にうずくまる。
案の定というか、計算通りというか、マキは素っ頓狂な声を上げて、しゃがみ込んできた。
「だ、大丈夫!? アンタ、まさか……流産!? 流産なの!」
どうしようと途端に慌てだしたマキへ、私は勝利を確信した。卑怯だろうが、この際、何でも使うが勝ちだ。
「もらった!!」
慌てふためくマキから、ミニスカートとレギンスをむしりとる。むしりとる際、後ろにひっくり返してしまったが、綺麗に受け身をとっていたから問題ないだろう。
「な、……な……」
仰向けに倒れたまま、マキはふるふると体を振るわせる。ついでに大股開けていた足を素早く閉じ、恥じらうように薄手の肌着を引っ張り、下半身を隠そうと苦慮していた。
女同士だからそんなに恥ずかしがることでもないのになぁと思いつつ、マキの恥じらいは、女の目から見てもほわんとした微笑ましい気持ちを呼び起こす。
可愛いなぁと私的に愛でていれば、マキは腹筋を使って起き上がるなり、真っ赤な顔で怒鳴ってきた。
「この性悪女!! アンタ、やっていいことと悪いことがあるでショ!!」
本気で心配したじゃないと怒るマキに、私はしれっと答えた。
「確かに嘘はついた。でも、緊急処置だから特別。マキは私に癒されればいいの。ほら、脱いだ脱いだ」
残る下着類も全部取っ払ってやろうと近づけば、壁際まで逃げられた。いやいやいやと、涙目で首を振り、怯えるように拒絶するマキはなんだかとっても可愛い。
「へっへっへ、観念して全裸になって、私に体を洗わせろぉ」
悪のりして両手をわきわきして迫れば、一転してマキの様子が変わる。
表情は無くなり、代わりに瞳へ恐いほどのぎらついた光を宿らせた。
「……本気で怒るよ」
ずんと重くなった空気に、おぉと内心声をあげる。後もう少しというところだろうか。
威嚇するようにどんどん空気を重くさせるマキへ、私は手を下げる。ついでに足下にあった桶に浴槽の湯を汲んで、マキへと盛大にかけた。さすがに至近距離では避けきれず、湯はもろにマキの顔へと直撃した。
「……アンタね」
苛立ちを露わに、殺気といっていいほどの気配を漏らしたマキを見て、私はうんと頷き、手を伸ばす。
予想外だったのか動揺するマキに構わず、腕を掴んで引き寄せた。拒絶するように身を捩るマキの首へ、強引に手を回してしがみつく。
「マキ、お疲れさま。お風呂に入って体が温まったら、一緒に夜食食べよう。ーーおかえりなさい。マキが無事で良かった」
一つ息を飲む音がして、腕の中で突っ張っていた体から力が抜ける。途端に静かになった気配に、私も少しだけ詰めていた息を吐いた。正直、殺気まで出されるとは思っていなかった。
「……何よ、ソレ。何も、知らないクセに」
小さく悪態をついてきたマキに笑みがこぼれ出た。ぎゅうっときつく抱きしめれば、マキはぶつぶつと何か言ってきたけど、何を言っているのかよく分からなかった。だから、聞こえた部分だけに私は答えることにする。
「何も知らないし、分からないけど、マキがここにいてくれることは分かるから十分。さーて、風邪引かないうちに入った、入った」
身を引き、マキの体の向きを浴槽へと向ける。
マキは忌々しそうに舌打ちを打って、誰のせいだとぼやいていたけど、その顔は仄かに赤く染まっている。
照れているのが丸わかりだ。
相変わらず可愛いなぁとにまにまと顔を緩ませていると、マキは恨みがましい視線を向けてきた。文句の一つでも出るのかと思えば、マキは目を見開き、我に返ったように横を向く。その横顔は、さきほどよりも赤い気がした。
訳を聞こうとすれば、それよりも早くマキはぶっきらぼうに言ってきた。
「ア、アンタも濡れてるじゃない。オ、わ、私はいいから、アンタが先に入りなさいよ」
言われて下を見れば、確かに濡れている。寝間着が肌に引っ付いて、確かに気持ち悪いが、桶一杯分の湯を被ったマキよりは被害は少ない。
「大丈夫だよ。これくらい着替えればいいから。それより、マキの方がびしょ濡れなんだから、早く温まってよ」
肌に張り付く服を引っ張り、気にするなと笑えば、マキは一体誰のせいでとぶつぶつ言ってくる。それでも、私の体を気にしてか、入ることを拒むマキへ、私は提案した。
「じゃ、一緒に入る?」
私の言葉に、マキは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「……は?」
聞き返してくるマキへ、私はもう一度言う。
「だから、一緒にお風呂入る? 私はもう入ってるんだけど、マキと一緒にお風呂っていうのは楽しいかも。あ、そうだ、背中の洗いっことかしようよ」
子供の頃に帰ったような心地になって、それじゃ早速と寝間着のボタンを外していれば、マキが血相変えて手を掴んできた。さっきの仕返しにマキが脱がすつもりだろうか。
仕方ないなぁと笑顔ではいと体を差し出したのに、マキは「違う」と掴んだ私の手を投げた。
「バ、な、何やってんの!! ア、アンタ、そういうキャラじゃないでショ!?」
マキの視線が泳ぎまくっている。
「……キャラ? 脱がしっこして、一緒にお風呂入るのにキャラがいるの?」
マキの言いたいことが分からず、つい眉根が寄る。
どういうキャラになればマキは許してくれるんだろうかと、つらつら考えている私の前で、マキは耳まで真っ赤にして絶句していた。
待てども反応がないマキに、私はひとまず寝間着を脱ぐことにする。水で布が濡れて、ボタンが外しにくい。
ようやっと一つ外したところで、前から生唾を飲む音が聞こえた。
何の気なしに顔を上げれば、顔を真っ赤にしたマキがこちらを注視している。やっぱりマキってば、脱がせたいんじゃないと口を開けば、マキは怒った。先ほどの比でないほどの怒りの咆哮をあげてきた。
「バ、バッカじゃない、アホじゃないの、アンタ!! 今更、女の裸の一つや二つで喜ぶような生活送ってないってーの…って、違う!! バカ!! もう付き合ってられっかてのッッ。この、節操なし女がッ」
言葉が終わると同時に、鼻の先で浴室の戸が閉められた。
いつの間に追い出されて…って、違う! 何で、マキは怒っているの? しかも、節操なし女ってどういうこと!
「ちょ、ちょっとマキ、なんで怒るの!? 私と一緒にお風呂ってそんなに嫌?! それに節操ないって、私、そんなことした覚えないよっ」
戸に手をかけて開こうとした。けれど、向こうでマキが押さえているのか、戸はびくともしない。
嫌われたのだろうかと、動揺して半泣きになる私に、マキは「うるさい! さっさと着替えろ」と言った直後、ご丁寧に戸を結界で覆ってしまった。
「マキー! 開けて、開けてー!」
「黙って、とっとと服着替えに行けッ、無神経女!!」
私では到底解けない結界を前にカリカリと爪を立てるも、マキは聞く耳を持ってくれなかった。
「マキ〜」
「うるさい! 激鈍女!!」
結局、私はマキが風呂から出るまで、締め出しをくらった猫のように永遠と戸を掻き、マキの風呂は烏の行水になってしまった。
…………反省。
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あ、ここのイルカ先生はちゃんと女の子している気がする…(//口//)
ひみつ 9