朝、受付任務へ行くと、そこに私の居場所はなかった。
「すまん、イルカ。マキさん経由の火影さま命令だ」
一見して無関心を装っているが、いろいろと気が付いてはフォローしてくれていたホタテが、こめかみを押さえつつ私に謝る。
「すまねぇ、イルカ。一介の中忍には、どうしようもできなかった……」
いつも場を和ませてくれる、ムードメーカーのアサリも崩れ落ちるように頭を下げた。
「イルカさん、ごめんなさいねぇ。経験者として意見もしたのだけれど、聞いてくださらなくて……」
受付のお母ちゃんこと、ミツさんも、困った様子で頭を下げてきた。
「いえ、その…みんなが悪いわけではないので……あの……」
唐突に生活費を稼げなくなった現状にくらくらと目眩を起こしつつ、頭を下げる三人の体を起こせば、受付所入り口から見知った声が聞こえてきた。
「どこにいるかと思えば、こんなところに……」
受付所ドアに体を凭れ、呆れた眼差しを向けるマキの登場に、何故か場が張り詰める。
どこか怯えた気配を滲ませる三人の姿に困惑していれば、マキは頭を掻きつつこちらに歩いてきた。
「家に帰るーよ。不特定多数が行き交う、ウィルスとばい菌の温床にいると、体に障りが出るでしょうが。全く妊婦としての自覚があるか疑わしいもんだーよ」
「え、あ、ああっ!!」
腕を取られたと思ったら何故か抱きあげられ、私はマキの肩口から受付所の皆へと手を伸ばす。
「がんばれよ〜、イルカー」なんて、涙を浮かべて手を振る受付の同僚たちに見送られ、助けはないのだと悟った。
「家帰ったら、うがい手洗いを忘れちゃ駄目だーよ! 今が一番気をつけないといけない時期なんだからーね」
ドナドナドーナと脳裏で音楽が流れる中、気むずかしい顔をしたマキを見上げ、私はとんでもないことになったと冷や汗を流す。
最近のマキは、じっちゃんからもらった本を鬼気迫る様子で読むばかりか、独自に本を仕入れ、寝る間を惜しんで妊娠、出産本を読みふけっていた。
とてもありがたいけど、もう少し肩の力を抜いても大丈夫なんだけどなぁと思った矢先のマキの行動に、呆然とするしかない。
どうやってマキを説得しようかとまとまらない頭で考えていると、マキが突然歩みを止める。
もしかして、自分の行動がやりすぎたことを唐突に理解したのだろうかと、都合のいいことを思っていれば、マキは唇を噛みしめた。



「しまった。帰り道の汚物排除を忘れていた……!! 家はすでに結界で無菌状態保持してるってのに、行き帰りの対策を忘れているとは…。対策立てるまで、家の外には出さない方が無難だーね」
悔しそうに呟いた言葉に、目が見開く。
無菌? 行き帰りの対策? 外には出さない!?
やりすぎだろう、これは誰がどう見てもやりすぎだと意見しようとすれば、マキはやたら男前な微笑みを浮かべた。
「イルカは、私が守るかーらね」
瞳をたわませ、頼もしい笑みを送るマキに、不本意ながら顔が赤くなってしまった。
何故だろう。動悸もしてきた。
どこどこと突然がなりたて始めた心臓を思わず手で押さえれば、マキは素っ頓狂な声をあげて、印を組み始める。
「何、お腹が痛いの?! もしかして、流産!? 今、病院にいくからね!!」
「いや、ちが、ちょ、ちょっとぉぉぉぉぉぉ!!??」
救急患者だとごり押しで病院に突入し、当然、異常はない私とマキはこってり叱られた。



「マキ。やりすぎはいけないと思うの」
家に帰ると、日の光はおろか、壁肌も見えないよう目張りされたお札部屋に出迎えられ、私はその場で崩れ落ちた。
流産!? まさか妊娠高血圧症候群!? と、再び病院へ突入しそうになったマキを落ち着かせ、薄暗い部屋の中、マキと二人で膝を付き合わせている。
私の苦言に、マキはおもしろくないとあからさまにふてくされた。
少し膨れた頬を見つけて、きゅんと胸が甘く疼いたが、ここで自分を見失っては後々大変なことになると、私は気を引き締める。
「あのね。くれぐれも言っておくけど、マキの気持ちは嬉しいの。私のためを思ってくれたことも分かるし、考えられる危険を回避しようと奔走してくれたことも十分分かってる。感謝しきれないくらい感謝してる」
だったら何が悪いとこちらに視線を向けるマキへ、私はゆっくりと言い聞かせた。
「減らせるリスクは回避した方がいい。それは私も同意見。でも、限度があると思う。今までと同じ生活が送れなくなるリスク軽減は、かえって害になる。第一、私は自分とお腹の子の為にもいっぱい働いて稼がなくちゃいけない。働くことを辞める選択肢は、今の私にはないの」
真っ直ぐマキの目を見つめて言えば、マキの顔が瞬く間に赤く染め上がった。
「何言ってんの!? 受付所で働くなんて一番危ないでショ!! 不特定多数の人間が行き交うわ、その中に感染症の疑いのある人間が混じってたらどうするつもりよ! それに忙しいときは空気の喚起だってできないし、だいたい保湿機がない環境で働くなんてあり得ないでショ! おまけに、受付任務って地味な癖に、ストレスかかるわ、何気に肉体労働だわで、最悪でしょーが!! 私が火影さまに受付所に潜む危険を話したら、速攻で賛成してくれたわよ!! 『そんな悪環境で妊婦を働かすなど言語道断じゃ』って、額に青筋立ててたんだからっ」
マキの言葉に、頭を抱える。
よりにもよって、贔屓癖のある火影さまに進言してしまうなんて。
これはじっちゃんの説得も必要だと、この先の困難さに頭を痛めていれば、マキは続けて口を開いた。
「それに…身重のアンタが無理に働くことないでショ…。子供の父親分かってるなら、そいつに」
「マキ」
鋭く名を呼んで、先の言葉を止めさせる。
マキは驚いた顔をしていたけれど、それでも何か言おうとしたから、先に言葉を紡いだ。
「マキには言ったはずよ。私はシングルマザーになるって。この子の父親には頼らない。それに、子供ができたことも言わないし、隠し通す」
「…っ、なんで!」
弾かれたようにマキが叫ぶ。
「助けてって言えばいいじゃない! 相手だって、アンタが言えば嫌なんて言わないわよ!!」
いろいろな思いが混じる瞳で、訳が分からないと全身で叫ぶ。
けれど、私は黙ってマキを見つめた。
これはマキにも誰にも言えない、私だけのひみつだ。それは、お腹にいる子供も例外ではない。
しばらく見つめあっていたけれど、決して私が話さないのを悟り、マキは唇を噛みしめた。
「……なによ、それ。アンタだけで出来た命でもない癖に!! もう勝手にすればいい、バカ!!」
立ち上がるなり、マキは玄関へと走り込む。引き留めようとした時にはマキの姿はすでになく、上げかけた声を引っ込めた。
上げた手を下ろして、小さく笑う。
「……『アンタだけで出来た命でもない』か…」
もっともだと思う。
マキの言葉は正しいと痛感する。でも、それでも、私は……。
「……ごめんね、わがままなお母さんで」
まだ膨らみのない、でもそこにいる我が子を思ってお腹を撫でる。
お腹に触れた瞬間、小さな震えを感じた気がして、自分の思いこみの強さと、弱さに、少し凹んだ。



******



「しかしのぉ、受付所はのぅ」
大好きだったキセルもくわえず、いつの間にか置いた空気洗浄機と保湿機がフル稼働する音を聞きながら、私は火影さまと対していた。
マキが出ていった後、ごめんなさいと謝りつつ部屋に貼られた新品のお札を剥がし、受付所へ改めて詫びの言葉を入れ、私は本丸ともいえる火影室へと乗り込んだ。
火影さまは私の来訪をいたく喜んでくれたものの、私が訴える言葉を聞いて、非常に渋い顔を見せた。
曰く、
「不特定多数が行き来する場所は、対処のしようがなくて怖いからのぅ」
曰く、
「わしは身重である一人の木の葉の忍びの安否を気にしておるだけじゃからのぅ」
曰く、
「やはり母子ともに健康でいてこその、里の安寧に繋がる訳じゃしのぅ」
と、受付任務の復帰を、なかなか認めてくれない。
確かに、くノ一が妊娠すれば、次代の担い手を歓迎する意味合いも含めて、里をあげて手厚い補償をしてくれるのは事実だ。
妊娠から出産、産後までの結構な期間を有給にしてくれたり、里から妊娠出産祝いとして、物資やお金の給付もある。
けれども、事務作業や裏方の仕事、受付任務は、希望があれば、産み月間近まで働いてもいいというのが、通念だった。
それを覆す火影さまの判断に、私はどうしても納得ができないでいた。
「火影さま! 過去に身重の女性が事務や受付任務を請け負った例は何例もあります。それが原因で流産や死」
「なんてことを言うのじゃ! 縁起でもないことを言うでない!!」
くわっと目を見開き、こちらを叱責してきた火影さまに、ちょっとビビる。
火影さまは心持ち顔を青くして、今のは言葉はなかったことにしてくれとぶつぶつと独り言を呟きながら手を合わせていた。
神経過敏になっている火影さまに少し気後れしつつも、私はここで怯んではならぬと言葉を続ける。
「で、ですから、任務を遂行した結果、最悪なことになった方は、今まで一人もいないのも事実です! それを考慮して適正な判断をしていただきたく存じますっ」
言い切った私に、火影さまは小さく首を振り、非常に険しい瞳でこちらを見つめてきた。え、その嘘を言うでないっていう反応は何!?
資料課に掛け合って、過去十年に渡る記録を見て出た結論なだけに火影さまの反応は不可解だった。
あまりに堂々としている火影さまに不安を覚えた頃、火影さまはおもむろに切り出した。
「イルカや。その情報は肝心なことが抜けておる」
「……肝心なこと、ですか?」
重々しく頷くなり、火影さまは言った。
「受付任務ならびに事務任務についた者たちに初産者はおらぬ」
ぎらりと光った火影さまの目に、まずいと息を飲む。
調べた時点で私も気付いたことだが、それほど重要視する問題でもないと高を括っていたが、火影さまは違ったらしい。
眼光鋭い火影さまの視線を避けつつ、大した差はないのではともごもごと言い募ったが、それは火に油を注ぐ結果となった。
「初産を舐めるでないっ! その慢心がそなたら親子の悲劇に繋がるのじゃぞ!! 『初産に潜む危険50』を読むがええ!」
執務机に見開いて置いてあった本を取るなり、突き出してくる。
黒と黄色の毒々しい色合いと、骸骨マークがついたそれに、私は頬をひきつらせる。不安を煽ることが目的ではないかと思える本に、こんなものを読むから火影さまは過敏になったのだと悟った。
「ちなみにこれは、マキさんとやらが持って来てくれたんじゃ」
なかなかにがんばっとるようじゃのと、火影さまを見て、内心で悲鳴をあげた。
マキー?! 一番持っていっちゃいけない人のところに何持っていってるのー!?
とうとう私は、火影さまから受付任務のお許しをもらうことはできなかった。



「……どーしよう」
中庭のベンチに座り、途方に暮れる。
じっちゃんではなく、火影さまとして会ったじっちゃんに、受付勤務を全否定されたことで私は無職となってしまった。
蓄えらしい蓄えもなく、例え里から補助金が出るにしても心もとないというのが正直な感想だ。子供にはひもじい思いはさせたくないし、小さな時分には何かとお金がかかるとよく聞く。
「……どうにか稼がないとな」
しかも火影さまも文句が言えないような働き口。
そんな虫のいい働き口があるのかとため息をつきつつ、今朝作ったお弁当箱を開ける。と、そのとき、手元に影が差した。
「うまそうだな」
声と一緒に大きな指が降ってきて、卵焼きを摘まんだ。
慣れた気配と決まって取るおかずに、私は苦笑して見上げる。



「アスマ先生、こんにちは」
おうと軽く会釈し、隣に腰を下ろして卵焼きを口に入れる。やっぱりオメェのはうめぇなと笑うアスマ先生に私は頭を下げる。
「お粗末さまです。ですが、アスマ先生、つまみ食いは行儀が悪いですよ」
言ってくれればいつでも作りますよと言えば、アスマ先生は歯を見せて笑った。
「いいじゃねぇか。つまみ食いが一番うめぇんだよ。それより、イルカ。二人でいる時くらいは昔のように呼んでくれても罰は当たらないと思うがな」
これももらうぞと、たこさんウィンナーを摘まむアスマ先生に、相変わらずだなぁと思いつつ、ここは素直に言うことを聞くことにする。
「はいはい、アスマ兄ちゃん」
はいは一回と、小突く真似をしてくるアスマ兄ちゃんの気安さに笑い、私は一緒にお弁当を食べようと誘った。



「で、何を悩んでんだ?」
おにぎり一つと手でも食べられるおかずを何品か蓋に乗せると、アスマ兄ちゃんはいただきますと手を合わせた後、尋ねてきた。
アスマ兄ちゃんは昔から私が壁にぶつかっていると、それとなくやってきては励ましたり、助言をくれる。そのときは分からなかったけれど後から助けられたと気付くことも多くて、アスマ兄ちゃんにだけは昔から頭が上がらない。
「うーん、ちょっと、ね。何かいい働き口ないかなーって、思ってたの」
全てを言わずとも、だいたいの話の流れが分かったのか、アスマ兄ちゃんは小さく呟いた。
「……悪いな。親父も悪気はねぇんだ」
おにぎりをほおばりながら、アスマ兄ちゃんはまっすぐ前を見つめている。私もおにぎりをほおばりながら、うんと小さく笑う。
こうしていると、昔に戻った気がして少しくすぐったい。
子供の頃、じっちゃんが私に良かれとしてやったことが裏目に出て、同級生に総スカンを食らったり、敬遠されてしまい、一人でめそめそと泣いていると、アスマ兄ちゃんが必ず何かを持ってやってきて、半分こにして一緒に食べたものだ。
二人で食べると、何故かすごく美味しく感じて、涙はあっという間に引っこんだ。
今では立場も距離も遠いけれど、こうしているとまだアスマ兄ちゃんと繋がっててもいいのだと言われているようで嬉しい。
たまにでいいから、こうして一緒にお弁当を食べないなと懐かしい気持ちを感じていれば、アスマ兄ちゃんが小さく声をあげた。
「オメェ、働き口ならちゃんとあるじゃねぇか」
「ふぇ?」
間抜けな声をあげた私に、アスマ兄ちゃんは、自分の食べかけのおにぎりを掲げて見せた。








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アスマ先生は、きっといいお兄ちゃんになるに違いない……!!






ひみつ11