「これでよし、と」
出来たての弁当を前に、大きな達成感と共に息を吐く。
アスマ兄ちゃんからの助言のおかげで、私の目の前は開けた気持ちでいっぱいだった。
居間から恨めしそうな視線を感じ、振り返る。
「おはよう、マキ。朝からそんな仏頂面しないの。可愛い顔が台無しだよ?」
苦笑交じりに指摘すれば、眉間の皺がより一層深くなる。
以前からマキは、私の料理を他の人に食べさせるのは否定的だったが、この度は輪をかけてひどかった。
話はアスマ兄ちゃんの助言を得た、昨日の夕方に戻る。
「アンタ、一体何考えてんの! 妊娠中だけ期間限定のお弁当屋さんって、本気な訳!?」
夕飯の支度と、明日の弁当のメニューを考えつつ、冷蔵庫の中身と睨めっこしていると、息を切らせたマキが飛び込んできた。
「あ、おかえり。今日は早かったね」
夕飯はまだできていないから、ちょっと待ってねと、出迎えつつ、手に提げていた荷物を受け取る。
どこかでお裾分けされたのか、ビニル袋いっぱいのナスにほくほく顔になる。
「これ、どうしたの?」
「あぁ、ただいま。これは農家の斉藤さん家からのお裾分け。ここの野菜って美味しいので有名なんだーよ」
マキの言葉に、試しにビニル袋から一本取り出す。瑞々しい紫色と張りの良さといい、重さといい、ふっくらとしていていかにも美味しそうだった。
新鮮なうちに食べるのが何よりのごちそうだ。
「せっかくだから、今日はナス料理にしようか。マキはナス好きだよね?」
「うん、好き好き! 全部ナスでもいいくらいっ」
靴を脱ぎながら、目を輝かせてこちらに顔を向けるマキに、ふんわりとした幸せな気持ちが沸いてくる。美味しいナス料理を作って、もっと喜んでもらおう。
頭の中でナス料理をそらんじながら、流しにナスを置いていると、背後から突如「違う」と叫ばれた。
「あっぶな。危うくアンタのペースに取り込まれるところだったーよっ。アンタのそれ、ある意味忍術レベルで厄介だーね」
腕を組み、非常に険しい表情を向けられた。またマキのよく分からない発言が始まったなぁと思いつつ、いつもの調子で会話できている現状に少しホッとする。
今朝は喧嘩別れみたいになっちゃったから、今日はここには帰ってこないのかと思っていた。
ここへ帰ってくれたことが嬉しくて、マキを見つめて笑っていれば、マキは小さく息を詰めた後、ばつの悪そうな顔をして目を逸らした。
「……今朝の事だけど。私は、謝らないから」
こちらの気持ちを読み取ったような発言に少し驚く。
マキは横目でこちらを見ながら、小声で主張した。
「今だって、その子の父親に頼るべきだと思ってる。これだけは譲れないから」
はっきりと言うマキの言葉に、私はうんと頷く。
言うことを聞いてくれると思ったのか、顔を明るくさせたマキへ心の中で謝る。
「マキの言うことは分かった。でも、私も譲れない」
真っすぐマキを見つめた。また喧嘩になるかもと頭の片隅で考えるけれど、こればっかりはどうしようもない。
見つめ合うマキの目に、一瞬苛立ちの感情が浮かんだけど、目を伏せて小さく息を吐いた後には綺麗に消えていた。
「……強情女」
呆れた様子で、マキの口端に笑みが浮かぶ。
苦笑に近いものだったけれど、こちらの意見として認める姿勢を見せたマキに笑みが零れ出た。
また言い合うこともぶつかることもあるだろうけど、喧嘩はなるべくしたくない。
「さて、私はナス料理に取りかかるとして、マキはお風呂に入って体を休めてて」
風呂上がりには何品か持って行けると思うしと、今日目一杯働いてきたマキの背を押し、お風呂に入る準備を促せば、マキははいはいとおなざりな返事をしてきた。
「『はい』は一回。アスマ兄ちゃんの前で言ったら小突かれちゃうよ?」
つい数時間前に遣り取りしたことを思い出し口に出せば、突然マキの足が止まり、それに対処できなかった私はマキの背中に激突してしまう。
「マキ?」
鼻を強か打ちつけ、痛みに呻いていると、マキがぎこちない様子でゆっくりと振り返った。
「……まーた、アンタのペースに巻き込まれてたーよ。何だろうね、この巻き込み型天然は……」
おどろおどろしい気配を漂わせ、マキが肩を掴む。額に青筋たてた顔も一緒に近付けられ、私は慌てふためく。
お互いの意見はまとまらなかったけど、喧嘩はしないでおこうと暗黙の了解がなされたと思っていたのに。
もしかしてまた喧嘩別れになるのだろうかと気落ちしていれば、マキは目を見開き言った。
「私は、アンタの期間限定の弁当屋だなんて、絶対、許さないかーらね!!」
その後のマキと私は、弁当屋をするしないで再び喧嘩となり、夕飯は抜き、風呂も抜き、睡眠時間も削って、平行線の言い合いを繰り広げたのだった。
居間からこちらに鋭い眼差しを送るマキを盗み見、そっとため息を吐く。
だいたいマキの弁当屋を反対する理由が明確でないのがいけないと思う。とにかく駄目、駄目なものは駄目、絶対駄目、許さないと言うばかりで、話し合いにもならない。
受付所で働けなくなったからこその代替案で、お弁当屋さんになったのだ。それに文句があるなら、違う代替案を用意してもらいたい。
そこまで考えて、あぁと胸の内で呻く。
そんなことを言えば、マキはこの子の父親に頼れと言ってくることは明白だ。つまり、この話も譲れない類のものだったのだ。
はぁと勝手に零れ出るため息に肩を落とし、マキの朝食へラップをかける。
起きぬけに私はシャワーを浴びて簡単に朝食を済ませたけど、マキはシャワーを浴びた気配もご飯を食べた形跡もない。
私がいると食べ辛いかもしれないため、だいぶ早い時間帯だがアカデミーに行くとしよう。
販売経路はあてがあると言ってくれたため、アカデミーに着いたらひとまず上忍待機所を覗くことにする。
今日は、私が持っている弁当箱の分だけで作ったため、数は五個と少ない。
弁当箱を返す手間もあるし、きちんとした厨房で作った訳でもない、ごくごく普通の家庭の味の弁当だから、一つ20両で売れたら御の字かなぁと思っている。
五個売れても100両という寂しい限りの稼ぎだが、安い分、数を多くして稼げば何とかなると己を励ます。
「マキ、行ってくるね」
居間の影から顔を半分覗かせ、険しい表情を崩さないマキに手を振り、私はアカデミーへ出発した。
******
「はい! そこ、180,000両! 他は? 他にいないか!?」
アカデミーの空き教室を貸し切った中、熱気をむんむんと発しながらひしめき合う忍びたちを前に、みたらしアンコ特別上忍が教卓の前で叫ぶ。
「ちっ、しけてやがるなァ。最近の忍びの懐事情も侘しいもんだぜ」
火の付いていない煙草を噛みしめ、呟くアスマ兄ちゃんの隣で、私は冷や汗を全身にかいていた。
今朝、アスマ兄ちゃんに会うべく上忍待機所へ行けば、そこには満面の笑みを浮かべたアンコ特別上忍と、紅先生、アスマ兄ちゃんがいて、弁当は持ってきたかと聞かれ頷けば、問答無用で空き教室へ連れて行かれた。
そこには空き教室には入りきれないほどの忍びの皆さんがいて、何故か殺気立っていた。
一体何事だと動揺する私を黒板側の窓際に座らせ、アスマ兄ちゃんたちは殺気だっている面々にこう言った。
「うみのイルカの手作り弁当。味は、舌の肥えた上層部のお墨付きだ。さぁ、いくらで買う?」
コハルさまとホムラさま、そしてじっちゃんの署名と共に、イルカの料理は旨いと達筆な字で書かれた色紙を掲げ、思ってもみない形の弁当売りは開始された。
「あ、アスマ兄ちゃんっ」
値段が不満なのか、仏頂面で静まり返った教室を眺めるアスマ兄ちゃんの袖を引き、小声で名を呼ぶ。
「あー、オメェも不満か。だよな。だったら、ちょっくら発破でもかけて……」
何故かクナイを持ち、席を立とうとしたアスマ兄ちゃんを慌てて引き止め、私は小声で強く叫ぶ。
「違うって、反対! 反対なの!」
「反対?」
髭をしごきながら首を捻るアスマ兄ちゃんに、私は涙が出そうになる。
「たかが私の弁当如きで、180,000両はあり得ないって! しかもあれって一個の値段だよね!? こんなの詐欺だよ、やっちゃいけないことだって!!」
お願いだからこの売り方は中止にしてと半泣きで訴えれば、アスマ兄ちゃんは優しく微笑みながら私の頭に手を置いた。
「何言ってやがる。お腹の子のためにも金は必要じゃねぇか。本当ならオレが援助してやりてぇところだが、それはお前が嫌がると思ってこそのこの場だ。……だが、オレの希望援助額の足元にもおよばねぇヘボどもにイルカの飯を食わせるのは癪だな」
ゆらりと立ちこめる怒気に、息を飲む。
何をするのか予想できなくて、引き止めようとした手を優しく外し、振りきると、アスマ兄ちゃんは席を立ち、高らかな声をあげた。
「五つで、1,000,000両」
場がどよめきで埋め尽くされる。
「な、なんだとぉ!?」「くっそ、そんな金どうやって捻出しろってんだっ」「だから上忍は嫌いなんだっ」「賃金格差の現実がぁぁ」などと言った呻き声がこちらに聞こえる。
私の給料の約四年分の稼ぎに匹敵するその額に、がたがたと体が震えてきた。
え、えらいこっちゃぁぁぁぁ!!!
どうすればいいか分からず、席に座ったまま意味もなく左右を見回していれば、柔らかい感触が肩に回った。
「イルカちゃん、落ち着いて」
上品な香りと共に艶やかな声音が間近に響いて、私は振り返る。
「く、紅先生〜」
情けない声をあげた私に、紅先生は綺麗な笑みを浮かべると、アスマ兄ちゃんが座っていた席に腰かけた。
紅先生はアスマ兄ちゃんの彼女さんだ。
格下である私のことをイルカちゃんと気さくに呼んでくれるばかりか、買い物やら食事に誘ってくれたり、何かと声をかけては気にかけてくれる。
早く二人が結婚して、猿飛家の一員になってくれればいいのにと、血が繋がっていないながらも妹的な私はいつも思っている。
「こんな罰当たりな値段はないです! 価格崩壊です! 商店街の皆さんに顔向けできませんっっ」
優しく肩を叩かれ、私は思いの丈を紅先生にぶつける。どうにか止める方法はないかと、訳も分からず零れる涙を拭っていれば、紅先生は笑った。
「……甘いわね、イルカちゃん」
「ふぇ?」
風を切りながら腕を斜め前に振り下ろし、紅先生は滔々と語り出す。
「今の今まで、受付、アカデミー職員という、同僚たちだけにしか許されなかった特権が今、解禁されたのよ……! 火影さまの命とはいえ、それがどれだけ悔しく羨ましかったことか…。アスマも甘いわね」
語り終えた後、ちっと大きく舌打ちしながら、紅先生は立ちあがる。そして、教卓の前で値を釣り上げようと声を張っているアンコ特別上忍へ声を張った。
「五個で1,500,000両!」
紅先生の突然の参戦に、場は混乱をきたした。
「な、なななな!!!」「この世に仏はいないのか!?」「これが上忍の本気っっ」「うあぁあぁあぁ」と、さざ波のように呻き声が広がっていく。
「紅、オメェ……!」
勝利を確信していたのか、アスマ兄ちゃんは苦悶の顔を見せる。一方の紅先生は腰に手を当て、顎下へ指を添え、艶然と微笑んだ。
「アスマ。言っておくけど、私にとってもイルカちゃんは可愛い可愛い妹なの。株をあげたいのは私もなんだから抜け駆けはさせないわ。……それに、義理の家族なんていう羨ましすぎる位置付けにある、恵まれたあんたにこの弁当は渡せない」
ずばっと人差し指を向け、宣戦布告のように言い放った紅先生の言葉に、一瞬場が静まり返り、そして一気に湧いた。
「そうだー! 昔っからイルカちゃんの手料理食ってた猿飛は棄権しろぉぉ」
「そもそもなんでお前が表舞台に立ってんだ! 影で動くのが密約だっただろっ」
「表参戦禁止ー!」
「かっこつけるな、義理兄がっっ」
「引っ込め、義理シスコンー!」
アスマ兄ちゃんにブーイングが集まり、事の成り行きが理解できずに困惑する。いや、それはそれとして、今は紅先生の上げた額の大きさが大問題な訳で……!
「おっとぉ、ここで乱闘になるのか!? 実力社会が物を言う忍び社会の縮図がここで幕を開けるのかぁぁ!?」
その場合は賭けに移行しまーすっと、よく通る声で煽ってくるアンコ特別上忍に、声なき悲鳴をあげる。
これは、まずい! これはどうしようもなくまずい!
バチバチと火花を散らすアスマ兄ちゃんと紅先生、それを煽るアンコ特別上忍。わーわーと野次を飛ばす、観客と化したその他大勢。
この販売は中止だ、なかったこにしましょうと叫ぼうとした寸前。
「黙れ、貧乏人ども。一個、10,000,000両。五個で50,000,000両。全てオレが買い取った」
教室の戸が開くと同時に、声が響く。
目玉が飛び出るほどの額の提示に、その場は奇妙な静けさに包まれ、誰もが身動きを止めた。
「……イルカの弁当は、誰にも渡さなーいヨ」
黒い外套を頭から被り、口元しか晒していない謎の人物の声を最後に、アンコ特別上忍の販売終了を知らせる木槌が鳴り響いた。
「落札! これにて、閉会ーーー!!」
******
「あの、この度はお買い上げありがとうございました。お代はちゃんといただきましたので、これはお釣りとしてお返し致します」
魂が出かかっている中、無造作に押し付けられた預金通帳と印鑑を捧げ持つように差しだし、私は深々と頭を下げた。
私のお弁当を買ってくれた人は無言で受け取るなり通帳を数枚めくり、大きくため息を吐いた。
「……全額あげたはずだーよ。どうして、残金なんてものがあるの?」
顔あげなと声を掛けられ、背筋を正して向き合う。
古い一軒家の玄関口。
お弁当を受け取った途端どこかへ消えたその人を追うべく、不躾ながらもご自宅へ押しかけた。
登場も退場も一瞬だったために、何処の誰かが分からないのではないかと恐れたが、幸いアスマ兄ちゃんと紅先生の知り合いだったようで、無事に家へ辿り着くことができた。
自宅というのに、いまだ分厚い黒い外套を頭から被り、口元しか見えない格好をしているその人に、私は拳を握る。
「いえ、さきほどの販売価格は何かの間違いです! こちらで決めた適正価格に則ってきちんとお代をいただきましたので、これはお釣りです。これ以上受け取れません…!!」
こちらに突き返される通帳と印鑑を手の平を広げて阻止し、これ以上もらえないと首を振り続ける。
「……残金、47,999,800両。この半端な数字は一体どういう訳?」
責めるような声音に、背筋がなおのこと伸びる。
悪魔の声に耳を貸すのではなかったと悔恨の声を胸の内であげながら、私は正直に話した。
「す、すいません! やっぱり高いですよね、本当に申し訳ありませんっ。一個20両が適正だって言ったんですけど、40両いけるって声につい耳を貸してしまって、私もその気になってしまいました! 本当にすいません!!」
何でしたら今から返しましょうかと、懐からお財布を出そうとすれば、お客さんは「はぁ?」と不機嫌な声をあげた。
あからさまに快くは思っていない声に、己の甘さを叱責する。私のバカバカバカ! お金で全て丸く収まったら、警備隊なんていらないのにっ。誠意ある謝罪をしなくてはいけないのに、何て事を口に出してしまったんだ!
自分に一体何ができると問いかけて、家事全般ならいけそうだと当てをつけ、一週間家事タダ働きを申し出ようとすれば、お客さんは頬を引きつらた。
「ちょっと。アンタの取り分はたったの200両な訳? だったら、残りの2,000,000両は誰に渡ったの?」
思わぬ問いに目を瞬かせれば、お客さんは言いなさいと強く求めてきた。
「みたらし特別上忍です。あの、お客様とはすでに話がついてあると、聞いたのですが……」
「あの甘党…」とおどろおどろしく呟いたお客さんに、血の気が引く。
まさか、そんな話は全くされていなかったの?
「わ、私、今すぐ行って、お客様のお金取り返してきますっ」
これから飲みに行くわよーと、体が空いている人を伴って、昼間の飲みに行ったアンコ特別上忍を思い出し、全力で引き返そうとすれば、後ろから羽交い締めにされ引きとめられた。
「ちょ、待ちなさい、待ちなさい!! 妊婦が暴れないのっ。それにあんな酒乱と甘党と喫煙者の群れに行ったら、体がどうにかなっちゃうから行かなくていいの、というより行くんじゃない!!」
「で、ですが! お客様の大事なお金がっっ」
2,000,000両という大金が風前の灯であることを知って、いても立ってもいられない。飲みのメンバーは酒豪やら美食家やらがいたから、最悪明日を待たずに使い切ってしまうかもしれない。
どうか回収に行かせてくださいと懇願しても、お客さんは駄目駄目と譲ってくれなかった。
「離して下さい! 今なら被害額は少なくて済むんです。必ず取り返してきますからっっ」
少々手荒いが、お客さんの大事な金がかかっているとばかりに、身を捩じり渾身の力を込めて引きはがしにかかれば、耳元でお客さんの声が爆発した。
「いいって言ってるでショ!! 金よりアンタの方が大事だって言ってんのが分かんないの!?」
きーんと耳鳴りする耳を押さえ呻けば、お客さんは焦ったように手を離し、大丈夫と顔を覗きこんでくる。
「ごめん。大丈夫? どこか痛くした? ごめんね」
耳を押さえている手を上から覆い、頭を撫でてくるお客さんの優しさに、涙腺が崩壊する。
「え!? ちょ! どこか具合でも!? 病院!!」
背中に手を当て膝をさらい、抱えあげられたところで、私は違いますと泣きながら引き止める。
「え? 何が違うの? 何、もしかして流産!? それとも早産!?」
お客さんは混乱しているのか、見当違いなことを口走りながら慌てている。それにも違うと首を振り、私は下ろして下さいとお願いする。
「いや、でもね。何かあったら不味いでショ? ここは、大事をとって病院に行こう?」
「ち、違いますっ。ごめんなさい、お客様があまり優しいから泣けてきただけで」
ふえんふえん言いながら言葉を紡げば、お客さんは肩の力を抜いて、その場に座り込んだ。
「良かった……。てっきりオレは」
泣く私の頭を撫でながら小さく笑いを零すお客さんに、私は急いで涙と鼻水を拭い、お客さんの足の上から退こうと身を起こした。けれど、後ろから腕を引かれ、私の体はあっけなくお客さんの胸へと落ちる。
「……あの?」
上向きに倒れた体は、ちょうどお客さんの腕に抱きとめられ、見上げる格好となっている。それでも目深に被ったフードは、お客さんの容貌を口元以外は見せてくれない。
「あ」と形のいい唇が小さく開く。息を飲むように開けられた唇は、色白のお客さんの肌に映える紅色で、とても綺麗だと見惚れた。
フードの下はとてつもない美人さんがいるのではないかと想像していれば、お客さんは「ごめん」と低く呟いて、私を起こしてくれた。
もう少し観賞していたかったなぁと残念に思いつつも、ありがとうございますと頭を下げる。
お客さんは少し困ったように後頭部を掻いた後、何かに気付いたように小さく呻いた。
「……ごめん。服汚しちゃって……」
お客さんの指差す先を見れば、ズボンが湿った泥に濡れている。
玄関の土間に座り込んでしまった自分のせいだ。
気にしないで下さいと立ちあがれば、お客さんも立ちあがる。座っていた時間はお客さんの方が長いから、どちらかといえばお客さんの外套の方が濡れている。
冷たくないのかなと窺っていれば、お客さんは後頭部に手を回した。
「ごめんね。こっちの家は管理を疎かにしてて、汚れっ放しで……。人を招くようなところじゃなかった」
お恥ずかしいと小声で呟くお客さんに、首を横に振る。
「いえ、私が勝手に押しかけてしまったのが悪いんです! それに、家の管理は里在住じゃないと難しいですから」
無理もないと言いかけて、お客さんが小さくあっと声をあげた。
何か言いたそうな気配に、出しかけた言葉を飲み込み、ひとまず待ってみる。すると、お客さんは後頭部を掻きつつ切りだした。
「……あの、さ。アンタ、働き口探してるって聞いたんだけど」
お客さんの言葉に、はいと頷く。
お客さんの貯金額といい、人目を避ける格好といい、上忍であることには間違いないだろうが、一介の中忍である私みたいな者の情報も記憶しているプロフェッショナルぶりに感心してしまう。木の葉の上忍はレベルが高いなぁ。
「だったら」
お客さんが顔を上げる。
鼻先まで隠れたフードの下、整った唇が迷いもなく動いた。
「オレの家の管理と、に……忍猫の世話を見てくれない?」
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これが、アイドルフィンの力か!!
1両=10円計算です…。と、とんでもない値段やで(((口=)))
カカシ先生、地味に色々と動いています。
ひみつ 12