朝、起きたらマキの姿はもうなかった。
壁際に畳んで置かれた布団を認め、任務に出たマキの無事を願う。
まだ起きるには早い時間だったけれど、このまま横になっていれば悪いことばかり考えそうで、ベッドから抜け出した。
「……私も頑張らなきゃ」
昨日マキにしてもらったおまじないの場所を撫でて、カーテンを開け放つ。
今日もいい天気だ。
せっかくだから布団を干して、掃除もして、今日は外でお弁当を食べるのもいいかもしれない。そうと決まれば行動開始だ!
久しぶりに目一杯家事をして、体を動かす気持ち良さに没頭していれば、あっという間に時間が経った。
多めに作ったお弁当を風呂敷に包んで、お客さん宅へいざ参る。
けれど、私が行った先で見たのは、玄関前で難しい顔をしているパックンの姿だった。
「イルカ。よく来たな。じゃが、今日は帰れ」
おはようと挨拶をした直後に告げられた、つれない言葉に私は慌てる。
「パックンどうしたの? 私、家政婦だよ。全くできていないってのは分かってるけど、家の管理とパックンたちのお世話を私任せられてて」
だから、そこを退いてと一歩踏み込もうとすれば、パックンが玄関前から一歩前に出ると同時に、一瞬にして結界が目の前に現れ、お客さん宅を覆うなり、バチバチといった不吉な音を立て始めた。
触れればただではすまないことを如実に語る、青白い稲妻と音を前に、私はどういうことだとパックンに説明を求める。
「主と拙者たちは三日間ほど留守にする。その間、イルカ一人にさせておったら妊婦にはあり得ない運動量をするだろうという満場一致の見解じゃ。よって、イルカには今日から三日有給を取ってもらう」
寝耳に水の事後承諾に私はうろたえてしまう。
勝手なことだとは思うが、何かしていないと気が持てないと言おうとすれば、パックンは難しい顔をして私を見上げた。
「拙者もこれからすぐ主の元に行かねばならん。主の無事を祈ってくれ」
言った直後に、パックンは白い煙を立てて消えてしまう。
マキに続いてお客さんまで危険な任務へ行ってしまったことを知り、私は泣きそうになる。
マキだけでも心配なのに、お客さんまで言ってしまうなんて不安は倍増だ。
鼻を啜り、バチバチと威嚇するような音をあげるお客さんの家を見て、私では到底解除できない結界だということが分かる。
全力で私をこの家に入れる気が無いとお客さんの主張が見えて、私は泣く泣く踵を返した。
腕の中にはたっぷり作ったお弁当がある。
忍猫たちとも一緒に食べられたらいいなと多めに作ったため、一人では食べきれない量だ。
家に帰るために進ませていた足を止め、弁当を見つめる。
「……こうなったら、仕方ないよね」
誰に言うでもなく独り言を呟く。
食材を無駄にするなんてできないし、そして何より、今は一人でいたくない。
バレれば真っ赤な顔で怒るだろうマキと火影さまが脳裏でちらつきながらも、私は久しぶりにアカデミーへと向かったのだった。
「こんにちはー」
出入り口からそうっと顔を出して、まずは受付所を覗いた。
火影さまは応接室で火の国の閣僚と話し合っているのはリサーチ済だ。
込んでいないお昼時を狙ったおかげもあり、受付所は閑散としていた。
「……イルカ!」
書類整理をしていた同僚たちが、私の姿にぎょっとした顔を見せてきた。
慌て始めたアサリとホタテに話しかけようと足を踏み出すなり、ホタテは机を飛び越え全速力でこちらに向かい、受付所に入ろうとする私の体を押しとどめる。
「…どうしたの、ホタテ」
珍しく血相を変えているホタテに不安が過ぎる。
もしかして邪魔だったのかなと暗くなっていれば、ホタテは違う違うと首を振り、小声で話し始めた。
「お前が受付所入ると、火影さまに連絡が行くよう対個別用の結界が張られていてな。火影さまに大目玉食らいたくないだろ?」
赤子が一歳になるまで受付所に来るでないと、背中に禍々しいチャクラを漂わせた火影さまの姿は脳裏に新しい。
「あ、ありがとう。えっと、良かったら一緒にお昼ご飯でもどうかなって思ったんだけど…」
腕の中にある風呂敷を見せれば、ホタテは一瞬喜色を浮かべたがすぐさま項垂れた。
「悪い。まだ勤務中だ。一緒には食えん」
「えー! ホタテ、そんな固いこと言うなよ」と奥からアサリが受付員らしからぬ言葉を放ってくるが、ホタテは一切無視して悪いなと重ねて言ってきた。
まだ仕事中ならそれは仕方がない。仕事が終わるまで待とうかと思ったが、ホタテにそれは諸事情で禁止されていると頑として言われてしまい、掛ける言葉を失くしてしまった。
「それじゃ、少しもらってくれる? いっぱい作り過ぎたから、後でアサリと一緒に食べてもらえたら嬉しい」
三段お重に入れてきて良かったなと、一段目のお重のおにぎりと二段目のおかずを手早く入れ替えて、一段目のお重を手渡す。
「久しぶりのイルカの手料理だな。有難くいただく」
律義に礼をするホタテを笑って、私はそれじゃ仕事頑張ってねと受付所を後にした。
まさか火影さま自らが対個別結界を張っているとは思っていなかった。火影さまの中では受付所は鬼門になっているのだとまざまざ思い知ってしまい、本当に子供が一歳になるまで立ち入り禁止になったのだと肩を落とす。
「どうしようかな……」
お重はまだ二段ある。
マキはいないけれど、アカデミーの皆と一緒にご飯食べようかなと職員室に足を向けて驚いた。
昼休憩でにぎやかなクラスを横目で見つつ、廊下を歩いていれば、
「イ、イルカ!?」
素っ頓狂な声が前方から聞こえてきた。
「……え、マキ?」
信じられない思いで目の前の人物の名を呼べば、マキにしか見えないマキはこちらに一直線に駆けこむなり、手前で止まり、思い切り両手を開いて私を抱きしめてきた。
「イルカ――! 会いたかったぁぁぁぁ」
感極まって泣くんじゃないかと思えるほどの抱擁ぶりに、目を白黒させながら、私はマキの背を撫でる。
「え、マキ? あれ? どうして? え?」
任務に行ったんじゃと言いかけて飲み込む。
人通りの多い少ないに限らず、マキの任務については極秘なはずだ。ということは、ここにいるマキは……。
もしかして影分身…!!
導き出された答えに大いに納得する。
アカデミー教師をしているとなれば、他の者に任せる訳にも行かず、自分の分身を置くことで日常任務もこなしていたのか。
命の遣り取りをする任務を請け負いながら、チャクラ消費が激しい影分身を置いてアカデミーの任務も兼業するマキの知られざる過酷な毎日に涙を禁じえない。
「あー、私何言ってんだろ! 昨日も会ったのに、なんでかすっごくイルカが懐かしいっ。もぉ、何言ってんの、私」
ぐずぐずと鼻を鳴らすマキに、胸に熱いものが込み上げる。
もしかして影分身のマキが私に会うのが懐かしいと言ってくれているのだろうか。影分身という術を使えないため、記憶のやり取りがどうなっているのかよく分からないが、たぶんそういうことだろう。
うんうん、いいよ、いいんだよと混乱気味のマキに声を掛けつつ、私は本題に入ることにする。
アカデミーの皆とでも良かったけど、それでは量が心許ないため、いつも通りマキと昼食を食べよう。
「マキ、お昼ご飯まだなら、一緒に食べない?」
風呂敷を上げて見せれば、マキの顔が輝いた。
「あぁぁ、美味しいぃぃ。懐かしい。うぅぅぅ、何か知らないけど涙出るぅ」
天気もいいし、風もそんなに冷たくないという理由で、中庭に風呂敷を引いて二人でお重をつつく。
瞳一杯に涙を溜めて、口いっぱいにおかずを詰め込むマキを愛でつつ、ポットから熱いお茶を差しだす。
「うぅぅ、美味しい。全てが美味しい。お茶がうまいぃぃ」
感激しっ放しのマキに、影分身のマキの身の上にしんみりとする。
これから三日間頑張らなければならない影分身がいるなら、もっと精力をつくものを作ろうと、もしかして本体にまで栄養がいったりするんではないかとの思いもあり、明日はもっと豪勢なの作るから一緒に食べようと声を掛ければ、マキはおにぎりを頬張りながら何度も頷いてくれた。
こんなことしかできないけど、マキに影分身マキ、頑張ってね。
極秘なだけに口に出して言えないが、心の中で声援を送る。
欠食児童の如くがっつくマキを眺め、私も食べていると、斜め後ろから元気な気配が近付いてきた。
「イ、ルッカせんせーーー!!!」
懐かしい声に、気分が高揚する。
振り向きざまに立ちあがり、いつものように胸に飛び込んでくるナルトを抱き止めようと両手を広げれば、目の前に艶やかな栗色髪が広がった。
「っ、な、何すんだってばよ!! 離せってば、同居姉ちゃん!!」
「あのねぇ。イルカに抱きつくのはいいけど、加減てものを考えなさいな、たんぽぽ頭。イルカのお腹には赤ちゃんがいるのよ?」
マキの言葉に、ぎゃいぎゃい騒いでいた気配が急に萎む。おとなしくなったところでマキが脇に避ければ、項垂れたナルトが見えた。
いけないことをしてしまったと落ち込みながらも、側に行きたい気配を押し出すナルトについ笑ってしまう。
「ナルト、先生から抱きついてもいい?」
うじうじと躊躇する仕草を見て、声を掛ければ、ナルトの顔が明るくなる。
「し、仕方ないってば。おれは火影になる男だからな! イルカ先生ぐらい何人でもどんと来いってばっ」
両手を広げるナルトの胸に体を寄せて、ぎゅぅっと抱きしめる。
苦しいってばと笑い声が弾け飛んで私も笑う。
「もう、いきなり走り出すから何かと思えば……」
「イルカ先生、調子はどうですか?」
後からサクラとサスケが来て、こんにちはと頭を下げてくる。久しぶりに見る二人にテンションがあがって、ナルト同様に有無を言わさずぎゅっと抱きしめてやった。
「先生、お腹大丈夫なんですか?」
サクラが慌てたように言う。
「うん、大丈夫。順調そのもの。心配してくれてありがとうね」
綺麗な桜色の髪を撫でれば、サクラははにかんだ笑みを見せてきた。ついでにサスケの頭も撫でれば、恥ずかしいのかそっぽを向きながらも享受してくれて嬉しい。
おれもおれもというナルトの頭も撫でて、はたと我に帰る。
7班のメンバーがここにいるということは、当然……。
「今日は、はたけ上忍いないの?」
今し方思っていた名を呼ばれ、鼓動が飛び跳ねた。平静を装いつつ、どきどきしながらマキの問いに返ってくる答えを待っていれば、サクラが口を開いた。
「はい。上忍としての任務で三日ほど留守にすると言われました。今、8班と合同で任務して、さきほど解散したところです」
思わず小さく息を吐く。
ぱっと見は分からないとはいえ、よくよく見ればお腹が少し膨らんでいるだろう私を見れば、勘のいいカカシ先生はきっと怪しむに違いない。そして、芋蔓式であの日のことに思い至り、私と私のお腹の子の運命は……。
さぁと血の気が引く思いに捕らわれる。7班の皆には当分会えないのは辛いけど、これからもカカシ先生の生活圏には近付かないでおこうと心意気も新たに決心する。
「わ! すっげー! もしかして、イルカ先生の手作りか?」
同居姉ちゃんは作れそうにねぇもんなと、お重の弁当を見て言ったナルトの頭にマキの拳が命中する。
「あらぁ、このたんぽぽ頭は可愛くないこと言うわねぇ。イルカみたいに作れないけれど、最低限は作れるわよ。それに私のことはマキおねぇ様と呼びなさいと言ったでしょ、たんぽぽ頭!」
「おれはナルトって言うちゃんとした名前があんの! 同居姉ちゃんがちゃんと呼ぶなら、考えてやらねーでもねぇぞ」
まぁ、小憎たらしいわねぇと、マキは嬉々としてナルトを構い倒している。
アカデミー教師として悪戯小僧の気配を感じているのだろう。問題児ほど可愛いという私とマキの感性が見事に一致している。
微笑ましくマキとナルトの遣り取りを見ていれば、横からくぅと小さな音が聞こえてくる。
音が聞こえた方向へ顔を向ければ、サスケの顔が真っ赤に熟れていた。
「サスケとサクラはお昼まだ? 良かったら一緒に食べない?」
おかかのおにぎりもあるよと誘えば、サスケは遠慮しいしい、サクラは嬉しそうに頷いてくれた。
「手、洗っておいで」と、二人を送り出せば、ナルトもおれも行くとマキの拘束から逃れて駆け出した。
「ん〜、なかなかいい悪ガキだわね」
うきうきとした調子でナルトを褒めるマキに笑い、手を洗ってきた子供たちと一緒にお弁当を囲んだ。
明日も一緒にお弁当食べることになり、嬉しいことに今度は10班と8班も誘ってくるという。
イルカの苦労が増えるとマキは少し渋い顔をしたけれど、私にとっては渡りに船だ。今、通っているところが有給にしてくれたから、時間はいっぱいあると説得すれば、マキはそれならと頷いてくれた。
マキとお客さんが帰るまで心配は心配だけれど、余計なことを考えなくていいことに素直に喜んだ。
******
「こんばんは。いとのマキです。うみのイルカさん宅で間違いありませんでしょうか」
上機嫌で明日のお弁当の食材を買い込み、冷蔵庫に入れていた時だ。
玄関をノックされ出てみれば、そこにはマキの姿をしたマキではない人が立っていた。
声も顔も無表情。そしてマキでは到底あり得ない気配が滲み出て、私を圧倒した。
思わずどちら様ですかと聞きそうになって、口を噤む。
昨日の夜を思い出す。
マキは言っていたではないか、「明日から三日間ぐらい違う人物になりきる」と。
影分身をこちらに遣わさないことが不思議ではあったけれど、夜はチャクラ温存のために、違う人を影武者に派遣したのだとも考えられる。
若干引き腰になっていた姿勢を正し、頭を下げた。
「私がうみのイルカです。三日間、どうぞよろしくお願いします」
気配からしてもきっと格上だろうと見当をつけて、深々と頭を下げれば、息を飲む声がした。
「……先輩はそれとなく伝えてるようですね。意外でした」
ドアを閉め、マキではないマキは無感動に呟く。
独り言のそれを曖昧に笑って、私は部屋の中へ通す。
「狭いところですが、どうぞ上がってください」
どうやら派遣された方はマキを演じるつもりはないようなので、私もそれに合わせて対応した。
一つ頷いて靴を脱いで上がる。
居間を一瞥して、よく分からない息をついてその人は言った。
「驚きですね。こんな狭い空間で先輩はあなたと過ごしているんですか?」
先輩とまた言うその人に、マキにとっての後輩に当たるのだなぁと、何の先輩後輩に当たるかは深く考えずに頷いた。
「そうです。マキには悪いと思うのですけど、広い部屋を借りる余裕もなくて……。不自由をさせて申し訳なく思ってます」
ふぅんと鼻を鳴らし、顎に手を置き、何か考える素振りを見せる後輩さんに、私は座布団を勧めて立ち上がる。
「ご飯は今から作るんですけど、お風呂はできていますよ。先に入りますか?」
座布団へ正座で座り、後輩さんは私に顔を向けたまま動きを止めている。
しばらく見つめ合っていたが、それだけで反応がないことが不思議で声を掛ければ、後輩さんは訝しげな声をあげた。
「先輩、ここで物を食べているんですか?」
「え?」
今度は私が身動きを止める番だった。後輩さんの言っている意味がよく分からない。
固まる私に見切りをつけたのか、後輩さんは口を開いた。
「いえ、兵糧丸で済ませているものだと思っておりましたので」
!?
信じられない言葉にびっくりする。
そうですかと再び顎に手を置き、考え込む素振りを見せる後輩さんに私は恐る恐る伺う。
「あの、もしかして、里でも兵糧丸で済ます人ですか?」
長いこと里外任務や、名が売れ過ぎた一部の上忍の人たちの中では、面倒臭いという理由に加味して、自己防衛という意味合いで兵糧丸を主食にする人がいる。
稀とはいえ、里でも警戒を捨てきれないその人たちに総じて持つ感想は、勿体ないだった。
普段から過酷な環境に身を置いているのに、里に帰ってからおいしいものも食べられないなんて考えられない。人生の半分以上は損をしている。
どきどきしながら返答を待てば、帰ってきた答えは思った通り、
「ええ。毒で死ぬような情けない死に方は御免ですから」
だった。
「そんなの、断固反対です!!」
パーンと目の前の卓袱台を叩き、私は燃えた。
こうなれば、この後輩さんには食の偉大さを思い知っていただこう!!
「後輩さん!」
それは私の名前かと自分を指差す後輩さんに、大きく頷き、私は後輩さんの両手を浚って握りしめる。
「お疲れだからお風呂に入って寛いでいただこうかと思いましたが、予定変更です。今から、一緒に料理を作りましょう」
無表情の顔をこちらに向ける後輩さんの反応の悪さに焦れて、私は後輩さんを立たせると予備のエプロンを着させて、台所へと連れ出す。
「……あの」
所在投げに突っ立つ後輩さんへ包丁と玉ねぎを持たせ、私は言った。
「今日は、肉じゃがにしましょう。私は他の作業をしますから、後輩さんは玉ねぎの茶色い皮を取ったら、繊維に逆らって二ミリ幅くらいに刻んでください。終わったら声掛けてくださいね」
味噌汁用の出汁を取るために鍋に水を張っていれば、後輩さんは戸惑う気配を見せている。
「はい、後輩さん。迷っている暇があるなら、玉ねぎの茶色い皮を剥いてください」
「……はぁ」
納得いっていない様子だけど、玉ねぎの皮を剥き始めた後輩さんに、満足げに頷き、私はやる気を出す。
美味しい夕飯、作るぞーー!!
「……美味しいご飯っていうのは、こういうことを言うんですね」
歪なじゃがいもが入っている肉じゃがを一つ食べて、後輩さんはどこか呆けた声で呟いた。
黙々とご飯を食べ進める後輩さんににしゃりと笑みが零れ出る。
後輩さん主体で作った今日の夕飯は、じゃこご飯と味噌汁。肉じゃが、青物の胡麻和えと、アジの両面焼きだ。
もう少し豪勢なのでも良かったけれど、まずは後輩さんも作れるような簡単で美味しい素朴な料理を選んでみた。
出汁や下ごしらえは私がしたけど、味付けや焼き、煮物などは後輩さんにやってもらった。
調味料を渡す度に少量口に入れては毒味をしていたから、時間は少々掛かったものの上出来な仕上がりだった。
「はい。こうして自分で作って食べるのもいいですけど、誰かと料理を作って一緒に食べるのも美味しいんですよ」
後輩さん初めてなのに手際がすごく良かったですと、じゃこご飯を口に運べば、後輩さんは食べ進めていた箸を置き、私を見つめてきた。
何か話したいことでもあるのだろうかと、箸を止めて向き直れば、後輩さんは頭を下げた。
「すいません。ぼくは謝らなくてはいけません」
申し訳ありませんでしたと後ろに体をずらし、畳みに額をつけんばかりに土下座してきた後輩さんに泡を食う。
止めてくださいと、後輩さんの元へ駆け寄り顔を上げさせようとすれば、後輩さんはいいえと話しだした。
「この度、先輩に言われてあなたの行動を見守ることになりましたが、ぼくはあなたが碌でもない女性ならば、その命、葬ろうと決めていました」
後輩さんがマキの顔で真摯に私を見つめている。
後輩さんの言葉が頭に入ってきたのは、二拍も置いた後だった。
絶句。
もう絶句としか言いようがない。
あわわわわと内心恐怖でガタ震えの私に対して、後輩さんは無表情の顔で訥々と語る。
「ぼくにとって先輩は侵してはならない禁足地です。神域と言い換えてもいいでしょう。あの人の存在があるおかげで、ぼくはこれまでを生きることができました。先輩のいつもの遊びならば目を瞑っていられました。けれども、この度だけは様子が違った」
鋭い瞳に射抜かれて、私は蛇に睨まれた蛙のように冷や汗を垂らしながら固まる。
こちらを値踏みするような、あからさまな不審感を臭わせる目つきに視線をさ迷わせてしまう。けれど、それは一瞬のことで、不意に小さな笑みに取って代わられた。
「あなたは素敵な女性です、イルカさん。あなたの評価を耳に入れたことがありますが、確かにあなたならば分かる気がします。あなたはそういう人なんですね」
ふふと笑う後輩さんを見て、遅れて褒められたのだと気付いて顔を俯ける。
何となく気恥しい。
鼻傷を掻いていれば、後輩さんは「食べましょう」と声を掛けてくれた。
それにはいと頷いて、私は後輩さんと一緒に夕飯を食べた。
私に対する噂というものがものすごく気になったのは事実だったけれど、後輩さんはそのことについて話すつもりがないみたいで、ま、いっかと諦めた。
後輩さんは口数は少なかったけれど、初めに会った時の重苦しい気配は徐々に薄れてきて、少しは私に慣れてくれたのかなと嬉しくなった。
それに嬉しいことに、後輩さんはどうやら料理に興味を持ってくれたみたいで、私が作る時は必ず近くにいるようになった。私の手順を見ては顎に手を置いて、手順を繰り返し呟き、技術を盗もうとする後輩さんの勤勉さはこちらを感動させるには十分なのもので。だからという訳ではないけれど、何かの力になれたらと、三日目の最後の夜に、後輩さんへ私のお勧め料理レシピをまとめたノートを差し上げたら、とても喜んでくれた。
これで後輩さんの里での食料事情が向上すれば、私も嬉しい。
四日目の朝、部屋を出る後輩さんにお礼を言えば、後輩さんはこちらの方こそと微笑んでくれた。
最後に別れを惜しみながら、玄関先で別れた。
そのとき、後輩さんは「また」と手を差しだしてくれた。
「さようなら」じゃなくて、「また」と言ってくれた後輩さんの言葉が嬉しくも不思議で問えば、後輩さんは悪戯小僧の笑みを浮かべた。
「予感です。きっとあなたとはまた会うことになります」
どこか自信たっぷりの言葉に、私ははいと頷いて手を握りしめた。
本当の名前も顔も全く分からないけれど、後輩さんの予感を信じようと思った。
「イルカ、ただいま!!」
後輩さんと別れた後、入れ替わるようにマキが飛び込んできた。
「あ、おかえりなさい」
驚きながらも笑顔で出迎えれば、マキは破顔して私の腰に手を置くなり宙に持ち上げてきた。
「わ、わわ」
不安定な体勢に慌ててマキの頭にしがみ付ければ、くるりと一回転した後、床に下ろされ、ぎゅっと抱きしめられる。
「あー、イルカだぁ」
任務後でハイテンションなっているマキを笑いながら、こちらも抱きしめる。
「怪我はない?」
確かめるように背中を撫でれば、マキの体がさざめくように波打つ。小さく笑いながら、マキもこちらの安否を尋ねてきた。
「だいじょーぶ。イルカは? 何か変わったことはなかった? お腹の子は? 働き過ぎてないでしょうね」
矢継ぎ早に問うマキに苦笑する。これではどちらが心配掛けていたのか分からない。
「私も大丈夫。お腹の子も順調だよ。あ、そうそう、それにね。マキが頼んでくれた後輩さんにもすごいお世話になっちゃった。良い人だね。また、会おうねって約束したんだよ」
笑って報告すれば、マキは笑みの表情を浮かべたまま固まった。
さすが私の後輩と喜んでくれると思っていたのに、予想外の反応に戸惑う。
そのまま黙りこくったマキに不穏な気配を感じて、何となくマキから離れようとすれば、がしりと力強く腕を掴んできた。
一歩も引けない力強さにビビる。何がマキの不機嫌を誘ったのか全く理解できない。
「あ、あのマキ?」
窺う私に、マキは笑みを保ったまま視線を向けた。
ちっとも笑っていない目に何だかよく分からない怒りを浮かべ、マキは唸るように言った。
「……アンタさ。所構わず誑し込むの止めなさいよ?」
「は?」
マキの発言に開いた口が塞がらない。
女同士で誑し込むって何だろうというか、誑し込んだ要素というか必要性というか、全く自分の思いとはかけ離れた単語に呆れるばかりだ。
ぽかんと間抜け面をさらしていたのが気に食わなかったのか、マキは突如眦を吊り上げると怒鳴り声をあげた。
「『稀代の人誑し』って異名がこういうことだって、よぉく分かったよ!! こんの尻軽!! 後輩誑し込んで何するつもりだったの!?」
マキの言葉にカチンとくるばかりか、ぐわぁぁと怒りが沸いて出る。
仮にも教職者を捕まえて、尻軽とはなんだ!!
「何よ、それ!! そんな異名なんて知らないし、いつ私が尻軽行為したって言うのよっ。マキの感性狂ってるんじゃない!?」
ふざけたこと言うなと噛みつけば、マキは何ですってぇと逆上した。
結局、三日ぶりに会ったマキと、玄関先で派手な言い合いを繰り広げてしまった。
マキのバカ!!
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この小説で一番不幸なのは、オリキャラ、マキさんだと思います。
良かったね、カカシ先生、一番じゃないよ! ……うん。たぶん、きっと…。
ひみつ 14