「この一角全部買うから」
とあるデパートの中にある、ファッションに疎い私ですら聞いたことのある有名ブランド店でマキは正気を疑う発言をした。
店員さんはマキの発言に、一、二度瞬きを繰り返すと、笑顔を保ったまま確認のために話しかけた。
「こちらから、こちらまでの一角全てということでよろしいでしょうか?」
マキは鷹揚に頷くなり、胸元から一枚のカードを出した。
「もちろん。お支払いはこれで」
店員さんの笑みが一瞬崩れ、驚愕のためか目が見開いた。
マキが持っているのは、白銀の色に染まったカードだった。
「つっまんなーい」
ぷくーと頬を膨らませて机に肘を突き、責めるような眼差しをこちらに向けてきたマキへ、私はここで譲っては大変なことになるとばかりに難しい顔を維持した。
「つまるもつまらなくもないの! だいたいあんな大量の服を置く場所はないし、本来なら絶対買わなかったけど、マキの顔と店員さんの顔を立てて三着も買ったからんだからねっ」
どこのセレブだという無茶な買い方をしようとしたマキの口を塞ぎ、今のはなかったことにと取りなした一時間前のことを思い出し、眉間を揉んだ。
絶対買うと言い張るマキと、目の色を変えて色々と勧めてきた店員さんを言いくるめられず、当店一推しという、マタニティワンピースを三着も購入してしまった。
普段着の26倍はする値段だけに、素材といいデザインといい、これを着ただけで女としての魅力が40%はアップする一品だと思うが、いかんせんこのようなお洒落な一品をいつ着ていいのかが分からない。
セレブの方々のような社交場に行く訳でも、格式ばった会へ出席する訳でもない。
まさに私には無用の長物。悲しいかな、タンスの肥やしになるべき一品だった。
もったいないと小さくため息を吐けば、マキは頬を膨らませたまま不機嫌な口調で詰ってきた。
「本当に、買いでがない女だーね。資金は潤沢にあるのに何遠慮してんのよ」
マキの口振りに、根本的な考えが全く違うということに思い当たり、私はもう一度息を吐いた。
「資金があるっていっても、着る機会がない物を買ったって意味ないじゃない」
私の言葉に、マキの目が大きく見開いた。
「……着る機会ないってどういうこと? もしかしてアンタ、あれ着ないつもりなの?」
机から肘を退け、身を乗り出し詰め寄るマキへ、私は当たり前だと頷く。
「ああいうブランド物のワンピースなんて、普段には着ないよ」
何当たり前のことを聞いているのと笑えば、マキは心底不可解な表情を浮かべた。はて、マキの反応がおかしい。
「……女って常に綺麗でありたいもんじゃないの?」
「は?」
突拍子のない言葉に呆けた声が出る。
マキは眉を寄せたままなおも問いを続けた。
「常に着飾って、自分の男に優越感を覚えさせるのが、イイ女の努めじゃないの?」
何だ、それは。
ぽかーんと口を開けて、マキをまじまじと見てしまう。
なーんてねとか、冗談よという言葉を待っていたのだが、マキは私の答えを待っているままだった。
「えっと、その。確かにある一部の女性はそう思っている人もいるけど、……私はそういう考え方は好きじゃない、かな」
もしかしてマキはずっとそういうことを思っていたのだろうかと、知られざる親友の恋愛観にビビっていれば、マキは首を傾げた。
「一部? 私の知っている女は皆そう言ってたし、男は女の要望に応えるのが当たり前って顔してたけど」
おかしいと眉根を寄せたマキへ、私は悲鳴をあげたくなった。これはまずい。マキの周りにいる女性は一体どうなっているのだ!?
始終マキにくっついている訳ではなかったが、自分がマキの親友だと自負していただけに、マキの友人を知らなかったことがショックだった。
いや、だが、それよりもだ。もしかしてオリ先生にそんな態度で臨んでいるのではないだろうかと、不安になってきた。
「マキ、つかぬことを聞くけど、オリ先生にそういうこと言ってないよね? 奢ってもらって当たり前とか、そんな態度してないよね?」
祈るような気持ちで尋ねれば、マキは「はぁ?」と嫌そうな顔を見せた。
「なんでアイツなんかの世話にならなきゃいけないのよ。冗談じゃない」
きっぱりと否定したマキにほっと胸をなで下ろす。
良かったとしみじみと吐息を吐けば、マキは不可解だと言わんばかりに声をあげた。
「アンタ、変な女だーね。自分の金使わずに、贅沢なことしたり、うまい料理食えるのに、何で拒むの。アンタにとって損にはなんないでしょーが」
オリ先生にはしていないようだが、マキの根本的な考え方に少し悲しくなった。
自分の彼女が自分の金で綺麗になるのが、男として嬉しいという考え方もあるのかもしれない。否定するつもりはない。私だって、自分があげたものを着てくれて男振りがあがったら嬉しい。でも。
「そりゃ、たまになら嬉しいし、私だって喜ぶよ。でもね、当たり前になるようなやり方は嫌い。ねぇ、マキ。当たり前ってね、すごく恐いことなんだよ」
私の言葉はマキには理解不能だったようだ。
何言ってんだと訝しむマキへ、小さく笑う。私の当たり前は、両親だった。
「本当はね、当たり前なんてものはないの。当たり前になるように、その裏で誰かが努力したり傷ついたり、涙だって流してる。それに気付かないで、ただただ受け入れていたら、行く先は後悔しか残ってない」
マキの目をまっすぐ見つめる。マキは戸惑いながらも私の話を聞いてくれている。
これだって当たり前のことじゃない。私がマキに話したいと思って、マキが私の話に耳を傾けたいと思っていない限り、成立しないものだ。
「あのね、誰かが言っていたんだけど、『ありがとう』の反対は『当たり前』なんだって。それ聞いたとき、私もそうだと思ったんだ」
机の上にあるマキの手を上から握る。一瞬びくついたように震えたけど、私は気にせず握りしめた。
「こうしてマキがいることだって当たり前なんかじゃない。マキが、いっぱい頑張って、歯を食いしばってここにいることを望んでくれた。血反吐吐く思いとか辛いこととか、いっぱい泣いたことだってあると思う。諦めかけたことだってあるかもしれない。でも、マキはここにこうしていてくれている。だから、私は当たり前なんて思わない」
マキの目が揺らぐ。私はまっすぐにマキを見つめて、握っている手を持ち上げて両手で包み込んだ。
「ありがとう、マキ」
生きることを諦めないでくれて、努力をしてくれて、私の側にいてくれることを望んでくれて。
「ありがとう」
心の底から感謝した。いつでも感謝しているんだと笑えば、マキは不意に顔背けて、ぶっきらぼうに言った。
「……バカじゃないの、アンタ」
憎まれ口を叩くものの、マキの目は真っ赤だ。もうバレバレなのに気付かれたくないのか、音もなく鼻を啜ろうと四苦八苦するマキの意地っ張り具合に笑えば、横から遠慮がかった声がした。
「あのー、ご注文の品を持って参ったのですが…」
私がマキの手を握っているために、卓に置けずに困っている店員さんに私は慌てて手を離し、マキは渡りに船とばかりに空気を一新させるかのようにわめいた。
「あー、おなか減った! ちゃっちゃと食べて、買い物の続きするわよっ。まだ、ワンピースし買ってないんだからね!」
本当だったらこんな安さだけが売りの定食屋じゃないところに行くつもりだったのにと、ぶつくさと文句を言いつつ、マキは鯖定食を受け取る。
店員さんのいる前でなんてことをと小言を言う直前、マキは斜め前の床を睨みつけ口を開いた。
「今度、まとまった時間が取れたら、あの服着てもおかしくないところで外食するよ。……たまになら、いいんでショ」
あれ着ないなんてもったいないからねと、ぼそぼそと小さく言葉を続けたマキに、笑みがこぼれ出た。
私の考えを理解して、譲ってくれたマキの気持ちが嬉しくて仕方なかった。
あの服ならさぞかしお高いところでの外食になりそうだけれど、次の日から質素倹約に努めれば一回くらいならいいかと、自分の甘えを許すことにする。
「うん、楽しみにしてる。ねぇ、マキ」
口では文句を言っていたけど、美味しそうに鯖の味噌煮をほおばるマキの視線があがったところを見計らい、私は笑って言った。
「ありがとう」
直後、マキは面食らったように目を見開いて、顔を真っ赤に染めた。
一瞬の出来事に思わず吹き出せば、マキは照れ隠しのためか、バカを連呼してきた。涙目になっているし、それしか言わないから、精神的に堪えないばかりか逆に可愛くて仕方なかった。
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この度、短いです…。
そして、そろそろ終わりが近い…!!
ひみつ 17