「本当にありがとうございました。大好きですよ、カカシ先生」
笑顔を向けたイルカの瞳から、丸い涙が落っこちた。
やけにゆっくりと落ちるそれを眺めながら、イルカの隠された言葉を聞いた気がした。


さようなら、カカシ先生。


両脇を捕まれ引きずられる。抵抗する気力さえ沸かなかった。
イルカの姿が小さくなっていき、やがて病室の戸がオレの鼻先で閉じ、その姿を見えなくさせた。


思うことは、ただ一つ。


どうして、こんなことになったんだろうか。


******


「……先輩、いい加減にしないと里の女に殺されますよ?」
ちょっとしたいざこざに巻き込まれ横腹に切り傷を作ってしまった。
元暗部の、今は医師として働く後輩を頼れば、ぞんざいな手つきで治療してくれた後、非常に不機嫌な顔を向けてきた。
「ん〜? こんなんで死ぬわきゃないでショ? こんなのパフォーマンスよ、パフォーマンス」
なんだかんだとオレに群がる女たちは、この写輪眼が身を挺して自分たちのために傷ついたという事実があれば満足してくれるのだ。
例えそれが、オレが原因で作った痴情のもつれだとしても。
オレの考えていることが分かったのか、後輩のオリは伊達めがねの上から眉根を押し揉んでいる。
「まぁ、先輩が嫉妬に狂った女に殺されようが、おれは別に構いはしないんですが、今のおれは暗部とは何ら関わりない、しがない医師の一人なんですよ。夜中とはいえ、そうほいほい写輪眼のカカシがおれを頼ってきてるなんてことがバレたら、色々とまずいんです」
暗にここへ来るなと告げる、後輩に肩をすくめた。
「つれないねぇ。というか、お前の関心事はマキちゃんでしょう?」
長期任務になる度に、オリが見ていた写真の女を思い浮かべる。幼なじみでまだ恋人関係には至ってないらしい。
とっとと襲えよと暗部仲間がけしかける中、オリは大事にしたいと全く耳を貸さなかった。そんなオリを今時珍しい純情青年だと、からかっては遊んでいたっけ。
にやりと笑ってやれば、後輩はこちらを真っ向から見返してきた。おや、真剣な目だこと。
「そうですよ。やっとおれのことを異性として見るようになったんです。些細なことでも今の関係にヒビが入るような情報はつみ取りたいんです。言っときますが、マキに手を出したら、右腕一本は必ず持っていきますからね」
鋭いまなざしをこちらへ向けるオリの目は本気だった。
オレに臆することなく堂々と意見するこいつのこういうところがオレは気に入っている。
暗部の後輩なんて、ほとんどオレに心酔する者ばかりで鬱陶しい時がたまにある。


「やんない、やんない。可愛い後輩の思い人に手を出すなんてそんな非人道的なことするわけないでショ?」
綺麗にふさがり、傷があったことさえ分からない脇を撫で、上げていたアンダーを下ろす。
またこいつ腕あげたなぁと胸の内で感心していれば、オリは小さく舌打ちをした。
「猿面の彼女に手ぇつけた人が何言ってんです?」
おや、バレていた。
「あいつ、先輩なら仕方ないとか、同じ穴兄弟かなんて、気色悪いこと抜かしてましたけどね。もうすぐ上忍師として里在住になるなら、最低限の常識を身につけてくださいよ」
先輩に使う薬品がこれ以上増えたら怪しまれると、ぶつくさ文句を言うオリへ、オレは素直に返事を返した。
「はーい。それじゃ、世話になったね。また来るよ」
来るなと怒鳴りつけられた声を最後に、オレは瞬身して病室を後にした。


冷たい夜気を吸い込み、静まり返った民家の上を飛ぶ。
さぁて、今日はどこへお邪魔するかと考えたのも束の間、昼に流し目で挑発してきた、赤い髪の女が脳裏に浮かんだ。
はちきれんばかりの胸とおしりが魅力的なくのいち。
暇だったらいつでも来てと、自宅の住所を呟いた甘い声を思い出し、腹の底から劣情が沸く。
オレもまだまだ若いもんだと笑いをこぼし、屋根の上から地上へ下り、教えられた住所に向かって歩く。


暗部から解放され、里に帰ってきたオレは今、上忍師としての役割を期待されている。
けれどオレが出す下忍試験に合格したものは誰一人いない。このままいけば、また暗部に復帰するのも遠い未来ではないだろう。
暗部の時はそれ専門の郭を利用していたが、里では色々な女を相手にできる。
自由恋愛、なんて良い響きだろうか。
郭の女のような仕事に徹した付き合いは、後腐れなく快感だけを享受できて楽は楽なのだが、里の女とは食うか食われるかの駆け引きができておもしろい。
オレは一時の快楽を、女は写輪眼の彼女、または妻の座、そして子種を狙う。
ぎらぎらとした欲を伏せ、いかに自分の思い通りに相手を動かすか、いかに相手を自分に溺れさせることができるのか、命のやりとりはまた違う、緊迫した空気がオレは好きだった。


今のところは連戦連勝。
オレに溺れて、愛をこう女は鬱陶しいけれど、甘く都合のいい言葉とたっぷりと気持ちのいい閨。そしてちょっとした怪我だけ見せれば、女たちは涙を流してオレに別れを告げてくれる。
「大好きだったわ。今までありがとう」と言葉を残し、涙も乾かぬうちに、女たちは新しい男の元へ去っていく。
写輪眼が私のために傷ついてくれた、それで満足する女たち。
ほっとするのと同時に唾棄もする。
大好きなんて言葉は嘘っぱち。お前らはただ単に写輪眼という、自分のステータスがあがる上忍と遊びたかったんでショ? 運良く子種がもらえたら、写輪眼の子の母親という、里が一目置く存在になれると思ったんでショ。


「ま、ここにいられる間は、思う存分遊ばせてもらおうか」
どうせ暗部に戻れば、こんな刺激的な遊びはできなくなる。
またオリに迷惑かけちゃうな〜と、口布の下で嘯きながら、オレは今日の遊び相手の部屋の戸をノックした。


******


「初めまして、うみのイルカと申します」
輝かんばかりの笑顔を向けられて、オレは一瞬言葉に窮した。
褒めて褒めてとまとわりつく子供たちに、瞳を潤ませ、「良かったね」と抱きしめたり、頭を撫でたりとせわしなく動く女は、子供たちの元担任という。
ナルトの自己紹介時に出た名前は、この人のことだったんだと頭の片隅で考えつつ、初めの挨拶以降、オレを放って子供たちを構い倒す姿を呆然と眺めていた。
ナルトとサクラは言わずもがな、オレにひねくれた態度を見せるサスケさえも、この人へ素直に甘えていることが少々驚いた。
「それでは、失礼します。ーー今日は受かった皆でお祝いしようね。みんなの大好きなもの作るから」
先生、懐具合が厳しいから、一楽はまた日を改めてねと、騒がしい子供たちを引き連れ、去っていく姿をオレは呆然と見送った。


「イルカ先生って、変な人だーよね」
下忍試験が終わり上忍師となっても、上忍としての任務はあるため、待機をしなくてはならない。
本日、オレと同じく上忍師となった面々が思い思いに過ごす中、ぽつりと言えば、周りの視線がこちらを向いた。
『……は?』
出る言葉も同じで、オレはこいつら仲良いなと近場に座る仲間たちを見た。
「だって、オレのことそこら辺の忍び扱いするんだもん。普通に考えたら、変な女でショ?」
暗に女という人種は、総じて写輪眼のオレに首ったけだと告げれば、揃いも揃って深いため息を吐いてきた。
やだねぇ、事実でしょーに。
「……色々と聞きたいことはあるが、里在住となったお前に一つだけ言っておく」
熊のような立派な体格のアスマが、珍しく口癖も吐かずにオレの方ヘ身を乗り出すなり、低い声を発した。
「遊びでイルカに手ぇ出したら、両目ともくり貫くぞ」
一瞬、ズンと重苦しい気がその場に満ち、跡形もなく消えていく。
は? と聞き返す前に、今度は髭熊アスマの隣にいる、魔女紅も口を開いた。
「私からも一つ言わせてもらうわ。遊びでイルカちゃんに手を出したら、その玉、破裂させるわよ」
血が滴るような色の爪をオレの下半身に向ける紅に、首を捻るしかない。
今日初めて会って、しかも変な人だねと言っただけなのにどうしてこんなにも過剰な反応を示すのだろうか。


不思議そうな顔をしていたオレに同情したのか、熱く共感したのか知らないが、濃い顔のガイが暑苦しいまでにオレへ接近して滂沱の涙流した。
「青春だなぁ、カカスィ!! イルカは高嶺の花というより、羽ありさまだからなっ! その恋、オレのライバルとはいえ困難を極めるぞっ」
ばしばしと遠慮なく肩を叩くガイから、変わりの術で抜け出した。
「つれないぞ、カカスィ!」とわめく声を片手で振って、一体どういうことなのと比較的まともに話しができるアスマと紅に視線を向けたが、二人とも威嚇せんばかりにオレを睨んでいて話しにならなかった。


「えー、今ならうみのイルカについての基本情報、1,000両にて販売中。おまけに隠し撮り、火影さま公認の写真も一枚お付け致しますよ〜」
なぁにぃ! とにわかにざわめきたった待機所に、オレは呆気にとられる。
情報はいらん、写真をくれとわらわらとアオバに集まる面々を眺めていれば、アオバはまいど〜と声を掛けつつ、こちらに視線を向け、来い来いと手招きした。
わざわざ金を払わなくてもこいつらが喋ればと視線を向けたが、二人は厳しい顔を崩さなかった。
仕方ないねーと頭をかきつつ、オレはアオバの元へと進む。
「お前、汚い商売すんねぇ。というか、特別上忍なんだから金稼がなくてもいいでしょーに」
呆れつつ望みの金を手渡せば、アオバは黒いサングラスをきらめかせ、はっきりと言った。
「それはそれ、これはこれです。実益と趣味を兼ね備えているんです」
これが何の趣味になるんだ?
特別上忍より階級が上になると、ほぼ変人で構成されるため、まともなオレは時々肩身が狭くなる錯覚を覚える。
写真と一緒に作りの荒い小冊子を手渡され、やれやれとため息を吐きながらページをめくる。
ぱらぱらとうみのイルカの情報を読み流す。


どれもこれも基本情報の枠から飛び越えないものばかり。
今までの経歴、家族構成、身長などの簡素なプロフィール。忍者登録書にまとめられたものと大差ないそれに、ふーんという言葉しか出てこない。
だが、最後の2、3ページに差し掛かったところで、箇条書きにされた条令なるものが目に飛び込んできた。
「……羽あり様に関する遵守すべき条令?」
見出しに書いてあるその下には、三代目火影の印が押してあり、これは里ぐるみで守るべきものとして定められていることを知る。
冗談だろうと目を見開けば、アオバはサングラスを指で押し上げながら補足説明をした。
「はたけ上忍もご存じの、素行の悪い上忍。この条令に違反し、前線送りになりました」
上忍という地位を利用して、目下の者をいたぶっていたあいつかと頷いたものの、それでも信じられずに嘘だろうと呟けば、写真を買った一人であるゲンマがトレードマークの楊枝をぴこぴこ上下に動かしながら口を挟んできた。
「冗談でも嘘でもないすよ、カカシさん。うみのイルカこと羽あり様は、里じゃ不可侵の女神ですからね。里在住者じゃない者は羽あり様とは会えない仕組みにもなってんすよ。カカシさん、今までうみのイルカのことを全く知らなかったでしょ?」
ゲンマの言葉に、眉根が寄る。
確かに、うみのイルカという人物は今日初めて会ったわけだが、里勤務の中忍のくノ一を知らないことなんて、ざらにあることだ。しかも。
冊子の下にある写真を取り出し、見つめる。


さきほど会った同じ顔。
ただし、写真の中では、正規服ではなく、アカデミーの授業の一環か、頭に三角巾を被り、割烹着を着て料理をしている姿だった。
ひっつめ髪に、顔を横切る鼻傷。
目を見張るほどの美人というわけでもなく、ずば抜けて可愛いというわけでもなく、かといって顔が悪い訳でもなく、平凡といっていい顔だ。
強いていえば、女の柔和そうな雰囲気が写真の中からでも読みとることができる。癒し系と言われたら、まぁそうかなと思うくらいだ。


周りに視線を向ければ、「やっぱり羽あり様は割烹着だよな〜」と浮ついた空気で語り合っている。
「でも、白いフリルのエプロン姿も見てみたいな」と言う言葉に、賛成派と反対派が瞬く間に出来上がり、男も女も一緒くたに激論を交わしていた。
一人の中忍くノ一の話題で、こうも上忍連中が感情を露わにするのは珍しいというより、気味が悪い。
「……給食のおばちゃんか、おかんみたいな女にどーしてこうも熱くなれんのよ」
バカバカしいと小声で呟いた言葉は、耳聡い上忍連中には漏れなく聞こえていたようで、一斉にこちらへ視線が向いた。


「な、なによ」
突如としてこちらへ視線が向く連中に、らしくもなく声が上擦る。
てっきり怒られるかと思ったが、次の瞬間、上忍待機所は爆笑に包まれた。
「さっすが、写輪眼カカシー! いや、いいよ。お前はそのまま突き進め」
「なら、カカシ。私と今晩どう? いい夢みせてあげるわよ?」
「あ、ずるーい! 私も私も」
オレの一言で、どこか緊迫していた空気が途端に緩んだ感じを受けた。
わずかな違和感を覚えながらも、今夜の相手を所望する上忍の綺麗どころに囲まれ、オレはまぁまぁいい気分になる。
日替わりでもいいの? と軽口を叩くオレに、きゃらきゃらと笑う女たちの後ろで、アスマと紅が安堵の息を吐いたことをオレはそのとき気付かなかった。











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カカシ視点の話は、ほんの少しシリアス傾向になります。
よく考えたら、イルカ先生特殊設定入ってました……。
また話がでかくなるなぁ…(=口=:)





公然の秘密 1