「あ、イルカ先生、今晩どう? 飲みに行かない?」
校門から出て歩いていると、見覚えのある尻尾を発見した。
一日中ちびっこどもの相手をしただろうに、イルカ先生は今日も正規服を乱れもせずに、びっちりと着こなしている。
この人が着崩したところは見たことないなぁと、髪も綺麗にまとまっている様を見つめていれば、振り返ったイルカ先生は困惑した顔を見せた。ん?
イルカ先生の目がオレの右腕に注がれている。そこで、あぁと思い出す。
校門から出た途端、「今晩どう?」と絡みついてきたのだった。
今、思い出したとばかりに視線を向ければ、忘れてたのと不機嫌そうにこちらを睨む瞳とぶつかった。
「あー。じゃ、アンタは、飲みが終わった後でーね。いつもの場所でいいでショ?」
軽く言えば、女はどうしようかなと渋る顔を作った後、人差し指を唇に当て、上目遣いでこちらを見つめてきた。
「私、新作のバッグが欲しいのよね〜」
堂々とねだる女にはいはいと頷く。その言葉に「やった」と小さく飛び跳ねるなり、女は腕を放した。
「邪魔してごめんなさいね、イルカ先生。あ、それと」
女は一端離した体をオレに再接近させ、笑った顔で妙に真剣な瞳を向けてきた。
「おいたしちゃ、ダメだからね?」
またかと思いつつも、オレは当たり前でショと首をすくめてやる。そこでようやく安心したのか、女は体を離し、それと同時に投げキッスを送ってきた。
「じゃ、待ってるから」
それに笑って応えてやり、顔をイルカ先生へと向き直す。すると、イルカ先生は何とも言えない表情を浮かべ、女の後ろ姿を見送っていた。
「どうしたの?」
オレの声で我に返ったのか、イルカ先生は微かに体を震わせると、非常に情けない顔でオレを見る。ん? 何なのかねぇ。
何かを訴えるような視線を向けてくるが、ちっとも分からない。無言で顔を見つめていれば、イルカ先生は諦めたようにため息を吐き、小さな声で言った。
「前からも言ってますが……。お食事もあの方とされてはいかがですか?」
へにょんと情けなく寄せられた眉が、使役している忍犬の困った顔と重なり、思わず頭を撫でてしまった。
「カカシ先生! もう、何でそうやって前触れもなく頭撫でるんですか! 私は真面目な話をですね」
ぷんぷん怒りだしたイルカ先生に、オレは破顔する。今日も元気いいね〜。
「はいはい、その話も飲みながら聞くからさ。アンタ、今日、給料前で金欠なんでショ? 今日こそ、オレに奢らせてよね〜」
「ちょ、ちょっと、カカシ先生!!」
ふんばろうとするイルカ先生の腕を掴んで、無理矢理引きずって、居酒屋を目指す。力負けして地面を滑り、情けない声をあげるイルカ先生を笑い、オレは上機嫌に歩きだした。
イルカ先生と酒を酌み交わして以来、オレは何度となくイルカ先生を誘っては飲みに行っている。
上忍連中からは、イルカ先生を嫌っていたはずではなかったのかと詰め寄られたが、誰も嫌っているとは言っていないのーにね。
抜け駆けしやがってと性別年齢関係なく、周りのやっかみには目を見張るものがあったが、口で言う割には実力行使で阻止されることは一度もなかった。
後に世話好きの髭熊から聞いたところによると、羽あり様に声を掛けることができるのは、18歳未満の子供、同僚や昔からの友人、家族に類する者のみという規制が設けられており、それ以外が話しかける場合は必ず二名以上という取り決めがあるらしい。
今年、上忍師となったオレは、広い意味で先生という位置にあたり、同僚となっているようだ。よって、決まりには反しないため見逃されていると言われた。続けて、男女の関係になることは厳禁と忠告された。
やれやれ、オレはあの人とはそういう関係になりたいって思ってないってのに。
羽あり様の家族に類する者である、アスマの言い分によると、羽あり様関連の上層部会員という者たちが、オレに関して話し合いをして最終決定を下したという。
その会員って何なのさと聞けば、信じられないことに、木の葉に住む者たち全員という答えが返ってきた。
おいおい、それって絶対知らない奴いるだろうと言えば、年頃になれば嫌でも周りから教わるとのお言葉だった。
本当にこいつら何考えちゃってるんだろうねー。あんのクソ狸爺の職権乱用って線が一番有力だと思うけども。
イルカ先生に声を掛ける度、先ほどの女しかり、変な牽制が入ったりして至極面倒臭いことになっている。だが、面倒臭がりなオレにしては、そんな面倒なことを越えてもイルカ先生と飲もうと精力的に誘っている。
体目的の女のように気遣う必要もないし、何となくだがイルカ先生と一緒にいると気持ちが落ち着くのだ。それこそ何年来の友人と接しているかのような心地になる。時折訪れる沈黙も心地良いくらいで、これには驚きだ。
女とは体のお付き合いメインでいいと考えていたのに、こうして話すだけで満足というのも、我ながらおかしな感じだった。
性格が円くなったのかねぇとくつくつ一人で笑っていれば、熱弁を振るっていたイルカ先生が目敏く見つけ、眉根を寄せた。
「カカシ先生、また私の話聞いてませんでしたね! 無理矢理連れてきたんですから、話くらいはちゃんと聞いてください!!」
割り勘じゃないと入りませんー! と、出入り口でごねたイルカ先生に折れ、初めて一緒に飲んだ居酒屋の奥座敷にて、オレたちは酒を酌み交わしている。
むぅと心持ち頬を膨らませる仕草が子供っぽくて、つい頭を撫でた。
「聞いてますって、オレの女関係がふしだらだって言うんでショ。ま、否定するつもりはなーいね。一夜だけの関係を望んでるし、そういうのを望んでいる女としか遊ばないし」
オレの言葉にイルカ先生の眉間の皺が深くなった。今日はいつもより酒量が多いせいか、頭を撫でていてもたたき落とされない。
飲み初めてしばらくした後、イルカ先生は額当ては取った。いつもきっちりと着こなしているイルカ先生がそれを取るだけで、オレには気を許してくれているみたいで嬉しい。
オレも取りたかったけど、一応二つ名を持つ身を考えて額当てはそのままに、その代わりとは言っては何だが、いつもつけている手甲を外している。
チャンスだと、忍犬を撫でる要領で頭や顔を揉み撫でた。おぉ、結構良い感触。もち肌なんだーね、イルカ先生。
頬を揉み込んでいれば、さすがに異変に気づいたのか「なんれすかー」と文句を言ってきた。それでもたたき落とさないので、まぁまぁまぁと適当な言葉を掛けて撫でまくる。
「むぅ」
眉間の皺は深いが、おとなしく撫でられるイルカ先生はパックンを思い出させる。
時折パックンの頭を撫でると「なんじゃいきなり」と渋い顔をしてみせるが、感情を表す短い尻尾は気持ちいいと左右に激しく振られており、それが何とも愛らしい。
案外癖になる肉付きのいい頬をむにむにと触っていれば、イルカ先生は喋りにくそうに口を開いた。
「一人の人とじっくりおつき合いっていうのは考えたことないんですか?」
おや、今宵はやけに突っかかる。
いつもなら、オレの女癖が悪いことを不快には思ってはいても、少したしなめる程度で話を変えていた。
どういう心境の変化かなと思いつつも、いつもとは違うイルカ先生が見たくて話に乗ってやる。
「そうだねぇ。ま、ぶっちゃけ面倒くさいよね。人生あっけないんだし、色々と楽しんだ方がお得でショ。一人の女に縛られるなんて真っ平御免だーね」
にっと笑えば、イルカ先生はふぅーと重々しいため息を吐いてきた。
「かかっせんせーは、遊び人なんですね〜。花から花へと移りゆく蝶なんですねぇ」
ジト目で見られ、そうよ、オレは蝶だーよと肯定した。するとイルカ先生は如実におもしろくないと顔を歪ませた。
はは、ぶっさいくー。
どこまでぶさいく面になるだろうかと、横に引き伸ばしたり縦に伸ばしたり、豚鼻にしたりと色々遊ぶ。
イルカ先生はされるがままで、オレに変顔をこれでもかと披露してくれた。うわー、これ女としてどうなのよー!
堪えきれずに吹き出したところで、イルカ先生は自分の身に異変を感じたのか、ていっとオレの手を払ってきた。あー、残念。も少し遊びたかったのにーね。
油断も隙もないと、いささか憤慨しながら米酒を口に運ぶイルカ先生に笑えた。忍びが油断してどうすんのよー。
ま、それだけリラックスしてくれてるってことだよねと、オレも米酒を口に運ぶ。
とろんとした目つきでイルカ先生は卓に置かれた食べ物を見つめ、「これはノルマが必要だ」と呟いた。一体何を言っているのかと思えば、イルカ先生は食べかけの皿の料理をおもむろに分け出すと、オレの前と自分の前に置いた。そして、黙々と皿のものを食べ始める。
「どしたの?」
真顔で口の中に料理を入れるイルカ先生の行動が理解できずに尋ねる。するとイルカ先生は「食べています」と分かりきったことを言ってきた。こりゃ、相当酔ってんのかね?
ビール瓶1本に、米酒3合か。
横目でイルカ先生が今宵飲んだ酒量を確認し、酒の限界量を見当つける。
リスのように頬を膨らませているのに関わらず、真顔で咀嚼するイルカ先生はシュールな絵を見ているようで笑えた。この人、酔うとまたおもしろいなぁ。
「そんなに腹減ってんの?」と追加料理を注文してやろうとメニュー表を広げれば、イルカ先生はカッとこちらに目を見開き固まった。
衝撃を受けた! と全身で表すイルカ先生が妙にツボった。笑いを耐えながら「なんなのよ」と尋ねれば、イルカ先生は目にも留まらぬ早さでオレからメニュー表を奪い、後ろ手に隠した。もう、何なのこの人〜ウケるー。
頬に詰め込んだ料理の咀嚼を通常より早め、飲み込むと、顔を青くさせ悲鳴のような声をあげた。
「正気ですか、カカシ先生! 料理はまだこれだけあるんですよっ。言っておきますが、私はこのノルマ以外はもうお腹いっぱいで入りませんっっ」
ダンと机を拳で打つその真剣な様子にぷふふふと口から息が漏れでる。
そっちはカカシ先生が責任もって食べてくださいよと、オレの目の前に置かれた皿を必死で指さすイルカ先生に、悪戯心が擽られた。
「えー、オレ、これ飽きた〜。他の物食べたーい」
目の前に置かれた皿をイルカ先生の前へ押し退け、上忍の素早さを生かしてメニューを奪い取る。
え、え、と後ろ手に持っていたメニューがなくなったことを何度も確認しているイルカ先生を尻目に、店員を呼ぶボタンを勝手に押す。
ちょうど手が空いていたらしく、店員はすぐに来た。
「ご注文、どうぞっ」と、軽快な声を掛けてきた店員に、メニューを広げながら、適当に指を指し示せば、イルカ先生が奇声を上げながら這ってくる。
「いにゃぁぁぁぁ!!! 違います、お冷やです! お冷やですよね、カカシせんせー!?」
わたわた慌てながらメニューを半泣きで奪い取ろうとするイルカ先生の手をかわし、「えっとねぇ」と大盛り焼きそばに指を止める。
「水ですー! 水ー!!」
イルカ先生を背中でせき止めて、店員と向かい合えば、背後から手が伸びてきた。だが、残念だけれども腕のリーチが違いすぎて全く届いていない。
肩口から身を乗り出し、手を掻くイルカ先生の慌てぶりに内心大笑いだ。顔に出ていたのか、店員は苦笑をこぼし、オレに視線で問うてくる。
ギャーギャー騒ぐイルカ先生には聞こえない声で「30分後に水二つ持ってきて」と言えば、「承りました!」と店員は障子を閉めて出ていった。
「何てことすんですかぁぁ!! もったいないお化けが出ても知りませんよー!?」
肩を掴んで揺さぶってきたイルカ先生に、ケタケタと笑ってしまう。笑い事じゃありません! と、たかが注文一つで本気で怒るイルカ先生が愉快だった。あー、おもしろすぎる。
ぶちぶちと文句を言っていたが、オレが素知らぬ振りで酒を飲んでいると、やがて言ってもどうにもならないことを悟ったのか、悲壮な気配を醸し出して「これで太ったら、カカシ先生を恨みます」とオレのノルマの物を食べる決意を固めていた。
その後、オレが注文していたのが水だということに気付いた時には、イルカ先生は自分のノルマは食べ終わり、オレの分のノルマも四苦八苦しながらほぼ食べ尽くしていた。
店員が水を持ってきた時の、イルカ先生の愕然とした表情は最高だった。
本日一番の笑い声をあげたオレに、イルカ先生は顔を真っ赤にして怒った。
「カカシ先生のバカぁあぁ!!!」
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カカシ先生は好きな子をいじめるタイプだと信じています…!!
それにしても、話が進まない…。次こそは、進めるぞー!!
公然の秘密 4