「ご苦労であった。約束通り全て話そう」
つつがなく完遂した任務の報告をすませば、本題に入ろうと自ら口を開いた。
もっと焦らされるとばかり思っていただけに、少し拍子抜けしたが、この狸爺のことだ。本題に入ろうとして煙に巻く可能性もある。
すっかり疑心暗鬼になったオレに構うことなく、三代目は淡々と告げた。
「結論を先に言う。お主はうみのイルカを手に入れる資格を得た。以後、里は口を挟まぬ。双方の自由意志に任せる」
突然の言葉に面食らう。何の話をしているのか、一瞬見失いそうになる。
問い返すことも忘れ戸惑うオレを、三代目は鼻で笑った。
「今まで無自覚にもおぬしがした行動はの。うみのイルカの伴侶候補として名乗りをあげたことに他ならん。わしは火影として、ふさわしい者か試したに過ぎぬ」
イルカ可愛さに嫌がらせされたとでも思っておったろうと、こちらの心情を言い当てられ、おもしろくない感情が過ぎる。
「……なぜ、里がイルカ先生を管理しているんですか?」
異常だ異常だとは思っていたが、里が管理すべき人物ならば、周囲のいきすぎた行動は理解できる。ただ、里が管理するにしてはひどく甘い処置だとは思うが。
オレの問いに、三代目は自嘲気味に息を吐いた。皺だらけの顔が持ち上がり、困ったように眉が下がる。苦笑にも近いそれは、どこか戸惑っているようでもあった。
「イルカは異様に人に好かれると思わぬか?」
前触れもない問いに首を傾げつつも肯定する。老若男女、ありとあらゆる人がイルカ先生に好意的な感情を抱いているように見えた。よくよく考えれば、イルカ先生の悪口や陰口を聞いた覚えがない。
里が管理する理由がそれだと言われた気がして、眉間に皺が寄る。
ふざけているのだろうかと思っていれば、三代目は表情を崩さずに言い切った。
「イルカは敵忍にすら好かれる。どれだけ優秀な忍びであろうとも、イルカと数日過ごせば傾倒する」
にわかには信じられない話だった。
困惑するオレの心情を承知したように、三代目は頷く。
「初めはわしも半信半疑じゃったよ。容姿も秀でて美しいわけではない。特殊な術や、人を籠絡する特別な技を拾得しておるわけでもない。ただ、イルカは意識せずに人を誑し込む。……一度、花街へ潜入任務へ行ったことがある」
三代目の言葉に戸惑う。花街に行かせたにも関わらず、イルカ先生の体はオレが抱くまで清らかだった。
オレが何を考えているのか分かったのか、三代目の瞳に一瞬剣呑な光が宿ったが、すぐにそれは消えた。ま、確かに木の葉の里の長をここまで沸点低くさせるのは、大したことだとは思うけども。
三代目は引き出しから煙管を取り出し、火をつける。深く息を吸い込み、煙を肺まで送り込んだ後、ゆるゆると白い煙を口から吐き出した。
「定期的な情報収集としての任務で、市井の声を聞くのが主じゃった。一番下の切見世女郎として任についたが、一ヶ月足らずで格子女郎まで上り詰めおった」
複雑な表情でぼやく三代目はもはや里長の顔はなく、身内の心情を語っていた。
今でさえ猫可愛がりしているのに、まだ幼いイルカ先生に傾ける思いは今以上に強いものがあるだろう。当時の心労は今の比ではなかったのだろうなと、何となく思う。
「『伊勢屋の天女』。遊び人のお主なら聞いたことがあるじゃろ?」
言われた二つ名に目が見開く。
当時、暗部に所属していたが、その名はオレの耳まで入ってきていた。
女郎が売るのは己の体というのが当たり前というか大前提にも関わらず、その女郎は客と話だけをする。
郭に来て共寝しないバカはいないだろうと眉唾話の類かと馬鹿にしていたが、ある事件が起きてそれは事実だと知り、一回くらい会えば良かったと後悔した覚えがある。
「……では、あの一件は三代目が絡んでいるのですか?」
呆れた顔を見せれば、三代目はおもしろがるように笑った。
ある事件とは、伊勢屋の売れっ子格子女郎を巡り、殺傷沙汰となった事柄だ。
身請けしたいという男たちが殺到し、あわや男たちの殺し合いが始まろうとしたとき、件の女郎が刃物を持つ男たちの前に身を投げ出した。
「私のために傷つかないで」といまわの際に言葉を残し、女郎は死んだ。その場にいた男たちは、自らの命を捨てても争いを止めた女郎のことを「天の女」と呼ぶようになり、「伊勢屋の天女」と当世美女の一人として数えられ、語り継がれることとなった。
「悪趣味過ぎやしませんか?」
ナイーブな男たちの夢をでっちあげるなんてと、自分も一瞬憧れを抱いた理想の女像が壊されたことに文句を言えば、三代目はおかしな反応をした。
おもしろがっていた顔を曇らせ、悲しそうに目を細ませる。
戸惑うオレに構わず、三代目は物思いにふけるようにキセルをくわえた。
「体よくイルカを抜けさせるために、わしが計画したんじゃが、素人の本気とやらを見くびってしもうた。本来ならば仕込みの忍びの刃に倒れる手はずじゃったが、その前に一般人同士のいさこいが始まっての。イルカはそのただ中に自らを投げ込みおった」
三代目の言葉に一瞬血の気が引いた。戦いを知らぬ素人ほど何をするか読めないのは事実だ。
ここにと、三代目は己の左胸あたりに親指を当て、苦々しい言葉をぽつりとこぼした。
「今でも消えぬ傷が残っておる。チャクラで保護はしておったようじゃが、危うかった」
そのときのことを思い出したのか、三代目の顔色は少し青ざめていた。
三代目の顔を見ながら、熱に浮かされ抱いたあの夜のことを思い出す。
抱きしめ、愛撫した体は、くノ一にしてはやけに傷が多かった。
熱を持つと薄く色づくその傷は、オレの劣情を煽るものだったけれど、話を聞いた今、
もう一度この手に抱く時は意味合いを変えるだろうと予感した。
三代目は訥々と語った。
今までイルカ先生がいることで起きた騒ぎを。
それはほぼイルカ先生に好意を寄せるが故に起きた争いだった。
三代目が語るイルカ先生の周囲の者たちは、誰もがイルカ先生を求め、側にいることを願い、そして最後は力付くで物にしようとした。
腕力でも権力でも男の方が力を持つことが多いために、男たちの争いが多く目立ったが、女も子供も年寄りも、例外なく望んでいたと重々しく呟いた。
「傾国の美女とは、もしかするとイルカのような者を言うのかもしれん」
呟いた言葉に、顔を上げる。
三代目は里長の顔でオレを見た。
「上層部ではの。異様に人好きされるイルカを使って任務を遂行してはどうかと話があがった。妙案じゃろ。失敗してもくノ一一人を失うだけ。試験的に使ってもいいのではないかと、後は認可するだけとなった。じゃが」
三代目の厳しい表情がゆるみ、小さく笑った。
「結局はできんかった。上層部もわしも、イルカを道具のように使うことはできんかった。情に、負けた」
歴戦の忍びというても所詮人の子よのぅと、三代目はどこか嬉しそうに笑う。
「まぁ、言い訳かもしれぬが、こうも思った。イルカを送り込んだ先で、たぶんイルカは死ぬだろうと。己を核にして起こる争いに耐えきれず、自ら命を絶つじゃろうて。そうなれば、任務は失敗する。端から失敗する任務に出すボンクラはおらん」
ゆるゆると三代目が吐き出す呼気に応じて、白い煙が天井へと上がる。それをぼんやりと見つめ、耳は三代目の話を聞いていた。
「任務には使えん。ひょんなことで火種になるだろうイルカを外に出すわけにもいかん。じゃが、運のいいことにイルカはアカデミー教師が性にあっておった。里内向けの受付任務を任せば、イルカ会いたさに任務効率は上がった。まずまずじゃった。しかしの」
カンと煙管箱に打ちつけ、三代目は言葉を切る。
こちらの注意を引くための行為に、そのまま乗ってやれば、三代目はオレの目を見つめ言い切った。
「里内で起き得るべきことは、事前に阻止する必要がある」
そこで三代目の真意を知る。
だからこその、羽あり様条令か。
繋がる線に像が見え始める。
「だから、今は里の最高権力者である三代目がうみのイルカを管理しているというわけですか。うみのイルカの特別になる者を制限して、おいそれと近づけないように、皆のうみのイルカとして互いに牽制させていると?」
オレの言葉に三代目はいやらしく笑った。
「まずまずじゃが、満点はくれてやれぬな。言ったであろう。イルカは人に好かれると、自分一人のものにしたいと誰もが願ってしまう、と」
その言葉に悪い冗談だと笑いが出たが、三代目は表情を動かさなかった。
オレが何か言う前に、三代目は口を開く。
「のぅ、カカシよ。もしわしがあと二十若ければ、力付くでものにしておったであろうよ。暴挙に出たおぬしを八つ裂きにしてな」
火影とは思えぬ赤裸々な告白に耳を疑った。プロフェッサーと呼ばれた男の言葉と思えない。
本気かと、今一度問おうとして止めた。三代目の本音と真っ向から向き合ったとして、オレには何も言えない。言う言葉が何もなかった。
黙り込むオレに、三代目は気に食わぬとあからさまに鼻を鳴らす。
「わしの代わりに、イルカを管理できる者が見つかったと思いきや、とんだヘタレが候補にあがるとは、の。おぬしは自分の二つ名に引け目があるようじゃが」
視線を煙管に移し、刻み煙草を詰めながら三代目は言葉を吐き捨てた。
「写輪眼カカシでなければ、イルカに軽々しく近づいた時点で排斥しておったわ」
上忍待機所でやけに注目されていたことを思い出した。
オレは三代目や上層部に、うみのイルカを管理、いや、伴侶候補として目されていたのか。
「……冗談じゃないですよ。オレは、一人の女とどうこうなりたいなんて望んではいません」
辛うじて出した言葉は思いの外弱々しい。
里が勝手に決めたことだ。女一人に縛られるなんて真っ平御免。女とは快楽だけで繋がればいい。そこに恋や愛なんて理解できないものが介在する必要性は感じられない。ましてや、自分の子供という気持ちの悪い存在を望んだこともない。
揺れる気持ちは見ないようにした。
三代目は煙管に火をともし、そうかと一つ呟いた。
あっけないその返答に顔を上げれば、三代目はどこか浮かれるように目を細めた。
「なんじゃ。イルカの伴侶になってくれと頭を下げられるとでも思ったか? 先に言ったであろう、里は口を挟まぬ。後は双方の自由意志じゃと」
突き放す言葉に、安堵と同時に戸惑いが生まれる。問おうとしたオレの言葉を止め、三代目は含み笑いをこぼした。
「自惚れるな、カカシよ。伴侶候補なら他にもおる。おぬしだけの特権とは思わぬことじゃ。わしは、イルカの身内の者として、おぬしのやり方が気に食わぬ。わしが火影であったことに感謝するがいい」
ほぼ脅しに類するであろう言葉は、オレがイルカ先生に何をしたか全て知っているからだろう。
「話は以上じゃ」
ぶつりと話を切った三代目に、はぁと相づちを返し、オレは踵を返して肝心なことを聞き忘れていたことに気づく。
「ーー一つ、聞いてもいいですか?」
振り返りながら聞けば、言えと無言で頷かれた。
「イルカ先生が妊娠したというのは本当ですか?」
煙管をくわえ、三代目はオレを見つめる。何か探るような目つきをした後、三代目は小さく笑みをこぼした。
「本当じゃ。先刻、イルカ本人から聞いた」
それがどうしたと、オレが聞きたいことを知っている癖に空惚ける狸爺へ反感を覚えた。
黙っていてはこの狸爺は一生口を開かないと悟り、オレはストレートに聞いた。
「父親は、オレ、ですか?」
躊躇いと戸惑い。
オレが期待していた答えは何だったのだろうか。
見つめる先で、三代目は口を曲げてオレを見下した。
「イルカは『相手の名前は言えません』と言った。それが全ての答えじゃ。おぬしには関係ないことよ」
親子そろって同じ答えを返してきたことが忌々しい。
思わず出そうになった舌打ちを押しとどめ、これ以上の情報は無理かと、オレは退室するために足を進める。
「カカシよ」
退室する間際、声を掛けられた。
三代目は里の長の顔を脱ぎ捨て、身内の者として呪詛を投げつけてきた。
「おぬしが今までしてきた軽率な行動のツケを支払うがいい。せいぜい苦しむことを祈っておるよ」
こちらに注がれるのは、ほの暗い怒り。
その強さに一瞬だが背筋が震えた。
黙礼しつつ扉から出て、ようやく息がつけた。
三代目から聞かされた話はどれも荒唐無稽な、妄想といってもいい、何ら確証のないおとぎ話の類だ。
だが、それでもそこには過去の事実が確実に存在している。
「……どーするかねぇ」
執務室の扉にもたれて、天井を仰ぎ見る。
イルカ先生が傾国の美女だとして、オレには関係はない。いつも通り、他の女と同様に一夜を共にしただけ。ただ一つ違うのは、その身に溺れ、精液を注ぎ込んでしまったこと。
そう、それだ。オレが引っかかるのはそこだ。イルカ先生の腹の中にいる子供はオレの血を引いているのか、そこが問題なのだ。
オレが父親だと名指しされても困る。自分の血を、業を引き継ぐ存在などいらない。
だから。
「イルカ先生の子供の父親は誰なのか、それを知る必要があーるね」
呟き、己が何をするべきかを知る。
オレの子じゃないならそれで良し。もしオレの子だとして、イルカ先生がオレに近づこうとするならば。
「……手を打たないとね」
その腹の中にいる子供の殺処分を含めて。
小さく呟いた言葉は、どうしてか揺らいでいた。
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もう、カカシ先生、本当にどうしたいんですかね!? ね!!
書いている管理人がよく分からないことになってきました……((口=:)))
公然の秘密 7