「お断りです。お引き取りください」
現在のイルカ先生の身辺情報を仕入れた後、人目を気にする後輩のために、わざわざ深夜という時間帯を選び、会いに行けば、開口一番に言われた。
ここは病院にあるオリの個室部屋だ。
今は病院の医師とはいえ、元暗部のオリを医師としてだけ遊ばせるのは里の損失と考えたのか、オリは度々後暗い任務に駆り出されている。しかも、毒を使う、暗殺方面で。
そのため、事情を知っている病院側が、オリのために暗殺で使う毒を調合、保管する部屋を用意した。
日が出ているときは人の命を救い、夜になると人を殺す。
極端過ぎる日常だが、繊細さの欠片もないオリは特に不満を覚えることもなく日々を過ごしているようだった。
「……お前ね。オレは何も言っていないでショ?」
近場の椅子を引っ張り、机に向かい毒の調合をしているオリの側へ座る。
そうギスギスしてるとマキちゃんに嫌われるよと軽口を叩けば、後輩こと、はたのオリは伊達眼鏡を押し上げ毅然とした口調で言い放った。
「マキを思えばこそです。だいたい先輩ともあろうお方が、おれを使わなくてもご自身でやればいいでしょうに。いくらおれが毒の扱いに長けているからといって、マキの友人、しかも羽あり様の腹の子を殺すだなんて」
あー嘆かわしいと、深い息を吐くオリの言葉に目を剥いた。
「ちょっと、お前、何言っちゃってんのよ! オレがいつイルカ先生の子供を殺せって言ったの!!」
何も言い出さないうちにイルカ先生の名前を出すばかりか、殺すだなんて物騒なことを言い放つオリに引いた。
オリはこちらの考えを読みとったのか、顔を歪める。
「先輩、ご自身のこと無頓着過ぎますよ。ただでさえ噂が絶えない先輩に加え、羽あり様に手を出したなんてスクープ、知らないなんてあり得ませんから」
呆れた眼差しを送ってくるオリを無視し、そんなことよりも子供を殺すだろうと端から決めてかかっているその発言はなんだとオレは睨む。オレのことをどんな人間だと思っているんだか。
オリはやおらため息吐くと、座っていた椅子を回転させ、オレに向きなおった。
「言っておきますが、99、9%の確率で先輩の子供ですよ。そうしたら考えられるのは、一つしかありません」
はっきりと断言され、言葉に詰まった。二の句が継げないオレに、オリは淡々と話し始める。
「確かに、腹の子だけを殺すうってつけの毒はありますし、それとなくイルカさんに渡して飲ませることも、医師という立場のおれからしたら簡単極まりないですけど、それでもこちらにだって良心があるんですよ。マキの友人、いいえ親友とも言って過言ではない方に使うのは些か躊躇いが生じます」
些かなのかと、オリの非人道が如実に表れた言葉に、こいつも元暗部なのだなぁとしみじみ実感した。
「それに、子供が出来たと知った時、初めは戸惑っていましたけど嬉しそうでしたからね」
その言葉に、何か言おうとするオリの言葉を止めた。
「嬉しそうだったの?」
鼓動が微かに騒ぐ。
心持ち身を乗り出せば、オリは胡散臭い表情でオレを見た。途端に口を閉じるオリへ再度聞けば、オリは諦めたように口を開いた。
「ええ、嬉しそうに見えましたよ。ただ」
もったいぶったように言葉を区切るオリがもどかしい。一体何だと眉根を寄せれば、オリは吐息混じりに吐き出した。
「あのイルカさんの性格からして、誰の子でも嬉しがるのでは、と思っただけですよ」
オリの一言に騒いでいた鼓動が凪いだ。自分の身に起きた変化を見ない振りをして、オレはそうと身を引く。
オリはオレを胡散臭い目で見つめるだけで、さきほどのように喋ろうとはしない。
少し居心地が悪くなって後頭部を掻き、オレは気を取り直して話を進める。
「……0、1%は、オレの子供じゃない可能性があるよね?」
ちらっと視線を上げて様子を窺えば、オリは大げさなため息を吐いて眉根を押し揉んだ。
「なによ。100%じゃないなら、その可能性だってあるでショ」
不満げに言った言葉に、オリは苦虫を噛み潰した顔を見せる。
「あのですね、先輩。やっちゃった自覚あるんですよね? 相手は火影さま預かりの高嶺の花ですよ? 秘密裏に監視人もついているのに、それを出し抜いて、やることやれる人は里に幾人もいません」
やっぱり監視者がいたのかと、イルカ先生との飲み会で筒抜けだった現状の理由を知る。
オリの言い分はもっともだが、それならばイルカ先生もオレも、監視者も気づかない手練が手を出したかもしれないではないか。
自分でも拙いとは思うが、それを主張してみれば、オリははいはいとおざなりの相づちを打ってきた。ムカつくなー、この後輩。
「それでは、先輩の言い分を渋々ですが認めましょう。で、どうしたいんですか? まだ子供を殺そうとは思っていないみたいですけど、それで先輩は何したいんですか?」
ようやく本題に入り、長かったなーと思いつつオレは言う。
「だから、お前に協力してもらいたいわけよ」
それだけでオリはオレが何を望んでいるのか理解したのか、なるほどと吐息をついた。
「まずは誰の子供かを探るために、おれの表の顔がご入り用ですか」
「そ。イルカ先生の主治医になってちょーだいよ。オレがそうなるように仕向けるからーさ」
オリが身重のイルカ先生の主治医になれば、格段に情報の質が上がり、量も確保できる。そして、あとは。
「で、もう一つ。お前のマキちゃんに変化してオレがイルカ先生の世話見るから、お前は本物のマキちゃんを引き留める役して」
お前にとって悪い話じゃないでショと、言葉を続ければ、オリは目を見開いた。
予想外と驚く感情の中に、算盤を弾くオリを見つけ、こいつはもらったなと内心笑う。
オレの思った通り、今までやる気なさそうに聞いていた態度を改めるなり、オリは唇を引き上げて笑った。
「先輩から言い出したことですし、もちろん、その目を使ってお膳立てはしてくれるんですよね?」
写輪眼を使って完璧に仕上げるならと、条件を出すオリの用心深さに笑ってしまった。こいつ、絶対ムッツリスケベだよなー。
勿論と頷けば、オリは積極的に予定を組み始める。
勝手に予定を立ててくれるオリのやる気具合に満足しつつ、ちょいちょい口を挟んで予定を仕上げた。
善は急げとばかりに、決行は明後日。
オリがいとのマキを呼び寄せて、写輪眼で記憶弄ってオリと一時期同居する運びとする。そして、オレはそのまま、いとのマキに変化して、イルカ先生宅に住む予定だ。
あらかた打ち合わせを済ませた後、オリはそういえばと今思いついたように口を挟んできた。
「先輩、イルカさんの世話って言いますけど、どうしてそこまでするんです? 念入りに情報収集したいなら、お気に入りのテンゾウにでも任せればいいでしょうに」
オリの言葉に「は?」と間の抜けた声をあげてしまう。そんなこと思いもしなかった。
「いや、あいつ曲がりなりにも現役暗部だし、そうそう使えないじゃなーい。それにオレの問題だし、これからのオレの人生に関わるんだから、全力で事に当たらないと」
何となく言い分を口にのぼらせてみたが、オリの表情は納得できていないままだった。
しばらく見つめ合っていたが、やがてオリは肩の力を抜く。
「まぁ、おれはマキと同棲できるなら何でもいいんですけどね。でも、それってただ単に一緒に暮らした」
「それじゃ、オレ帰るから。明後日、きっちりやれよ」
オリの言葉をぶち切り、席を立つ。
オリはため息を吐きつつ、了解と返してきた。
部屋から出る直前、オリの独り言が妙に耳へ残った。
「羽あり様の魅力ってのは恐いなぁ」
******
「……ただいま」
手筈通り、いとのマキに変化したオレは、イルカ先生のアパートへとやってきた。
どこか驚いているイルカ先生に、オレは目を合わせることができないでいた。
イルカ先生と会うのは実に三カ月ぶりだった。
覚悟を決めて見たイルカ先生は三カ月前と変わりはないように見える。けれど、その腹には子供がいるという。
外廊下に突っ立っていたオレの手を取り、イルカ先生は部屋へ引き込んだ。
玄関先はすぐ台所になっており、左手に浴室とトイレ。奥に部屋が2部屋続きであるらしい。
狭いながらも整理整頓されている部屋は圧迫感を感じさせなかった。
「マキ、早く上がりなよ。今から夕飯の支度するから、ちょっと待っててね」
柔らかい表情で話しかけられ、何故か胸が詰まった。
この感情はよく分からない。
靴を脱いで、部屋へ上がる。冷蔵庫の中を覗きこむイルカ先生に近付き、その横顔を見つめた。
凡庸な顔だと思う。綺麗とは決して言えない。愛嬌があるとか、可愛いとか、褒め言葉に困ったら取り合えずそれを言っておけと思う言葉が出る程度。
なのに、離れ難いと思ってしまうのは、羽あり様の能力の由縁なのか。それとも、ただ単にオレが執着しているだけなのか。
分かんなーいよ。
ぽつりと胸の内で呟く。誑し込まれたことなんてないし、どちらかと言えば誑し込む方だった。
ここに来た理由は、イルカ先生の動向を探るため。腹の子供はオレの子供なのか確かめるため。得た情報から、オレの次の行動を決めるため。だからここにいる。
決して、側にいたいからとか、そんな恋に浮かれたバカみたいな理由ではない。
そっと吐息を吐いて、イルカ先生に声を掛けた。
夕飯の内容はさっき外廊下で聞いた。なのに、何故悩んでいるのだろう。
声を掛けた直後に驚きに目を見張るイルカ先生を不思議に思いつつも、自分も手伝うことにした。
仮にも妊婦である友人を放っておくなど、このいとのマキはしないだろうから。
けれど、おかしなことに、イルカ先生はオレの手伝いを断ってきた。どうやら米の洗い方が間違っていたみたいだ。綺麗に洗った方がいいかと思ったのだが、水だけでいいらしい。
そういうものなのかと納得していると、イルカ先生は突然体をふらつかせた。
顔を真っ赤にさせたかと思うと青くさせ、そればかりか眦に涙を浮かべるイルカ先生の百面相振りに体調でも悪くなったのかとビビる。
あくまでも、オレはいとのマキというイルカ先生の友人だ。その女が言いそうなことを口にのぼらせていれば、どうしてかオレが休むことになった。
訳が分からない。
あまりに一生懸命言うものだから、言う通り卓袱台の前に座り、イルカ先生を観察することにした。
何度見ても腹は出ていない。爺の勘違いじゃないかと思いたいが、医師であり、直接診たオリが妊娠三カ月だと言ったこともあり、信じる以外に道はないようだ。でも、やっぱり信じたくないのが本音だ。
手慣れた感じで、てきぱきと料理を作るイルカ先生を見ながら、ふと思う。
イルカ先生が妊娠していなかったら、ここに座って料理を待つのは本来のオレだっただろうに。
料理を作るイルカ先生に話しかけたり、味見と称してつまみ食いしたり、そんな遣り取りだってできたのではないだろうか。
ぼんやりしているうちに、料理が出来あがったみたいだ。
イルカ先生は明るい笑顔で作った料理を運んでくる。
自分で言うのも何だが、オレは味にはうるさい方だ。
里外任務でまずいものを食っているのだから、里に帰ってまでまずいものは食いたくない。稼ぐだけ稼いで使い道がない金をここぞとばかりに、食へ使っている。
街で有名なレストランにも、老舗料亭にも、他国の料理を出す店にも行った。どれも一流シェフや料理人が作る一級品で、うまいものが何かを知ったオレは、家庭料理というものが苦手になった。
過去に付き合った女たちに食わされた家庭料理ほどまずいものはなかった。ま、出汁とか素材そのものに時間と金を掛けている店と比べるのは少々酷な話ではあるが。
一番まずいのが、有名料理店で出されるものを家庭風にアレンジしたお洒落料理だろう。見目はうまそうなのだが、味は格段に落ちる。
今日の夕飯は、肉じゃがと干物だから、そうまずくはならないだろうと、卓袱台に並べられた料理を見て思う。
うん、見た目はまずくない。匂いもいい感じだ。
「肉じゃがはお代わりあるから、欲しかったら言ってね」
イルカ先生がお盆に飯と味噌汁を乗せ、真向かいに腰を落ち着けた。何だか緊張する。
配膳し終えた後、「いただきます」とイルカ先生が手を合わせたのを見習い、オレも遅れて手を合わせた。
肉より断然魚派のオレはひとまず無難であるだろう干物から着手する。
うん、うまい。干物はよほどのことがない限り、まずくなり得ないという素晴らしい食材だ。ここでビールなり、酒があればもっとうまいんだがなー。妊婦に酒を所望するってのはやっぱりアウトなんだろうなぁ。
黙々と干物を食べていれば、イルカ先生は慌てた気配を醸し出してきた。一体どうしたんだろうと視線を向ければ、イルカ先生は懇願してきた。
「えっと、だからね。……他のも食べて欲しいなぁって。駄目?」
うるっと目を潤ませ、上目遣いでこちらを見る様は、情事のおねだりを連想させた。
「っっ」
己の思考の危なさに、慌てて顔を背けた。
一気にあのときの夜のことが思い浮かび、意識せずにはいられなくなる。
思い出すなと己に言い聞かせ、必死に理性を働かせた。「え、え」と困惑の声をあげるイルカ先生にむらっとしつつも、何とか妄想を追い払うことに成功し、オレは咳を払う。
これ以上おねだりをされては堪らないと、味噌汁椀に手を伸ばし啜る。どうせ、インスタントものだろうと、来る化学調味料に身構えたと同時に、舌を貫いた、出し汁と味噌と具材のハーモニーに思わず声が出た。
「……うそ。うまい」
まさかとばかりに、目の前のじゃがいもの器を取るなり、一つ摘んで口に入れる。
直後、カーンと頭をバットで殴られたかのような衝撃が襲ってきた。
「嘘でショ。これも、うまい……!」
どうせ食品会社が作った、薄めて簡単、ちゃちゃっと味付けの元だろうと思ったが、そんなことはなかった。
ほくほくのじゃがいもに、よく染みた甘辛い優しい味。玉葱も、にんじんも、糸こんにゃくも、どれもが調和を取りながら、口の中に優しい幸せをもたらしてくれる。
一流料理店のような洗練された味付けではない。けれど、心の中がほっこりと温まるような美味しさがこの料理にはあった。
初めて食べたうまい家庭料理に感動していたのも束の間、これを逃したら一生食べられないとばかりに猛然と食べにかかった。
うまい、うまい、うまい!! 家庭料理の鉄人なのか、イルカ先生は!!
無我夢中で食べ、箸を伸ばして、皿にも汁椀にも何も残っていないと気付いた時の衝撃は、Sランクの暗殺任務で後一歩のところでターゲットに逃げられたのと同様の心境をオレにもたらした。
端から見ても落ち込んだ様子が分かったのか、イルカ先生は気を利かせてくれて、オレにお代わりの有無を聞いてくれた。
どこか嬉しそうにオレへお代わりを盛りに行ってくれたイルカ先生の背に、何故か胸が締め付けられた。
苦しいというよりは変な甘酸っぱさが伴うそれに、首を傾げつつも、「お待たせ〜」と山盛りに盛られたそれに、オレはすぐ夢中になって口へかき込むのだった。
戻る/
9へ
------------------------------------------
手料理ってもんはな、時間が掛るんだよ!!(口;#)!
任務をばんばん受けている上忍のくの一のおねぃさま方がそんな時間のかかる和食を作ると思ってんのかと、小一時間掛けて説教をだな……!!(私的心情たっぷり)
……うん、イルカ先生はきっと料理は大得意で、時間短縮技術を習得しているんですよ。そうです、きっとそうなのです。(しどろもどろ)
公然の秘密 8