「……何よ、それ。アンタだけで出来た命でもない癖に!! もう勝手にすればいい、バカ!!」
捨て台詞を吐いて、外に飛び出した。アパートの出入り口で少し待ってみたものの、イルカ先生が追いかけてくる気配はなかった。
「……何よ、あの女」
アパートの前にいるのも違う気がして、歩き出す。ムシャクシャした気持ちをぶつけるように道端へ転がっている石を蹴り付ければ、綺麗な放物線を描いて遠くへ飛んでいった。けれど、心は一向に晴れない。
「くそっ」
スカートのポケットに手を突っ込み舌打ちをする。自分で自分が分からない。
イルカ先生が隠し通すと決めているならばそれでいいはずだ。自分に火の粉は降り懸からないならば、それが何よりなのに。
揺るがない視線で真っ直ぐに告げられた言葉は苦さしか感じなかった。
自分の感情の方向性のなさに苛立ちが募る。
それに何だ、あのときの言葉は。父親に頼ればいいと、イルカ先生が助けてと言えばその可能性があるオレはそうするつもりだったのか?
「……馬鹿馬鹿しい」
思い浮かんだ考えを打ち消す。これは、口うるさい三代目やオリの戯れ言に引きずられただけだ。
自分の血が流れている可能性がある子供など、うす気味悪い。第一そんなものはいらない。
だが、一番の理由は。
「オレは、イルカ先生から何も聞いていない」
そう、オレだけ。
はたけカカシである、オレにだけ、何の言葉もない。一番関わるかもしれないオレには何一つ告げず、そればかりか話題にあがることすら避ける素振りを見せる。
苦い思いが舌をついて、奥歯を噛みしめた。
面倒事はごめんだ。自分の子供なぞ全く望みもしない。けれど、イルカ先生がオレのことをどう思っているのかは気になった。
眠るイルカ先生を抱いた。合意なんてものはなく、一方的に奪うようにしてその体を手に入れた。
子供が出来たと判明するまでちょっかいを出していたけど、イルカ先生は冗談だと決めつけ、オレのことを真剣に考えてくれなかった。
結果として、はたけカカシとして会った最後の時を思い出し、足が止まる。
イルカ先生はオレの腕の中から逃れるようにもがいていた。そのくせ、その口から出た言葉は、オレを案じるものだった。
「くそっ」
拳を握りしめ、俯いた。
日が地面に投影した影は、オレとは似ても似つかない。その事実が今はただひたすらに痛い。
「ねぇ、イルカ先生…。オレは、アンタにとって一体何なの?」
華奢な影に問いをぶつけても、答えは返ってこなかった。


「……ほかに行くところはないんですか、先輩」
変化を解き、人気のない部屋で備え付けのコーヒーを飲んでいれば、呆れた声がぶつけられた。
オリの仕事椅子を回し出迎えれば、如実にゆがんだ顔があった。ま、失礼な奴。
「オレの勝手でしょー」
仕事をするから退いてくださいと態度で示してきたオリの要請を受け、素直なオレは来客用の椅子に座り直す。
「一体何時間ここにいたんですか」
仕事机に散らかる紙コップを片づけながらため息混じりに言うから、無視という形で答えてやる。
今日は7班の任務があったが、7班には影分身をつけ、こちらに来てやったというのに可愛くない後輩だ。
無視を貫き通すオレを一度見て、オリは眉根を押し揉みながら口を開いた。
「テンゾウが先輩のこと探してましたよ。毎日毎日、先輩を訪ねて自分の家にくる子供たちは何なのか。あいつ、変に真面目だから毎日先輩になりきって子供の対応してるんですよ。かわいそうだと思わないんですか?」
さすがテンゾウ。オレの望む行動をしてくれている。
おまけにテンゾウが変化したオレは出来がいいようで、本物のオレと入れ替わると子供たちは微妙に変な顔をする。
「いいの、いいの。あれも一種の修練だーから」
テンゾウと子供たち両方の。
にやりと笑えば、オリは胡散臭い物を見る目でこちらを見た。ま、テンゾウの話はどうでもいいとして。
「ねぇ、それよりアンタんとこはどうなのよ?」
オレの問いにオリは用件があったのかと驚く。用もないのに、ここでコーヒーを十杯飲むバカはいないと思うんだけどね。
いいから答えてよと目で訴えれば、オリは微妙に喜色ばんだ表情を晒す。
「まずまずです。たまに食事の時に不思議そうに首をひねることがありますが、おおむね順調な同棲生活です」
口元を緩ませるオリがムカついたので、使い捨てのスプーンを顔めがけて投げてやった。届く直前で掴み取り、何するんですかと不機嫌そうに言ってきたが、口元の笑みは消えなかったんでますますムカついた。
「ムカつく」
素直に白状すれば、オリは眉をひそめた。
「本当に、先輩って昔から変わりませんよね。テンゾウの苦労が推し量られますよ」
なぜここでテンゾウの名前が出てくるのだ。
「ふーん、そう。順調ねぇ」
テンゾウのことは脇に放り投げて、オリの言葉を復唱する。やきもきしているのはオレだけということか。
「分かった。じゃ、帰るわ」
わずかに残るコーヒーを煽り、紙コップを潰してゴミ箱に投げる。狙い違わず入ったところを見届けて退去しようとすれば、オリが不思議そうな声をあげた。
「え? 用件ってそれだけですか?」
「そうよ、それだけ。一応、姿借りてるかーらね。迷惑かけたら寝覚め悪いでしょーが」
「……先輩って優しいんだかひどいんだか分かりませんね」
お前は先輩と呼ぶオレに対してひどいよね。
軽口もそこそこに外へと出る。さーて、これからどうしましょうかねぇ。
部屋に帰るのも癪だ。かといって、どこかで鬱憤を晴らす気にもなれない。
頭では7班の任務に行けばいいことは分かっている。けれども。
「……別に、気にしてる訳じゃないし」
誰に聞かせるでもない言葉を口の中で回し、駆ける。
目指すは、イルカ先生の部屋だ。別に帰るわけじゃない。ただあの強情っ張り女が悔やんでいる姿を見たいだけだ。
「ホント素直じゃなーいよね、まったく」
それはどっちがと呟く声に耳を塞ぎ、印を組んで目的地へと飛んだ。


******


オレの目の前には、肩を落としてベンチに腰掛けているイルカ先生がいる。そして、オレとイルカ先生を取り囲むように、複数の気配があちらこちらに散在していた。オレにどぎつい敵意の視線を投げかけて。


イルカ先生の部屋の様子を見に行ったオレは、とんだ肩すかしをくらった。
部屋にはいなかったのだ。身重の癖に、今が一番不安定で安静にしなければならない身だというのに、イルカ先生はまたどこかへほっつき歩きに行っていたのだ。
妊婦の癖にと怒りも露わに探しに出て、すぐにその姿は見つかった。
イルカ先生は火影室で直談判をしていた。
おおかた受付任務の復帰を希望しているのだろうが甘い。
三代目の妊婦に対するずさんな知識を補完すべく、オレはすでに手を打っていた。
三代目が如何に、短絡的に楽観的に出産を見ているのかを糾弾し、それ相応の対応を求めた。
三代目は己の知識不足を大いに嘆き、オレの言うことをほぼ受け入れてくれた。そればかりか、「よぉ言ってくれた」と涙まで流さんばかりに感謝された。そんなこともあり、イルカ先生の要求は通る訳がない。
予想に違わず、三代目はイルカ先生の言い分を認めずに追い返した。
直後のイルカ先生の消沈振りはすさまじいものだったが、それも自業自得だ。さっさと子供の父親が誰かを言わないからこうなるのだ。一人で育てようとして頼らないからいけないのだ。
ふらふらと力ない足取りでイルカ先生がたどり着いたのは中庭で、しばらくそこでぼおっとしていた。
そのときだ。オレ以外にもイルカ先生を見つめている輩がいることに気付いたのは。
「ちょっと、どうにかしなさいよっ。イルカちゃん、落ち込んでるでしょ!」
「落ち着け。こういうことはタイミングが必要でな」
オレが隠れている藪の後ろの木陰で、面倒くさい奴らがこそこそ話している。こちらが気付いたように向こうも気付いて、そこからは連鎖的に周りにも知られて敵意に満ちた眼差しに囲まれた。


「よくもおめおめ顔出せたもんね、このロクデナシっ」
紅が後ろから小枝を投げつけてくる。それをキャッチしながら煩わしさに顔を歪めていれば、イルカ先生が小さく呟いた。
「どーしよう。……どうにか稼がないとな」
ここで昼ご飯にすることにしたのか、膝の上で弁当箱を開けている。ふと、今日はイルカ先生の手作り弁当をもらい忘れたと気づく。オリのとことで水腹になるまでコーヒーを飲んだから腹が減った感覚はないが、損した気分になる。
イルカ先生のことだからオレの分も作っているはずだ。アパートにオレの分があるかもしれないと、いまだ嫌がらせのように投げつけてくる小枝を取りながら考える。
しかし、だ。イルカ先生はまだ働くことを諦めていないのか。
本当に強情女だーよと、些か怒りを覚えていると、後ろの気配が動いた。


「うまそうだな」
いつの間にか、アスマがイルカ先生の前に姿を現している。イルカ先生の弁当から卵焼きを摘み取る様におもしろくない感情が芽生えた。
「くっそー、アスマの奴……!」
「これだから、家族枠ってやつはよぉぉ」
ベンチの上に張り出している木の上から悔しそうな会話が聞こえてくる。
イルカ先生は気安い態度でアスマに挨拶を返していた。そのまま一緒に弁当を食べようと隣に座ったアスマを目にしたところで、後ろから紅がやってきた。
「……なに?」
非難がましい視線を受け、口を開けば紅は眉間に皺を刻んだ。
「ほんとにふてぶてしい男だわね。アンタ、変なことしてるそうだけど、何考えてんの? イルカちゃんを傷つけようものなら、容赦しないわよ」
変わり映えのない言葉を吐かれ、またかと鼻で笑った。
紅はまだ何かを言っていたがオレには関係ない。
ベンチに座る二人を眺めた。
イルカ先生とアスマは親しい者が醸し出す空気を漂わせながら、時折笑みを浮かべて話していた。
アスマ兄ちゃんとイルカ先生が呼ぶ。イルカとアスマが呼ぶ。お互い見つめ合うそれは信頼に満ち、一つの弁当を分け合う姿は妙にしっくりとしていた。
ぎりと皮膚がきつく締め付ける音が聞こえた。腹ただしい。
イルカ先生とは何回か飲みに行った。だが、アスマと接するような態度でオレを見てくれたことは一度たりともなかった。
いつも一定の緊張感を漂わせ、酒を過ごしすぎても気を抜くことはなかった。
信頼されていないのだと目の前に突きつけられた気がして不快感が募る。
どうして。
八つ当たりめいた言葉が溢れ出す。
どうして、アスマには言えて、オレには言えない?
何が違う。何がそうさせる。アスマにはあって、オレにはないものはなんだ。オレがアスマよりも劣っているからか? もし、腹の子がアスマの子だったらイルカ先生は頼っていたのか?
問いかける言葉がいくつも出てくる。けれど、それらに全て答えられるだろう人との距離が遠すぎて、唇を噛みしめることしかできなかった。


「どこにいるかと思えば……。本体、ちょっと大丈夫?」
声を掛けられ、気付けば一人藪を見つめている有様だった。
ベンチからのぞき込むようにこちらを窺う影分身の手には、弾けんばかりに膨らんだビニル袋が掛けられていた。
いつの間にか日は暮れ、オレと影分身以外の気配はなくなっている。
「! イルカ先生は!」
様子を見ていた相手もいなくなったことを知り、慌てて立ち上がれば影分身がため息を吐いた。
「いなーいよ。子供たちが受付所に急がせた様子からして、あのとき行き違いになった可能性が高い。で、妙な事聞いたんだけど?」
ビニル袋を押しつけ、解呪しろと不機嫌な顔を見せた影分身の言に従う。
白い煙を立て影分身が消えると同時に、影分身が体験した記憶が一気に流れ込む。その中で、7班の子供たちが紅に突進していく映像が流れた。
そこにはオリのご執心であるところのいとのマキもいて、計五名で何かを話していた。紅はオレの存在に気付いているようで、これみよがしに真っ赤に色づかれた唇を動かし、子供たちに伝えていた。
『イルカ先生、どっかのバカのおかげで受付所で働けなくなったみたいなの。でも、その代わりに妊娠期間中はお弁当屋さんするらしいわ。色々とサポートしてあげてね』
もちろんと勇ましく答える子供たちといとのマキを前にして、紅はふとオレに視線を向けるなり声を出さずに言った。
『明日、午前10時。アカデミー教室3のい。ありったけの金を持ってきなさい』
挑発的な視線と意味深な言葉を最後に、記憶の統合は終わる。
つまりは、だ。


「あんの強情女……。今度は手作り弁当だと?」
腹の底から突いて出る怒りが体を震わせる。
はっきり言ってイルカ先生の料理はうまい。プロの料理人と比べると落ちるが、それは何度でも食べたいと思わせるほどにうまいものだ。
たまに食べたいのはプロの料理人、毎日食べたいのがイルカ先生の料理という具合か。
そんなイルカ先生の手料理が金を払って食べられる状況となれば、軽い気持ちで食べた奴らが病みつきになることは想像に難くなかった。そしてそれは口コミで広がり、イルカ先生の手料理は噂となるだろう。
そうなれば、お人好しすぎるほどに人がいいあのイルカ先生ならば、人々の求めに対し、自分の限界以上を越えて尽くすことは目に見えた。


あんのクソ魔女めぇぇぇぇ!!
脳裏に、真っ赤な唇と爪をひけらかし、腰に手を当て高笑いしている紅の姿が浮かぶ。
イルカ先生に危害をくわえようとしているのはどっちだ。
こうなれば弁当屋は絶対に阻止してやると、オレは一目散に家へと駆けた。






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もう少し早くアップできるようになりたいです。ふふ。




公然の秘密 11