「今からお前たちには猫として演技をしてもらう!!」
集まってもらった忍犬たちを前に言い放てば、一斉にブーイングが返ってきた。
それを真っ向から無視したオレは散々っぱら吠えられた。
自他共に犬好きで、もしかしたら人間より犬の方に心を傾ける比重が多いのではないかと言わしめたオレが、忍犬たちに無茶ぶりをしたのには深い訳がある。
今を遡ること、数十時間前。
オレの必死の説得に応じず、イルカ先生が期間限定の弁当屋をすることを決めてしまったことから始まる。
何度言っても言うことを聞かないイルカ先生に呆れつつも腹を立て、それでも捨ておけずに紅が告げてきた場所に行ってみれば、イルカ先生の手作り弁当を競売にかけるという、頭がおかしい所行を敢行していた。
何てアホらしいことをと思いつつ、弁当5つに対し、押し掛けてきた者たちは会場となった教室に入りきらない人数で、会場に入る者を決めるために抽選会を行う始末だった。
安静にすべき妊婦が余計な苦労を背負うことが見え見えで、すべて買い占めるつもりで乗り込んでいったオレだったが、私情が入る疑わしき抽選会によりオレは呆気なく落選した。
だが、ここで諦める訳にはいかない。
何せ、ここに集う有象無象はイルカ先生の負担など全く考えておらず、己の欲望を満たしたいために集まっているのだ。
妊婦に余計な気苦労は厳禁なのだ。脅迫的な肉体労働を強いることは罪だと言い切ることができる。
義憤に駆られたオレは会場外で出番を待った。ちっぽけな額で悲鳴をあげる貧乏人どもの声を聞きつつ、ここぞというタイミングを計り、オレは弁当5つを手中に収めることに成功した。
イルカ先生が再び働くなんて馬鹿なことを言い出さないように、一年くらいは余裕で暮らせる金を渡した。
これで出産に専念できる環境作りができたと安心したのも束の間、イルカ先生は思いも寄らぬ行動に出た。
オレが支払った金からわずかばかりを差し引いた、ほぼ全額が入った預金通帳を返しに来たのだ。この女は本当に融通が効かないバカだーね!
受け取れないというオレにイルカ先生は一歩も引かず、そればかりかアンコが横取りした金を返しにもらってくるとヤニと酒と雑菌が蔓延した不衛生極まりない場所に突撃するところだった。
アンタ、本当に妊婦なのと金切り声をあげたい気分だったが、何とか押しとどめることに成功し、ついでに安全な仕事の斡旋に成功することができた。
オレの隠れ家の一つと、忍猫の面倒を見てもらうこと。
この強情張りを大人しくさせるには、仕事をするなというより楽な仕事をさせた方がマシだと悟った次第だ。
かくして、オレはイルカ先生をオレの家の家政婦として雇った訳だが、一つ問題があった。
「冗談じゃねぇ! なーんでオレっちたちが、よりにもよって猫なんぞを演じなきゃなんねーんだよっ。オレっちたちは誇り高き忍犬だぞ!!」
アキノが声高く主張すれば、ほかの忍犬たちがそうだそうだと援護射撃をしてきた。
「ひでーよ、カカシ。日頃から役に立っているオレらに対してその仕打ちはないんじゃねーの?」
ビスケも後に続けとばかりに吠え立てる。残りの者たちも気持ちは同じようで、温厚なブルでさえ、不機嫌な顔で鼻を鳴らす始末だった。
とにかく何でもだとごり押ししようとするオレに一気に不満を爆発させようとした忍犬たちを、リーダーであるパックンが押しとどめた。
「まぁ、待て。そう皆で文句を言っても仕方なかろう。カカシ、もっと詳しく拙者たちに説明しろ。言い分次第では言うことを聞いてやらんでもない」
パックンの言葉に、忍犬たちの文句の声が止む。
使役しているのはどちらなのかしらと思わないでもなかったが、ここは大人しくパックンの言い分を全面的に受け入れることにした。
「今、とある妊婦の面倒見てんのよ。で、そいつが妊婦の癖に働きたがるしょうもない女でーね。放っておけないから、手が掛からないお前らの世話と、別段何の手入れも必要のない家の管理を任せたっていう訳」
オレしか面倒見るやついないんだから仕方なくよ、仕方なくと、こちらとしても嫌々しているのだと主張すると、忍犬たちが途端に大人しくなった。
非難轟々からの静けさを訝しがるより先に、パックンが声を上げた。
「そうか! とうとうお主も男になったか!」
腰を上げてさかんに尻尾を振り、元からくしゃくしゃな顔に皺を寄せ、喜びの感情を露わにするパックンに戸惑いが隠しきれない。
「は? パックン、何勘違いしてんの?」
とてつもない勘違いをしているパックンに釘を差せば、照れることもあるまいと笑い始める。
「そうだよ、照れんなよ。いまいちわかんねーけど、そういうことなら一肌脱いでやんねぇとなぁ」
「カカシってば水臭いよー。ちゃんと理由話してくれたら、おれらだって文句言わなかったのに」
わんと同意を示す声をあげ、忍犬たちは良かった良かったと上機嫌にその場で跳ねた。
協力的な態度は歓迎するところだが、根本的な間違いは是正すべきだ。
「あのねぇ。言っておくけど、その妊婦とオレは何ら関係ないからね。面倒みることになったのは誰も見ないから仕方なしだし、それに家政婦に入ってもらうけど、オレがはたけカカシだっていうことは、その妊婦には絶対秘密なーの。忍犬使いであるオレを隠す意味で、お前らには猫になってもらうんだから」
盛り上がっていた場が静まり返る。どういうことだと困惑に染まる場へ、オレは止めの言葉を投げつけた。
「だいたいお腹にいる子供だって、オレの子か分からないんだーからね」
何たってイルカ先生は子供の父親について黙秘を貫いているのだ。イルカ先生が口を割らない限り、生まれてくるまで調べようがない。
どちらかといえば厄介ごとに巻き込まれただけと嘯けば、忍犬たちの眼差しが微妙にきつくなったように思えた。なんだ?
忍犬たちが顔を寄せ会話している話に耳を澄ませば、オレのことを意気地なしだ、最低だと呟いていた。はぁ!? 何よ、その態度は!
再び忍犬とオレとの間にぎすぎすとした空気が形成されようとした時、パックンから鶴の声が飛び出した。
「よかろう。カカシ、お主の思惑に乗ってやる。使役者の欠点を補うのも、拙者らの勤めだ。皆の者、気張るぞ」
パックンの言葉に、忍犬たちは仕方ねぇなという空気をまとい、各々縦に頷きを返している。
だから何だろうね、君たち! 使役者はオレなんだけど!
忍犬たちを納得はさせたが、その過程が納得できないというモヤモヤが残ったものの、結果がオッケーならば四の五の言うのも面倒だ。
何をすればいいと、具体的な案を求めてきたパックンに、とにかくイルカ先生を働かせずに安静にするよう仕向けてくれと言えば、忍犬たちは呆れの混じった瞳を向けてくる。さっきから本当に感じ悪いーね。
明日から来るイルカ先生のことを頼むと告げ、ひとまず忍犬たちを解散させる。
さて、これから任せる家の掃除をせねばなるまい。なんと言っても時間は待ってはくれない。
手早くすませなければ、夕飯を作って待っているイルカ先生を心配させることになってしまう。
まったく、本当に厄介な女だーねぇ。
ため息を吐きつつ、明日からここへ毎日来るイルカ先生のために塵一つない完璧な掃除を実行した。
******
「うん、うん。ここ? もう少し強めがいい?」
7班とは関わりない単独任務を終え、報告を済ませた後、イルカ先生の様子を見に隠れ家に行けば、そこにはイルカ先生に甘えまくる堕落しきった忍犬たちがいた。
イルカ先生の膝に頭を乗せ、ひっくり返って腹の毛をブラッシングさせているグルコを見て苛立ちが沸き立つ。
他の忍犬たちもイルカ先生を中心にして、日当たり良好なカーペットの上で思い思いにうずくまって眠っている。気が抜けきっているのか、ぷーと寝息を立てている奴もおり、使役している身として情けなさで泣きたくなってきた。
「……お前ら、気、抜け過ぎじゃなーい?」
オレが家に入ってきたことぐらい百も承知の癖して、出迎えに来ないばかりか、おなざりに耳と尻尾で反応する忍犬たちにこめかみが蠢く。
「あ、お疲れさまです。おかえりなさい」
オレを出迎えるために、グルコの頭を下ろそうとしたイルカ先生の動作を止め、そのまま続けていいからと促す。
少し申し訳なさそうな顔を見せたが、イルカ先生は再びブラッシングし始める。
のっそりと起き上がり、急ぐ訳でもなく近づいてきたパックンを認め、腰を下ろして小声で話しかけた。
「随分と、リラックスしてるじゃなーい」
忍犬としての誇りはどうしたと暗に含ませて言えば、パックンは悪びれた態度一つ取らず言い返してきた。
「お主が猫のように演じろと言ったんじゃろうが。それより、なんじゃその姿は、不審者そのものだぞ」
正規服の上から長いコートと、鼻の下まで覆うフードを被り、口元だけを見せるスタイルは不評のようだ。
いつもしている口布がないと心許ない気持ちも覚えないこともないが、覆面忍者として認識しているイルカ先生に対して、もってこいの変装だとオレは思っている。
現に、イルカ先生はオレがカカシだと思ってもいないようだ。チャクラの質は微かに変えているが、声も変えていないのにここまでうまくいくとは正直思っていなかった。
瞬間、いらっとした感情が芽生え、うまくいっているはずなのに内心ムカつく自身に戸惑う。
よほど態度に出ていたのか、パックンは思ってもみないことを言ってきた。
「なんじゃ、イライラしおって。拙者らがイルカと仲良くなるのが気に入らんか?」
妙に鋭い目つきをこちらに向けるパックンに、バカバカしいと手を振る。パックンまでも、三代目やオリみたいなことを言い出してきて参ってしまう。
「そんなんじゃなーいよ。仲良くなるのは結構なことじゃない。それより、うまいこと幻術効いているみたいだし、上出来だーね」
グルコの腹毛を丁寧に梳くイルカ先生を見やり、ひとまず安堵の息を吐く。
身重の体を気遣い、幻術主体ではなく、香と術の併用を使い、忍犬たちを猫に見せることにした。
香は、体に優しい植物を主体に配合し、幻術の効果を持続し高める働きがある。これならば、どぎつい幻術で強制的に見せるよりかは心身共に負担をかけないはずだ。
「はい、おしまい。次はブルね。おいで」
寝かけていたグルコを笑いながら起こし、イルカ先生がブルを呼ぶ。
ブルは体を起こすと、イルカ先生の前に大きな体を横たえ、小さく吠えた。
「おん」
準備はできたという意志表示を受け、イルカ先生は腕をまくり、目を輝かせている。
「間近で見ると一層迫力あるね! 私、虎見るのも触るのも初めてだから嬉しくなっちゃう」
ブルの短い毛に櫛を差し入れ、手を大きく動かすイルカ先生はご機嫌そのものだ。ブルも悪い気はしないのか、小さく尻尾を振っていた。
「……ブルは虎に見えとるのか」
イルカ先生が見ているものを知り、パックンは複雑そうな感情を表に浮かべる。
「大型の猫なんて、猫科以外にいないかーらね。ちなみにパックンはエキゾチックの亜種に見えてる」
エキゾ…なんじゃそれはと、顔をしかめるパックンの頭を撫で、イルカ先生の元へ歩む。カーペットに置かれていた予備の櫛を取り、ブルを間にして向き合うように対面した。
「あ、お客様、これは私の仕事で」
「いーの。オレも忍猫たちと触れ合いたいからね」
思った通り、自分の仕事だと主張してくるイルカ先生の言葉を遮り、強引に手伝う。でもと、まだ何かを言おうとしたイルカ先生の気を逸らすために、オレは提案した。
「ねぇ、それより、これが終わったら河原に行かない? こいつら散歩が大好きでーね」
「散歩ですか?」
予想外だと目を見開くイルカ先生を笑い、頷く。周囲の忍犬たちへ視線を向ければ、散歩の一言を聞いて体を起こし、素早くオレの足下へ集まるなりお座りをして待っている。
「ね、好きなのよ」
同意を得ようと視線を向ければ、イルカ先生は忍犬たちの顔を一つ一つ見つめた後、オレに顔を向け破顔した。
「本当ですね」
ふわりと浮かんだ、警戒の色のない素の笑顔に一瞬胸をわし掴まれた感覚を受けた。
何だと思うよりも先に顔が熱く火照る。直後に心臓がでたらめに音を打ち始めて、とっさに目の前にあるブルの毛に思い切り櫛を立てれば、ブルがおんと小さく鳴いた。
大きな顔がこちらに向いて、非難がましい視線が突き立つ。
「……悪い。手元が狂った」
垂直に突き刺してしまった箇所を手で撫でればブルはオレをじっと見つめた後、大きな頭を胸に押しつけてきた。
甘えるようなその仕草に驚いていれば、イルカ先生が小さく笑い出す。
「気にするなって言ってるみたいですね」
ブルとオレを見つめる瞳は柔らかで優しい。
今では懐かしいとさえ思えるその眼差しに一瞬息を飲む。少し前までは、気軽に、間近で見ることができていた。
失って初めて気付くその温かさに惜しむ気持ちと共に、昔とは違うざわめきを覚えて一人焦る。
再び鼓動が騒ぎ始めたのを感じ、オレは誤魔化すようにブルの頭を抱きかかえ、声をあげた。
「さ、散歩! 今すぐ散歩行こう!」
こうして密室で、二人見つめ合うことのできる状況だから気持ちが落ち着かないのだ。開放的な外へ気晴らしに行けば即効解消されるに違いない。
オレの提案に、されるがまま撫でられていたブルが顔をあげる。イルカ先生も手を止め、驚いたように少し目を見開いた。
「あの、ブルのブラッシングがまだなんですが」
「いいの! ブルはオレが後からやるから、とにかく散歩、散歩行こう!!」
オレの言葉に黒い瞳がじっとこちらを見つめる。
思ったよりも黒い、艶やかさえ覚えるその色合いの美しさに気付き、視線を逸らした。
心臓がうるさい。
「ほら、みんな、散歩行くぞ」
イルカ先生へ聞こえるのではないかと思える鼓動のやかましさを隠したくて声を張り上げた。
「マジか!?」
「河原だろ、河原へ行くんだろ!」
忍犬たちはオレの動揺に気付きもせずに無邪気に喜んでいる。足元で跳ねる忍犬を引き連れて玄関先で待っていれば、少し遅れてイルカ先生とブルがやってきた。
「ブル、ごめんね。中途半端になっちゃって」
ブラッシングが途中になったことを必死で謝っているイルカ先生の真面目さが歯痒い。オレの身勝手から中断したのだから、謝る必要は一切ない。こういうところが他の奴らに隙をつかれる要因となるのだ。
「ほら、アンタはこっちに早く来る」
ブルにまだ謝ろうとするイルカ先生の手を引っ張り、玄関に備え付けた椅子に座らせ、イルカ先生の靴を履かせてやる。
「っっ! じ、自分でできますから、あの……!!」
「アンタ待ってると日が暮れるの。ほら、終わり。じゃ、行こうか」
慌てふためくイルカ先生を無視して手早く両足の靴を履かせ、立ち上がって手を差し伸べる。
イルカ先生はオレの顔を見上げ、数秒物も言わずに凝視した後、突然顔を真っ赤に染めあげた。
赤面する理由が分からなくて呆気に取られていると、イルカ先生はばつが悪そうな表情を浮かべ、顔を俯けた。
「……お客様は、家政婦に優し過ぎます」
拗ねたように言うイルカ先生の言葉にそうだろうかと首を傾げる。
「別に普通でショ。それより、ほら行くよ」
「あ」
いつまで経っても手を取らなさそうなので、こちらから手を握り、誘導するように外へ連れだした。
外は夕暮れにはまだ早い。
天には青い空が広がり、目の前の景色は奥行きを持って里の街並みを映しだす。
足元ではご機嫌な忍犬たちが着き従い、そして一歩遅れるようにオレの後ろを歩いてくるイルカ先生がいる。
何度となくイルカ先生は手を外してもらいたそうな空気を忍ばせてきたけれど、気付かない振りをして一回り小さな手を握り続けた。
明るく開放的な外に来たというのに、オレの心臓は相も変わらずうるさいほどの鼓動を打っていたけれど悪い気はしなかった。
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ちゃっかり手つなぎデート。カカシ先生、気付いてません。
公然の秘密 12