「忍猫って本当にすごいんだよ。猫だからもっと気まぐれだと思っていたら、猫同士でチームワーク取るし、主人であるお客さんのことを常に考えて行動してるの。お客さんのことが大好きなのもあるけど、忠義心が篤くて驚いちゃった」
夕飯時、イルカは忍猫の話をよくする。
家政婦の仕事と、買い物以外の外出を規制しているから話題がそれしかないというのもあるのだろうが、イルカにとって忍猫もとい忍犬たちとの触れ合いはよほど楽しいものらしい。いとのマキに変化したオレに話す時の顔はいつも笑顔だ。
パックンが体を必要以上に気遣うとか、ウルシは喋らないけれど危険な物があったら体を張って守ってくれるとか、ウーヘイはさりげない気遣いをしてくれる、アキノは明るくて今まで行った場所や任務外であったことを面白おかしく話してくれる、ビスケは膝枕が大好きとか、シバはお腹の子供に興味津々で、グルコはよく寝転がっているけど何かあったときに真っ先に駆けつけてくれる、ブルは静かに寄り添ってくれると、イルカはどちらがお世話しているのか分からないと困り顔で、それでも嬉しさが優るのか表情は明るい。
忍犬たちは間違いなく、イルカを守護する対象、そればかりか身内として受け入れている。面倒を見てくれとは頼んだが、ここまで心を傾けてくれるとは予想外だった。
基本、忍犬は主に対してのみ心を許し、忠節を誓う存在だ。例え主の家族だとて、その信頼を得るには並々ならぬ努力と時間が必要となる。稀に使役獣を会った瞬間から手懐ける者もいるが、血継限界のような特殊な血筋が有する能力者である場合が多い。
なのにイルカの場合は始めから何かと特別扱いで、頼んだ手前とはいえ使役者として複雑な思いに駆られてしまう。


本日もイルカは忍犬と過ごした時間を楽しそうに語っている。楽しいことは大いに結構。
楽しいという感情は免疫力を大いにあげる効果があり、命を抱えている妊婦にとっては必要不可欠なものであると断言できる。ただ。
「……肝心のお客さんの方はどうなのよ?」
イルカが家政婦をし始めて今日で二週間となるが、話題はほぼ忍犬で占められており、オレの話はほとんど出てこない。まぁ、任務を遂行する身の上では、忍犬たちほど一緒にいられる時間が少ないために仕方ないといえばそれまでなのだが、それにしても雇い主であるオレについてもう少し話題に出しても罰は当たらないはずだ。
本日の夕飯である、野菜たっぷり鶏肉シチューを口に運びつつ、視線を飛ばし様子を窺う。イルカはオレの問いに曖昧な笑みを浮かべると口を開いた。
「うん、……いい人だよ。あの忍猫たちが心底慕ってるくらいだから悪い人のわけないよ」
また、忍犬か!
できることなら突っ込みたい。だが、微妙な反応を示すイルカ前に、オレは口を閉ざした。
恐いと思ってしまったのだ。イルカの口から、オレをどう思っているか聞くことが。


シチューをかき混ぜながら、横目でイルカを窺った。
オレが気を遣っているだけあって、イルカの血色はいい。チャクラだって安定しているし、腹の子も順調だとオリから話を聞いている。
このままいけば、出産も問題ないだろう。
イルカは子供を産み、そのままその子供と暮らすのだ。オレがいとのマキと偽り、今、共に暮らしているように、イルカは親子二人で仲睦まじく暮らすに違いない。
ただでさえ子供が好きなイルカのことだから、実の子供ならば、輪をかけてきめ細かい愛情を注ぎ育むのだろう。
幼子を抱き、幸せそうに微笑むイルカの姿が想像するより早く脳裏に浮かび、憧憬に近い思いと胸を抉る痛みを覚えた。
笑い合う親子の側に、オレの姿はない。


アスマの言葉が蘇る。
厳つい顔をしている癖に誰よりもお節介焼きな男は、妹だと言い切ったイルカの幸せを考えながら、腐れ縁のオレのことも考えていた。


「マキ? どうしたの?」
気遣うように名を呼ばれ、我に帰る。当然ながら、オレの名前ではない。
いつまでもシチューをかき回すオレの異変を心配したイルカは食べる手を止め、オレの顔をのぞき込んできた。
密着するようなその距離は、いとのマキとの関係性で、雇い主であるオレや、はたけカカシとしてのオレのものではない。
「ううん、何でもない。ちょっと疲れただけ」
寄ってきた体を避けるように顔を背け、オレは無理矢理笑みを浮かべる。
「あー。今日は、疲れたから先に寝させてもらうわ。食事の途中でごめんね。これ、明日の朝にいただくからさ」
イルカの返事を待たずに皿を下げ、ラップに包む。皿を入れるために冷蔵庫をのぞき込む格好で、イルカの視線から逃れ、そのまま言葉を紡ぐ。
「悪いけど、先にお風呂も入らせてね。茶碗類は水に漬けてくれていたら、明日の朝、洗うから」
冷蔵庫を閉め、足早に風呂に入る支度をする。オレの姿を追うように、見つめるイルカの視線がひどく煩わしい。
あぁ、駄目だ。今のオレは、すこぶるおかしい。
一刻も早く一人になりたいと、風呂の戸を開いた瞬間、イルカが慌てたように口を挟んできた。


「マキ、皿洗いの心配しなくても私がするよ。マキはゆっくり休んで。それくらい、私一人でもでき」
「黙れ!」
気付いた時には叫んでいた。止せ、止めろと、理性はけたたましくわめいているのに、冷えた頭は命令をはねつける。
「アンタ、何なのよ」
口からこぼれ出るのは、明確な苛立ち。
「……マキ?」
戸惑うイルカの気配に、自嘲気味な笑いがこぼれ出る。ちっとも分かってない。ちっとも分かっちゃいない。
首を巡らし、イルカを見た。
何か不評を買ったのだと、明確な理由は分からないまでも己の非を感じ、イルカは小動物のように怯えている。
オレを見つめる瞳が揺れる。
何か言おうと口を開けながら、己の間違いを必死に探すイルカはただひたすら真摯にオレと向き合っていた。
バカだと思う。底抜けのバカだと思った。
こうやってイルカは人と対するのだ。いとのマキではないオレが言った、理不尽な言葉だって受け入れ、今、自分にできる全てでもって相手を迎え入れる。
そんなことをされたら、誰だって骨抜きにされる。自分よりもあなたが大事なのだと、全身で示されて拒める者などいない。
ひたすら優しいだけの愛情を注がれて、無視できる者がいるならば見てみたい。


「マキ、私……!!」
思い詰めたようにようやく声に出したイルカに駆け寄り、問答無用で抱きしめた。
一瞬息を飲む音がして、イルカはオレを窺うように見つめてきたから、後頭部に手を回してその顔を肩に押しつけた。
「……マキ?」
ちょっと痛いと申し訳なさそうに呟いた声を無視して抱きしめ続けていたら、イルカの肩の力が抜けた。
胸の前にあった手がゆっくりとオレの背中に回って覆う。
ぽんぽんと一定のリズムでゆっくりと背中を叩かれ、たまらない気持ちになった。
仮初めの姿で抱きしめても、イルカを包めない。そればかりかいらぬ痛みすら与えてしまう。
「ーーごめん」
こぼれ落ちた謝罪の理由は、いろんな事を内包しすぎて真っ黒な色をしている。
イルカはそれに答えず、通常より一回り小さなオレの体を抱きしめ、ずっと慰めてくれた。


******


「カカシ先生、どうしたんだってばよ」
7班の草刈り任務を木陰で見守っていれば、ナルトが近づき声を掛けてきた。
「ん? どうしたって何がだ?」
何か気になることでもあったのかと逆に尋ねれば、ナルトは驚いたような表情を見せた後、ばつの悪い顔で謝ってきた。
「ごめんなさい」
訳が分からず問えば、ナルトはもう一度謝罪の言葉を口にすると、オレが座っている地面を見つめた。それを追うように目にして驚いた。
地面は水に濡れ、地質が粘土状だったために土はぬかるみ、座っているオレの尻はおろか支給靴を埋めていた。
「あー。……もしかして、これやったのナルト?」
仕掛けられて気付かなかった己を恥じるのと同時に、一体いつ仕込んだのだろうと半ば感心して問えば、ナルトは泣きそうな顔をさらけ出した。
「お、おい、どうした、ナルト。なんで、そんな顔するんだ?」
思わぬ反応に面食らい、腰を上げてナルトに近寄れば、突っ立っているナルトの両脇にサクラとサスケが滑り込んできた。
「カカシ先生、ナルトだけじゃないの! 私も協力したのっ」
「ちなみにオレも協力したぜ。このうすらトンカチだけじゃ、こうまで完璧にできねぇことぐらい察しがつくだろう?」
泣きそうなナルトを庇うように、左右から前に出た二人に瞬きを繰り返せば、後ろのナルトが蚊の鳴く声で言った。
「カカシ先生なら気付くと思ったんだ。なのに、ごめん。先生が大事にしてた本、おれのせいで……ごめんってば!!」
がばりと頭を下げるナルトに、サクラは怯みながらもナルトだけのせいじゃないと言い、サスケは謝るなドベと叱責している。
収集がつかなくなってきた現場にどうしたもんかと周りを見渡して、先ほどまで座っていた場所に泥まみれになった本が埋もれていたことに気付いた。
そこでようやくナルトたちが騒ぐ原因に思い至る。そんなに謝らなくてもいいのーにね。
腰を屈め、泥だらけの愛読書を拾う。軽くはたいてみたが、自分の手が泥に汚れるだけで、こびりついたそれは落ちそうにない。
それを抱えて、ぺこぺこと頭を下げるナルトと、それを止めさせようとするサクラとサスケの頭を軽く小突いてやる。


「こーら、無駄口はそこまでだ。まだ任務は途中でショ。さっさと持ち場についた、ついた」
オレの言葉がよほど意外だったのか、三人の顔が驚きに固まった。
「……怒らないのかってば?」
上目遣いで窺うナルトの頭を撫でようとして、泥だらけの手に気付いて止める。
代わりに肩を竦めて、笑ってやった。
「怒る訳ないでショ。これは、ま、一本取られたってところかーな。おまえたち、やるじゃない」
怒られるどころか誉められて、子供たちは挙動不審だ。そんなにオレが怒ると思ってたのかね。
まだぐずぐずその場に残っている子供たちに発破をかける意味で、手を叩いて提案する。
「これが終わったら、新しい技教えてやるよ。教える時間が短くなってもいいのか?」
技と聞いて、ナルトとサスケの目の色が変わる。サクラは、サスケが喜ぶのを察して喜んでいる有様だ。
「そういうことなら、おれってばパっと終わらしてやるんだってば!!」
「いいだろう。すぐに終わらせてやる」
やる気を滲み出し駆け出す二人に遅れて、サクラが黄色い声をあげる。
「あぁん、サスケくん、待ってぇぇ」
両手を立てて胸に押しつけ、内股で駆けようとするサクラを引き止めた。


「サクラはちょっと待って」
呼び止められ、振り向いたサクラの広い額は若干蠢いていた。きっと心の中では愛しいサスケの元に行けない鬱憤をオレに向かって叫んでいるのだろう。
「何ですかぁ、カカシ先生」と、無駄に愛想と笑顔を振りまくサクラに、女の子は生来的にくノ一の素質を持っているのだなぁと感慨深く思いつつ、気になっていることを質問した。
「あの泥沼、いつ仕込んだの?」
真面目な顔で問えば、サクラの作り笑いが固まり、再び驚きの表情を見せた。
「え? カカシ先生、本当に分からないんですか?」
「うん、全く」
正直に答えれば、サクラは放心状態で固まるばかりか、大丈夫ですかと本気で心配された。
体調も良いし、チャクラだって漲っているんだーけどねぇ。
首をひねるオレに、今度は至らない子供を窘めるような声でサクラは告げた。
「最初っからですよ。カカシ先生ったら、出迎えた私たちをいつの間にか撒いちゃうんですもの。腹いせ混じりに今日の任務地で、カカシ先生が休むだろう木陰を絞ってあらかじめ仕掛けておいたんです」
しっかりしてくださいよと、両手を腰に当てるサクラの種明かしに少々凹む。
最初からぬかるんだ泥地面に、オレは何も思わずに座り込んでいたのか。
今になって泥の水分を含んだズボンが気持ち悪いと思う。この調子ならば下着もアウトだなと己の腑抜け具合に肩を落とした。


「なるほど、分かったよ。ありがとう」
手早く乾かしてしまおうと、火遁と風遁を織り交ぜたオリジナルの術の印を組もうとすれば、サクラがその場を去らずに留まっていることに気付く。
こちらを見つめる瞳が何か言いたそうに見えて、どうしたと声を掛ければ、サクラは一瞬逡巡したものの口を開いた。
「カカシ先生、最近、少し変わりましたよね。何か理由とか、あるんですか?」
唐突な質問に首を傾げる。自分で変わったつもりはないが、紅の奴が何か言ってたと思い出す。
「オレは変わったとは思わないんだけどーね。どうしたのよ、急に」
反対に問い返せば、サクラはオレが質問に答えていないことにも気付かず、しどろもどろし始める。
「いえ、別に、何となくというか、その……」
答えを捜し求めるようにうろうろと視線をさまよわせていたが、都合のいい言葉が見つからなかったのだろう。
サクラは額に手を当ててため息を吐くと、何を思ったのか決心した顔つきでオレと向き合った。
「もう面倒臭いので真っ向勝負します。カカシ先生、変わりました。最近、やたらと表情が明るいし、機嫌がいいし、さっきのもそう。いつもだったら千年殺しって下品な技をナルトに仕掛けてもおかしくないのにしなかったし、特に痛感したのは、女の人の影が一切ないことです。見かける度に違う女の人と歩いていたのに、ここ数ヶ月全く見ないんですから」
宣言通りの真っ直ぐな言葉の数々に内心動揺が走る。
子供の目から見ても明らかだったのかと、紅が言ったことと重なる部分があることに冷や汗をかいた。
「理由、あるんですよね?」
どこかで見た視線をサクラにも感じ、オレはつい視線を逸らしてしまう。
部下に対して見せる態度じゃないと思いつつも、尻込みしてしまった。
時間にして数秒か。黙り込むオレにサクラは深いため息を吐いて、オレの名を呼んだ。
「カカシ先生ったら、大人の癖に情けないんだから。……分かりました、ここで追求するのは止めときます。私に言ってもらったって意味ない事ですし」
幼い顔をして分かったことを言ってくるサクラに言葉が出ない。
いつか言ってくださいねと、誰にという明確な相手も言わず、駆け出す部下の背中を見送り、オレは天を仰いだ。
木の葉の先には雲一つない青空が広がっている。
今日も、洗濯日和のいい天気になりそうだった。





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カカシ先生に色々と変化がある回。伝われ〜伝われ〜(念)
ちなみにサクラちゃんは、カカシ先生がイルカ先生の元に変化して同居しているとは思ってません。乙女な妄想力パワーで勝手に解釈してます。(……伝わらないか…orz)





公然の秘密 14