「はい、都合が良すぎる。誑しのあんたの言葉が信じられない。全員一致で却下ー」
上忍待機所で正座をしたオレの前に仁王立ちで立つ紅を筆頭に、腕を組みながら周りを囲む上忍、中忍、そして下忍たち。
上忍待機所の外でも気配が蠢いていることから、この場に収まりきらないくらいの人数がここに集結しているのだろう。
顔見知りというか、自分の部下もいる現状にオレは少し眩暈を覚えつつ、それでも自分の気持ちに嘘偽りはないのだと額を床に押し付けた。
「オレとイルカ先生の結婚を認めて下さい!!」
『却下ー!!』
間髪入れずに返ってきた言葉は、憎らしいくらいハモっていた。


時を遡ること、数時間前。
大した怪我もなく単独任務を完遂させ、夜明け近くに里へと戻り、オレは真っ先に三代目の元へと駆けた。
任務の報告と、そして、任務前に誓ったオレの決意を伝えるためだ。
イルカと結婚する。
イルカの身内に近い三代目に、まず言うべきものだと思ったのだ。
執務室をノックし、「入れ」という声と共に扉を潜れば、三代目はオレ見て幾分驚いた表情をした後、任務の報告を求めた。
つつがなく全て完遂したことを告げ、「ご苦労」と短い労いの言葉が放たれる前にオレは言った。
「三代目! イルカをオレに下さい。決して不幸にさせません。幸せにすると誓います。どうかお願いします!」
額当てとマスクを取り除き、頭を深く下げて言い切った。
言い終わった後にもっと見目のいい言葉で飾れば良かったと一瞬思ったが、もう言ってしまった後だ。それに、伝えたいことは先に告げた言葉が全てだった。
あとは成り行きに任せるのみだと、滅多に感じない緊張に身を強張らせながら反応を待っていれば、三代目は小さく息を吐いた。
「……顔を上げろ、カカシ」
言葉に怒りの響きはない。怒鳴られる覚悟はしていたのだが、どうしたことだろう。
おそるおそる顔を上げれば、予想に反して薄らと笑みを浮かべている三代目がいた。
イルカが妊娠した時から煙管は止めているのか、少々口寂しそうに煙管の形をした別の何かを口に咥え、出ない煙を吹かせ、くぐもった声をあげる。
「先に言ったであろう。後は双方の自由意思じゃとな。わしに許しを乞わんでも好きにすればええ」
思わぬ好感触の言葉に希望を見出せば、「ただ」と言葉を継ぐ。
「おぬしがどうしてもというなら、他の者にも了解をとれ。……そうじゃの、わしが皆を集めて言ってやろう。気を揉む者も多いでな。心配ごとは早い内に解決するのも里のためじゃて」
止める暇もなく手を上げ、側に控えている暗部に指示を出す。三代目の迷いない行動に少々面食らってしまう。
オレとしては三代目だけに認めてもらえれば御の字なのだが、余計なことを言って怒りを買うのも損なので、ここは黙っておく。
三代目は席を立ち、頃合いだと執務室から出ようとする。その後についていけば、扉から出る直前で振り返った。
「のぅ、カカシ。わしの言葉を覚えておるか?」
突然の問いに、どの言葉を指しているのか困惑してしまう。
オレの困惑を悟ったのか、三代目は目を細めて言った。
「おぬしの過去を悔やめよ」
笑む唇とは逆に、瞳の奥はちっとも笑っておらず、オレは三代目の逆鱗に触れたのだと今更ながらに悟った。


三代目が目指したのは上忍待機所で、そこはオレたちを待ち構えている群衆に占拠されていた。
その中に、7班の子供たちもいて少々ビビる。
早朝のせいか、ナルトは寝癖だらけの頭で半ば寝ていたが、それでもここで話されることを聞こうと頑張っていた。サスケもサクラも、オレに気付いた瞬間、サスケは怨嗟のこもった目で、サクラは憤った様子でこちらを睨みつけていた。
そしてそれは、三代目の話が終わると同時に、より過激な反応となった。
三代目は言いたいこと言った後、とっとと帰り、後にはオレと集まった連中が残った。
三代目が去ったと同時に怒涛のブーイングが沸き起こったが、それを宥め透かし、音頭を取ったのは紅だ。
そして、冒頭へと続く。


「頭上げなさいな、カカシ」
殺気に似た憤りがこもる視線を受けつつ、オレは紅の言葉に従う。
頭を上げれば、顔を真っ赤にしている輩が何人もいた。
それだけオレとイルカの結婚に反対しているという証明のようなものだが、正直、こいつら全員にイルカとの結婚を認めてもらおうとは思っていない。
そもそもイルカの身内に当たる三代目に認めてもらいたくて言ったのだ。三代目が先んじて行動したからオレはここにいるだけで、皆の了解が得られないならそれはそれで構わない。
そんなことを考えているオレに気付いたのか、紅は大きくため息を吐く。朝早い時間帯だが、こいつにとってそんなことは関係ないらしい。
いつも通り全身研ぎ澄まされた様に美しく整えられたそれに、イイ女ではあるが恋人にすれば気疲れする女になること請け合いだと再認識する。
オレの思ったことが伝わったのか、紅の拳が飛んできたが、身をかがんで避けた。
「アンタ、避けていい立場だと思ってんの?」
こめかみを引きつらせて見下ろしてきた紅に肩を竦める。
「だって、痛いのやだもの」
せっかく無傷に近い状態で帰ってきたのだ。余計な怪我をしてイルカに心配を掛けたくない。
ちょっと今の考えは恋人ぽかったなと顔を緩めていれば、紅が「むかつくー!!」と叫んできた。うっさい女だねぇ。
きゃんきゃん言ってきた紅に加勢するように、周りも同調してくる。
感情に任せてわめくだけの奴らを相手にするのもそろそろ疲れた。皆を集めた三代目の義理は十分果たしたと腰を上げようとしたときだ。


「待て、カカシ。おめぇ、本当に何も分かっちゃいねぇな」
低い声がその場に響き渡る。
憤る訳でも荒げている訳でもないのに、その声は有無を言わせない響きがあり、オレの体を引き留め、周囲の騒音を静めた。
声の主であるアスマは、紅の横を通り過ぎ、オレの前で腰を下ろすなり、険しい顔を見せる。
「おめぇの気持ちなんざ、この際どうでもいいんだ。オレたちが危惧してるのはイルカだ。今、イルカがどういった状況にあるか、一番分かっているのはおめぇだろ?」
淡々と告げる言葉に瞬きをする。
アスマの言っている意味が分からなかった。オレがイルカに告白して、それをイルカが受け入れれば何の問題もない。
母子共にオレが守るのだから、アスマが心配することなんて何一つないはずだ。
自分の考えを口に出そうとするより早く、アスマは「ちげぇ」と吐き捨てた。
眉根を潜めるオレに、アスマは大きくため息を吐く。
「おめぇよ。イルカが一番不安な時、一番側にいてやらなきゃならなかった時に何やった? 妊娠が分かって、一人で子供を育てようと一人で覚悟固めたイルカに、おめぇは一体何をした?」
側にいようとしたと口を開こうとして、アスマの静かな声に制された。
「ちげーだろ。おめぇは、偽りの姿でイルカに近付いた。……カカシ、おめぇはな、一番大事な時にイルカから逃げ出したんだ」
黒い瞳がオレを真っ直ぐに貫いた。
違う、そんなつもりはなかったと突いて出た言葉とは裏腹に、否定できない自分がいる。
でも、そんな自分に気付いたからこそ挽回しようと思った。イルカが安心していつも笑っていられるように、これからイルカと本気で関わり合いたいと願ったから、今、オレはこの場にいる。
それを知ってもらいたくて口を開こうとしたオレに、横から紅が口を挟んできた。
「カカシ、それは言わせないわよ。あんた、何もかも遅すぎるのよ。あんたは言ったら満足だろうけどね。ようやく落ち着いてきたイルカちゃんにとったら今更迷惑な話よ。今は奇跡的に浮いた話はないようだけど、イルカちゃんはそんなこと知らない。父親の名前を隠そうとしているイルカちゃんの気持ち、あんた考えたことあるの?」
紅の言葉に妙な胸騒ぎを覚えた。
周囲に目を向ければ、小さくだが頷いている者が何人もいる。
紅の言葉の意味を深く考えたくなくて、それでも察してしまうことがいくらかあって、オレは声を無くす。
オレがイルカから逃げたように、イルカもオレから逃げていたのか?
どうしてと小さく呟けば、事の成り行きを見終えたと察したのか、波が引くように待機所から人が去っていく。
残ったのは、紅とアスマ、そして7班の子供たちだった。


ぼうっと座り尽くしているオレに、サクラが近づいてきた。
「カカシ先生。カカシ先生が変わった理由。私の願望も入ってますけど、それってイルカ先生のことをきちんと考えてくれた結果だと思ってます。でも、今、言うのは違うと思います。カカシ先生、今は出産するイルカ先生のことを第一に考えてあげてください」
お願いしますと、頭を下げるサクラを見た。
つまり、今、オレの思いをイルカに告げるなということか。
もどかしい思いを覚えていれば、サスケがぶっきらぼうに言った。
「……カカシ、惚れた女のためなら我慢くらいしろ。自分の意見ばっかり押し付けてんじゃねぇ」
不機嫌そうにそれでも助言めいたことをサスケは言う。その後に続いて、ナルトも口を開いた。
「カカシ先生。今はやっぱり赤ちゃんだってばよ。イルカ先生、赤ちゃん出来て本当に嬉しそうだったし、今は赤ちゃんの事を考えたいっておれ聞いたし」
もうちょっと待ってくれってばよと、屈託のない笑みをオレに向けたナルトに、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。
子供たちの後ろに立ち、オレを見下ろす紅とアスマの強張った顔が幾分緩まり、小さく息を吐いた。
「イルカのこと、本気で考えてんなら待て。心労は妊婦にゃ大敵なんだろ?」
オレが心労の元になると断言するアスマの言葉は受け入れにくかったが、アスマや子供たちの言葉はもっともだ。


「……分かったよ。イルカが子供産むまでちゃんと待つーよ」
オレの一言に、子供たちの緊張が解れた。
安堵の息さえ聞こえそうな空気を感じながら、それでも燻るものは胸の内に残る。
本当は今すぐ言いたい。
オレははたけカカシだと。アンタの側にずっといたのはオレだと。その上で自分とずっと一緒にいてもらいたいと、イルカに言いたかった。
でも、オレの一言が今のイルカにとって混乱させるものだとしたら、今は言ってはならないものなのだろう。
けれど、今のままではオレ自身がイルカには何もしてあげられない。
これからのことを考える上でも、オレがオレとしてイルカと会える機会を作らなくては。そして、オレがイルカを助ける。今まで逃げた分も全部、この先イルカを助けるのはオレだけの役目だ。
決意を新たにして考えを巡らせていれば、アスマと紅が肩を掴んできた。顔を上げて、おかしな気配に首を捻る。
目元を笑みの形に弛ませているが、二人の気配は怒りのそれに近い。
どうしたと問おうとして、アスマが口火を切った。


「で、だ。当然、イルカが出産するまで、はたけカカシとしてイルカと会う事は禁じさせてもらう」
横暴すぎる言葉に面食らった。どうしてと突っかかるように吐き出すオレに、アスマは静かに言う。
「おめぇは今のイルカにとって不安要素そのものだからだ」
それでも会おうとするなら居場所はないと思えと低く告げられる。
マキとしての立場も取り上げると暗に仄めかしたアスマを信じられないように見つめれば、紅が口を挟んだ。
「言っておくけど、木の葉の住人全員の総意と思いなさい。変な動きをしたら即、長期任務で里外に飛ばしてやるからね」
その後ろには当然三代目がついているのだろう。
里内全員が監視者だと豪語した二人に二の句が継げないでいれば、二人はもう一度オレの肩に手を乗せた。
『分かった(か)?』
念押ししつつ、にっこりと笑ったアスマと紅の目は、底知れぬ怒りの炎で燃えていた。
どうやらオレの決意は、色んな者たちの逆鱗に触れていたのだと今になって実感した。



「……テンゾウ、いるでショ?」
最近、溜まり場になりつつある、病院のオリの個室部屋に特攻すれば、苦虫を噛み潰した顔のオリの歓待を受けた。
「……先輩、おれは歓待してませんからね」
いつの間にやら読心術を覚えたオリが扉に体を寄せ、オレを部屋に入れるためのスペースを空けるので、これが噂のツンデレかとしょうもないことを思う。
上がり込んだその先で、小さな机の上にオリが淹れたであろうコーヒーが二つあり、その前にオレが探していたテンゾウの姿があった。
「先輩、お疲れ様です。言いつけ通り、こちらは無事に終わりました」
オレの姿を見る前に直立不動で頭を下げるテンゾウの生真面目さに苦笑する。元先輩ってのが正しい呼称なんだけどーね。
どうぞと席を勧めるテンゾウの言葉に甘え、席に座り、まだ手を付けていない湯気が立ち上るコーヒーを口に運ぶ。直後に口の中に広がった香りの良さにオリを睨んだ。
オリの野郎、オレにはインスタントでテンゾウにはきちんとしたものを出していやがる。
オレの視線に気付いている癖に決してこっちを見ないオリに故意の臭いを如実に感じつつ、今度ツーマンセルになった時は目に物を見せてやると心に誓う。
「先輩?」
テンゾウ用に新しいコーヒーを淹れるオリを睨みつけていると、テンゾウが少し疑問を含ませてオレに声を掛けてきた。
あ、いかん。オリのことなどこの際どうでもいい。


「テンゾウ、ここ座れ」
床に指を差せば、テンゾウは正座で躊躇なく座った。
見上げる格好になったテンゾウを見下ろし、オレは言う。
「まず最初に言っておく。イルカはオレの嫁になったから。例え可愛い後輩といえども、イルカに手を出すなら容赦しない。肝に銘じておくよーに」
アスマたちから解放され、すぐさま家へ帰り、イルカと感動の再会を果たしたはいいが、信じられないことにイルカはこの堅物を誑し込んでいた。
こいつは少々特殊な生い立ちをしているせいもあり、人と未来の約束事をするような可愛らしい性格では決してない。
今が全て。
刹那的に生きようとする、暗部に身を置く者の特有の、そして特に顕著な考えを持っているテンゾウが、よりにもよって他人へ未来のことを話した。しかも、それは「また会おう」という約束事にも通じる。
すなわち、これはこいつにとっての口説き文句以外の何物でもないのだ!
間男としてイルカに近づくならば殺すと、目で殺す勢いで睨みつけていれば、テンゾウはいまいち自分の感情を理解していないのか、オレの牽制の言葉にはぁと要領の得ない言葉を返してくる。あー、本当に手間のかかる後輩だね!!
いいかと、テンゾウの今置かれている状況を説明しようとしたところで、オリがテンゾウの前にコーヒーを置きにきた。そして、オレを見つめてひどく可哀そうな目を向けてくる。


「ようやく認めたかと思えば……。先輩、どれだけ心が狭いんですか。テンゾウがイルカさんに言った言葉の意味は、先輩がイルカさんと密接な仲になるなら、そのうち会う機会も巡ってくるだろうという意味ですよ」
崇拝する先輩の女に手を出そうなんて、テンゾウに関しては天地が引っくり返ってもあり得ないとため息交じりに話したオリの言葉に口を閉じる。
どうやらテンゾウはオリへ、イルカと過ごしたことを話したらしい。
視線を移せば、能面顔に大きい目だけを光らせてオレをじっと見つめているテンゾウがいる。
「本当か?」
オレの問いの内容が分からなかったのか、黙り込むテンゾウへ言葉を継ぎ足す。
「オリが言ったことは本当か?」
ようやく理解できたのか、テンゾウは「はい」と迷いなく言い切った。
オレを見つめる瞳に浮かぶ、何かに浮かされるような妄信的な光は正直辟易しているが、確かに、テンゾウがオレを裏切ることは有り得ないことだけは分かる。
「……なら、いいーよ。悪かったね、疑うようなこと言って」
オレの言葉に安堵したのか、テンゾウの口から小さく息が吐き出される。
オリに椅子を勧められ、そこに座ったテンゾウは小さく話し出した。
「オリにも先輩と同じようなことを聞かれました。確かに、普通の女性とは違うとは思いましたが浮かれるようなものは何もありません。ただ、彼女の笑顔は見ていて気持ちいいですね」
ん?
引っかかる言葉に顔を上げれば、オリがしきりにテンゾウの肩をどついている。テンゾウはオリの行動に不快な表情を浮かべ、手を払いながら続けた。
「始めこそ、先輩を弄ぶ性悪女ならば斬って捨てる覚悟でしたが、彼女ならば何の問題もないでしょう。先輩がもし彼女に飽きるようなら、子供を含めて僕が責任もって面倒見ますので言って下さい」
きっぱりとやけに清々しく言い切るテンゾウの言葉に、オレのこめかみが蠢く。
「面倒なことになった」と呻くオリの傍らで、テンゾウは呑気にコーヒーを飲んでいた。
やっぱり。やっぱり………!!!
「しっかり誑し込んでんじゃないのよーーー!!!」
絶対そんなことしていないと顔を真っ赤にしてこちらを睨み据えたイルカの顔を思いだし、オレは髪を掻きむしりながら絶叫した。







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カカシ先生の苦難の道のりは未だ序盤です。……書いているこっちがしんどくなります。ふふ。




公然の秘密 16