オレが良しと言うまでイルカには物理的にも脳内的にも絶対に近づくなとテンゾウに釘を刺し、オリにも、もしテンゾウが勝手な行動を起こしたら連帯責任だからなと脅しをかけ、オリの部屋を後にした。
「まったく。どうしようもない女だねぇ」
歩きながらやるせないため息を吐く。
今、オレは数あるうちの隠れ家の一つに向かっている最中だ。
顔のほぼ半分を覆う、目深いフードに、全身を覆うコート。言わずもがなの、イルカの雇い主としての格好だ。
イルカに腹を立てているとはいえ、あの身重女がしっかりと休養しているのか確認を取る必要がある。放っておくと、すぐに体を動かしたがるから本当に厄介だ。
数時間前に面と向かって言い合ったこともあってか、微妙に顔を合わせづらいと思うものの、イルカの友人、マキとして喧嘩したのだからオレが気に病む必要はないことは理解している。
だが。
「……どうしてやろうかねぇ」
イルカの無意識の誑し振りに頭が痛くなった。
男女の行為は本能の行為、それに付随する感情の意味が分からないと常々言っていたテンゾウを誑し込める手腕は脅威に値する。
ただでさえ、オレ自身はイルカに会えないのだ。それなのに、イルカは無責任にほいほい己の魅力を曝け出して、行く先々で男ども、いや女でさえも魅了していく。
せっかく自分の気持ちに気付いたのに、好いた女はオレの気も知らないで身勝手に不特定多数に気持ちを寄せられる。
もし、オレがオレとして会えない間に、イルカの心を動かす者が出てきたらどうすればいいのだろう。
あのイルカのことだから、イルカが惚れた時点で相手だってイルカのことを憎からず思うかもしれない。
二人が親密になる過程を、イルカの友人として側で見ることしかできないなど考えただけでも怒りで頭がどうにかしそうだった。
大きく舌打ちをし、辿りついた家を見上げる。


ここは、オレと忍犬たちだけの居場所。
誰にも邪魔されない、オレが、イルカの前でほんの少しオレを出しても許される場所だ。
イルカには正体を明かせない。でも、雇い主であるオレが、はたけカカシを髣髴とさせるような男だったら……。それくらいならきっと大丈夫。
本来のオレがイルカとは随分会っていないことが気がかりであり、少し恐いと思ってしまう。
どうか、イルカがオレを、はたけカカシを感じてくれるように。
そう願い、家へと入ったオレは、とんでもない失態を犯してしまった。


切っ掛けは些細なことだったと思う。
他愛ない話をしながら、案の定働こうとしているイルカへ苦言めいた言葉を向け、世間話と変わらないことを話した。
一方でオレは、過去のオレがイルカと会話していた時のことを思い出し、それと重なり合うように、オレがオレを演じるような気分で言葉を紡いだ。オレはどんな仕草をしていたか、アンタとどんな空気で接していたか。
一つ、一つ、確かめながらそれでも大胆に、どうか思い出してと念じながら接した。
なのに、必死にはたけカカシの素を醸し出そうとしたオレへ、イルカが告げてきた言葉は劇毒にも等しかった。
「このままじゃここにいられなくなります」
少し苦笑しながら、それでも本気を滲ませた言葉に、頭の中が真っ白になった。
オレではないオレでさえ、アンタは遠ざけるの?


イルカ自身がオレを絶った気分に陥り、気付けば、イルカを押し倒していた。
驚きに目を見開いた瞳がオレを見つめる。
これで二度目だ。一度目は、イルカは頑なに目を閉じて開かなかったけど、今はオレを見つめている。
暗がりの中、泣きながら髪を振り乱していたイルカを思いだし、煽られるように興奮してくる。でも、胸に刺さった棘はちっとも痛みを和らげてはくれない。
「おい、止めんか! 何を考えてーー」
パックンが焦りに満ちた声を張る。
痛みも相まって苛立ちが高まり、こちらに駆けてくる気配も煩わしくて、口寄せの解呪の印を切った。
怒鳴ったせいか、イルカの顔が少し緊張で強張っている。恐がらせたかもしれないと思いながら、イルカが身動きするだけでオレの心臓は恐怖で縮こまった。
「逃げるな!」
悲鳴のような本音がこぼれ出る。
今逃げられたらもう二度と会えない気がした。
オレを切ろうとしているイルカがこのまま去ったら、オレはイルカから引き離されてしまう。
まだ何も言ってないのに。
イルカのことが好きだって、一緒になりたいって、お腹の子供も全部オレが面倒みるからって、何一つオレの気持ちを伝えていない。
そんな状態でイルカを離すことはできなかった。
留めるように腕の中に閉じ込めた。
触れ合う体から、イルカの心音が早鐘のように打っている音が聞こえた。
恐がらせていると思う。このままじゃ逆効果だってことも分かっている。それでも今は離せないと腕に力を込めれば、耳元でイルカの声がした。


「お客、様?」
戸惑いが多分に含まれた声。
自分の名が出ないことに失望を覚えながら、それは無理ないと己に言い聞かせる。落ち着けと何度自分に言い聞かせたか分からない。
必死に理性を働かせようとしていると、背中に柔らかい感触が落ちた。
一瞬、何が起きているか分からなかった。
オレはイルカを押し倒している。
一歩間違えば強姦に発展するかもしれない状況なのに、イルカは己の身に降りかかる危険を無視して、目の前にいる、知り合って間もない雇い主のことを気遣っていた。
途端に堪らない気持ちになった。


「アンタ、性質悪いよ。――嫌になる。何もかも全部……!!」
イルカを騙すように抱いた。深く酒に酔っていたけど、心の奥底ではイルカも望んでいたんじゃないかと思った。だから、大した抵抗もなく、オレにされるがまま全てを許してくれたのだと思っていた。今の今までは――。
揺れる瞳でオレを見上げるイルカの目には、こちらを気遣う感情しかない。
それを見て、ますます確信してしまう。
イルカにとってはあの一夜も、誰にでも許せる行為の一つではないだろうか。
己の望みを捨ててまで他人に尽くすイルカにとって、当たり前のことなのではないか。
イルカはオレではない男に抱かれ妊娠しようとも、イルカの行動も気持ちも変わらなかったに違いない。
その事実が痛い。堪らなく痛い。


シャツの合わせを掴んで、思い切り左右に開いた。
力を入れ過ぎたせいで、ボタンはおろか、生地までもが裂ける。
イルカの目がオレを見つめている。
何をされているか分からない、そんな表情。
ねぇ、イルカ。だったら、オレにちょうだいよ。アンタが他人に心を砕くそれを全部オレにちょうだい。アンタは誰にだって許せるというなら、それをオレだけにしてよ。オレだけ見つめて、オレの物だけになってよ。
キャミソールをたくし上げて、ブラの上から胸に触れた。
急かされるように首へ吸い付けば、イルカの腕が突っぱねってきた。
「嫌!!」
顔を掴まれ、遠ざけようと力が入る。手の平を外して横にいなし、全身で暴れてきたイルカへ叫んだ。
「大人しくしてっ、怪我させたくない!!」
「嫌だ、離して!!」
体の下にある細い体が鞭のようにしなり、手や足がこちらに飛んでくる。怪我をさせたくなくて、両手首を一つ掴みにして頭上で押さえた。
「嫌だ!! やだ!!」
体の自由が利かなくなり、イルカの声に震えが混じる。でも、そうやって嫌がっても、最終的には許すんでショ? 強姦された男の子供を必死に産もうとするように、アンタは誰だっていいんだ。なら、オレにしてよ。オレでいいじゃない。
「イルカ、好きだ。オレと結婚しよう。お腹の子も面倒見るから、オレと一緒になろう」
そのお腹の子がオレの子ならばなおさら、それでいいじゃない。
激しく顔を左右に動かすイルカの頬を掴み、宥めるように口づけを送ろうとすれば、顔を背けられた。それに痛みを覚えながら、頬に口づけを落とせば、小さな嗚咽が聞こえた。
一瞬、怯んだ。でも、イルカの拒絶は始めだけだと言い聞かせる。


「イヤ、イヤ!!!」
イルカの泣く声に耳を塞ぎ、体に手を這わせた。
まとわりつく服が邪魔で、力任せに剥ぎ取る。抱いた時よりも少し肉付きが良くなった体は柔らかくて気持ちがいい。
少し大きくなったと思う胸を確かめるように撫でて下へと滑らせる。
目的の場所に行こうとする前に、手に感じた膨らみに気付いて止めた。
張りのある少し大きくなったお腹。ここにオレの血を分けた子供がいる。
そう思うと少し不思議で、でもオレが確かにイルカと繋がっている証拠でもある。目に見えるその存在が、今は心強くて仕方ない。
無事に育てと願うように触れていれば、イルカの声が引きつる。
そのことに一瞬気を取られた、直後。


「ぅあっ!!」
手に走った強烈な痛みに思わず体が引く。
何が起きたか分からず、痛みが走った原因へと視線を向ければ、イルカのお腹が青白い光で輝いていた。
馴染み深いその色と波動の正体を知り、驚くよりも早くイルカの膝がオレの鳩尾を貫いた。
ガードする暇もなかった。
情け容赦なく入ったそれに息を詰まらせていれば、イルカが立ち上がり駆けた。待ってと声を掛けようにも息が吸えずに音が出ない。
何とか顔を起こした頃には、イルカの姿はなく、気配もとうに消えていた。


「……は、はは。何やってんだ、オレ……」
蹲っていた体を返して、仰向けに寝そべった。
部屋を照らす明かりが眩しく思えて、手の平で遮る。未だじんじんと痺れを伝えてくる手を感じ、思う。
あれは雷のチャクラだった。
この里に在住している雷を持つチャクラの者は意外に少ない。戦闘に特化したチャクラが故に、里外任務を請け負うことが多いためだ。
そして、イルカの側にいる雷を持つチャクラの者は、オレとサスケの二人のみ。そのことからも、オレは確信を深める。
「……やっぱりオレの子だーね。……生まれてないのに雷打つなんて…」
イルカの子が自分の子であることが決定付けされたことに安堵を覚える。だが、それと同時に、我が子に攻撃された事実が胸に重く圧し掛かった。
それに追い打ちを掛けるように、玄関からこちらに向かって荒々しい気配が飛び込んでくる。


「イルカ、無事か!?」
現れたのは、オレの忍犬たちだ。
オレのピンチの時にだって慌てず、冷静さを保つこいつらが、先ほどのことには動揺も露わにしていた。
イルカはどこだとしきりに匂いを嗅ぐ忍犬たちへ告げた。
「……イルカは帰ったよ。……あと、お腹の子、オレの子だった」
間違いないと淡々と呟けば、パックンがオレの元に駆け寄り「馬鹿者」と叫んだ。
「お主はまだそんなことを言っておるのか!? 付き合って浅い拙者らでも、イルカがどこの知らん馬の骨と簡単にまぐ合うとは思わんわ! あれほど真っ直ぐな者を侮辱するのも大概にせんか!!」
一喝されて、一瞬呆けた。そして、自分の独りよがりの思い込みに気付く。
確かにイルカは一度芽生えた命ならば、誰の子でも産もうとするだろう。生まれてくる命を喜び、自分が持てる愛を注ぎ慈しむに違いない。
だが、それは不特定多数の相手の子を身ごもるということではなく、イルカが多情だということでもない。
イルカの人柄はオレがよく知っている。
顔と名声が飛び抜けて良かったオレにもイルカは普通に接してくれた。それは友人と過ごす以上の心地いい時間で、男女という垣根を越えられるかもしれないと、女にだらしなかったオレにでさえ思わせたほどだ。
イルカは、オレとは違う。
イルカは一途にたった一人を思うような、そんな付き合い方を望む人だ。


「カカシ!!」
パックンに続いて、他の忍犬たちがオレの名を呼ぶ。誰も憤っていて、それは当たり前の反応なのだと素直に認めることができた。だけれど。
「……カカシ?」
反応しないオレを訝しんだパックンがこちらを覗き込む気配がする。
オレは両手で顔を覆っているからその顔はパックンたちには見えないはずだ。でも、頬から流れ落ちる涙は隠せなかった。
「泣くくらいなら軽率な行動は慎まんか」
幾分声を和らげ、ため息とともにパックンが呟く。傍ら近くに座ったパックンの温もりが優しくて、どうしようもないオレには勿体なさすぎてますます泣けてきた。
「……どうしよう、オレ。至らな過ぎて嫌になる。勝手に嫉妬して、決めつけて、イルカを傷つけることしかできてない」
せめて嗚咽だけは漏らすまいと奥歯を噛みしめていると、忍犬たちがオレを囲うように寄り添ってきた。
「どうしようって、やっちまったもんはしゃーねぇだろ」
「そうだよ、カカシ。やっちゃったこと以上にイルカにとって為になるよう、役に立つように頑張るしかないよ」
「おん」
元気出せよと鼻を押し付け来る忍犬たちの優しさが沁みた。
自分の不甲斐なさを痛感し、声も泣くオレに、忍犬たちはその後何も言わずに側へいてくれた。


胸に貫くのは後悔のみだ。
今までずっとイルカにしてきた独りよがりの行いと、軽率な行動に胸を掻き毟りたくなる。
イルカを守りたいと、側にいたいと思う気持ちは本気だ。
それには今のままのオレでは駄目なんだろう。


イルカや他の者たちが安心できるような、イルカの側にいてもいい男になりたい。
オレは自分を変えたい。
苦い思いを噛み締めながら、オレは願うように奥歯を噛み締め続けていた。



戻る/ 18



------------------------------------------

ようやく改心の兆しが見えてきました。
このカカシ先生の敗因は子供っぽいところでしょうか……。





公然の秘密 17