「てめぇ、一度ならず二度までも、イルカを何だと思ってやがんだ!!」
イルカを傷付けた翌日。
一睡もできなかった体で上忍待機所へと赴けば、待機所に入るなり、待ち構えていたアスマに胸倉を掴まれた。
自分のしたことを誰よりも知っているオレは抵抗する気力もなく、振り上げた拳を黙って見ていた。
横面に衝撃が走り、勢いのまま壁に叩きつけられる。
任務のある身で余計な怪我をすることはできなくて、申し訳ないが受け身はとらせてもらった。
徐々に熱を持つ頬を抱え座り込んでいると、アスマは追撃をかけんばかりに大股でこちらへと歩み寄ってくる。
肩を上げ、憤怒の表情でこちらを睨みつけるアスマをぼんやりと見つめた。
正直、アスマの拳に救われる思いがした。だが、オレがイルカにした事を考えれば、それでも手ぬるいものだろう。
気が済むまで罰して欲しくて余計な口を開かずに待っていれば、アスマを止める華奢な手が現れた。


「アスマ、これ以上は駄目よ。抑えて」
感情のない声でアスマを引き止めたのは紅だ。
庇うつもりかとアスマは食ってかかったが、紅は冷めた表情でそれを受け止めるばかりか、唇を引き上げた。
「それ、本気で言ってるの? イルカちゃんの幸せを願っているのがアンタだけだと思ったら大間違いよ」
静かな怒りを灯す瞳に睨まれ、アスマは開きかけた口を閉ざした。背を向けたアスマの代わりに紅が歩みを進める。
呆けたオレの前に座り、目を合わせると紅は告げた。
「カカシ、アンタ、楽な方に逃げてんじゃないわよ。アンタがしなくちゃいけないことは、私たちに罰してもらうことじゃないでしょう?」
淡々と諭すように告げられる言葉はオレの後悔を肥大させる。
奥歯を噛みしめ目を細めれば、紅はオレの頭を軽く叩いた。
「……マシな顔もできるようになったじゃない。次は、ないと思いなさい」
腕を引き上げ立たせ、出入り口へと押し出される。
振り返れば、しっしっと追い出す仕草を見せる紅と、黙って見送るアスマがいる。
その意味を、思いを受け、どれだけ自分が周りの者の思いを見過ごしてきたか、無関心でいたかを知った。
過ぎたことは戻らない。けれど、これからのことならば今からでも足掻けるはずだ。
「……ありがとう」
どの面を下げてと罵倒されるかと思ったが、オレの言葉は二人に受け入れられた。
「さっさと行け。オレの気が変わらない内にな」
憎まれ口を叩くアスマに頷いて、待機所を出た。
目指す先は決めてある。


イルカを傷つけた日、オレはイルカの元へ帰る勇気が持てなかった。
だが、今日はちゃんとイルカと向き合う。
一晩寝ずに考えた、精一杯の誠意を携えて向き合う。
しでかしたことを思えば逃げたい気持ちにさせられる。だが、もう逃げないと自分に誓った。そして、自分を変えると決めたから、怯んでなどいられない。
まずはイルカのためになることをしよう。
環境的にも物理的にも、オレができる精一杯のことをさせてもらう。そして何より、オレがそうしたいと望んでいる。


久しぶりに帰った、埃臭い自分の部屋に入るなり、箪笥を開ける。そこに入っていた通帳と印鑑を手にして、オレは再び外へと駆け出した。


******


世の女どもが目の色を変えて向かうショッピングのはずが、イルカにとっては当てはまらないらしく、みみっちいとしか言えない数のそれらを持ち、がっかりしながら帰途へついた。
せっかく口座直結のカードも作って、浪費する気満々だったのに、開いてびっくりの少額買い物だった。
イルカは十分だと笑っていたが、それじゃオレの気がすまないのー! 本当に貧乏性な女だね!!
いくらこちらがごねても、イルカはそれ以上買おうとはせず、そればかりかオレを目の前にして「ありがとう」と言ってきた。
今まで言われた「ありがとう」とはまた違うもの。
イルカの目に映る人物はオレであるはたけカカシではないことは分かっている。けれど、イルカの感謝の言葉は、オレが今まで生きてきたものを肯定してくれる言葉に他ならず、オレは言葉を失くした。


何も知らない癖に、何も分かっていない癖に。
咄嗟に「バカじゃないの」と反論してみたものの、虚勢であることはバレバレで、勝手に滑り落ちてくる鼻水と他もろもろの対処に困った。


ねぇ、イルカ。
どうしてアンタみたいなのがいるんだろうね。
アンタが何気なく言った言葉は、オレみたいな生き方をしている人間には、喉から手が出るほど欲しいもので。得られたくても得られないものの一つだってこと分かってる?
その言葉がどれほど重たくて、人を縛り付けるものか理解していないんじゃないの? だから、軽々しくそう口にできるんじゃない?
本当にアンタってばバカだねぇ。
こんな救いようもない男に差し向けて言い言葉じゃないってのに。
これでまた、アンタはオレに一つ枷をつけたよ。これ以上つけられたら、オレはアンタから離れられなくなるってのに、これ以上どうしようっていうのかねぇ。


オレの気持ちなんて全く気付いていない癖に、無邪気に笑うイルカへ苦笑して、共にアパートへ帰ってきたオレたちを待っていたのは、全く思いもしない者だった。


「パックン!」
オレの口からその名が出るより先に、イルカが嬉しそうに呼んだ。
アパート前で護衛よろしく背筋を立てて待っていたのは、オレの絶大なる信頼を寄せる忍犬たちのリーダー、パックンだった。
イルカはしゃがみこむなり、パックンと会話をし始めた。
「今日から来るの?」
「うむ。手始めに拙者から始めたいと思う。これからよろしく頼む」
頭を下げるパックンにイルカは「こちらこそ」と満面の笑みを浮かべた。一体何がなんだか分からない。
それじゃどうぞと、パックンのためにドアを開けるイルカを見、完全に置いてけぼりにされている自分に気付く。
「ちょ、ちょっと待った! 一体全体どういうこと?」
オレは何も聞いていないと主張すると、イルカは小さく笑って鼻傷を掻いた。
「えっと、これはその」
どう説明しようか困っているイルカを助けるように、パックンがオレに向き直り、そして堂々と言い放った。
「主のふがいない行動を抑制する上でも、拙者らはこれよりイルカを護衛することにした」
ふんと鼻息までつけて言い切ったパックンに二の句が継げない。
「では入るかの」と、イルカが開けているドアを潜るパックンに、我に返る。
「ちょ、待て、待て!!」
オレの制止の声も聞かず、パックンはイルカが用意したタオルで足を拭いてもらい、まるで自宅へ帰ってきたかのようにくつろぎ始めた。
居間で寝そべるパックンに近づき、睨みを利かせるも、パックンはどこ吹く風だ。
「パックンは何食べたい?」
エプロンをつけ、夕飯の支度に入るイルカの問いに、パックンは鳥が食べたいと図々しくもリクエストを入れる。お前、一体何考えてんだ!!


「パックン、どういうつもり?」
イルカが夕飯の支度をしているのを確認し、オレは声を低くして問う。パックンはちらっとこちらへ視線を向けたかと思うやすぐに離して目を閉じた。
「理由は先ほど言った通りだ。それ以上もそれ以下もない」
はぁ? と頬を引きつかせれば、パックンはやれやれといった様子で起きあがり、オレの前に座った。
皺に隠された眼がこちらを睨み据える。
その眼光の鋭さに、疚しい覚えがあるオレは思わず目をそらす。オレの泣き所を察したのか、パックンは再びため息を吐いた。
「今のお主ではイルカをまた傷つける恐れがある。お主もそれが分かっているから強く出られんのだろ? 拙者らのことは安全装置だとでも思え」
きっぱりと言い切ったパックンに、忍犬たちの気持ちが伝わってきた。余裕がないオレを心配して、忍犬たちは自発的に行動してくれたようだ。
忍犬たちの思いを感じて、言葉を紡げなくなっていれば、後ろからイルカが声を掛けてきた。
「パックン、毛布出した方がいいかな。それとも一緒の布団に寝る?」
は? 警護っていうのは日中だけであって、夜はもちろんお暇するのではないのか?
パックンに視線を向ければ、パックンはイルカの元へ駆け寄り、前足をあげてイルカの顔を見上げている。
「うむ。せっかくだし、イルカと寝ようかの」
イルカの体に両足を掛けて見上げるパックンの尻尾は、喜びも隠そうとする素振りすらなく、全力で左右に振られていた。
それを見て、カーっと頭に血が上る。
「ふざけるんじゃないよ!? 誰が夜もオッケーしたのよ! 冗談じゃない、日中は分かるとしても夜は絶対ダメ!!」
怒鳴るように叫べば、パックンの尻尾の振りが止まる。そして、じろりとこちらを見据えてきた。
「……夜こそ危ないんじゃろうが」
気付かなかったとでも思っているのかと、パックンの悪辣な眼差しが突き刺さる。
枯れてもいない正常な男としての生理現象だと口を開こうとして、パックンは凍えるような眼差しを向けてきた。
それはこちらを最低だと見下すもので、オレは思わず言葉を飲み込む。
いや、だってそれは仕方ないだろう。惚れた女が間近で寝ているのだ。しかも一度寝付けばちょっとやそっとは起きないとなったら、その、こう、ちょっとならいいかなと思うでショ。それにあくまでも見たり素肌にほんの少し触れる程度の可愛いものだ。決して、寝ている間に襲ったりとか、口に突っ込んでいる訳でもなし、ほんのすこーし手を使わせてもらったり、軽く口付けするくらいならまだまだ許されるものだとーー。
もごもごとイルカには言えない言い訳を口の中でかき混ぜていれば、パックンはふんと鼻を鳴らした。
「意識のない者に悪戯するような男は最低だ。そんな不埒な男は御免被りたいものよの、イルカ」
パックンの言葉に、イルカは不思議そうに首を傾げながらも肯定した。
「? そうだね。男の人というより、人として駄目だと思う」
少し苦笑しているのは、あのときの一件を指しているのだろうか。
疚しさだらけで反論できないオレに、パックンは小さくため息を吐き、言った。
「よかろう。ならば、我ら護衛隊とじっくり話そうではないか。いとの中忍とやら」
未だにイルカの足に両手を掛け、愛想のいい態度を取っている癖に、オレを見つめるパックンの眼差しは非常に冷たいものだった。
あぁ、本当にお前らは主人思いの最高の忍犬たちだよ!!


「おかえりなさい、長かったねー」
あれから近場の公園に場所を移し、忍犬たちとオレは話をした。
長い話し合いの末、結局、カカシは信用ならねぇという非常に抉る一言を持って、忍犬たちの日替わりイルカの24時間警護が可決してしまった。何かの拍子で間違いを起こさないと断言できるのかという忍犬たちの言葉に、詰まってしまったのが敗因だ。情けないことだが、オレもイルカに関しては自分自身が一番信用ならないと思っている。
「うむ、いとの中忍と話し合った結果、快く了承してもらったぞ」
イルカに足を拭いてもらいながら報告するパックンは、忍犬とは思えぬほど尻尾を振り回している。
契約主はオレだってのに。
「そっか。それじゃ、改めてよろしくね」と、顔を綻ばせてパックンの頭を柔らかく撫でている。
いつの間にか親密になっている様子に胸の内がもやもやして、オレは険のある声を出してしまう。
「イルカはもう寝る。待ってないで寝ててって言ったでしょーが!」
オレの声にびくっとイルカは体を震わせると、悪戯がばれた子供の様な顔をして、気になっちゃってと小さく言い訳をする。
そこで終わるなら、オレもあと一言二言小言を言って終わっていただろうに、あろうことかイルカは言った。


「少し様子がおかしかったから、待っていたかったの。それに、ご飯はマキと一緒に食べた方が美味しいし」
なーんて、ちょっとはにかみながらこちらを心配してみせるから、オレの心は笑えるほど動揺してしまう。
表に出さないようにしてたのに、オレの様子に気付いてくれたんだとか、夕飯も食べずに待っていてくれたのだとか、イルカのはにかむ顔が可愛いとか、ともかくも、無自覚な健気な様子に心臓が打ち抜かれて辛いとか、本当にアンタってば無意識に煽るの止めてよねー!!?


色んな思いがだだ漏れそうになって、玄関先で蹲るオレに、イルカはどうしたのと動揺した声をあげたが、オレの優秀な忍犬は察したようにイルカをオレから離す。
「いとの中忍はああしてチャクラの流れを正す修練をしておるそうじゃ。拙者らは先にいただくことにしよう」
「え? そ、そうなの?」
「そうじゃ。拙者がいとの中忍にチャクラの整え方を公園で享受してやった。気にすることはない」
嘘八百を並べたてるパックンの言葉に、イルカは納得したようなしないような空気を漂わせながらも、パックンのお腹空いたという言葉に奥へと引っ込んでいった。
正直、イルカの肌の感触を強烈に覚えている中、あんなに可愛いことをされては三度目の過ちを起こしそうなオレがいる。


イルカの護衛役は必要なのかもしれないと、先見の明がある忍犬たちへ素直に感謝した。






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忍犬大事です。はい。




公然の秘密 18