翠玉 1
「はたけカカシ上忍って、知ってる?」
昼時、アカデミーの同僚で友人の、いとのマキにそれとなく聞けば、Aランチのエビフライの慣れ果てが顔面に直撃した。
……汚い…。
至近距離でぶつけられた細かな物体を無言で取る私に、マキは雄たけびをあげた。
「はぁぁぁぁぁ?! あんた、それ本気? マジで言ってんの?! あのはたけカカシ様を知らないなんて、あんた本当に木の葉の忍びッッ?!」
バンバンと食堂の机をしこたま叩くマキの手を慌てて押さえ、何事かと目を向ける周囲に愛想笑いで誤魔化す。
「ちょ、ちょっとマキ! 落ち着いて、落ち着いてってば…!! 目立ってるから、目立つ…ッッ」
ただでさえ悪目立ちをしている自分を慮り、マキに縋りつきながら懇願すれば、マキは私の手を振り払い、真っ赤な顔で噴火した。
「これが、落ち着いていられるかってーのッッ! いくら噂に疎いからって、そりゃひどすぎるわよー!!」
「いい!」と、マキは身を乗り出し、人差し指を一本立てた。そして、高らかに歌うように語りだした。
「はたけカカシ。わずか6歳で中忍試験を合格し、その後、超爽やか美形と謳われるあの四代目火影の師事の元、めきめきと実力と共に名声を得、10代で上忍、暗部へと入隊。二つ名は写輪眼のカカシ、コピー忍者とも言われる、里を代表する忍び」
忍びの癖に全然忍んでない。苦笑しながら指摘しようとした刹那、マキの目が突如光り、口を開きかけた私に人差し指を突き付けた。
「なーんてのは、単なる前振り情報!! ここからよく聞いてちょうだいッッ」
今日のマキはいつもより二倍増しでハイテンションだ。
マキの気配に押されつつ頷けば、よろしいとばかりに咳をし、豊かな胸にそっと手を押し当てた。
「神秘的な銀髪に、長い睫毛。マスクで隠されていても分かる整った顔立ちに、甘い声。年は私たちと同年代というナイスなお年頃。誰よりも印を早く結び、敵を葬ることに長けた指先は、夜毎、女たちに夢を見せてくれるという…。そして、何よりー」
夢見るような顔から一転、マキはくわっと眼を見開き、拳を握りしめた。
「里一番の稼ぎ頭ッッ!! 暗部から稼ぎ続けた金は、火の国銀行でさえ傾くと言われるッッ」
くぅぅっと小刻みに震えだしたマキに、頭は大丈夫かと心配になってくる。ひとまず本日の格安メニュー、給料前の心強いお友達、素うどんを啜りつつ、見守っていれば、突如、身を乗り出して腕を掴まれた。
「いい、イルカッ! 顔良し、閨良しの超お金持ちの同年代の男! こんな良い物件を狙わずして、何がクノイチか?! カカシ様は忍び世界で、いまだかつてない頂点に立つイイ男なのよッッ。あんたが毎月毎月金欠で、私の前でこんなみみっちい素うどんを啜らなくてもよくなるのッ」
「や、止めてッ、私の命の糧がッ!! 糧がぁぁぁ!!!!」
キシャーと火でも吐きだしそうなマキに振り回されながら、私は素うどんの汁を死守するべく食らいつき、一進一退の攻防を続けた。
「はぁ、はぁ、わ、分かった? それくらい今のクノイチ羨望の的であると同時に、競争率ダントツのイイ男だってこと」
「わ、分かった。分かった、から、興奮する度に、私のご飯を狙わないでぇ……」
机の上に落ちた黄金色のだし汁を見つめ、泣きが入る。勿体ない。これだけあったら、満腹感が一分延長できるというのに……。
こうなれば、誰にも見られない速さでこれを舐めとるか。幸い、ここは懐寂しい中忍、下忍が集う、質より量のアカデミー食堂。今日の面々からいって……。
今なら、誰にもバレずにやれる…!!
くわっと目を見開き、鷹の如く急降下した私の目の前に、マキが何気なくおしぼりを置いた。ちょうど私の目標点である真下に……!!
「……あんた、私の目の前でそんなみみっちいこと出来ると思わないでよ。もー、本当に、どうしてくれようかしら、この貧乏女」
おしぼりに吸い取られた汁が無念で、鼻に痛みが走る。ひぐひぐと鼻を啜っていれば、マキはため息交じりに、衣を纏ったおエビさまを丼に落した。
「それ。あげるからいい加減泣」
「きゃぁぁ、ありがとー、マキっっvv もぉ、だ~い好きぃぃvvv」
きゃっきゃと笑いながら、おエビさまに齧り付く。
うどんのだし汁を含んだ衣が口の中に溶け、その中から待望のおエビさまの身が舌に転げ出る。
衣が薄いおエビさまに久しぶりに遭遇した。朧気に覚えている、懐かしすぎるぷりぷりとした感触と、おエビさまの味に感じ入っていれば、マキはものすごく重いため息を吐いた。
「……あんた、知らない人から奢ってあげるって言われて、ほいほい付いて行かないでよ?」
もぐもぐとおエビさまの尻尾まで堪能し、恭しく手を合わせた後で、そんな馬鹿なと笑い飛ばす。
「やだ、マキ。父ちゃん母ちゃんみたいなこと言わないでよ。子供の時から耳タコよ~。分かってるってっ」
「…分かってないから、言ってるんでしょーが…」
眉間に深い皺を作るマキは心配性だと思う。
マキは眉間を押し揉みながら、「で」と言葉を続けた。うどんをもぐもぐと咀嚼しながら首を傾げれば、マキは箸でサラダを弄び、にやりと口に笑みを浮かべた。
「どーしちゃったのよ、イルカ。あんたが男の、しかもあの上忍以外の名前出すなんて、めっずらしーい」
ようやくイルカにもまともな春がやって来たかしらと、マキは人の悪い笑みを浮かべる。
「あの上忍って?」
最後のうどんの汁を啜り、心より感謝して手を合わせる。今日もおいしかったです。
明日もよろしくお願いしますと念じていれば、マキは首を竦めて再びサラダをつつき始める。おのれ、ブルジョアめっ。果物和えのサラダさまなんて私は食べたことないのに、なんて恐れ多いことをッ。
目を狭めて胡乱げに眺めていれば、ようやくサラダを口に運びながらマキは実にしょっぱい顔をした。
「私の口から言わせる気~? 思い出すだけで胸焼けしそうなんですけど…。あの特大眉した、あっつくるしい上忍よ」
「? そんな人いる?」
マキの口へと着実に消えていくサラダを見やり、首を傾げる。マキは「あんたならそう言うと思ったわ」と深いため息を吐き、最後のサラダの一欠片を口に投げ入れて、一言言った。
「マイト・ガイ上忍よ」
その名に、体にしびれが走る。まるで血が逆流するような、興奮が身を包み、思わず拳に力を入れた。
「ガイ先生が、何ッッ?!! ま、まさかマキ、ガイ先生と飲みに行くの?!私も、私も参加したい、参加させてッッ、お願い、一生のお願いッ」
何なら今持てる全財産をと懐に手を入れたところで、マキに手の甲で突っ込まれた。
「んなことあるかッッ! 私の狙いは、大物一本だっつぅのッッ」
「だから、ガイ先生でしょッッ!! まさに男の中の男。凛々しくもたくましい眉に、切れ長の瞳。顔立ちも鼻も男らしくて、笑顔からこぼれる出る白い歯ったら、もぉぉぉおぉっvvv 痺れっー」
「聞きあきたっつぅの、その信奉ぶり。見るだけで体力削られそうな汗くさそうな男は論外よ。論外。つぅか、男じゃなくて珍獣」
口に突っ込まれたエビフライを喜んで租借しながら、マキの言葉にしみじみと頷いた。
「そうよね、確かに、ガイ先生、木の葉の青き獣って言われてるものねっv」
「だから、あんたのその妄想フィルターを所構わず垂れ流すなっての! あーもー、話が進まないじゃない。私が聞きたいのは、あんたの口からはたけカカシ様の名が出るとは思わなかったってことッ」
そっちのことかと、思わずため息が出た。もう少しガイ先生の話したかったのに。それなのに、マキはこっちの気も知らず、打って変わって目を輝かせて身を乗り出してくる。
「で、なんでいきなりカカシ様のこと聞いてきたのよ。火影さまから、何か情報聞いたの!?」
「……聞いたっちゃぁ、聞いたけど、別に大したことないよ」
ぼそぼそと言葉を濁すも、マキは追及の手を緩めてはくれなかった。きらきらではなく、ぎらぎらとした目をこちらに向け、早く話せと脅してくる。
マキには何度かご飯を奢ってくれた恩があるため、無碍にもできない。
それでも一応極秘情報なだけに渋っていれば、マキは目を血走らせ言えと身を乗り出してきた。
「わ、分かったって!! 話すけど、正式発表があるまで、絶対漏らしちゃダメだからね」
うんうん、言わない言わないと、頷きながら手早く結界と幻術なんぞを張るマキに、ため息を一つ漏らす。任務時にこういう気の利かせ方をしてくれた方がどれだけありがたいか。
今か今かとかぶりつかんばかりに耳を澄ませているマキに気後れしつつも、口を開いた。
「……ナルトの担当上忍師になるって」
その直後に待っている大絶叫を防ぐべく、耳を塞いでいたのだが、いくら待っても、マキから目立った反応は返ってこなかった。
どうしたのだろうと、耳を覆っていた手を下ろせば、マキに握られた。あれと訝しく思う間もなく、
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、なにソレぇぇぇvv」
特大の黄色い声が、鼓膜にダイレクトに突き刺さった。
――お、おのれ、防御の手を封じておきながら、時間差でくるとは……策士めっ!!
ぐわんぐわん鼓膜を反響する、音の暴力に耐えきれず、机に突っ伏す。
マキは非常に上機嫌な様子で、私の肩をツツきながら期待の眼差しを向けてきた。
「カカシ様と飲み会、セッティングしてっvv」
キンキンする耳が、幻聴を引き起こしたとしか考えられない。
耳といわず、頭まで痛くなり、こめかみを揉み解した。
「無理。却下」
「いや~ん、もぉ、イルカってばぁv マキのお願い聞いてってばっ」
やたらとハートマークがついているような声音で、両手を握りしめるマキに、首を横に振ってやる。
「何言ってんのよ。上忍に気安く飲み会しましょうなんて誘えるワケないでしょーが」
「何言ってんのよ~。マイト・ガイ上忍を誘っているらしいじゃない。情報は上がってんのよ。いくら眉毛だって、上忍は上忍。中忍のあたしたちから声をかけることができる強者なんてイルカぐらいだって、もっぱらの評判よ」
にやりと笑うマキが恨めしい。結界が張られているのをいいことに、私は思いきり机を叩いた。
「だー、かー、らー!! 未だガイ先生と飲みに行けてないのに、どーして、私が、マキのために、お膳だてしなきゃいけないのよ!! 自分のことで精一杯よ、自分でしてよ、自分でッ」
憤慨して言えば、マキの口が大きく開いた。
「うっそ! あんた、まだ飲みにもいってないわけ?! ちょ…それは、有り得ない。あんた、よっぽど女として魅力がないんじゃない」
あまりな言葉に絶句する。二の句が継げずに固まっていれば、何故かマキは余裕たっぷりの笑みを向けてきた。
「でもねー。それならなおさら、イルカはカカシ様と飲み会のセッティングしなきゃねー」
まだ言うかと往生際の悪いマキへファイテイングポーズを取れば、それより早く鼻先に人差し指を突きつけられた。
「あんたにとっちゃ、値百万両はくだらない情報よ。心優しい私がタダで教えてあ・げ・る」
どこか凄みのある眼差しにゴクリと生唾を飲み込んだ。
「百万両?」
そうと、頷くとマキは勝ち誇った顔で言った。
「カカシ様が参加すれば、漏れなくマイト・ガイ上忍がついてくるわ」
私の答えは、決まっていた。
戻る/
2へ
---------------------------------------
やっぱりガイ先生お熱設定は外せない…。ワンパターンだなぁ、自分…orz