翠玉 5

場所はいつものところ。
極貧中忍の拠り所、安さが際立つ“酒酒屋”だ。



「あ、すいませーん。お銚子3本と、枝豆、冷ややっこ、そうねぇ軟骨の唐揚げと揚げだし豆腐。焼き鳥30本お任せで、追加注文お願いしまーすっ」
あまり見かけない顔はバイトだからだろうか。若くて線の細い店員くんに向けて、マキが笑顔で注文する。
先に注文していた品を置き、それを復唱し確認を取った後、店員くんは笑顔で注文済の伝票を、机にぶら下げている板へと挟んだ。
運悪く、視界を掠めたそれは、1cmに届きそうな厚みだ。
「ありがとうございまーすッ」
にかっと歯を見せ笑った店員くんに、呪いの眼差しを送ってしまいたい。
笑う店員くんに手を振り、マキは卓からはみ出んばかりに占領している料理の中の湯豆腐に手を伸ばす。
そして、開いた手に持ったお猪口を私へと突き出した。
「……ま、マキさん…。あの、ここら辺で本当にもう勘弁していただけませんか?」
徳利を傾けながら、愛想笑いを浮かべれば、「あぁん」と下から上に舐めるように睨みつけられた。
ひどいッ。さっきの店員くんに比べてこの態度の差は何なのッッ。



「昔からの誼でここにしてやるけど、当然あんたの奢りだからね」と声高に言われ、酒酒屋に連れられたのは一時間前。
ガイ先生から背を向け、新しい恋に走った私はそんなに悪いのかと、横様に崩れ落ちる。そんな私を尻目に、マキは私の酌は飽きたとばかりに手酌で飲んでいる。
かぱかぱと水のように飲む酒は、この酒酒屋で一番高いものだ。
あぁぁ、なんて恐ろしいッ。月半ばまでいっていない中、予定のない大出費に血の気が引く。いやいや、それよりも今宵私はこの代金を支払えるのか?!



いつも懐に忍ばせてある、ナルトとお揃いのガマの財布を開け、お金を数えていれば、影が走る。
卓に並ぶ料理の額に気を取られ、あり得ない失態をしてしまった。
「うあ、あ!!」
今まであった確かな重みがするりと抜ける。
驚愕に顔を歪める私の前に、人の悪い笑みを浮かべ、ガマ財布をわし掴むマキの姿があった。
「なに、この財布。蛙とガマぶち財布かけてんの? しかも、手作り? だっさー。おやじくさー。こんな物持つなんて今時信じらんなーい」
容赦ない言葉に胸が抉られる。
お金を無造作にポケットに突っこんでいたナルトに、よかれと思って作り渡したが、世間の批評はダサくて親父臭い一品だったのか?! そんなものをナルトに持たせてしまったのか私はっ。
これが切っ掛けで、女の子たちのナルトの評判を落として、一生独身だったらどうしようと、ぷるぷる震えていれば、鼻歌交じりにマキが数え始めた。
「ひーふーみーの、でとぉ。うっわー。いつもながら寂しい限りねぇ。200両ぽっちしかないじゃない。ここの勘定払えるの〜?」
財布を片手に、伝票へ手を伸ばし、マキはけらけらと笑い出す。
「あー、イルカざんね〜ん! 現時点で180両よ。180。追加注文したやつと合わせたら、余裕で越えるわ」
酔っぱらい特有の甲高い笑い声をあげながら、私の名を呼ぶ友人に、答える気力は残っていなかった。



明日から塩と水だけ生活か…。いやいや、パン屋さんに行ったらパンの耳をタダでくれるじゃない。うん、それをかじっていれば、直に給料日よ。そうそう、あっという間。あっという間だって。
うふふふ、うふふふふふと、遠くを見つめ笑う私にマキは一つ息を吐いた。
「まぁ、こんな極貧生活してりゃ、写輪眼の財産に目が眩んでも仕方ないか…。今回ばかりはイルカの応援してやるわよ。向こうもあんたに気があるみたいだし」
「勝ち戦しかしない主義なのよね」と嘯くマキをまじまじと見詰めてしまう。
「――マキもはたけ上忍に懸想していたの?!」
驚きの新事実に目を見開けば、マキは眉間に深い皺を寄せた。
「あんたねー。今まで一体、何の話を聞いていたの。カカシ様との飲み会企画してって初っ端に言ったでしょ。狙う気満々だったっての」
再び卓の酒をちびちびやりだしたマキに倣い、私も枝豆を口の中に放り込む。あのときはマキのミーハー癖が出たものだとばかり思っていた。
本当のことを言えば、また話がややこしくなりそうで、話の流れを変えることにする。
「でもマキ勘違いしてるって。私、はたけ上忍の財産に目が眩んだわけじゃないっていうか、その逆。貧乏だった方がどれだけいいことか。いかにしてはたけ上忍を養えるか、それが問題よね…」
はふぅとため息をつきつつ、滅多に味わえない日本酒をちびりとやる。
う、うまっ! 何コレ、味がちゃんとある!!
明日の己の食料事情を考え、今日は食べるだけ食べて飲むだけ飲んでやろうと燃える。
いざ、お魚の甘辛煮へ箸を伸ばそうとした直前、マキが皿を遠ざけた。



「まさか、私に食べるなって言うのっ?!」
そこまで禍根は深かったかと戦く私に、マキは呆れた顔を曝け出す。
「そうじゃないわよ。あんたが払うんだからあんたも食べればいいのよ。そうじゃなくて、あんた……一体、何の話をしている訳?」
手元に戻ってきたお魚さんの身をほぐしつつ、その甘辛な白身をお口の中に放り込みながら、私は言う。
「ん? ほらーもー、はたけ上忍の話。んまいっv さっきからその話してるじゃない」
ほうれん草の胡麻和えも口に放り込みつつ、ちびちび酒を飲む。
けどやっぱりここは白飯が欲しいものだ。マキは生粋の飲兵衛故にご飯ものは一切頼んでいない。ここはツケになるが、ご飯追加もしとこうか…。
「すいませーん」と廊下を走る店員さんを捕まえようと身を乗り出す。それと同時にマキが私の肩を押さえこんだ。
「だーかーら! どうして極貧のあんたが、火の国銀行を傾けさせるほどの財力を持つカカシ様を養わなくちゃならない考えになるの?! カカシ様を落としたら玉の輿よ! あんた一体、何、考えてる訳?!」
「ちか、近い、近い! 恐いってば、マキ!」
鬼の形相で迫るマキを何とか座らせ、ひとまず息をつく。
さぁ、話せ。どういうことなのか、私に分かるように話せと、こちらを睨みつけるマキが恐い。
それでもご飯が注文したいと視線で窺えば、却下と無言の眼差しで切り捨てられた。
白い湯気が立ち上るご飯の幻影を泣く泣く振り切り、私は本題に入ることにした。



「…マキはさ。はたけ上忍のこと知らないから、そういうこと言えるんだって。私が見た、素のはたけ上忍はね、すごいの……。もぅ何ていうか、あぁぁぁぁv」
今朝の映像を思い出し、思わず畳に突っ伏す。
「何がよ」
嫌そうな声でそれでも聞いてくれたマキに小躍りしながら、私は起き上がり、マキの空いている手を握った。
「聞いてくれる、マキ!! あのね、あのね。はたけ上忍ってば、父ちゃんなの!!」
「………はぁ?」
酒を啜っているマキが頬を引きつらせる。
つれなく手は振り解かれたが、私は負けじとマキに迫った。
「いや、世間一般で言うところのお母さんになるんだけど、私の家は家事全般は父ちゃんがやってくれてたから、そういう表現になるんだけど、でも、はたけ上忍は父ちゃんでもあるんだけど、その上をいく、まるで聖母のようなお人だったの」
脳裏に今朝の情景が蘇る。
朝の光。はためく白いカーテン。光の中にいた銀色の輝くお人。
その人は、朝の清々しい光を己の身にまとわらせ、私に向かって優しく微笑んでいた。
「うっ!」
思い出すだけで、口の中に酸っぱいものが込みあげる。なんて、威力。なんて神々しいまでの破壊力なのかっ。そのお姿を思い出しただけで想像妊娠のつわり症状が出るなんて……!
「ちょ、ちょっとあんた顔、真っ青よ!! 大丈夫なの?! 一体、何が起きたの!!」
血相を変えて心配してくれるマキの優しさに感謝をしつつ、私は額に浮き上がる油汗を拭いとった。
「大丈夫、マキ。これも、一重に私がはたけ上忍という神々しいまでに女神な、聖母に懸想をした罪だから……」
「い、いやいやいやいや! まったく意味わからんないからっ」
動揺するマキの肩を優しく叩き、私は話を戻す。
「だからね、そんな聖母でマリアなはたけ上忍と添い遂げようとするならば、私がはたけ上忍を養わなくちゃね」
ぐっと握った拳を掲げ、固い決意を示したが、マキには伝わらなかったようだ。
ぶんぶんと首を横に振り、非常に難しい顔を向けてきた。
「ちょっとイルカ。あんたの話をほぼ信じるにしても、用はカカシ様が家庭的だったって話でしょ。どうしてそう飛躍するのよ」
分からないと全身で叫ぶマキへ、ふっと息を吐いてやる。
分からないのも仕方ないか、マキはあの今朝の光景を見ていないのだから。
そこで、私は違う角度から話を進めてみることにした。



「ねぇ、マキ。私のいいところって何処だと思う?」
急に話が飛んだことに驚いた顔を見せたが、頭の回転の速いマキはすぐさま答えた。
「バカなところ」
うっっ。
思ってもみない、褒め言葉にすら掠りもしない発言に一瞬言葉を失くしたが、気を取り直して私は言った。
「私はね、包容力だと思う」
「あぁ、言えてる。あんたバカだからね」
うっ!
認められたが、再び発せられた言葉に頬が引きつる。なに、この子! 一体、私をどういう風に見ているの!!
「で、続きは? あんたの思考はどういう風に回って、カカシ様を養う発言に繋がってるの」
話の流れを完璧理解しているマキをさすがだなーと思いつつ、再び気を取り直して私は言った。
「うん。だからね、もし私がはたけ上忍と深い関係になろうと思ったら、私の長所である包容力。つまり、男らしさを見せつけるしかないと思ったのよ!!」
だんと畳に拳をつき、言い切った私を、マキは可哀想な子を見るような目で見詰めてきた。
その瞳は何?! と食ってかかろうとすれば、マキはその前に口を開く。
「……包容力から男らしさ、男らしさから好きな相手を養えるだけの経済力云々って、あんたのオツムはそう答えを弾き出したの?」
「うん、そう!!」
胸を張る私に、マキは非常に深いため息を漏らした。
どうしてそうも肩が下がるのか、理解できない。
「……あんたねぇ…。大事なことを忘れてるわよ。カカシ様って男よ? 世間の大多数の男が、好きな女に養われて嬉しいと思う? 男の面子丸崩れよ」
「あぁ、それ? うん。そりゃ分かってるけど、はたけ上忍は男性だけど男性じゃないの。父ちゃんで聖母で女神さまだから、私が守らなきゃ!!」
あんな綺麗な人を私の手で守ることが出来たら、どれだけ幸せなことだろうと、うっとりとしていれば、額に強烈な痛みが走った。
デコピンだ!!
「………このバカ。あんたがそこまでバカだとは思わなかったわ。相手は写輪眼のカカシよ? ビンゴブック常連で、里のトップクラスの上忍よ? その相手を守りたい? はーっ、ちゃんちゃらおかしいわ。アカデミー、受付の内勤職員がどこをどうして守れるって言い切れちゃうわけー?」
「反対に守られるのが落ち」と鼻で笑ったマキに、私は怒った。
「そんなことないもん! 用は気概よ、気概!! 確かに身体的には私の方がよわっちいけど、精神的には別!」
「精神〜? あんた、それこそ無理よ。特Aだ、Sランクの任務ばかばか頼まれてる忍びの精神力に、あんたが優るって思ってるわけ? うわー、勘違いしすぎー」
まったく話にならないと早々に切り上げようとするマキへ、私は立ち上がって声を張った。



「そうじゃないって! 優る劣るじゃなくて、はたけ上忍はすっごく繊細なの! 誰かが守ってあげなきゃ、あの人、壊れちゃうんだからッッ」



私の声があまりにもバカでかかったせいか、酒酒屋の店内が一瞬静まり返った。
針が落ちる音さえ拾えそうな静けさも、私が一つ息を吸った直後には、元のざわめきを取り戻す。



「……座りなさいよ」
顔を両手で覆い、くぐもった声で呟いたマキの言に従い、腰を下ろす。途端に、胸倉を掴まれた。
「んの、バカ! あんたって本当にバカ!」
小声で、でも鋭い調子で詰ってきたマキの顔は、何故か真っ赤だった。
何か恥ずかしいことでもあったのかと、目を白黒させる私を見て、マキは胸から手を離すと、片手で顔を覆った。
「あー。明日が恐い。……たぶん、向こうはあんたのこと憎からず思ってるから大丈夫だろうけど…。あんたと一緒にいると、本当に寿命が縮む」
そのままくたんと卓に突っ伏すマキを横目で眺めつつ、卓の料理に手を伸ばした。マキは時々かしこいから私にはついていけない時がある。
もぐもぐと煮っ転がしを食べていれば、店員くんが追加注文を持ってきた。
「どうぞ」と差し出してくれる皿を受け取りながら、白飯も一つ注文する。それに愛想よく頷きながらも、店員くんは何故か気ぜわしげな視線を私に投げかけ去っていった。……一体、何だろう?



まぁいいやと、白飯に合うおかずを自分の手元に引き寄せていれば、マキが身を起こした。
「で、あんたはマジでその路線でカカシ様を落とそうと思っている訳?」
「ん?」
まだ話は終わっていなかったのかと驚いていれば、マキはつまらなさそうに軟骨の唐揚げを弄びつつ口に運んだ。
「あんたの気持ちは分かったけど、良策とは言えないわね。ま、落とせるでしょうけど、回りがうるさくなるのは目に見えてるわ。ここは本人落とすよりも、あんたを磨く方が先決よ」
落とす? 磨く? 一体、何の話をしているのだろう。
首を傾げる私に、マキは「あー」と呻き声を発したが、身を乗り出し、私の耳元に囁いた。
「あんた、貯金いくらある?」
何を言い出すのかとぎょっとしてマキの顔を見れば、マキは笑いも一切浮かべていない真剣な表情で私を見詰めていた。
「先行投資が先。養う養えないわ、その後でも間に合うから。ひとまず、どれぐらいのお金使えるか教えなさい」
本気モードなマキに自然と背筋が伸びる。
経緯は全く分からないが、マキが私の為に何かをしてくれようとしていることだけは分かった。だから、私は、マキの右手の先にある、ガマ財布を取り、恭しくそれを差し出した。
「イルカ、勘定は後でいいのよ。私が聞きたいことは、今使える貯金であって」
マキの言葉に私は頷き、ずいっと差し出す。
「これ」
「……は?」
「私の全財産はこれです」
私の一言にマキが固まった。
ぴきっと音が立ちそうなほど、一瞬で身動きを止めたマキが不思議だった。
「お待たせしました、白飯、大です。こちらに置いて大丈夫ですか?」
店員くんが持ってきた、お盆の上に佇む白飯に、私は手を叩いて喜ぶ。
これであと三週間近くは白飯ともお別れだと思うと、余計に感慨深い。



両手で白い湯気の立つ幸せを受け取ろうとした寸前。
「返して」
マキの言葉に、私と店員くんの声がハモる。
『え…』
「注文取り消します。これ、いりません。戻してください。まだ返品聞きますよね? まだ箸も何も手をつけていないんですから、これ返してもまったく問題ありませんわよね?」
「いや、その、え」と戸惑う店員くんを白飯と共に追い帰し、マキはぐるりと振り返った。



その顔は満面の笑みで、けれどもちっとも目が笑っておらず、額には大きな筋がびきびきと立っていた。
怒っている。何故か、マキは超、怒っていた。



「マ、マキさん?」そう笑ってご機嫌窺いをしようとした私に、マキは瞬時に真顔になり顔を赤らめ、雷を落とした。



「この、大バカぁぁぁぁああ!!!!!」



ひぃやぁぁぁあぁあぁぁぁぁ!!!!









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切りが悪い…。そして居酒屋の話はまだまだ続く…。のー!