翠玉 6

「一体、あんたは何考えてるの?! 全財産使ってまで私を奢るつもりでいたってどういう了見なのッッ」
「す、すいません、すいません!!」
卓を壁に寄せ、スペースを取った真ん中で、怒るマキの前で私は土下座を繰り返す。
貯金額を教えろと言われたから、素直に言ったらぶち切れられた。
何がマキを怒らせたのか全く分からないが、尋常でない怒り方に恐れをなして、私はひたすら謝っている状態だ。



「あんた、そうやって謝ってるけど、私がなんで怒っているか全く理解してないでしょ! 分かるんだからねッ」
鋭いご指摘に、ひぃと内心悲鳴をあげた。
これが噂に聞く、女の勘ってやつなのか?!
「………ご、ごめんなさい」
分からないのに謝ってすいませんと反省していれば、マキの吐息が落ちる。おそるおそる顔を上げれば、マキは何故かとってもバツの悪い顔でこちらを見詰めていた。
「……今のなし…。ごめん。元はと言えば私が悪い。調子に乗ってあんたにたかる真似した私がそもそもの原因だし…」
飛び出た言葉に驚いた。それは違うと急いで首を振る。
「違うよ、マキのせいじゃないって! だって、マキの気持ちを知らなかったとはいえ、抜け駆けしたのは私が悪いし。散々っぱらガイ先生、ガイ先生って言ってたのに、手の平を返すような真似しちゃって…。マキが奢るだけで許してくれたのは、私にとってラッキーだって思ったよ」
そこは勘違いしてくれるなと重ねて言えば、マキは実にしょっぱい顔をした。
どうしてそこでそんな顔をする?



「………あんたが男じゃなくて、本当に良かったって今思った」
「どういう意味?」
尋ねる私に、マキはいいのよと手を振り、卓を元の位置に戻し始める。それを手伝った後、マキはお猪口を手に再び酒を飲み始めた。
お説教タイムは終了したようだ。
「まぁ、いいから、食べなさいよ。今日は私の奢り。極貧のあんたに情けをかけてあげるわ」
態度を一転させ、天使の如き言葉を投げかけるマキに、私は手を合わせた。
「本当?!」
「本当に本当よ。ご飯もいるんでしょ? そこの店員さん、すいませんけどそれくれます?」
一旦厨房に帰った店員くんだったが、チーフか厨房長に何か言われたのだろう。さきほど注文したご飯をお盆に乗せて、私たちが話終わるまでずっと廊下に待機していた。
マキが声を掛けるなり、ほっとした顔をして顔を覗かせる店員くん。
「ごめんなさいね」と、マキが猫を被りにっこりと微笑めば、店員くんは真っ赤な顔をしてぶんぶん首を振って、場を後にした。
「おー、さすがマキ。遊郭で流した名は伊達じゃないね~」
ご飯を手に持ち、ひゅーひゅーと冷やかせば、マキは当たり前と豊満な胸を突き出す。


一時はどうなるかと思ったけど、明日から塩、水、パン耳生活からは逃れられたのだと、マキの太っ腹に感謝していれば、マキはうふふふと笑った。
「その代わり、このお金は違うことに使うから。よって、没収します」
と、ガマ財布を懐に入れたではないか。
「はぁ?! 聞いてないってば! 私の全財産返してッッ」
豊満な胸に挟まれたガマが苦しそうに皺を寄せている。
今、助けてやるとマキに襲いかかれば、両手をがしりと握られた。
「どうせ一度は捨てた全財産でしょ。往生際が悪いわよ…!!」
「捨てたつもりはない! それは私のお金なの……!!」
組み合う形で両手を合わせ、力をぶつけ合う。だが、この勝負、分は私の方に余りある。
とある事情でクノイチとしての任務が全くできない私は、己の身体能力のみでアカデミー教師になった。
クノイチとして教師になったマキとでは、戦闘の場数が違う。
予想通り、筋肉があまりついていないマキは、私の力に押されている。勝負はもらった…!!
にやりと勝利の笑みを浮かべた私の目の前で、マキは不意に視線を逸らすと、小さい声で悲鳴をあげた。
「あ、イルカのご飯にゴキ○リが!!」
「なにぃぃ?!」
安かろうとも、清潔さは保っていた酒酒屋の怠慢かと、衝撃が走る私の隙をつき、マキは突っ込む私の力を利用して畳にねじ伏せた。あぁ、油断したッ。
「はい、私の勝ち~! まぁ、悪いようにはしないから、大船に乗った気持ちでいなさいって」
畳に突っ伏す私の背中に馬乗りになり、マキは手早く口寄せの術を発動させた。もがく私の前で、煙の中からリスが転がり出て、私のガマ財布を抱えるなり廊下へと走っていった。
あぁぁ、私の財産が……!!!



「ほらほら今日は腹いっぱい食べなさいよ。余ったら、それに詰めて帰るんでしょ?」
背中から退いたマキが私のバッグを指さし、ご機嫌な声を出す。
いついかなる時も食料を無駄にしないために、私はタッパを持参している。アカデミーの教師ならば、皆が知っている情報だ。
「……そりゃ、持って帰りますけど」
喜ばせといて、奈落に突き落とすやり方は、ダメージが深い…。
リスが消えた方向を恨めしげに眺める。
マキのリスは、諜報用だけあって、体が小さい上にとにかく素早く、一度姿を見失うとなかなか見つけることができない。しかも、リスの癖に隠密の術を習得しているというものだから、私にはお手上げの存在だ。
「はいはい、ま、とにかく今日は食べて、食べて」
焼き鳥を目の前に置き、勧めるマキに、私は「いただきます」と手を合わせて、食べ始める。こうなれば、食って、食って食い溜めてやる。



口の中に入るだけ入れて、ご飯と一緒に咀嚼していれば、マキは私の食べている姿を眺め、小さく口元に笑みを浮かべた。
「…ろーひはの?」
どこか嬉しそうな雰囲気を出すマキが不思議で尋ねる。すると、マキはどこか昔を懐かしむような口調で話しだした。
「あぁ、うん。なんというか。まさかあんたの恋を応援する日がくるとは思ってなくてさ」
私…、マキに嫌われているんだろうか。
思わぬ告白に、静かなダメージを受けていれば、マキは笑った。
「そう思ってたのは理由があるのよ。――下忍時代、戦場での後方支援任務、一緒になったでしょ。そのとき、あんたってば『恋しちゃった』って真っ赤な顔して私に報告してきてね」
煮付けに伸ばしていた箸を止める。
思い返してみるが、引っかかるものがなかった。
「そのときの理由、当然、覚えてるわよね。あんた、あのマイト・ガイ上忍に『キュートな鼻傷しているな!』って言われただけで恋に落ちてんのよ。しかもさ、イルカがそれを私に言った時、私、死にかけてたのよね。運悪く戦闘巻き込まれちゃって、腹切られてさ。地面に倒れているところをあんたが回収してくれたのは有難かったけど、そういう時に、普通、自分の恋話する?」
マキの話に目が見開く。
過去の自分がとんでもない輩だった事実を知り、冷や汗が流れる。けれど、全く記憶にないのはどうしてだろう。
「こっちは痛いし、寒いし、怖くて、不安でいっぱいいっぱいなのに、あんたってば夢見るような顔して惚気るのよ。マイト上忍の男らしさがいいとか、あの声も好き、眉毛見ているだけで痺れるって。そのときは腹が立って仕方なくてさー。『私は生きるか死ぬかの瀬戸際だってのに、恋なんかに浮かれやがって』『あんたなんかよりもずっとかっこいい彼氏見つけて、幸せになるんだ』『絶対死んでなんかやるもんか』『私は生きてやるんだ』って、死に物狂いに思ってた」
お猪口に残った酒をぐいっと呷り、マキは快活に笑った。
「それで、私は見事生還。医者も驚いていたわよ」
これもイルカのおかげかなと言ったマキに、動揺を通り越して、本気で凹んだ。
「あ、あの、さ。自分で言うのも何だけど、私の側によくいてくれたね。私、すっげー無神経で最低な奴じゃん…」
死にかけの人に対して、恋話をするなんて有り得ない。もしマキの立場が私だったら首を絞めていると思う。
落ち込む私の言葉に、確かにねとマキは頷いた。



「そりゃ、初めは思っていたわよ。こんな奴の側にいたくないって。でもさー、腐れ縁か分からないけど、中期、長期の任務がよく一緒になってたでしょ。始めは仕方なく、でもだんだんと苦じゃなくなっていって、最終的には、あんたのそういうバカなところ嫌いじゃないって思えるようになったの」
初めて聞くマキの思いに、驚くばかりだ。
それに、嘘偽りないマキの本音が聞けて嬉しくなってしまった。
くすぐったくて、噛み殺せなくてつい笑ってしまえば、マキは頬を膨らませた。
「もー、イルカは本当にずるいんだから。そんなに無邪気に笑われたら、誰だって憎めなくなるに決まってるでしょ」
言葉の意味がよく分からず、きょとんとしていれば、マキはまぁいいわと息を吐いた。空になった徳利を脇に置くと、新しい徳利に手を伸ばし酒を注ぐ。
とくとくと小さな音を立て、お猪口いっぱいに酒を注ぎ、マキはそれを零さずに綺麗に口に当てる。
「まぁ、そういうこともあって、私はあんたの恋の応援なんて絶対しないって、ずっと思っていたの。でも、今夜で終わり。ようやく本気になった、今のあんたの応援ならしてやってもいいかなって、ね」
「………マキ」
照れ臭そうに、でも親身になって言ってくれたマキの言葉に目が潤んでしまう。
言葉が出なくて、じっとマキを見詰めていれば、マキは我に返ったように照れ笑いを零すと、くいっと一息に酒を飲みほした。そして、私に料理を勧めてくる。
「ほらほら、とにかく今は食べなさい、食べなさい! 明日から、あんたの金使って、あんたを磨きに磨いてやるから、今日は思う存分食べときなさいって」
「うん!!」
こくこくと頷き、食事を再開する。
いい友達持って幸せだなぁと感慨深く、揚げだし豆腐に舌鼓を打っていると、聞き覚えのある声が降ってきた。



「あれ? もしかしてと思いましたけど、イルカさんじゃないですか?」
落ち着いた、伸びのある声。
聞き間違えるはずもない、それは今、私が熱く胸を焦がしているその人だった。






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次回、カカシ先生、登場!!