翠玉 7

「は、はたけ上忍!!」
「!!?」
席を立とうと慌てる私とマキに、はたけ上忍は柔らかく手で制し、「隣いい?」と気さくに声を掛けてくださった。
「も、もちろんです。どうぞ、どうぞ!!」
ささ、ここにと自分の座布団を差し出す。マキはマキで、お飲み物はいかがされますかと、中間管理職たる中忍の鑑的行動をそつなくこなしている。
「あ、俺はいらないよ。イルカさんと一緒に食べるから」
ね、と同意を求められ、私は必死で頷いた。
はたけ上忍は、マキの料理の取り分に心を砕いている。何て優しいの。
心臓は唸りを上げて、はたけ上忍の言動に反応している。
どうしよう、本当にこの人、聖母! 里のおふくろさんやぁぁぁ!!!



どうしようもない感動の渦に襲われている私の隣で、はたけ上忍は私の座っている場所に目を向け、ちょっと考えた後、胡坐を掻いた膝の上を叩いてきた。
「イルカさん、ここ座る?」
「え?!」
声を上げたのは私ではない。隣にいるマキだ。
マキの驚愕の顔に気を取られていれば、はたけ上忍はもう一度膝を叩き、私に向かって微笑んだ。
「ここ。イルカさん、それじゃお尻冷やしちゃうでしょ? 女性に冷えは厳禁だからね」
「…はたけ上忍っ……」
なんて、優しいの。フェミニストの鑑や!!
きゅぅんと胸が温かくなった。
私よりも恋愛プロフェッショナルなマキにお伺いを立てれば、一瞬何かを言いかけたが、突然目を見開くと言葉を失くし、豪快に卓へ突っ伏した。
「……あれ? マキ?」
そのまま身動きをしなくなったマキに不安を覚え、肩をゆすろうとすれば、マキは息も絶え絶えという声で、「気にしないで」と呟いた。
ぎこちなく上げた顔は、卓にぶつけた時の拍子で額が真っ赤になっている。
「い、いいから、ここは、はたけ上忍の、お言葉に甘えさせて、もらったら?」
引きつった笑みを浮かべ、マキ言う。
「ほら、同僚さんも言っていることだし、どうぞ?」
おいでおいでと手招きされ、本能のまま近寄る。
そのときふわりと花のような、いい匂いが香った。
今朝も思ったが、はたけ上忍は何故かいい香りがする。
一流の忍に体臭がないことくらい百も承知だが、これも恋のなせる技なのかしらと密かにその匂いを楽しみながら、はたけ上忍へと頭を下げる。
「では、遠慮なく失礼いたします」
正座したい気分だが、それは無理なので直接お尻を膝へと下ろした。向き合うのはさすがに気恥しくて、背中を向けて座ったが、何となく体勢が悪い。
座り心地の悪いそれが気になって、やっぱり下ろしてもらおうと振り返ったところで、はたけ上忍が動いた。
「う、わっ」
肩を引き寄せられ、背中から落ちる。そのまますっぱりと包まれ、私の体は止まった。
目を見開く私の前には、にっこりとほほ笑むはたけ上忍の顔がある。
座りにくそうな私を気遣って、リクライニング式の椅子になってくれているようだ。
頭は肩口に支えられ、大きな両腕に体を包まれ、先ほどとは雲泥の差の心地具合だ。
「窮屈なところとかある?」
安心感のある座り心地にふにゃりと顔を緩めていれば、はたけ上忍はなおも気遣ってくださった。
「いいえ、全くないです! すっごく気持ちいいです。幸せな心地です」
お世辞なしに言った言葉に、はたけ上忍の目が柔らかく細くなった。
「良かった。イルカさんが気に入ってくれるなら、いつでもあなたの椅子になるよ」
微笑むはたけ上忍につられて、こっちも笑ってしまう。
そういえば、はたけ上忍、ベスト着ていたのに脱いでいる。私が痛くないようにわざわざ脱いでくれたのだろうか。
本当にいい人だ。どうしてこんなに性根の優しい人がいるのだろう。
はたけ上忍のお父さんとお母さんに感謝を捧げたい。



ほわんほわんと幸せを堪能していれば、思い出したように声をあげた。
「あ、そういえば、これイルカさんのですよね? この店に入った時、リスが持っているの見かけて、一応取り返したんですけど」
そう言って、はたけ上忍は畳に置いたポーチから、リスとガマ財布を取りだした。
「ッ、ネロ!!」
悲鳴をあげるマキにリスを、そして私には財布を手渡してくれた。
確かな重みのそれを受け取り、思わず顔が綻ぶ。全財産が戻って来た!!
「ネロ、ネロしっかりしてぇぇ」
喜んだのも束の間、マキの半泣きの声に、我に帰る。そういえば、このお金はマキに託したものだ。
「どうかした?」
優しく問いかけてくれたはたけ上忍の顔を見上げた後、せめて感触は覚えておこうとガマ財布を揉む。
これは、私の恋を成就せんがための先行投資なのだ!



「すいません、はたけ上忍。確かにこれは私の財布ですけど、いとの中忍に渡したものなんです。だから、その……」
私の言葉に、見る間にはたけ上忍の顔が萎んでいく。ど、どうしよう!!
慌てる私に、はたけ上忍は悲しい感情が灯った瞳で私を見詰め、吐息を吐いた。
「イルカさん。これ、あなたの全財産でしょ? 友達が自分の為にしてくれることだからって、それを丸ごとあげるなんて、いくらなんでも不用心過ぎるよ」
心配だと覗きこんでくる顔に、きゅんと胸が引き絞られた。けど、これははたけ上忍の勘違いだ。
「心配して下さるのは本当に嬉しいですけど、大丈夫ですよ。私、マキになら何されてもいいと思っていますし」
自信を持って言った言葉の直後、店内が静まり返った。



気配はそこら中にあるのに、息を殺すような、一種独特の緊迫感が漂う。
おかしいなと周りを見ようとして、よりおかしな行動に出たのはマキだった。



「イ、イルカ。お願いだから、私の名前は口に出さないで……!!」
くったりとしたネロを両手で持ちながら、マキはかたかた震えている。時折、力加減を入れ間違えるのか、きゅっと絞める度にネロがびくりと体を波打たせた。
ネロ、大丈夫だろうか。
どことなく白目を剥いている気がして、不安に駆られる。
あまりに不憫なネロの成れ果てに声をかけようとすれば、上から声が落ちた。
「……ふーん。いとの中忍、だっけ? その子になら、イルカさんは何されても許しちゃうの? キスされても? セックスもありなの?」
固い声音に驚いて見上げれば、唯一素肌を覗かせる右目が座っていた。おどろおどろしい気配が漂ってきてもおかしくない雰囲気に、ぽかんと口が開く。
……不機嫌なオーラを出しても、きれい…。
ぽぅと見惚れていたら、やけに苦しそうな声を漏らして、はたけ上忍の顔が降りてきた。
「――どうなの、イルカさん」
答えてと、迫るはたけ上忍。
いつまでも口を開けて見惚れていたら馬鹿丸出しだ。はたけ上忍に不気味がられてしまうと、己に喝を入れ、私は平静な顔を作り答えた。
「? どうして、そう思うんですか?」
女同士ですよと言えば、はたけ上忍は眉根を寄せた。



「もしイルカさんが男でも、30歳年が離れていようとも、犬でも猫でも、俺はあなたを襲って、誰にも見せたくないほど盲目的に愛せる自信がありますよ」
長い指に手をさらわれ、きゅっと握られた。
切なげに寄せられた眉が色っぽい。
潤んだ瞳がとっても儚げに見えて、庇護欲がそそられた。
だから、だろうか。
ちゅっとやってしまった。
無防備にも目前にぶら下げられた、おいしそうな獲物にぶちゅっとやってしまった。
一度やっちまえば、二度目も同じだと、三度も四度もやってしまった!!



「ん、イルカ、さん」
はたけ上忍の口布に手をかけようとしたところで我に返った。
はっ、己は今、何をした。何をやっちまったんだ!!
欲望に忠実な自分のした行動を現実逃避しようと、脳が暴れ狂う。
「うわ、あ、わ、あ!! マキ、どうしよおぉぉぉぉ?!」
「私に助けを求めるなッッ!!」
ぎゃーっとわめいて頭を抱えるが、救いのマキは机を挟んだ奥にいる。そして、私はしでかした相手を椅子にして優雅に座っている。
恥ずかしいやら、身の置き所がないやら、逃げ場がないやらで、だらだらと汗を流していれば、うっすらと目元を赤く染めたはたけ上忍が一度私から視線を外した後、再びこちらに目線を合わせ小さく呟いた。
「……今度は、直接、ね?」
と、自ずから口布に手を掛け、ずらし始めてきたではないか!!
ぐわっと顔に熱が集まる。
近づいてくる顔から目が離せない。
ゆっくりと焦らすように、白くて長い指が口布を下げていく。
筋の通った鼻梁が現れ、上唇が覗く。
己のものとは違い、艶やかでいて、綺麗な薄桜色に染まっている唇は薄いが、触れると驚くほど柔らかいことを知っている。
急に今朝の感触を思い出し、頭に血が上った。
血液の巡りが通常時の三倍になるかと思われた時、それはまたやってきた。



「うっっ」
やばいと思って、口を両手で押さえた。
一度ならず二度はヤバイと、必死に押さえる。
それと同時に、あれほど全身を駆け廻っていた熱い血液が、冷たい氷水になったような感触に震えた。
顔にかく汗が嫌な汗に変わる。
涙目で迫りくる、嘔吐感と戦っていれば、不意にはたけ上忍の顔は遠ざかり、上唇まで覗いていた口布を元の位置まで戻した。



「イルカ!! 大丈夫?!」
血相を変えたマキが、机側から身を乗り出し覗きこんでくる。
マキの顔を見てほっとしたのか、よく分からないが、私の嘔吐感は嘘のように引いていた。
「……大丈夫」
急激な変化についていけず、ぼうっとして答えれば、マキは安堵のため息を吐いて、身を引いた。
「まったく心配かけんじゃないわよ。もー、びっくりしたー」とマキの小言に埋もれるように、はたけ上忍が何かを言った。
「………ふぅーん、そういう仕組みか…」
忌々しいねと、悪鬼のような顔で天井を睨みつけるはたけ上忍の顔を、私はぼんやりと見上げていた。








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カカシ先生は何か分かったみたいです。はい。